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-傾月-〈貳拾貳〉夢を追う夢 1

 

 夏涼は左足を引きずり歩いて本隊に戻る時、戦争と呼ぶべきかどうかわからない戦争はすでに終わっていた。




 王国軍の総生存者:343人。


 主帥:1人。


 副官:1人。


 公爵親衛隊:6人。


 鉄甲騎:335人。




 歩兵団:0人。




 一体向こう側の戦場で、何が起きたのか、公爵と公爵親衛隊のトップ10に入る6人の化け物以外、誰も知らない。


 唯一理解できるのは、残りの騎士たちが向こう側に戻った時、あちこちに戦場で積み重なった屍の山以外に、彼らは奇妙な線に気づいた。戦場を越えて、まっすぐな、数千匹の体が上下分離した鉄蠍の平滑な断面で構成する線。


 遠くから眺めると、まるでこれらの蠍は全て一瞬で……巨大な刃に一刀両断されたかのようだ。


 しかしこの世にそんなに巨大な刀が存在するはずがない。たとえ蜘蛛型紅雪種の足でも、この斬撃を作った刀より百倍以上小さいだろう。まして、誰が十分な筋力を持ち、こんなでがい刀を振ることができるのか?


 本気でこの問題を問い詰めるのは誰もいない。生き残った騎士たち、一部の人は自分の生存を喜んでいる。ある人はそのまま冷たい砂土にぐったりと倒れている。ある人は武器で体を支えながら立って笑う。残りの人は、世を去った戦友たちのために慰霊し、臨時の墓を作る。




 高価な注射型の生の月財のおかけで、夏涼は命を拾った。体を動かせるようになった後、彼はすぐ全ての生存者を一度巡視したが、中にオオカミの姿がいない。


 その後2時間過ぎた。此頃、彼は並んでいた兵士たちの最前列に立ち、『勝利』を象徴する狼煙を焚き上がるのを眺めている。この狼煙は、無傷で戻ってきた公爵が命令したものだ。


 話し声も、歓呼の声もない。あるのは、粛然とした立ち姿だけだ。


 水色の無尽の月が、薄暗い空にのぼる。


 夏涼は静かに空を仰いだ。一筋の赤黄色の狼煙が上がり続けている。並んで待って無尽の月に回帰しようとする魂たちのように。


 5000人の内残ったのは、350人くらいしかない。




 これで、本当に『勝利』と言えるのか?答えは誰も知らない。




 前方の公爵は狼煙を点火したたいまつを捨てて、踵を返して、そして前列の夏涼に気が付いた。


「大したことじゃない」公爵は彼に微笑んだ。「ただ、娘たちに余計な心配をかけたくないので、私はまだ生きてる、すぐ帰るってことを伝えたいだけさ」


 夏涼は沈黙した。確かに、これだけの人数しか残っていない中で王国軍が、デカル高原を守ることは不可能だ。加えて、紅雪種が現れたという異常事件があった状況で、すぐにでも寒霜城に戻るというのは合理的な選択だ。


「では……狼煙もあげた、そろそろだな」公爵は肩を動かす。「ちょっと試してみよう」


 ドキン、なぜが分からないが、この言葉はもう一度夏涼の心の警鐘を鳴らした。心臓は本能的に加速する。


「試す?」彼は尋ねた。


「私が下した命令、果たして覚えてる人はいるのだろうか?」公爵は淡々と言った。


 彼は兵士たちの前におもむろに歩いて、無表情で全ての人を見渡し、沈黙する。


 兵士たちも静まった。例え傷だらけでも、できるだけ姿勢を直して彼らのボスの発言を待つ。


「バニ」公爵は突然に呼んだ。


「はい」


「ブリアン」


「はい」


「カリ、イアン、ウィルマート、クリフ、アリスター……」公爵は一番左の人から、兵士の名前を次々呼んでいく。


 名前が呼ばれた人は大声で返事して、敬礼する。


 公爵は止めどなく、絶え間なく一番左の列から、一人残らず、ゆっくりと300人の名前を一人一人呼んでいく。


 こうして、点呼はしばらく続いて、ついに終わりがきた。


「……メイナード、オーエン、そして……シルヴェスター」


 公爵が止まった後、自分の名前は呼ばれなかったことに夏涼は気づいた。


「以上、335名、これから……」公爵はちょっと口を閉じて、穏やかで次の言葉を話す。「……最後の任務を与える」


 解せない顔をしている兵士たちの中で、夏涼だけ、心臓は胸から飛び出しそうなほど、暴走した馬車のように加速し続ける。彼は感じた。何か、これまで経験した危機を合わせててもくらべものにならない、最悪の事態が発生している。


