-傾月-〈捌〉公爵邸の朝 2
『……日々が楽しくあれば楽しくあるほど………………は悲しくなる…………君がいない…………この土地に落ちてから…………フェイク・ポジショニング・システム…………衛星ネットワークをハックする…………タブレット…………』
第1枚目の紙と違い、第2枚目の紙の翻訳は相当に断片化していた。
「フェイク・ポジショニング・システム?衛星ネットワーク?タブレット?」夏涼は眉を顰めた。
夏涼はもう一度第1枚目に戻って少し見た。第1枚目には幸せの日々を書いてあたが、それに比べて、第2枚目には理解できない言葉がたくさんある。
「……これは本当に同じ1編の日記ですか?前後の文が繋がらない。」
「この日記の作者は、突拍子も無い考え方を持っているかもしれませんでしょう」
「……」
「……また何かありますか?」夏涼に見つめられて、月璃は再び顔を赤らめた。
「いいえ、君が相手を突拍子も無いと批評する日が来るなんて、本当に思いませんでした。」夏涼は笑った。
「幼い頃のわたくしのことですよね。」月璃は頭を下げった。「わたくしの記憶を回復するために、最近涼君はよく彼女のことに話が及んでいました」
「……」夏涼はしばらく黙り込んだ。彼は気づいた。月璃が使ったのは三人称の人称代名詞だったことを。「……ごめんなさい、君を催促するつもりではありません」
月璃はそっと笑って、首を振った。
「大丈夫です。最近、私は幼い頃のことを少し思い出しました。」
夏涼は眉を上げる。いくら彼でも、この時に訝りと喜びを隠せない。
五年前に月璃が記憶喪失になって以来、夏涼はさまざまな方法を使い、彼女の記憶を呼び覚ましたかった。しかし名医でも觀月預言者でも、月璃を連れて寒霜城の中で過去彼女がよくこっそり逃げ出して行った場所に連れて行っても、毎日寝る前に過去のことを話しても……
全ての努力は報われなかった。月璃は僅かなことも思い出さなかった。
夏涼はどうしてもあきらめたくない。あの月璃と一緒に過ごした日々は彼にとって特別だ。
あの【月からの小さい悪魔】がいなかったら、今の夏涼は存在しない。
今、この時、月璃は仰向けになって、左右両側にある本が溢れて山積みになっている巨大な本棚を見上げ、少し沈黙して思考を整理し、数秒後、口を開く。
「幼い頃のわたくしはよく一人でここにある色々な物語の本を読んだみたいです。その中でわたくしは悲劇が大嫌いでした。1冊の悲劇を読み終わると、わたくしはいつもそれを本棚の最高段へ投げました。二度と自分の手に入らないように」
夏涼は静かに聴き、跪いて、両手で月璃の膝に置いた手を握って励ます。
「だけど悲劇と比べて、あれらの幸せな結末はもっとわたくしを怖がらせます」
月璃の手は小刻みに震えている。その声はすごく弱くて、まるでかすかな風が吹いたら、一本の細い煙のように吹き散らされるかのようだ。
「わたくしはいつもそう思っていました。もし次の一秒に、一人で子供たちを育てている母親が急に疲れて、圧力に耐えられなくなって、子供たちを放棄したら?もし失明した少女を愛している男が突然に少女がどんな人かを見極めて、もう彼女を好きにならなくなったら?王子と姫が結婚した後、必ず幸せな日々を過ごせますか?」
「わたくしは怖かったです。それらの結末はあまりにも美しいので、真実から離れようとします。美しい夢が終わった後、物語の主人公たちはどうするべきですの?わたくしはいつもそう考えます」
夏涼は沈黙した。今、月璃が話したのは本当に幼い頃の月璃のことなのか?記憶の中での彼女はいつも強気な態度をとり、真っ直ぐで、このような脆弱な面はなかったはずだ。
一体、彼は実際にあの風変わりな子供を一度も理解しなかったのか?それとも月璃の記憶が間違ったのか?
