-傾月-〈捌〉公爵邸の朝 1
夏涼は寒霜城に戻った時、公爵軍はすでに出征の準備を整えていた。
今回夏涼は公爵の副官として出征する。それは公爵の直接命令だ。いつものように、夏涼に選ぶ権利はない。
王国軍の斥候の報告によると、今回デカル高原に駐屯する帝国軍の数は今までと比べたらそんなに大きくはない。兵は神速を尊ぶ。公爵は夏涼が戻った3日後を出征の日に立てる。
この3日間、夏涼は自然に月璃の護衛の仕事に戻った。
今、この時、彼は月璃と邸の書斎にいる。月璃は端正な姿勢で文机の前に座り、彼は少女の右後ろで待機している。
小さいほこりが光線で漂い、窓から差し込む陽射しが月璃の雪肌に注ぐ。彼女は机に広げた古本を目を凝らして見て、時々筆を手にして隣の白紙に文を書いた。
「涼君、左側の第2棚第3段右からの第6冊」月璃は優しい口調で言った。彼女は振り返らず、羽根ペンで依然として紙に素早く書いている。
夏涼は身を回して本棚から本を取ることをせず、3分前にすでに手に持って用意した3冊の中の一つー『月語の既知の言語構造と語彙』を月璃に渡した。
月璃は筆を置いてそれを受け取って、少しめくった後、彼女は何かを思いついたように頭を上げた。
「あぁ、左側の第4棚第2段左側の第1冊もお願い」月璃は振り返って、少々ごめんなさいといった目つきで夏涼を見た。
「うん、これかな」夏涼は手に持って用意した3冊の中のもう一冊も渡した。
月璃は少しきょとんとして、手を伸ばして本を受け取った。夏涼はすでに彼女が必要な本を全て手に持っていたことに思いつかなかったらしい。
その本は彼女が探したい『月語の書簡体分析』ということを表紙で確認した後、彼女は頭をひねる。
「あの……あなた今手の中に残っている一冊も一緒に渡してくれませんか?」
「この一冊は君に短期的に必要がないと思います」夏涼は首を振った。
「でも……後で絶対に使えますでしょう」月璃ははにかむように笑った。「涼君はきっとわたくし自身が意識する前に、わたくしが必要なのを考えたでしょう」
夏涼はしばらく黙り込んで、溜息をついた。
「そっか、そこまで言うなら」そう言って彼は本を差し出した。
夏涼の微妙な反応を理解できず、月璃は少し戸惑い顔をして、本を受け取って見た。そして彼女の顔は少し赤く染まっていく。
「は、『禿げと脚気の治療』?」
「個人的に言えば、君はそんなに若いのにこの本を必要とするとは思えませんでした」夏涼は穏やかに笑った。
「わたくしをからかうつもりで用意したんですか?」月璃は顔が赤くなり、夏涼の肩を軽く叩いた。綿のように柔らかく。
「これは後で料理長に渡すつもりの本です。最近彼は髪が落ちているので、邸の食事の衛生に影響を与えるかもしれませんからな」夏涼は首を振り、月璃の推測を否定した。「もし君にこれを必要としたら、君が優先的に使うことは、邸のみんな……いいえ、寒霜城の中で誰も反対しないはずです。むしろ、もし君は本当にこの辺りの問題があるなら、寒霜城で暴動を起こす前に早く治してください」
「必要ありませんよ!」
月璃は顔が真っ赤になり首を横に振って、夏涼の手の中に本を戻した。
夏涼は少女に戻された本を見て、感慨深く思った。この世間の常識は本当に変わった。もし小さい頃の月璃がこのような冗談をされたら、多分すでに彼の顔を蹴ってくる。本を彼の手に恐る恐る戻すわけがない。
夏涼はにっこり笑った。成人式のせいかもしれない。最近彼は時々幼い頃の月璃を思い出した。
過去、その個性が溢れすぎてとめどなく彼に迷惑をかけてくるガキと比べると、今の月璃は確かにもっと大人になり、静かになり、少し人見知りすぎるが、それはただ過去の記憶喪失の経験があるから。
「涼君?」
夏涼の返事が来なかったので、月璃は下から見上げて夏涼を観察し、頭を捻り、長い髪が肩の上に斜めに傾き、一方の白い耳をむきだしにした。
