-傾月-〈拾柒〉簒奪 2
そうやって、事実はどうであれ、このやり取りは他人の目から見れば、准将と将軍二人の間には暗黙の了解が成立したのだと思われるだろう。
これはまさに社交と政治上の結託手段だ。もしこの雰囲気でも質問する勇気がある愚か者が現れたら、彼は『そこまで言って、まだわからないか?』と哀れな視線を向けて制することができる。
もう一度言おう、細部にこそ神は宿る。部下たちに自分で思考させるように教育しながら、同時に部下たちに理解と善意を示す。このような硬軟両様の手段こそが、彼が急速に昇りつめられた精髄だった。
当然、将軍まで昇りつめられたカルロスの手段はただそれだけではない。
良い策略は、策略する二人が双方向的で作られたもの以外、鎖の環が連なり合うように連環の性質を持たなければいけない
彼と准将の間には暗黙の了解が成立していたことを他の人にそう考えさせた後、次の一手は……
「准将、君は思わないか、私たちが運命に従順する時間は……もう長すぎる」カルロスはおもむろに天を仰ぎ、顔が微かに悲しげに沈んだ。「長すぎて、私たちは最も根本的なものすら忘れてしまった」
准将は茫然と彼を見る。将校たちも沈黙している。
一体自分は何を話している?カルロス本人もわからない、だけどそれは彼には、理解の必要がない。
……もう、自分と暗黙の了解がある准将がいるじゃないか?
准将の表情がみるみる強張っ ていく、ふと自分の立場を理解した。
さっき視線が合った時の笑い合いで、二人の間には暗黙の了解が成立していたことを他の人に示した。そういう状況で今、カルロスは彼を指名して答えさせたので、全ての人の視線がカルロスの視線に連れて彼に集まている。いつの間にか、皇帝陛下の言葉に隠された意味と将軍の意味を解釈する大任は全て彼に降さんとした。彼はすでに乗り出した舟だ。
「将軍閣下……の意味は……」彼は苦虫を噛み潰したような顔で、かろうじて声を出す。「……皇帝陛下はこの言葉で……わたしたちに……帝国人としての誇りと野心を……燃やし直させたいでしょうか……」
そう言って、准将は唾を飲んで、戦々恐々とカルロスの反応を待つ。
カルロスは俯いて、沈黙、床を見つめて、数秒後、片手が背中のままに、片手の指がゆっくり挙げて、准将に指を指す。
「そう!そういうことだ」カルロスは淡々と言った。
カルロスの反応を見て、准将はほっとして、強張った顔を解した。しかし彼はしらなかった、カルロスは心中で彼とともにほっとしたことを。さすが多士済々の帝国軍だ。後生畏るべし。こんなポジティブに溢れた無駄話、うまくやったじゃない!
残りの将校たちは二人の顔を交互に眺めて、カルロスと仲良い中将が率先して反応し、両手を拳握りした。
「そうだ!いくら王国のミサ公爵がどんなに強くて、過去の時代のものだ!我々新生帝国軍の前で、鎧袖一触の旧世代の産物にすぎない」彼は拳でテーブルをドンと叩いて、高ぶった表情をした。
これを合図として、将校たちは喧喧囂囂となった。
「そうだ。我々新生帝国軍の前で、王国の英雄くらい、脅威にはならない」さっき最初の質問をした中将は真っ先に吼えた。
「そうだそうだ!あいつにやられ続けていた時は、俺たちは蒸気機関すら作れなかったけど、今の俺たちは、あの時もう違うぞ!」
「あああぁ……皇帝陛下のこの手紙は、私たちへのご鞭撻です」
「そう!『巨大な力量』、いわゆる、俺らのことだ!知恵の革命で洗礼を受けてきた帝国こそ、巨大な力量だ!」
「これは皇帝陛下の意思だ!今こそ、全大陸に俺らの武威を示す時!」
妙に盛り上がる将校たちを見ながら、カルロスはひげを弄る。そろそろかとタイミングを見計らって、彼は手を挙げて軽く握った。一瞬、まるで全ての声をその手のひらへと収めたように、全員が黙った。
彼は愉快に部下たちを見て、傲然と顎を上げる。
彼は過去のミサ公爵にやられた無能どもめと、断じて違う!過去の帝国の宿敵、半公認の全大陸最強の【英雄】ーミサ公爵に面して、皇帝陛下が就任したばかりの彼を任せたことは、必然は彼の底力を重視したから、今…………英雄の世代が終わようとしている。
カルロスはおもむろに両手を挙げる。
「諸君、我々が……」
「急報!急報!」伝令兵の声は突然に天幕から流れ込んだ。
「入れ」表に出さずに、カルロスは心の中で痛罵する。
伝令兵は慌てて天幕に入って、オロオロと彼の前で膝をついた。
「ご報告申し上げます、『高原バザール』に向けて偵察と交渉してきた偵察小隊がただいま戻りました」
「それで?」カルロスは眉を顰めた。まさかこんな小さなことで、彼が始めたばかりの、歴史に残る可能性が大きい……いや、絶対に歴史に名を残す演説を止めるのか?