「素晴らしい結末です。けどね、その素晴らしい結末は、読む人にとってだけです。それらの主人公たちにとって、物語はまだ続きます」
そう言って、溺れた人が流木をがっちり掴むように、月璃は逆にきつく夏涼の手を握りしめた。
「もし結末の後に必ず破滅を迎えたら。むしろ最初からそんなに素晴らしくなかった方がいいです」月璃は軽い声で言って、訴えるように、そして独り言を言うように。
夏涼は未だに沈黙している。彼は鈍感な人ではない。さっき月璃の言った通り、彼は常に月璃が意識する前に彼女の必要なものを理解できる。今、彼は月璃は彼の慰めを必要としていると感じている。
しかし彼は人を慰めることが上手ではない。彼は本で読んだことがある。慰めは主に3つの種類に分かれている。肯定と支え、同感と思いやり、理解と包容。しかし今、この3つのどれも正しくないと彼は思っている。
それとも彼は何かの綺麗な誓いを言うべきなのか?例えば、『例え結末の後は破滅しても、世界が消える前に、私はずっと君の傍にいます』」
しかしそれでも違う。それは彼ではない。彼が伝いたいことではない。
しばらく考えて、やがて、夏涼は月璃に穏やかな笑顔を見せて、右手で彼女の手をとって、自分の左胸の前数センチに置いて、握りしめる。
彼は何も話さなかった。これだけで十分だから。
月璃は目を少し見開いた。
それは彼らが約束した手振りの一つだ。いつの間にか、彼らは互いの間に言えない言葉とよく使う言葉を手振りに変えた。それは彼らの「しおり」だ。もし人が一冊の本だったら、それらの手振りは互いのページに目印をつけるものだ。
あなたと共に。
左胸の前で拳を握る。それは彼らが最も使う手振りだ。月璃が不安を感じて、そして夏涼がすぐ彼女の傍に行かない時、彼はいつもこの手振りをする。成年式の時と同じように。
二人の手はだんだん暖かくなり、月璃はぷっと笑った。
「そう言えば、この動作は第2位ですよ」
「何の第2位です?」
「涼君は知らないでしょう。『夏涼君に手を優しく包まれる』という動作は、邸の女性たちの中で票決で決めた、『夏涼君に最もさせたいこと』の第2位です」
「うん、知らなかったです。なら第1位は?」
月璃は夏涼の顔をちらと見て、かすかに顔を赤めて目をそらした。さっきの月璃の形容を使ったら、その視線は夏涼の顔から飛んだり跳ねたりして離れた兎のようだ。
「『夏涼君に膝枕し、殺し文句を話させたい』」月璃は小さい声で言った。
夏涼は少々目が点になり、月璃の手を放して、正座した。
「もし姫さまはそれがしの膝がお嫌でなければ……」夏涼は手で膝を叩き、いつのように平和な顔をしている。
「いりませんよ」月璃は笑って、拳で彼を軽く叩いた。「それがしを自称する時、あなたはまた芝居をしていることをわたくしは知っています」
月璃の気楽になった反応を見て、夏涼はそろそろと思い、最も大事な話題を続ける。
「それで、書斎の記憶以外、また何かを思い出しましたか?」
「……」月璃は首を振って、少し沈黙して、夏涼を見る。「ねぇ、涼君、幼い頃のわたくしは……あなたの目には、どの様に映っていましたか?」
夏涼は少し驚いた。過去、月璃の記憶を回復させるために、彼は常に何となしにあの小さい月璃に話が及ぶが、月璃は自らこの話題に触れることはなかった。
彼はしばらく考えて、頭にあの変った女の子が浮かんだ。
「多分、過去、みんなから呼ばれた君のあだ名……【月からの悪魔ちゃん』のようでしょう】
「【月からの悪魔ちゃん】?」月璃は首を傾げる。
「表から見れば楚々としていたが、実際には天のように驕り高ぶる。わがまま、野蛮、暴力、強がりばかり、死んでも負けたくない反抗期ガキです」夏涼は微笑んだ。
ちなみに、実は最初に月璃を「月からの悪魔ちゃん」を呼んだ人は夏凉だ。このあだ名がこんなに早い速度で広がろうとは、彼も思っていなかった。そしてこのことは、自分の胸にしまっておくほうがよさそう。
「とても悪い個性ですね……」
「ええ、彼女に西へ行こうと言ったら彼女は東へ行きます。しかしもし彼女に西へ行かせたいのでわざと東へ行こうと言ったら、彼女は絶対に南へ行きます。まるで他人の意思に従ったら、体が痒くなるみたいです」
そう言いながら、いつも自分の思うままに振る舞う少女は彼の頭の中でだんだん立体的になった。少女は雪の上に裸足で踊って、スカートの裾を持ち上げて身を回して彼を蹴る。