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-傾月-〈拾玖〉傍観者 3

 


 カラカラ……




「伏せろ」オオカミは冷たく言った。


 耳に入るのは依然として煩わしい甲羅の磨擦音だ。夏涼は体を反り、両足に力を込めて体を支え、背中が弓なりに曲がる。


 顔の皮膚で灼熱の風圧が吹き抜けることを感じ、赤くて長い刀が彼の胸と頬の上で横切り、夏涼の後ろから襲いかかってきた蠍の尻尾を水平的に切り分け、二分する。


 夏涼はバランスが崩壊する一歩手前で体を捻り、転んだと同時に右手で鉄槍を投げ出して、蠍の頭を貫いた。

「フン、貸しができたな」オオカミは夏涼を引っ張り上げる。


 立ち上がると、夏涼は蠍の殻から槍を回収し、槍を回して、付着した透明な粘り気のある液体を払いのける。


 カラカラ……


「オオカミ、後ろ」夏涼は淡々と注意を促す。


 狼は振り返さず、長い刀身を腋下を通して、金属の甲羅を溶かして巨蠍の胴元に全体に挿し入れた。巨蠍は少しもがいて、動かなくなった。


「返しましたね」夏涼は微笑んだ。


「口で返すつもりか?おい、普通ならお前が庇ってくれるはずだろう。」オオカミは眉を顰めながら、刀を蠍の内部でジュッと音を立てて、抜いた。


「それは状況によるな、もし隣りにこの戦争を記録してくれる吟遊詩人が居たら、そうするかもしれません」


「……」凶悪な目つきで彼を横目に見ながら「……邸で、俺が聞いていたお前の評価は、誠意で懇切だというものだったが」


「姫さまに長く付き添っていたら、いやでも変わります」夏涼は淡々と言って、もう何度も加熱されていた槍を連続に突き続ける。ここでの姫さまは、当然、【月からの悪魔ちゃん】のことだ。


 姫さまという単語を聞いて、オオカミの目の中の温度が再び下がった。彼は刀を振り続け、地面から飛びかかる数匹の銀蛇を斬り裂く。


 長い時間体力を激しく消耗したはずだが、彼はちっとも狼狽の様子を見せなかった。その寒い殺意は磨き上げた刃のように、時間が過ぎるにつれて、ますます鋭くなる。


 夏涼は理解した。これがここ数年、実力至上主義の親衛隊の中でオオカミが勝ち抜き、公爵の信頼を得ることに成功した所以だ。


 唯一わからないのは、理由がわからないけどオオカミは月璃と自分には何の敵意があるらしい。


 しかしそれも珍しいことではない。過去のあの悪魔ちゃんが一体どれだけの人から恨みを買ったか?それをはっきり計算するよりも、今の月璃が一体どれだけの人からラブレターを受け取ったのかを計算する方がマシだ。


 オオカミは唾をぺっと吐いて、言う。「邸の奴らは目が節穴だらけ、それとも鼻が壊れたりしたんだろう、お前の身から発せられる猟犬特有の濃い生臭さが、潔いふりしてただけで簡単に隠せると思ったか?」


「……」


 オオカミが事情を知っていることに、夏涼は驚かなかった。公爵の駒は、彼一人だったわけがない。


 だから彼はただ沈黙し、数名の歩兵に協力させてこの一波の最後の蠍を片付ける。


 そして彼はあたりを見回し、鉄蠍の残骸と切断された脚が二人の周りにバラバラと落ちていて、断面から奇妙な紫白色の細い電流が断続的に流れているのを見る。


 この数波の攻撃から生き抜いた人は少数だ。彼らの周りに、蠍の残骸の数より2倍以上の死体が積み上げられている。


 死体の死に方は多種多様である。『智の月財』に記載された、誰にもわからない抽象画のように、現実離れな光景だ。


 唯一の共通点は、完全な死体がほどんどいないことだ。武器と破損の戦旗があちこちに立ている。吐き気を誘う引き裂かれた肉と内臓は鉄色の残骸に掛かっている。どろっと血液が垂れ、地面の黄砂を赤に染めた。


「ふん、いい加減本性出したらどうよ、猟犬」オオカミは周囲の惨状を見ながら冷たく言った。このような悲惨な状況が、ちょうど夏涼の隠れた一面に合っているかのような口振りだ。


「私の......本性?」夏涼は掻き傷だらけの槍で体を支え、ゆっくり息を調節する。


「さっきお前が人を殺した時の目つきを見ればわかるざ。あれはただ1人、2人だけを殺してきた目つきではなかった。もし単にお前の首から上を見たら、公爵邸の頭に花が咲いているメイドたちは、多分お前は鶏肉を切っていると間違うだろう」


