-傾月-〈玖〉公爵邸の夜 2
……
……
夢から醒めた。
いつものように、夏涼はふと目覚めた。
本来正常に繋がった世界は、突然、強引に切り裂かれていた。
少女は彼の夢の中に残って、永遠に静止している。
そして彼は一人で……現実に残された。
夏涼は5秒で思考を一掃した。目を開けた後、彼はまず自分の居場所を確認する。
夜、書斎。
月璃はもうこの部屋にいない。
彼は立ち上がり、床に敷かれた羊毛の毛布を片付けた。
窓の外の星空の位置を見て、確かな時間を確認した。
足早に書斎を立ち去って、彼は何度も方向を変えて、邸の地下倉庫にたどり着いた。
心で時間を計ると、書斎から倉庫まで、71秒かかった。
普通だと、彼は書斎から倉庫まで歩くのに75秒かかる。
しかし今、彼は普段より4秒短縮した。
歩く速度が速くなった。
その意味は、感情はまだ最も平穏の状況に戻ってないからだ。だから彼は目を閉じて、余計な数秒を使って心の一切の感情を消し去る。
1、2、3、4。
再び目を開けた後、彼は右の手のひらを灰色の煉瓦壁に貼り付けた。
煉瓦は微かな緑色の光を放って、彼の指先の上から下まで手のひら全体をなめ、そして緑色の光は彼の手のひらから伸びて、煉瓦の隙間に沿って壁の隅まで一瞬で広がっていた。
壁は声なく再構築した。この倉庫の空間と全くそぐわず、そびえ立っている純白の両開き扉を露わにした。
扉の上に、緑色の文字が光っている。それは月語で書かれた一行の文字だ。
『during the operation』
これらの特異な事物に対して、夏涼の顔に何の変化もなく。彼は扉を押して入った。
部屋の中の、まばゆいほど純白な壁は普通の煉瓦で作られたのではないらしい。強い白い光を出している照明器具は燃燈ではない。周りに色々なわけがわからない機械が置かれていた。
それはこの世界のどこにも存在するべきでない、徹底的な異次元空間だ。
中に、二人がいる。
全身奇妙な緑色の服を着た男と、
動こうとしない少女が、特別なベットの上に横になっていた。
「助手、よく眠れたのか?」ミサ公爵は微笑んだ。
夏涼は無表情な顔をして、うなずいた。
公爵は側に置かれた1組の緑色の服と手袋を掴んで、彼に投げた。
「では、これから手術を始める」
人体を切断するのはどういう感じ?もし誰かにそう聞かれたら、
夏涼は多分こう答える。豚肉を切るのと同じような感じでしょう。
何しろ哺乳類の肉である限り、それほど大きい差はない。
夏涼の過去の経験によれば、普遍的に、人体の筋肉は、実際に豚肉より少し硬いだけだ。
しかし今、夏涼が断ち切っている人体は、豚肉と比べたら、もっと柔らかさがある。
その一般の人体の靭性との差がある原因は、二つの可能性がある。
第一は、実験体の年齢が若いこと。第二は、実験体は人間ではないこと。
どちらの原因が正しいのかは問題ではない。
今夏涼の頭の中で、そんな余計な考えは浮かばない。
肉質が柔らかいことは彼にとって、ただ断ち切りやすくなるだけだ。
まして、公爵が要求するのは、単なる人体を断ち切るのではなく、極めて精密な作業だ。
毎回切る時、微塵の迷い、微塵の偏差があってはいけない。
夏涼は作業に精神を集中し、それ以外、何も考えない。
自分は誰かを忘れて、ただ純粋に、機械の一部となる。
あるいは、もっと単純な理由がある。
もし自分自身をしばらく忘れなかったら、夏涼という人を正常に維持することができないから。
手術が終わった後、夏涼は緑色の服と血みどろな手袋を外して、側の流し台で洗浄して、綺麗に折り畳んだ。
公爵は目を細め、得体の知れない液体の入った瓶を挙げて、中にある二つの眼球と右手全体を観察する。
「分離の作業はここまでだ。次は実験体が【溯る】後、それらの徹底的に密封された部分が、消散するまで何日ぐらい維持できるのかを観察すればいい」
