-傾月-〈貳拾〉膝枕の幻夢 3
……
騎士たちは咆哮しながら、丘の下へ突進する。
紫旗を靡かせ、蹄鉄を踏み、灰色の砂が上がる。
丘から奔騰してきた紫色の濁流のように、900余り名の騎士は激しく突進する。
彼らが乗ったこの種の高原馬は、最高速度は70秒以内で1キロを走れる。互いの距離、1点5キロくらい、そして上から来た加速度も考えたら、100秒以内で敵陣に突入することができる。
彼らの突進はすぐに気づかれて、ふざけたような有効射程を持った帝国軍は弓の方向を変えて、騎士たちの数倍以上の矢を撃ち放した。
だが、一発も当たらず、全て強い季節風によって彼の左側に吹き寄せられた。
夏涼が騎士たちを率いて距離を取った時、横の方向に少し移動した。今彼らは高原に吹いた東北風の中で西北の方向の敵へ突撃している。
双方の距離を4~500メートルまで縮めると、帝国軍の体に絡んでいる銀蛇が反射光で瞬いているのが見える。
機動性にこだわる公爵の騎兵隊には、重厚な全套甲冑よりも軽い皮甲が好まれた。標準装備は軽い皮甲、敵の陣形を破壊するための短弓、突撃するための槍、接近戦や馬から降りて戦う時の軍刀とナイフだ。
「全員、短弓に換えろ」
そう命令して、夏涼は鞍の左側から短弓を持ち上げる。
「弓を引け、目標は間もなく通り過ぎる、前方の砂地」
彼は両足で鐙を踏み、腕を斜め45度上げて弓を引く。
全然理解できない命令だが、900余名の騎士は命令に従う。
「散状に撃て!」
数百本の矢は同時に絃から離れて、放物線を描いて騎士たちが間も無く踏む道筋に射し込み、高原の灰色の砂に吸い込まれる。
力強い矢の群れは地面に隠された布を射抜いて、数十個の深くて底が見えない黒い穴を露出させる。
「やっぱりな」夏涼は一息を吐いた。
さっきから彼は相手の陣型がおかしいと思っていた。薄弱な長槍兵を中央の長弓兵の前に置き、まるでこの部分を突撃させろと敵に教えているようだ。
そして彼は王国軍に奇襲した紅雪種、鉄蠍の手段……穴を掘ることを思い出した。
両者を結びつけて考えると、答えは明確になった。
彼はあの男本人ではないが、ある方面において、彼もあのバカバカしい『穴掘り令』に人生を影響されていた一人だ。そういう発想は、夏涼にとって難しいものではない。
「落とし穴......っ、また蠍の仕業か?」オオカミは馬を加速させて夏涼の横に並べる。「どうする、迂回するか?」
相手との距離はまだ300メートルくらいあり、前方の一見平らいと見える地面には、さそがし鉄蠍が残した穴があちこちに埋められていることだろう。
「いいえ」冷徹で、鋼鉄のような声。
紅雪種、そして帝国軍、彼らは一体どんな敵を対しているのかわからないけど、今、ずっと公爵軍を圧制して来た敵はようやく隙を見せた。
公爵軍の騎兵を誘引するために、わざと脆弱な長弓兵をエサにして、確かにここまでは合理的な策略だ。しかし、相手は見くびりすぎている。
……公爵軍の狂気を。
夏涼は再び右手をあげる。
「聞け、鉄甲騎」
振り下ろす。
「跳び越えろ!」
夏涼は綱を引っ張って、馬が嘶いて、周りの荒れ果てた景色が線になるまで加速した。馬蹄で踏み進んで、直接に最近の穴を跳び越える。
若い指揮官が模範を示した後、後ろの騎士と戦馬が一斉に戦吠し、前の無数の恐ろしい穴だらけの砂地へと突進して、矢を射って前方の落とし穴を現させながら巧みな馬術で経路を選びながら穴を跳び越える。
夏涼は馬の上に激しく起伏し、両足だけで鐙を踏み進行方向を変えて落とし穴をかわし、意識を集中し、視野を特定の範囲まで縮めて、構えた槍を突け続け、とめどなく直射してくる矢を撃ち落とす。
一人一騎、高く跳び上がる。
唖然とした前の3列の長槍兵を乗り越えて、彼は迷わず一人で後列の長弓兵の中にぶつかっていく。
まさに千斤の錨を静かな港湾に下ろすかのように、数名の全身が銀蛇に絡まれている長弓兵は強力な衝突に飛ばされ、水しぶきが飛び散るようだ。
しかしその轟音はただの序幕だ。衝撃音は演奏を始めたばかりでいきなり高潮へ切り替えた激昂の太鼓の如く、帝国軍の中で連続爆発し、絶句する帝国長弓兵たちを爆り続ける。
無数の錨が静かな港湾に降ろされて、血色の波飛沫を咲かせ始める。
馬鳴りと悲鳴が戦場をあっという間に支配した。落とし穴を飛び越えて、終点を到着した騎士たちは雄叫びをあげ、開戦から今まで抑圧された狂暴な本能がついに解放された。
全て蹂躙せよ!これこそ公爵軍の最も自然な姿だ。
震天動地の咆哮で、長く飢えていた獅子が羊の群れの中に放り出されたかのように、短時間の内に、約300人一組に分かれ、3隊の騎士たちは爪と化し、中から帝国軍の陣形を引き裂く。帝国軍の長弓兵と長槍兵は悲鳴を上げながら、やたらに逃亡し、互いを踏みにじる。
王国軍先ほどの経験から、銀蛇は操られた人を約二倍に強化させる。けれども、英雄の鉄騎は……帝国軍が二倍強化されたのだけで比べられるものか?