 公爵は懐からすでに壊れて、動かなくなった一匹の銀蛇を持ち出して、マフラーを巻くかのように、自分の首に回す。


 公爵の動作を見て、夏涼は背筋に悪寒が走る。彼は思い出した。それはこの戦場に来た時、公爵の最初の命令だ。


 あの時、銀蛇に操られた兵士を止めるために、公爵はこんな命令をした。




『全部隊に告ぐ、今から……首に銀の蛇をつけている人は誰だろうとも、『敵』として識別しろ』




 今、公爵は銀蛇というマフラーを巻きながら、独りで隊列に向き、おもむろに長い黒刀を抜き出して、反応不能の生存者たちに向ける。




「これは私の最後の命令だ——目の前の敵を……倒せ」




 ……




 ……




 ……




 夜、満天に星が輝いていた。


 あれから3時間過ぎて、静かな夜はやって来た。


 狼煙が消えた後、微かな残火しか残らない。


 公爵は独りで狼煙の残火のそばにあるテーブルに座り、手酌で一盃やっている。


 彼を円心として、数百メートル内、砂土が血で赤黒色に染められていた。


 死体の海の中で、檀木テーブルだけが立っている。海で独立して存在する島のように。


 それは公爵が狼煙を上げる前に、事前に準備した酒席だった。誰のために用意したものか、あの時、夏涼は知らなかったが、今……


「もう3時間過ぎた。座りなさい、夏涼」公爵は淡々と言った。


「あなた……私を殺さないんですか?」夏涼は指を拾った刀の鞘に置きながら、静かな声で尋ねた。


 この3時間、彼はずっとこの姿勢で、しかし、一度も刀を抜かなかった。


 物音ひとつもない。デカル高原の夜に、人を狂わせるほどの静寂がある。


 二人の対話を除いて、何も聞こえない。何故なら、この辺りで……彼ら二人だけがまだ生きている。


 いや、二人と呼ぶべきではないか。今夏涼の前に、自分一人の力で、無傷で部下を殺し尽くして、血すら染み付かないこの『英雄』、どう考えても……人間と呼び難いだろう。


 夏涼の指の震えはすでに止まり、心臓の鼓動さえ平穏に戻った。どんなにもがいても、この力の前で何も出来ないということ、体がはっきり意識した。


 公爵は首につけた銀蛇を引き捨てて、ゆるりと微笑んで、夏涼を一瞥した。


「もし私が君を殺すつもりなら、立ったり座ったりすることに、差別があるか?」


 夏涼は少し黙ってしまった。


「そうですね」彼は頷いて、公爵の向こう側の椅子を引いて座った。


 公爵はフラゴンを持って、彼に一献を傾けた。


「恐れ入ります」夏涼は礼儀正しい微笑みをして、酒を一口呑み、「いい酒です」と褒めた。


「確かにいい酒だ。できるなら、こうして娘と酌み交わしたいものだな、だけど月璃はあまり酒が好きじゃないらしい」公爵は少し残念そうに言った。


 夏涼は手酌で一盃やって、ゆっくりすする。


 確かに、記憶喪失の前でも後でも、月璃は酒を好きではない。


「残念なことに、彼女はまだわからない。酒の良し悪しは、実際に酒を酌み交わす人次第だ」公爵は酒盃を揺れながら、淡々と言った。


「この理論によると、道理で彼女はいつまでも酒を好きになりませんね」夏涼は微笑んで、ゆるりと話した。


「厳しいな、長年付き合ってきて、これは多分君が初めて私にいう皮肉だ」公爵は愉快な表情をする。「怖くないのか?」


 しばらく沈黙した後、夏涼はゆっくりと口を開く。「私は死にたくありません。もし丁寧にあなたに接するだけで命を守れるなら、あなたの前で額を地面に投げ伏してもいいです」


 公爵は微笑みを保ち、彼の嘘を破らなかった。


「夏涼、知っているか?なぜ私は彼らを殺したか」公爵は尋ねた。


 夏涼は首を横に振った。周りの死体は、人一人の顔は信じられないという表情をしている。


 公爵は酒をおもむろに流し込んで、酒盃を置いた。そして、彼の顔は真剣になった。


「私は彼らを尊敬しているから」


「……」


「彼らは戦士、尊敬に値する戦士、相応の結末を迎えるべきだ。だから私はこの戦争を作って、彼らに壮絶な戦いの中で命を燃やす機会を与えた。何故なら、彼らを私たちの副葬品とされて、無意味に死なせたくないからな……たとえ流星でも、一瞬のきらめきを放つ権利を持つ、そうじゃないか?」


「……私たちの……副葬品ですか?」夏涼は眉を顰め、公爵の言葉を理解できない


「もう一つ、これは私が育てきた部隊だ。私のもの、壊すなら……私が壊すべきだ」何故かわからないが、憎しみ、狂気に近いほどの憎悪が公爵の顔に浮かんだ。今まで、夏涼は公爵のような超人にこんな感情を一度も見たことがなかった。「私が一番嫌いなのは……誰かが、私のものを奪うことだ」