瓶を下ろした後、公爵は彼に『メス』と呼ばれた小刀を夏涼に投げた。
「仕上げよう」
言葉を殘して、公爵は瓶を持ち部屋を離れた。
夏涼は依然沈黙している。この部屋に入った後、彼は一言も発しなかった。
メスを持ち、彼はひどく破損した実験体の前に向かった。
刀を挙げて、実験体の胸元で止めて、
数秒後、振り下ろした。
その動作をきっかけに、墨色の残光は実験体の胸元から湧き出して、拡張し、部屋全体を覆う。
部屋の全ては元の鮮やかさを失って、鉄灰色に染められた。
そして床にある血溜まりと流し台の血液は一斉に空に浮かび、わずか数秒で実験体の体中に吸い込まれる。血が全て実験体の体中に戻った後、漆黒の粒子が突然姿を現して、実験体になかった両目と右手のところに集まり始め、ゆっくりと実験体の破損した部分を埋める。
【黒・回溯】:他の五色の進行過程を巻き戻しで再生する。それとも人体の時間を少し前の過去にさかのぼる五色だ。
夏涼はこの現象を初めて見るのではない。過去の経験によれば、実験体が完全に回復するまで、数分必要だ。
そして彼はここだけでこの現象を見たのではなく、過去、アイスジョーカーとして殺したある貴族は、ちょうど黒色のカラリストだった。
今までまだ解明されていない白色を除いて、五色の中の、赤色はエネルギーの伝導、緑色は物質の操作、青色は電気と磁気である。
そして黒色は、その三つの色と異なるシステムー宣言と命令だ。
この頃、少女の体で自動的に触発された【回溯】は、黒色の中での一つの命令だ。
溯る。人体を、あるいは他の五色が残した残光を数分前の状況に戻す。
一般的に言えば、【回溯】を人体に使ったら、大体小さい傷だけが回復される。
ある学者の統計によれば、個人の体質により、人体の溯ることができる部分は人体の3〜10パーセントだけだ。
例えば、あの黒色のカラリストだ。【回溯】を使ったが、彼は失血死の運命から逃げ切れなかった。
しかし今夏涼の目の前の全ては、明らかに異常だ。
【回溯】が実験体の体を補修している部分は、はるかに学者が統計した割合を超えた。
それ以外、この数年の実験で、夏涼は実験体はまたいくつかの常人と違う特性があることを知った。
一. 公爵の命令によって、実験体はある『停止』状態になる。実験体に関する一切は一時的に全部止まってしまう。体中から噴き出す血すら空中に止まる。
二. 『停止』状態でいるかでいないか、実験体に致命傷を負わせると、自動的に【回溯】を始める。
三. 【回溯】後、実験体の体重には何の変化もない。すなわち、実験体は五色の代価を支払わないことだ。その意味は、【回溯】は実験体自身が使うものではない。
四. 実験体の身体の溯ることができる割合は一般人と違って、何の制限もない
五. 実験体の【回溯】は、数秒前に戻るのではなく……十数日まで。
……
……
……
少女は目覚めた後、すぐ手で体を起こして座った。
彼女は困惑しながら周りを見て、琥珀色の目を見張る。そして彼女は夏涼に気づいて、夏涼の顔立ちをじっと見据え、不思議そうな顔をした。
少女のこの状態を夏涼は何度も見ていた。記憶が繋がらないせいで、なぜ自分がこの場所にいるのかがわからない。
だからこれからは、彼の一貫した処理方式だ。
彼は穏やかな笑顔を浮かべて、跪いて、少女の頭を撫でる。
「日琉、君はようやく目覚めました。体のどこかが悪いところがありますか?」
少女は返事をせず、手を伸ばして、夏涼の眉、唇、鼻を触る。じっくりと、この冷たい感触がある素肌に何かを確認するように、彼女は夏涼の顔立ちを触っていった。
そして彼女は夏涼の微笑みを注視し、依然として困惑したような顔をしている。
「夏凉……」少女は首を傾げて、訊ねた。
……どうしてまた仮面をかぶっているの?