-傾月-〈拾肆〉騎士の出征
出征時、寒霜城、公爵邸の前。
兵士たちは馬を引き連れ、大通りに並んでいる。逞しい純血の高原馬が黒い馬鎧を着て、首をあげて声高く鳴く。兵士たちが手に持っている長柄武器の反射光は雪に映って閃く。
無数の旗に織りこまれた、アルフォンスの開国双王ー【陽の女王】と【不朽の騎士王】の符号ー淡紫色の烈陽と黄金の騎士剣は、今、寒風に翻る。
巨大な旗の下に、夏涼は左手で冷たいヘルメットを持ち、邸を眺める。
邸の前、月璃はミサ公爵の前に立ち、後ろに無表情のプラチナブロンドヘアの少女がついている。さら後ろに二列横隊の侍従と使用人がいる。
「月璃」
「はい、お父さま」月璃は小声で答えた。
「記憶、回復の兆しはあったか?」
「ありません」月璃は微かに首を振る。
公爵は目を細めてしばらく月璃を観察し、月璃は俯き前髪で目を隠し、やや後ずさりした。
「まあ、いいとしよう」公爵は月璃の顔を見ながら微笑んだ。「とにかく、私が帰るまで、日琉をなくさないでね」
「……」月璃は少し沈黙して、軽く頷いて、両手で服の裾をつまむ。「はい」
「本当に日琉が何処かへ行ってしまっても、うっかり二人ともに迷子になっても、それとも拐われても、心配することはない」公爵は髪の毛に隠されて怯んでいる黒い瞳を見据え、宣言するようにゆっくり話した。「世界の果てまででも、君たちを探し出す」
「はい……」
公爵は両手で優しく二人の娘の綺麗な髪を撫でて、かがんで日琉の白皙の頬を引っ張る。
「何しろ日琉ちゃんは、私の大事な娘だから」
日琉は無表情のままだ。
「そうだろう、日琉ちゃん」優しい笑顔で、公爵は楽しそうに日琉の頬を引っ張り続ける。
「はい」日琉はうなずいた。
返事に満足したように、日琉の頭をぽんぽんした後、公爵は立ち上がって身を翻して、夏涼の手に持ったヘルメットを取って、立ち去る。
「すぐ戻る、今回は長くないはずだ。」
「……はい、いってらっしゃい」月璃は後ろ姿を見ながら軽い声で言った。
公爵が馬に乗って離れた後、軍団はゆっくり前に進み始めた。しかし夏涼、月璃、日琉3人はまだ立ち止まている。
少し経ってから、夏涼は月璃に向いて口を開く。「では、私もそろそろ」
「あ……」月璃は彼を見上げり、躊躇し、何かを言いたいように口を開けた。だが最後、彼女はただ頭を下げて、小さい声で言った。「気を付けて……」
「ええ、君もお大事にしてください。日琉を頼みます」
夏涼は簡潔に返事した。
例え彼が傍にいなくても、月璃は全てをうまく処理できることを彼は知っている。
「はい」
夏涼は頷いて、身を翻して立ち去る。
突然、華奢な手は後ろから彼を抱きしめた。
「月璃?」夏涼は驚きを隠せない。
人々の前で、まさか月璃がこんな大胆な行為をすると彼は思わなかった。
「涼、振り返らないで」
邸の前の人々は短い沈黙の後、騒ぎ始め、最後、波のように巨大な歓声が二人に襲いかかる。中でも、料理長は全力で掠れるまで口笛を吹き続けた。夏涼は歓呼の波の中で、妙に通りすがりの兵士たちから肌を刺すような殺意を込めた視線を感じた。
その無節制の歓呼の音量はまるで王国軍はすでに徹底的にナディム高原を奪還し、帝国軍に完勝し、そして夏涼は全軍で一番輝かしい戦果を討ち取って帰ってきたようだ。
いや……邸の人にとって、これはすでに世界で最も輝かしい戦果だな。
「他の人たち……」夏涼は少し気まずさを感じる。
「ほっとけ、見せておけ」
夏涼はぎょっとした。なんだか後ろからきた声はいつもと少々違い、 馴染みがないけど、親しみを感じる声だ。
それは少し冷ややかな命令文だ。少し冷酷でありながら冷酷ではない。少し強硬でありながら強硬すぎでもない。岩表面上の冷たさのように程よい。
「月璃、君は……」夏涼の声が震えている。
「涼君、どうしたんですか?」月璃は優しい口調で尋ねた。
「……」夏涼は少し黙って、首を振る。「……いいえ、なんでも」
錯覚……なのか?