「……」夏涼は黙って笑った。「それは確かに誤解です。女々しい顔を持っていることは自分も自覚していますが、実は私はあまり台所に立っていないので」


「誰がそれを言ってる?俺が言いたいのは、戦場では、誰でも最も真実の一面を表す。名誉と栄光のために戦う。血を沸かせるために非道を選ぶ。生き抜けるために怯える。どちらにしろ、これはそれぞれの選択だけだ。俺には意見がない。ただ単に……最も強く、最も執着する人が、目的を達成できるだけだ。」そう言って、オオカミは嫌悪の目で夏涼を一瞥した。「だが、これまで、俺はお前の顔に、何の執着も見えなかった。まるで……お前はこの戦場に存在せず、ただ傍観しているだけのようだ」


「話が多いですね、意外です」


「俺はお前に聞いてる」オオカミは歯を剥き、夏涼に切っ先を指す。「いい加減この不快な仮面を外したらどうだ?」


「蠍、また来るぞ!」一名の小隊長は吼えた。




 数百メートル先、新しい鉄蠍の群れが銀色の波のように、幸か不幸かの生存者たちに押し寄せて来る。


 オオカミは舌打ちした。夏涼は沈黙した。二人とも武器を再び持ち上げる。


 槍を握りしめ、夏涼は指先の冷たさを感じる。今この刻、つま先から湧き上がる、脳ではなく体から生み出した感情は、死に対する恐怖というものなのか?


 ぼんやりと予想していたモノクロの未来の光景は今、彼の頭の中ですぐにでも現実になるようにより一層鮮やかになった。


 頭の中でははっきり知っている。このままでは本当に絶体絶命に状況になる。たとえ今、王国軍は依然としてしばらく血の海で弱々しく喘ぐことができるけど、このままの戦況が続けて臨界点を越えれば、流れは一気に疲れなくて感情もない紅雪種に倒れる。


 いくら公爵と親衛隊たちがどんなに最前線で活躍しても、この絶望的状況を打開するは難しい。正常な軍隊がこんな乱暴な突撃の前で、すぐ崩れて散りじりになったのもおかしくないだろう。しかし紅雪種にとって、士気というものはもともと存在しない。


 それと比べて、どんなに勇猛であっても、王国軍は依然として感情を持つ生身の体だ。ここまま行けば、王国軍が誇りと尊厳でギリギリ支えている戦線は、恐怖という感情に潰乱されようとする。蒸し繰り返され、圧力で一気に爆発する釜のように。


 目の前で、黄砂が巻き上がっている銀色の波頭は、人たちの最後の希望を飲みこむ。


 まもなく自分を飲み込むように押し寄せる波を見て、夏涼は落ち着いて考える。




 もしかすると、これは彼の終点かもしれない。




 そして、風が来た。


 目の前の大波に伴って、荒い風が起こる。


 数本の血に染まる旗が強風ではためく。


 北東から吹く季節風は、いつも通りこの午後の時間帯に、デカル高原全体を覆う。嵐が戦場で吹き荒れる。


 灰みの黄緑の髪がなびいている。夏涼は目を細め、手で太い砂が混ざる風を遮った。頭を上げると、猛烈な日差しが眩しい。


 夏涼が見上げた空は、無数の黒い点に覆われていた。


 戦場で吹き荒れる嵐とともに来たのは……雨。




 矢の雨。




 ふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっとふっと……


 矢の雨の音を聞きながら、夏涼の左の肩と右の太ももに同時に激痛が走る。痛みで、彼はおもむろに膝をついた。


「うわああ……」


「矢、矢が」


「どこから来た……うぅ……」


 状況を理解する前に、周りの戦場にはすでに兵士たちの絶望な悲鳴が満ちる。


「おい!ボーッとするな!」背中に矢が刺さったオオカミは怒鳴って、夏涼を鉄蠍の殘骸の後方へ引きずって矢の雨を防ぐ。


 夏涼の戦衣がゆっくりと血に染まる。もし肩甲と足甲の保護がなければ、夏涼は今すでに深い傷を負っていただろう。


 けれども、オオカミの呼び声が聞こえなかったように、夏涼は仰向けになり、静かに一瞬黒い点に覆われた晴れ渡った空を見て、さっき公爵の冗談を思い出した。


『今回、寒霜城に戻れる人は……一人もいない』


 今にして思えば……それは本当に冗談だったのか?


「ほ、報告!帝国軍は北東1キロの先に現れました。風上方向です」馬に乗って馳せ参じる伝令兵はかすれ声で吼え、もっと深い絶望をもたらす。「敵の数、およそ四、五千!」


 伝令兵は夏涼の前に止まって、馬から降りて膝を折り敷き、片手を膝の上に置いた。


「夏涼・カースィフォリナ副官。公爵様のご命令です。すぐに殘された九百余名騎兵を率いて、大隊から離れて、帝国軍を撃破せよとのことです。」





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