「ふ……ふたり……」
「何?」
「ぶ、無事に帰ってきたのは、二人だけです!」
「……」カルロスの目つきが鋭くなる。「……連れて来い」
伝令兵が迅速に戻ってきた二人の斥候を天幕に連れてきた後、カルロスの眉間のシワはもっと深くなった。
それは血まみれの人と呼べる二人だ。前の男はいい体格と固く締まった筋肉を持ち、厳しい訓練を受けていたように見えるが、今身体に傷と血だらけ、汚れと血のせいで顔がはっきりと見えない。彼の目は焦点が合わず、歯がカタカタ震えている。
後ろの男は、体格は一般的で同じ様に全身が血まみれになったが、仲間のように失態していなかった。カルロスは血のついた顔の右のまぶたに、赤黒い紋章を見た。
奴隷の紋章。
帝国は唯一の奴隷制度を持つ国ではないが、奴隷制度と社会体制を完璧に組み合わせてきた唯一の国だ。
帝国に、長期用の牢屋がない。国民全体の生産能力を極大化するために、犯罪を犯した人には二つの結末しかない。死刑、または奴隷になるのだ。
奴隷の等級は三つに分かれており、それぞれ違う紋章を首、右のまぶた、最悪は右の眼球に焼き付ける。
第一級は『秩序外』、体制に属しない人たちだ。自分の体以外、残りの財産権を持っていない。誰でも彼を強奪する権利がある。
第二級は『人間外』、人間に属しない人たちだ。人間としての正当な権利もなく、身体すら自分のものではない。誰でも彼を殺害する権利がある。
三級は『世界外』、世界にに属せず、すぐにでも処刑されるべきだが、特殊な原因のために処刑を延期される重大な犯罪人だ。決裁局以外、その人物に話しかた人は『秩序外』になる。
今、この斥候のまぶたにある紋章は、『人間外』を象徴する符号だ。
帝国が出兵するたびに、いつも薬物でコントロールされた多くの『秩序外』と『人間外』を一緒に連れて行く。そしてこの斥候は、その中の一名の奴隷兵だ。
「フン、汚らわしい『人間外』か?」カルロスは奴隷を睨み、露骨に不快な表情をした。賤しい『人間外』に彼の美しい天幕を踏まさせるなんて、いくら緊急時でも彼をイライラさせる。
「……」カルロスの眼差しを感じて、奴隷は頭を下げた。
「一体何が起きた?他の者は?」カルロスは震えているもう一名の斥候に視線を移す。
1隊の偵察小隊は50人で組まれている。どんな壊滅的な打撃を受けても、逃げるのが得意な偵察小隊にも関わらず、二人だけしか残らなかったというのは有り得ないだった。
「こう……『高原バザール』で大事件が起こったんです……」斥候は少し口ごもっていて、声の震えを抑えられてなかった。
「待って……」カルロスは彼を見据え、目を細め、突然、彼の前に手をかざして言葉をさえぎった。「君の佩刀を、少し貸してくれないか?」
斥候は困惑した顔で少し止まって、頷いて、配刀を解いてカルロスに渡した。
カルロスは真っ白な軍刀を抜いて、凝視する。一滴の血痕もない刃、汚れのない鍔に番号があり、それは確かに帝国軍の偵察小隊に属するものだ。
彼は無造作に刀を薙ぐ。
血しぶきが飛び、首を切られた『人間外』はひれ伏すように倒れ、そこに真っ赤な血が広がった。
驚嘆の声を上げた人はいない。多数の人は眉すら顰めなかった。『人間外』というものは、もともと生命権を持っていない。これらの上位の士官の中で、奴隷を殺したことがない人はむしろ少数だ。
「良い刀だ」カルロスは賞賛した。
顔に血が飛んだ斥侯はうつろな表情で口を開け、状況についていけていないようだ。
「君の偽装には三つの綻びがある」カルロスは淡々と言った。
「第一、全身で浴びた血の形がおかしい」カルロスは刀を持っていない左手で斥候の顔にある新鮮な血液を頬で塗って広げる。「君は人を殺した経験が明らかに不足しているのだろう。血が飛び散った形は......こういうだ。わざわざ血を塗りたくったのと違う」
斥侯の唇は震え、答えなかった。
「第二、血まみれになってはいるが、君の体には微かな擦り傷しかない。しかも拙劣な手法で血で隠し、傷だらけのフリをしようとしている」カルロスは軍刀を斥候の首元に当てて、少し力を入れて皮膚を切開して血を出す。殘虐な笑顔をした。「君は……全身に切り傷をつけて、死んだ方がマシだと思う程の苦しい表情を見たことがないのだろう」
「そして、第三、最も重要なのは……」カルロスは血に染められ刀の横面で斥候の強張っている顔を軽く叩いて、ふと振り返って一笑した。「なぉ准将、これ、私に代わって答えたまえ」
先ほど人前でカルロスにやられ、カルロスと心が通じ合ったんと思われた准将はきょとんとして、自信の笑みを浮かべた。
「上司であっても、帝国人は簡単に佩刀を他人に渡すわけがない」さっきの畏縮と違い、今准将の声は鋼のように強くて、躊躇いがなかった。
カルロスは頷いて、無表情で斥候を見返す。
多くの人が誤解していた。確かにカルロスは上に登るためなら、手段を選ばない。
しかし、表面的な取り繕いしかできない人は、全大陸の中で軍武と効率を最も重視するこの帝国で、最高位の将軍位階まで登られるわけがなかった。
確かに残忍だが、無能ではない。
「ほら、機会を逃すな、一体、私に何を伝えたい?」カルロスはさりげなく尋ねた。
ぼんやりとした顔の斥候を見て、カルロスの目に残忍な光が灯って、血でドロっとした手で顎下のヒゲを撫でる。
「機会は......一度だけ」
筋肉隆々の斥候は彼より背が低いカルロスを怖ず怖ずと見上げ、 息はどんどん荒っていく。
「い、言いたいのは......『高原バザール』全体の......17万人......全部、全部......」
「我々に殺された」冷ややかな少女の声が挟む。
一瞬、耳障りの高周波数の音が天幕に流れ、すべて人の聴覚を奪った。
地に倒れている奴隷の死体が……
……弾み上がった。




