-傾月-〈拾壹〉氷湖に踊る二人舞 1
寒風が吹きかけ、雪が零れ落ちる。
氷に閉ざされた湖面に肌寒さを感じるようになる。
『ベネイ湖』、寒霜城より3時間の距離で、『デカル高原』の先端にある湖だ。氷の湖面は湖を囲んだ巍巍たる雪化粧の山を映え、周りの針葉樹林まで白い霜に染められていた。
今、3つの精緻な馬車が湖畔に並んでいる。
ミサ公爵は湖畔に置いたテーブルに座り、ゆっくりと紅茶を飲んで、半目でほろほろと湖面に降る斑雪を観る。彼の後ろに3人の親衛隊が立ち、夏涼はその中の1人を知っている。オオカミ、顔に傷跡がある灰色の髪の男だ。
車から降りた後、夏涼は両手で外見に精緻な彫刻がある檜の木箱を持ち、月璃の後ろについて公爵に向っていき、数人の使用人は彼らの後ろに練習用武器の棚と幾つかの生の月財を入り込んだ木箱を運搬している。
月璃は公爵の前で背筋を伸ばして立ち、沈黙している。後ろに控えている夏涼は使用人たちと一斉に公爵に深くお辞儀した。
月璃はすでに着替えていた。上に深い青い色の服と黒い胸甲を着て、上腕に真っ白な素肌を露出し、前腕に黒い腕鎧を着け、下半身は深い青い色の麻のズボンを履いている。
彼女は前で両手を重ね、頭を下げて自分のつま先を見つめ、おどおどしている。
「着たか。月璃」公爵は紅茶を下ろして、淡々と口を開いた。
「お父さま、どうしてここにいらしゃいます?」月璃は頭を上げて、小声で尋ねた。
「ふと興味があって、一人で少し遠い場所へ狩猟に行った」
「狩猟ですか?」月璃は少し驚いた様子で目を丸くした。
彼女にこんな反応があるのも当然だ。公爵の下に数年働いた夏涼さえ、公爵が狩猟に興味があるなんて聞いたことがない。
夏涼は周りを眺めて、あるべきはずのものを見つけられなかった。
「獲物を持って帰らなかった。つまらない小物ばかりだったからな」夏凉が探している視線に気づいて、公爵は微笑ん
だ。「まぁ……ただ小さい蛇とか、小さい蠍とかのようなものだ」
「蛇……蠍……?」月璃は困惑して、公爵に尋ねた。それは夏涼も疑問に思っていることだった。
寒霜城はデカル高原の入口にあり、いくつかの種の特別に寒さに強い蛇がいるが、この時期は冬眠期のはずだ。そして蠍、寒霜城に長く住んでいる人たちは、たいてい図鑑だけでしか蠍を見たことはないだろう。
まして、この両者を狩猟の獲物とすることは聞いたことがない。
「残念だが、蜘蛛を狩らなかった。やっぱり蜘蛛は群体から離れることはない」公爵は惜しそうな表情をして、まだ足りないらしい。
「……」月璃は返事をしなかった。
月璃だけではなく、夏涼はこの言葉をまるで理解できない。
「そんなことより」公爵は手を組み、両足を交差させて、首を傾けて下僕たちに運搬された練習用武器の棚と生の月財の木箱を見て、ゆるりと微笑んだ。「夏涼、いつも無用な心配をすることが、君の長所と言ってもいいな」
夏涼は深く頭を下げた。使用人たちを使ってあれらの器具を持って来たのは、完全に彼の独断だった。【雪蝶】を持ってくると公爵は月璃に命令した理由は、出征の前に月璃は真面目に練武したのかを確認するためだ。そう推測したので、夏涼は事前に使用人たちに練習用武器の棚と生の月財を持ってこいと命令した。
「月璃、準備はどう?」公爵は顔を振り向けて、優しい口調で尋ねた。
月璃は唇を噛み、小さく頷いて、夏涼の前に歩いて、檜の木箱から【雪蝶】を持ち出した。
【雪蝶】は二本1組で、対になっている武器だ。通称名は『双刺』。