「なんでも」夏涼は静かに言って、文机に置いてある古い本に視線を移した。「この『アイビス日記』、今どこまで翻訳しましたか?」
月語を翻訳することは彼女の数が多くない趣味の一つだ。この間、月璃はずっとこの本を翻訳している。
彼女は邸の地下室で一番奥の小さい倉庫でこの本を探したらしい。その倉庫は古物を収納するために作られたのだ。子供の頃、月璃はよくそこに遊びに行っていた。そこは百年前に寒霜城が建てた時にすでに存在した最も古い部屋の一つだ。今の月璃もそこに宝探しに行くことに、夏涼は少し訝った。
月璃が黒水晶を夏涼に渡した後の言葉によれば、この黒水晶と『アイビス日記』は全てその倉庫の中で探したのだ。
その中、『アイビス日記』に黒水晶の機能が記載された。月璃が翻訳した部分によって、その黒水晶は実際にある黒い石版と1組になるものだ。そしてこの一揃いの装置は『アイビス』のとある願望と関係がある。
日記を翻訳し始めて以来、月璃はすでに何回かその小さい倉庫を再び訪ねた。黒水晶を探したが、ずっとその黒い石版を探せなかった。
そして二日前に、偶然にその倉庫で石版を探した夏涼は、月璃に石版を渡した。
今、滑らかな黒い石版は文机に置いて文鎮として紙を押さえる。そして黒水晶は夏涼の首にかけてある。
「まだまだです」月璃は石版に抑えられた紙を抜いて夏涼に示した。「手伝ってくれますか?」
「私は君のように独学で月語を習得できるような天才の頭脳を持っていませんよ」夏涼は微笑みながら、重ねた紙を受け取った。
紙に色々な書き直した痕跡がある。月璃のやり方は先に紙に古本を書き写して、そして一つ一つの語句を翻訳したらしい。夏涼は月語がわからないので、月璃が翻訳した部分しかわからない。
『この数年は依然として幻の日々だ……童話……丘の上に座って、緑色の大地、青色の空、遠くから吹いてくる風は草の淡い匂いがする……毎日楽しかった……心残りのない幸せ……』
第一枚目の紙はここまでだ。
「本当に幸福感に溢れた文字です」夏涼は寸評した。
「そうですね」月璃は指先で黄ばんだページをなぞる。「この文字の感じは、一匹の小さい兎が柔らかな草地に軽く跳ねているみたいです。わたくしはこの感じが好き、彼女はきっとすごく賢くて可愛い人です」
「……」
「あの……わたくしの顔に何か付いていますか?」月璃の顔は再び紅潮した。
「いいえ、ただ今も昔も……君の想像力は素晴らしいと思います」夏涼は月璃の横顔を見て、首を振った。
月璃は少し黙って、小声で訊ねた。
「幼い頃のわたくしは、豊かな想像力を持っていましたか?」
「豊かですが、今の君の想像力の豊かさと少し違います」
「少し違いますの?」
「うん……」夏涼はひとしきり考えた。「例えば、さっきのその例、幼い頃の君は一匹の小さい兎が柔らかな草地に軽く跳ねているのを例として挙げず、数匹の羚羊が柔らかな草地に楽しくて飛んだり跳ねたりするを例と使います」
「どこが違いますか?」月璃は首を傾げる。
「ここまでは違いがありません」夏涼は首を振った。「でも君はそれから、拳を握って強調し始めます。彼らが飛んだり跳ねたりする理由は、一匹の獅子の死体を踏んでいるからな。」
「……」月璃は呆然とした。
夏涼は笑顔を見せた。
「うぅ……」月璃は軽く唇をかんで、顔を逸らした。「……意地悪」
夏涼は微笑みを保ち、第1枚目の紙を重ねた紙の最下部に入れて、第2枚目の紙を見て始める。
『……日々が楽しくあれば楽しくあるほど………………は悲しくなる…………君がいない…………この土地に落ちてから…………フェイク・ポジショニング・システム…………衛星ネットワークをハックする…………タブレット…………』
第1枚目の紙と違い、第2枚目の紙の翻訳は相当に断片化していた。