「行かないで……」月璃は呟き、両手を引き締める。「……今そう言っても、もう間に合わないでしょう」
「月璃、私がどう答るのは、君は知っているはず」
「ならせめて、一つだけ約束してほしいです」
「分かりました、言ってください」
夏涼は躊躇しなかった。月璃が湖畔で彼に勝ったので、もともとひとつの約束を聞くつもりだった。
「どんなことがあっても……」月璃は両手をつるのように上に絡みつけて、左手で夏涼の首につけている黒水晶を握る。「……必ず黒水晶を持っていてください」
「承知しました」夏涼は頷いた。彼にとっては相当楽な約束だ。月璃が言わなくても、そうするつもりだ。
「涼君、まだ覚えていますか?このネックレスはアイビスが自分のある願望のために作ったものだとあなたに話しましたね」
「ええ、具体的な叙述はなかったけど……」
「少女たちの秘密ですから……」
「なら今話しますか?」夏涼は笑って言った。
月璃の話はいつも自分なりの脈絡がある。そういう時にわざわざそれを言及し、それが決して無意味ではないことを彼は知っている。
「うん……このネックレスは……」月璃は軽い声で言う。「【陽の女王】が天上の恋人を自分の隣に戻らせるための道具です」
夏涼はきょとんとした。
天上にいる恋人を……自分の隣に戻らせる?どういうこと?もし天上は魂が戻る場所、無尽の月ってことを指すなら、それは、死者を復活させるということか?
彼はしばらく考えた後、もう一つ疑惑が増した。「【陽の女王】の恋人って、【不朽の騎士王】ではありませんか?【陽の女王】が行方不明になった前に、【不朽の騎士王】はまだ死んでいないはずです」
「いいえ、ほかの人です、アカシックという男です」
「うん……けれども歴史上、【陽の女王】と【不朽の騎士王】は夫婦です。すなわち……あの人は彼女が女王になる前にすでに死んでしまったのですか?」
「……」月璃は少し黙っていた。「彼は……アイビスの手が届かない場所へ行きました」
黒水晶を握って、かすかに震えている月璃の手を、夏涼は手のひらで包む。
「月璃、私は大丈夫です」
「涼君、少々呪いっぽい言葉かもしれませんが、何があっても、これをなくさないようにしてください」月璃は軽い声で話した。
「承知しました。だが、この黒水晶の機能は一体?」色々話したが、月璃は依然として黒水晶の機能を言わなかった。
「強いて言えば、これは……」月璃が彼を抱いている手を急に引き締める。「……力量の月のからの祝福です」
「力量の月の……祝福?」
さらに尋ねたかったが、前方から突然咳の音がした。
顔を上げて見ると、さっきからずっとここに立ち、夏涼の馬を牽いる侍従が気まずい顔をしながら、拳を握って咳のフリをして彼に目配せした。
夏涼は目を見開き、ようやく彼らは時間をかけすぎたことに気づいた。
「じゃ、ここで」
月璃は彼を抱いている両手を引いて、夏涼の背中に置いた。
何故かわからないが、硬い鎧を隔てても、夏涼は手のひらからその柔らかさ、震え、そして離れがたい温もりがはっきり感じられる。
月璃はそっと押してくれた。
「征伐しよう、私の騎士」