一本ずつの中間部分は緑白色翠玉で鉄鋼の軸を包んで作られた柄だ。中間より上の部分に指を入れられる穴がある。取っ手の前後部分は銀白色、およそ匕首と同じ長さの鋭い刃だ。前後の刃口の方向は正反対であるので、武器全体は銀色の光がきらめく波のようだ。
二つ揃い、合計4つの刃がある二本の双頭刀。
双刺はめったに見られない武器だ。他の武器と比べて、それの体積は小さいので、服に隠くすことができる。先撃の速度は早く、力より、速さを求める。わずか数撃で相手を刺殺するために特化した武器として、普通の傭兵や冒険家より、月光の下に潜伏している暗殺者や盗賊にもっとふさわしい。
そしてこの【雪蝶】は、公爵がわざわざトップクラスの素材を帝国から密輸して、月璃のために特製した武器だ。その素材は知恵の革命の後、帝国が智の月財の知識より開発した希少合金だ。岩鉱から抽出した新種の鉱物の『チタン』金属、と鉄をある割合に混合して作った、鋼より4割軽く、強度はその上の合金ー『白輝鉄』だ。
『チタン』の発見は帝国が知恵の革命に世界を先取りする証明だった。その頃、多くの国が『骸の油』を探すための穴掘り競争に参加したが、最終、全て徒労に終わた。誰も『骸の油』を探さなかった。その結果、多数の国は智の月財に記録された知識は実際にそんなに信用できることではないと考え始めた。しかし数年後、帝国の学者は智の月財の方法に従って、成功的に岩鉱からチタン金属を製錬した。しかも智の月財の記録より、実際のチタン鉱は遥かに豊富だ。
チタン鉱が豊富だが、精製が難しい。『白輝鉄』、それとも『チタン鉄』と呼ばれた合金の生産量は帝国の中でもともと多くない。帝国から密輸された量はさらに少なくなる。
最初、どうして公爵が莫大な資金と時間をかけて【雪蝶】を作っていたのか、夏涼はわからなかった。防備用より刺殺に特化した双刺は、どう考えても護身兵器に向いていない。しかし夏涼はすぐに一般常識は月璃に適用しないことに気づいた。
今、月璃は両手で【雪蝶】を握り、深呼吸をして白い息を吐いて、公爵の前で構えた。
「演武はいらない」公爵は指を鳴らして、3人の親衛隊は彼の後ろから前に歩いて、凍った湖面を踏んだ。「始めよう、実戦演習を」
「ええ?実戦……」月璃はぎょっとして、公爵の言葉の意味をうまく理解できないらしい。
親衛隊たちは彼女にお辞儀をして、一斉に刀を抜いて、おもむろに左右に散開した。
「公爵さま、これはどういうことです?」夏涼の言い草に苛立ちが感じられる。
未だに立ち止まり、呆然としている月璃より、彼はもっと状況を早く理解できる。何しろ、いきなり3対1の実戦演習をする。あまりにもやりすぎる。
「これは私が出征する前の最後の演習だ。本来、学びとは実践を目的としたものではないだろうか」公爵は肩をすくめた。
「ならせめて彼らの武器を変えて、練習用武器を使いなさい。いきなり3人の親衛隊と本当の武器で試合するなんて、いくら月璃殿下でも……」
「もし帝国の刺客がまた寒霜城に入り込むようなことがあるなら、こんなにみすぼらしい木製武器を使うとは思わないな」公爵は淡々といった。
「……」
「夏涼、君はどう思う?どうして月璃が記憶を失ってから、私が彼女に強引に武術を鍛えさせ始めようとしたのか?」
「……」夏凉はしばらく沈黙して、返事をした。「『意外な』事故を起こすことを防ぐためです」
「そう、あんな事件があったにもかかわらず、今私はまた出征で娘たちを二人残して寒霜城を出ようとする。父として、安心できるはずがないだろう」公爵はゆっくりと溜息をつき、悠々と話した。「だから二度と同じような悲劇が起こらないために、今、準備しているのではないか?」
「……はい」