大量の感情の情報が一瞬で帝国軍の脳に刻まれ、それは銀蛇さえ変えことができないほどの強い恐怖だ。
殺戮が続いて、一瞬、悲鳴は全て消えた。
帝国軍は凍てつくかのように一緒に動作を止め、静止は戦場の隅から拡散して、刹那的に逃げている兵士たちを全て凍結する。無数の兵士は抵抗も逃げもせず、ただ手を垂れ下げたまま、虚ろな目で騎士たちの長槍が自分の喉頭に刺し入るのを見る。
そして、生き残った帝国軍の目は再び新しい色に染められた。徹底的に狂気に染まった色だ。
悲鳴と泣き叫びの代わりは、叫び声、獣のような叫び声。
戦場はもう一度変化した。王国騎士たちの前に、本当の煉獄が上演される。帝国軍は完全に神智を奪われて、刀剣をやたらに振るい、吠えながら互いに噛み付き、敵味方なく攻撃する。武器を失った人は仲間の断肢まで武器とする。または直接に狂犬のように騎士たちに飛びかかる。
「おい、前を見ろ」混乱の中、オオカミは馬を乗って刀を左右に斬り回し、飛びかかってくる帝国の兵士たちを斬り落とす。
夏涼は槍を連続的に突き出し、高精度の攻撃で兵士たちのヘルメットと鎧の隙間を挿し入れ、最も効率的な方法で敵の命を奪う。
呼吸の合間に、狼が指差す方向に視線を向けた。
遠くには、一つの特異な存在がある。
背が高い男は金色のヘルメットをかぶり、体に何の銀蛇もつけておらず、顔面から存在するはずがない情緒を醸し出し、慌てて、何度か剣を振り回している。
夏涼は眉を顰めた。おの金髪の男……かつてどこで会ったことがあるようだ。
さらに怪しいのは、男が後ろへ走り続ける中、銀蛇たちは彼の周りの兵士たちから離れて、彼一人の足元に集まって、馬の形に組み合わせて彼を支える。
鉄色の馬の頭が夏涼と王国騎士たちの方向に向くが、男はそれに乗って後ろに滑っていく。
余計な言葉は必要ない。あれが舞台裏の元凶だということを夏涼とオオカミはすぐに理解した。
「追撃する」
夏涼は命令して、徹底的に血に染まった槍をまっすぐ前に伸ばし、オオカミと率先して駆け出し、狂乱の戦場に血路を開く。
ずっと後退し続ける男は数回振り返して二人を眺め、距離が縮まるに伴って表情がますます慌てたように変わる。彼は震えている手で歪んだ金色々なのヘルメットを外して、猛然と上へ投げる。
金色のヘルメットは空にきらめき、まるで……何の信号のようだ。
事前に話し合ったわけではないが、二人は一斉に手綱を引いて、馬を止めた。
まばゆい日差しの中で、夏凉は目を細め、手で日差しを遮る。
オオカミは顔の巨大な傷跡を強く掻き、急に沈黙した夏涼とともに空を眺める。
日光で、数個の球状のシルエットが突然現れた。
「…… 玉?」
夏涼は躊躇い、妙な寒さがぶるっと全身の肌を走る。それはさっきの矢の雨の時と似ている、しかしはるかにそれを超えた不安感だ。
戦慄。
よく見ると、空でどんどん大きくなるシルエットの形は一種のありふれたおもちゃと同じだーラタンボール。
内部がからになり、銀鉄色の細長い形の鉄鋼で互いに交差し、中央の核心を包む。
鉄鋼の棒で編んだ巨大なラタンボール!