 だがその顔つきは一瞬しか保たず、本来の微笑みに戻った。


「何故彼らが生きていたら、私たちの副葬品になるのかわからないか?気にするな、君はすぐにわかる」公爵は微笑んだ。


 夏涼は沈黙した。何故他の兵士たちは彼の副葬品になるかわからないけど、公爵の言葉に隠された意味は彼にはわかる。それは、大きい可能性で、彼はここで死ぬことだ。


 彼は首にかけた黒水晶を軽く握る。それは彼が戦場で身につけた習慣だ。無意識に、この冷たい水晶を握りになる。


「そういえば、君が黒水晶をかけているように、この戦場に来て、私もいつも身に付けているものがある」夏涼の動作を見て、公爵は突然言った。


 彼は懐中から重ねて巻いた紙を取り出して、夏涼に投げた。


 夏涼はそれをキャッチして、開けて一枚目を見て、目を見開いた。


「これらの絵は、いつも私に二人の娘を思い出させてくれ、奮闘し続ける力になる」公爵は微笑んだ。


「これは……過去日琉の絵ですか?」夏涼は呟いた。


 絵に描いたのは、青髪の棒人間と、その後ろについてくる薄い黄色の棒人間と黒い子猫だ。線が荒いので、どんなに肩入れしても、いい画技とはいえないだろう。


 しかし今見れば、この絵は彼女たちの子供頃の生活を象徴するように、複雑な、難しいことに追われず、ただただ普通の生活を送る二人。


 夏涼はまた沈黙した。色々な思い出が、一気に彼に襲ってきた。


「実は私は……ずっと昔から、結構君を気に入っていた」公爵は再び手酌で一盃すすった。


 夏涼は返事をせず、一番上の絵を慎重に重ねた紙の一番下に置いて、2枚目を見る。


「何故なら、君は私と同じ、欲望に忠実に生きる人だ。だから5年前、君は私と共犯してくれた」


「月璃を記憶喪失にさせて、彼女の世界を真っ白を塗りつけて、自分の色に染めた。それによって、君はもともと日琉への関心と愛を、自分のものにだけにして、この5年間、月璃にお前だけを見つめてさせた」


 夏涼は絵を見つめて、話さず、もう自分の罪を否定しない。


 公爵は勝手に話し続けている。


「極めて利己的な行為。しかしそれはどうだろう。一般人と違って、私たちはただ……世界と妥協したくないだけだ」


「人間はみんなそうだろう。生活の中で本当の欲望を抹殺し続け、そしてそれに『成熟』と美しい名前をつける」


「一笑に付すって、ただ人間が自分を守ろうとするためのメカニズムであるだけだ。自己と真の欲望を謀殺する罪を忘却で美化し、希薄にする」


 夏涼は依然として返事をしない。公爵の言葉がだんだん彼の意識から離れて、目に入るのは、ただ二人の少女の過去がありありと思い出される。


 今見れば、美しく儚い日々だった。


 夏涼が彼女から奪った過去。




 ある絵では、月璃は木の上に坐って裸足で空を蹴っていて、日琉とワンちゃんは木の下に跳ねまわっている。




「覚えきれないものは重要ではない」


「すでに失ったものは重要ではない」


「得ることができないものは重要ではない」




 ある絵では、混ざり合う赤と灰色の街に月璃が走り、日琉とワンちゃんは後ろから一生懸命に追っている。




「本当に渇望するものはいつか過去になり、消えてしまう。振り返るな、何故かと言えば、後ろには、自分が失ったものしか存在してないからだ」


「過ぎ去ったものは追わず、來る者は猶ほ追ふべし」


「そう、人間は、そう信じればいいさ」




 ある絵では、月璃が芝生に転がっていて、日琉とワンちゃんもそれを学んで芝生に転がっている。




「しかし私たちは違う。私たちは食べたことがある。手にすることができない、甘くて切なくて、禁断の果実を」


「だから私たちは、これらの素晴らしいものを追いかけてみるしかない。たとえ人間としての資格を放棄しても、たとえ全てを犠牲にしても、そうやって追いかけて……追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて追いかけて……」


 公爵の声はどんどん加速し、低くなる。それは抑圧、狂気に満ち溢れている声だ。魔性の獣が同時に低く叫んで、訴えて、人を狂わせるかのような声。


 側の残火は一瞬で大きくなり、影が不自然に踊る。


 夏涼はついに最後の一枚にめくった。


 それは過去の月璃の肖像画だ。これまでの落書きのような絵と違って、すごく美しい絵だ。


 しかし右半分と左半分にはあまりにも差がありすぎる。




 左半分は天使といえば、左半分は悪魔だ。




 もし、天使と悪魔をかち割って、無理矢理に縫い合わせたら、多分こんな感じだ。


「美しい絵だ。そう思わんかね?」公爵は首を振って賛嘆した。さっき狂ったような呟きは、まるで存在しなかったように。


「ああ、美しい……」夏涼は思わず頷いた。


 そう、それしかいえないほどの美しさ。荒れて、斜めに歪んだ線で構成された右半分があっても、絵の構図を壊さず、むしろ儚くて脆い左半分に異質な美感を呈させた。


 狂って、美しくて、世の中に存在しはならない美術品だ。


「やはり……君なら、この絵の美しさが理解できる」


 公爵は夏涼の前の酒盃を取って、注ぐ。




「何しろ……君は私と共に、この絵を完成させてきた人だ」


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