「大量の生の月財も備えた。即死ではない限り、死ぬことはない。それに加えて、私はすでにとある優秀な保護的措置を用意した。月璃が危機に陥る時、自動的に発動する」公爵は淡々と言ったけれど、その口調に疑問の余地がない。
夏涼は頭を下げて、沈黙する。
どんな保護措置が月璃が危機に陥る時に自動的に発動するのかわからないけど、公爵がそう言ったなら、彼は視線を氷湖の上にある対決に戻すしかない。
両方は未だに手を出さなかった。対話の途中、月璃はずっと後ずさりし、湖の真ん中に移る。それは3人の移動に迫られたというより、むしろ月璃自身がそう選んだと言うべきだ。
複数方向で三人の武闘派エリートたる親衛隊と同時に対峙する。たとえ夏涼にとっても厳しい状況だ。だから三人を同じ方向に集めるのは、確かに良好な判断だ。
「私の視野から離れないで」公爵は淡々と言った。声は大きくないが、はっきりと四人に伝えたことを夏涼は知っている。
その証拠に、月璃は肩を小さく震わせていた。目の前にいる武器を持ち彼女に迫ってくる3人のたくましい男より、遠くから聞こえてきて、耳打ちするような声は彼女をもっと怖がらせるらしい。
後方は実際に何も存在しないが、月璃は足取りを止めて、死角に追い込まれた獲物のようだ。
夏涼は軽く拳を握る。もし追い込まれて、双方が正面からぶつかり合ったら、後ろに逃げない条件を背負った月璃にとって、とても不味いことになる。
常識的に考えれば、なよやかな体の月璃は、全身が筋肉のような3人の男を勝つはずがない。
しかし夏涼は心配しているが、慌てていない。月璃はそんなに簡単にやられる人ではない。
月璃は深く長い呼吸をして、ゆっくりと口から白い息を吐き、両手で【雪蝶】を握りしめる。彼女は依然臆病な表情と目つきをしているが、黒い瞳は相手から逸らさない。
寒霜城にとって、長い長い冬は始まったばかり、四人は静止して、雪片は彼らの頭の上から徐々に舞い降りる。
『オオカミ』と呼ばれた親衛隊は真っ先に出てきた。軍刀を月璃に真向斬りかかり、降る雪を左右に吹き分ける。
公爵の直属の親衛隊は全員戦闘のプロ、それとも熱狂者と言うべきか。プロは、すなわち、心理状態を快速に調整することができる人だ。戦闘態勢に入る瞬間、相手を敵と見なす瞬間、相手は男であろうか女であろうか、身分は尊いであろうか卑しいであろうか、全て一瞬に戦闘と関わらない情報になり、心中から捨てる。
オオカミのこの一刀はてきぱきとして敏速であり、不純物を一切含まない。
カチャ、透き通った音を立て、白い刃は互いにかすめて空中に火花を散らした。
それはオオカミの軍刀と【雪蝶】の打つかり合いではなく、軍刀と他の軍刀の打つかり合いだ。
3本の青色の残光は宙で凝結するリボンのように、月璃の周りの1メートルに散在した。それはさっきオオカミの軍刀と月璃の2本の【雪蝶】との取っ組み合った軌跡だ。
オオカミは少し呆然としたが、すぐさっきのことを理解した。さっきの一撃で、彼の刀が【雪蝶】に近づけば近づくほど、ある推力はどんどん強くなっって、彼の刀を外へ押し出した。そして彼の刀が【雪蝶】に触れた瞬間、刃の先は自動的に方向を変えて、強い反動力と共に仲間の軍刀へ向いた。
しかし、ただ一瞬止まって、刀の影はすぐ逆方向に進んで、空中に背景として物理的な干渉を出来ない青色の弧線を切り通して、再び月璃へ斬りかかる
そして他の2人の親衛隊ももう躊躇わず、左側の一番たくましい、全身に勇気の月の記号の刺青がある親衛隊が切っ先を地面にかすって、下から上まで跳ね上げる。右側の短身の、あご髭を生やした親衛隊は刀を横にして、月璃の腹に一突きする。
......