「おい、一番大きな一つ、俺たちに飛んでくるじゃない?」オオカミは眉を顰めた。
「……」夏涼は返事をしない。、珍しく表情が固まっている。
彼たちに飛んでくるシルエットが急速に近づき、どんどん大きくなる。その鉄鋼のラタンボールを目測すると、直径……
……少なくとも三十メートル以上。
顔の硬直が全身まで滲み透って、一瞬、夏涼の手足は言うこと聞かず、ただ末端の冷えをはっきり感じた。横のオオカミも同じだ。ぽかんと口を開けた顔をしている。
この刹那、心臓の鼓動さえも忘れた。
ドクン。
半秒の停止後、心筋がキュッと縮む!
強力な血流が心臓から押し出され、全身へ送り出される。巨大な鼓動の音が鼓膜を叩き、体からの警告のように夏涼を強制的に反応させる。
二人は共に我に返った。
「「ひけ!」」二人は手綱を締める。
ドカン!
引き返して数歩もしないうちに、大地が揺れ動き、馬を跪かせる。
凶暴な衝撃波が後ろから巻き襲ってきて、二人と乗騎を一気に吹き飛ばす。
数百人の帝国軍の兵士、数十匹の馬と王国の騎士は二人と一緒に吹き飛ばされる。衝撃点に一番近かった数十人は悽惨な姿で空に横転し、四肢が捻られて血が噴き出し、巨大な嵐に連れられて踊る。
しかし夏涼は他人に構う暇がない。さっき蠍と戦った時、何度も五色で兵器を加熱していた結果、彼とオオカミの体重は共に3分の2くらいしか残ってない。今彼は右手で武器を掴みながら左手を腰元のクラッカー筒に移して、二回連続でそれを撃って衝撃力を緩和して、風圧に沿って地面に転がる。
視線が垂直に回転し、彼が転がっていく場所に、銀色の蛇の群れが蠢き、彼を待っている。
夏涼は槍を荒土に挿入して、地表に長い長い黒い跡を掻き出す。停止後、夏涼は腹部を締め、槍の上に倒立して、左手の親指で足に縛った水袋のふたを撥ね飛ばす。
【緑・活水】
淡緑色の残光は球状で浮かび上がる。見えない釘で空中に打ち付ける光の玉のようだ。
水袋から流れ出す水は夏涼の周りで細長い水の鞭と化して、夏涼を中心として輪になって、点状噴散、隙に乗じて湧いてくる銀蛇の群れを弾き飛ばす。
着地、夏涼は交差する両手で槍を連続的に回転させ、刃で形成された球状の嵐を作り、周りの蛇の群れを切り裂く。同時に前から湧いてくる黄砂と砕石から身を守る。
手を止めた後、破砕した銀蛇の残骸は彼の周りにばらばらと落ちてしまった。彼は息を吐いて、自分の居場所を確認し始める。
体重減少のために、一般兵士たちと比べ、彼はもっと遠い場所に吹き飛ばされた。
すぐ、それは一つの幸運と夏涼は分かった。
前方、立ち昇る煙の中で、超大型の鉄鋼のラタンボールの影が変形しつつ、開いてゆくのがぼんやり見える。
黒影が浮動し、十数メートルの巨体な刃は急に煙の中で浮き出る。
銀の一閃。悲鳴すら上げられず、最も煙に近かった、もがいて立ち上がったばかりの十数名の王国兵と帝国兵は上半身が一気に飛ばされた。
超大型の刃の斬撃が広がった煙を吹き払ったので、巨大なバケモノの全身はゆっくり現れた。
高さ三十数メートルの鉄鋼蜘蛛の姿を見ると、馬を失ってもまだ生きていた王国の騎士たちはまず硬直して動けなくなり、そして夏涼の命令を受ける前に、狂ったように逃亡し始める。
真の恐怖の化身が実際に目の前に現れる時、いくら誇りと尊厳を持つ王国の騎士達でも、ただの脱走兵になり、絶叫しながら反対方向へ狂奔するしかできない。
しかし鉄鋼蜘蛛は彼らを見逃さなかった。彼は4本の脚で疾走して、土煙が舞い上げる。残りの4本の脚の中では、ある者は上に締め上げられ、ある者は360度に捻られ、通常の蜘蛛には絶対にできない姿勢であちこち逃っている兵士たちを斬る。
