オクターブ
混雑している電車をやっとこさ降り、改札を出る。周りに人はそれなりにいるものの、とても静かだ。
みんなスマホを触ったり、神妙な顔つきをしていたりして、夜だからなのか、いきいきとした顔をしている人はいない。
階段を降りるとついしてしまう癖がある。それはふと母親の車を探すことだ。俺は今年、第一志望の東京の大学に無事現役合格し上京したのだが、上京する前は母親が毎晩駅まで迎えに来てくれたものだ。ここには、シンジと自分の名前を呼び、車の中に入れてくれる母はいない。
大学にもしっかり合格したし、人生上手いこと行っているはずなのに何かもの寂しいものだ。
小学校の時は、パタパタと階段を飛ぶように駆け下り、車に飛び込んだ。それが今となっては、ずしずしと重い足取りで階段を下っている。キャッキャキャッキャと騒ぐこともなく、出るのは重いため息だけだ。
パッと、夜空を見上げた。
そこには秋の中旬の満月が眩しいくらいに輝いていた。
そういえば、昔、上弦の月の名称を初めて知った自分は母親に得意げにあれが上弦の月だよって話していたなぁ。
何もかもがオクターブ下がっている…と、そんな風に感じた時だった。
「神谷真司さんですね?」
突然のことに咄嗟に「は、はいっ!」と答えてしまった。
そう答えたと同時に見上げていた空が満月の輝きを遥かに越して輝く。あまりの眩しさに目を必死に閉じたのだった。
数分後、目をなんとか開け、周りを見渡した。
どうやら、俺は、神殿のような建物の中にいるようだ。ここがどこか理解が追いつかず困惑している俺の背後から柔らかい声が飛んできた。
「突然失礼致しました。私は神の遣いです。人がそう、天使と呼ぶ存在に当たるかしら。変に聞こえるかもしれませんが、少し話を聞いてくださいな。」
そう言われて、胡散臭さを感じながらも、目の前の女性のあまりの美貌に圧倒されて話を聞くことにした。
「あなたは‘神の残り香’を持つものです。」
「神の残り香?」
「はい。あなたには、昔、神が少しの間住み着いていて、その跡のことです。」
「え…は?神様がどうして俺の中になんかに住むのだ…?」
「それは神の気まぐれです。あなたは過去にとてもなにもかもが順調な時がなかったですか?」
そう言われてみると、高3の時は成績がとても伸びたり、色んなことが順調だった気がする。
「まあ、心当たりないことはないかな…」
「それはあなたの中に住んでいた神様の力のおかげなのです。」
「いや、けど、信じろって言われても無理があるかな…」
「まあそうでしょうね。とりあえず、私があなたをここに呼び出した理由だけでも聞いて頂けませんか?」
「まあ、それだけなら」
「ありがとうございます。あなたをここに呼び出した理由はピースジュエルが盗まれてしまったからなのです。」
「ピースジュエル?」
「それを含めて今から、起きたことを順序話していきます。」