三輪目
フロンティエール大森林の中にある樹木神の宿る大樹は、ゲブラーから真っ直ぐ向こうの都市ケセドに抜ける最中にあると伝えられている。樹木神を祀る人々は現在もお詣りに行くらしいので、それは確かな情報だ。
フロンティエール大森林には魔物が住んでいる。まあ、魔物といっても、魔族とほとんど同意語だ。ただ、魔物は魔族より人間から離れた容姿をしている。
森に住む魔物は大抵が木の民という木々に宿る人型の魔物か、土の民という体が土塊でできた独特なフォルムの人型の魔物である。
木の民は回復魔法くらいしか使えない人畜無害な魔物で、性格は穏やかで心優しい者が多い。一方、土の民はというと、森を守る役割を代々請け負っている一族であるため、森に害を成そうとするやつには容赦なく襲いかかってくる。しかしながら、土の民は森が害されなければ基本的に温厚な民なのだとか。
現在、フロンティエール大森林には謎の霧が百年以上前よりかかっており、何故か森の中だと、回復魔法以外の魔法全般が使えなくなってしまうらしい。故に、白いローブを着るだけの軽装に留め、少女は森の入口へ向かった……のだが。
なんと運の悪いことに魔族殲滅を掲げる一団の人物と鉢合わせてしまった。
少女は一つ所に留まる白魔法使いとして知れ渡っていたため、すぐにそうだと見抜かれた上に敵と認識されてしまった。
そこで、戦闘が始まる。
当然、回復魔法しか使えない白魔法使いである少女は防戦一方になる。敵である数人の青少年たちは武器を持ち、黒魔法を使い、少女を痛めつけようとする。少女は魔法や剣などの攻撃の行き先を見極め、避けるしかできない。戦闘経験の少ない少女ではそれがやっとだ。
少女はフロンティエール大森林に向かおうと歩をさりげなくそちらへ進める。フロンティエール大森林に着けば、黒魔法は打ち消されるからだ。だが、それを見逃すような男たちではなかった。
男たちは少女に肉薄し、咄嗟に対応できずにいる少女を掴み上げ、殴り付ける。まさしく暴力の徒。少女が呻いても殴るのはやめず、結局彼女が血を吐くまで一方的な暴力は続いた。
「あーあ、やっぱり実戦に出て来ない白魔法使いってのは弱っちいな。つまんねーの」
「殺しちまうか?」
「もう虫の息だろ。ほっときゃ死ぬ」
「それもそうか」
ぎゃはははは、とはしたない笑い声を立てて男たちは去っていった。ただ一人、少年と呼べるくらいの出で立ちの人物が、何も言わずに少女の手に何かを握らせた。少女はそれが何かわからず、少年に聞こうとしたが、少年は何も言わずに立ち去ってしまった。
少女は息も絶え絶えで、回復魔法を唱えようにも、声が出せず、詠唱ができなかった。セフィロートの魔法は詠唱がないと発動しない。セフィロートの魔法というのは詠唱による要求をセフィロートに存在する属性ごとの神様が聞き届けることによって成り立つからだ。セフィロートでは祈りは口にしないと届かない。
少女は、最後の力を振り絞って、地面を這いずり、森へ向かった。その姿を、通りすがった人々は滑稽だと笑う。自分の傷も癒せない白魔法使いとはなんと滑稽、なんと無能。そう嘲笑うだけで、誰も少女に手を貸そうとしなかった。それは少女が魔族側につく白魔法使いであり、それを敵視する魔族殲滅組織の人間たちが、監視していたからである。今この場に魔族がいたなら、状況は違ったかもしれないが、残念ながら魔族はいない。人間は強い方に味方し、自分に厄災が降り注ぐことを避けた。
故に、少女は一人で這いずるしかなかった。都市の外れ、フロンティエール大森林の前まで。
少女は無我夢中だった。嗤う人々の声も聞こえないほどに。そうしないと死んでしまう。諦めたら、死んでしまう。フロンティエール大森林に着いたところで、回復魔法の詠唱ができなければ、意味はない。だが、そんな自身の身よりも、少女は師匠からの頼みのことをずっと考えていた。樹木神の化身に会って、フルール・ド・イガンを咲かせてもらわないと、と必死だった。
都市と森の境目。そこまでようやく辿り着いた白魔法使いの少女は、そこで力を失ってしまう。ああ、あと一歩だというのに、その一歩を進む気力がない。このまま、意識を闇に委ねてしまおうか、と思ったときである。
「木々よ、彼女に癒しを与えたまえ」
そんな澄んだ声が聞こえた。澄んだ川を思わせるような透き通った声。それは誰か少女の声であるようだった。その少女の詠唱を聞き届け、魔法が発動する。傷を癒す回復魔法だ。白い光に包まれて、白魔法使いは怪我が癒えていくのがわかった。信じられないくらいに体が軽くなっていく。もしかしたら、ふわりと浮き上がることができるのではないかというくらい。
傷の癒えた白魔法使いはゆっくりと立ち上がった。煉瓦などで舗装されていない土の地面を足で何度か踏みしめる。痛みは完全に消えていた。少女はその白魔法の精度の高さに驚き、それから慌てて声の主を探す。
声の主は少女の目の前に立っていた。花色の髪は長く、足首の辺りまである。瞳は夜空のような深い色。赤い花の髪飾りをつけている、肌の白い人間の成りをした人物だった。しかし、人間と違うのは、その手と足が枝が絡み合って形成されているところ。木の民の特徴である。
「木の民さま、ありがとうございます」
少女はすぐに目の前の彼女を木の民と判断してお礼を言った。思えば先程の回復魔法の詠唱も木属性のものだった。ここは境目とはいえ、フロンティエール大森林はもう目の前だ。木の民が出てきてもおかしくはない。
すると、木の民と呼ばれた少女はその夜空色の目を見開き、不思議そうな色を漂わせてから、やがて、納得したように頷いた。
「貴女が助かってよかったわ」
その少女は木の民にしては流暢に人間の言葉を喋った。木の民とは、森の木と一体化して過ごしているため、人間との交流が浅く、片言とまではいかないが、辿々しい話し方をするのが特徴だと聞いていたので、少女は首を傾げ、木の民の子を見つめた。けれど、木の民の子はその視線に含まれた疑問には答えず、少女を森の中へと誘った。
「その怪我、誰かにやられたのでしょう? すぐに戻ると危ないでしょうから、少し森の中で休んでいって」
「は、はい」
そう言って少女の手を引く手は、やはり枝の絡み合ったごつごつとしたものだった。