夏涼はそれらの軍令違反の兵士を呼び止めなかった。彼は近寄ってきて、おもちゃを解体するように人たちを簡単に虐殺するバケモノを見据えながら、そう思考した。今この時、喉で少し乾いた笑みをした方が、情景に相応しいかもしれない、と。
先ほど、夏涼は奇跡的に騎兵を率いて敵に一本返すことができた時、『恐怖の化身』と呼ばれた紅雪種も、それほど絶対に倒せないものでもないと彼は思っていた。
大違いだった。
目の前に、でたらめな大きさの、伝説にしか存在しない超大型の化け物、それに直面できるのは、多分、勇者と言われる者と頭がおかしいやつだけだ。
笑ってしまう程大きな蜘蛛は狂い続ける帝国軍と王国騎士たちを嬲り殺す。そして急に動きが止まって、横に向き、新しい目標をロックした。さっき追われていたあの男の代わりに仇を討つためのように、蜘蛛は急に遠くの夏涼に向かってまっすぐ駆けてきた。
「まだ死んでいないか?」夏涼は再び全身引き締めて、それに反応する前に、オオカミの声が適時に彼の背後から聞こえてくる。
冷淡であり、ついさっき聞いたはずだが、夏涼はなぜが妙に懐かしい気持ちになった。
彼はオオカミの問題に返事せず、ただ自分ですら『余裕がある』とは言い難い微笑みを浮かべて、水袋を持ち上げて最後の一口を飲んだ。
「おい、お前、いつあいつの恨みを買った?」人間は慣れるのが早い生き物、そしてオオカミはその中でもそれが優れた生き物だろう。何が起こってもおかしくない戦場に、彼はとっくに慣れたらしく、ただ二人に襲いかかってくる化け物を眺め、眉を顰めた。「お前、もしかしたらあれをもお前の結婚式へ招待したのか?」
「……」水を飲んだ後、夏涼は水袋を捨てて、乾燥した唇を拭いて、淡々と言った。「よくわからないんです。もし姫さまが記憶を取り戻していたら、あのものは姫様に招待された来賓客なのかもしれません」
「……」オオカミは表情を隠さず、頭がおかしいやつを見たような表情をした。
同時に、二人に襲ってくる化け物は人をゴミのように切り刻み、死体の塊を飛び散らせる。長い長い脚は一歩踏み出すたび、土煙を高く上げ、大地を振動させる。
それでも、夏涼は動かず、ただ静かにオオカミに尋ねた。「逃げないんですか?」
オオカミは少し黙って、不快そうに鼻を鳴らす。
「確かに、城壁のような高さのおばけ、多分、精神状態が乱れるやつを敵として戦うんだろう」オオカミは前に数歩踏み出して、蜘蛛に刀を構える。「お前は下がれ」
「なら君はどうするのですか?気違いだというのですか?」
「へっ、命令に基づいても、それとも個人的な理由に基づいても、俺はあいつにお前を殺させない」オオカミは獰猛な笑いを浮かべ、高慢で不遜な顔をする。「それに……親衛隊には正常な人なんているものか?」
夏涼も沈黙していた。オオカミが彼を殺させたくない個人的な理由に、少し興味があるが、今それを問う時間はない。
彼は長いため息をつく。
「残念ですね……」夏涼は温言で話した。
「残念?」
「もし隣りにこの戦争を記録してくれる吟遊詩人が居たら……」
「お前が残すんだろう」オオカミは冷笑で彼の話を打ち切った。「フン、さっさと逃げろ、さっきのつまらない冗談を繰り返すな」
「いええ、言えないのは、残念です、もし隣りに吟遊詩人が居たら……」
夏涼も一歩踏み出して、オオカミと肩を並べ、槍を構えた。
「……次の叙事詩に、私たちの名前を記述されるかもしれません」夏涼は微笑んだ。
オオカミは少し目を見開いて、夏涼を横目で見る。
何かを見定めるように。
「フン……」最期、彼は唇の端をゆっくり上げる。
「くだらない」
……