-傾月-〈伍〉傾月姫 2
この時、ロビーの中央にざわめきが起こる。夏涼は賓客たちとそっちに向く。誰もか今日の主役の登場がついに始まろとしていることを感じていた。
賓客たちは首を長くして待ち、男女共々あの伝説の美人の様子をしっかりと見ようとしている。国王の孫娘ー寒霜城の【傾月】、例え王国の遙か向こう側の辺境にいる人たちも聞いていた名前だ。
誰もあの大げさな噂を聞いたことがある。王国で最も有名な大酒飲みの詩人は少女を見た後、3ヶ月でお酒を飲めなくなって、友人に対してこのように感嘆した。
「……もし『一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く』っていう言葉で美人を形容するなら、この少女が三度振り返れば、多分無尽の月すらを傾けるでしょうか」
これは【傾月】の由来だ。夏凉には、無尽の月を落とすって形容はあまりも大げさ過ぎる……多分、情愛の月を落とす程度だけかな。
「失礼いたします」彼は軽く頷きながら、周りの女の子たちを押し分けて、この瞬間を目に焼き付けたい。
ミサ公爵は月璃の手をひいて、ゆっくりとロビーの中央に連れていく。真っ黒のレースドレスが繊細で透き通るような首を引き立て、菱形の立方体の黒水晶が彼女の胸前でキラキラしている。
月璃は賓客たちの前で頭を少し下げて、唇を軽く噛んで、シルクのような光沢感の紺色の髪が肩に流れる。あの澱み霞んだ瞳は古い鏡のようで、自分の姿が映し出されたことに気づいた時、人は思わず自分の汚れに恥ずかしくなる。
「おおお、これはこれは……」
「これがかの【陽の女王】と同じの黒い瞳ですこと?」
「見ろ、あの東境で最も柔順である髪」
少女は上品でしなやかに歩く。完璧には程遠いが、あの少し緊張し、ぎこちない姿はむしろ少女の魅力をさらに引き出してくれて、貴族と騎士たちの青い果実という幻想をかき立てる。賓客たちは思わず感嘆の声をあげる。
この中には夏涼もいる。しかし彼の感嘆は他の人たちと少し違っていた。今の月璃のしなやかな姿を見て、誰が過去のあの『月からの悪魔ちゃん』と連想できるのか?
昔、彼は月璃の成人式を想像したことがある。想像の中に、月璃は覇者のような姿で式典に踏み込み、靴のかかとと地面のぶつかり合う音が澄んでいる。彼女は会場の中心に向かって歩き、軽蔑の目で全ての賓客を見渡して、片足を高く上げて円卓を踏んで、剣を抜いてケーキに刺し、怒鳴る。『無礼ものめ!貴様らはあたしの前でひれ伏すべきだ!』
もし月璃は記憶を失わなかったら、本当にそうかもしれない。しかし今夏涼の目の前の少女は少し怯えているが、一挙一動には慎重で気品があり、1輪の気高い黒薔薇みたいだ。
月璃が予定の場所に来た後、公爵は手を上げて、指をパチンと鳴らす。技の月財と八弦球に流れた音楽が一瞬で止まって、人たちのざわめきもどんどん静まっていく。
公爵は会場全体を見渡して、おもむろに話し始めた。
「まず、この僻地に訪れくださった方々へ誠に感謝申し上げます。皆さん知っての通り、私たちアルフォンス、16歳になる少女は、母親から成人祝いの贈り物をもらい、成年の象徴として正式的に私たちの社交界に入ります」
ミサ公爵はここでちょっと口を閉じて、月璃を連れて一歩踏み出させて、慈愛の笑顔をした。
人々の前に、少女はすごく恥ずかしいそうに見える。彼女はドレスの裾を掴んで、腕が小刻みに震えている。
「これは我が愛娘の月璃です。妻が早逝したので、成人祝いの贈り物の部分は妻の代わりに私が行います。愛娘は不幸にこの不器用で厳しい父しかありません。皆さん、これからどうぞ宜しくお願いします」
賓客の全員は拍手し、しかし当事者の月璃は体がこわばり、小さくなって、まるで人混みから逃げたいかのようだ。彼女は左を見たり右を見たりして、誰かを探そうとしている。
「月璃、跪きなさい」公爵は言った。
「……」月璃は返事をしなく、彼女は公爵の言葉を聞かなかったように、視線で人混みの中を探している。
「月璃?どうしました」
公爵が自分を見ていることに気づいて、月璃は肩をすぼめて、顔が軽く赤くなった。小さい声でごめんなさいと言って、膝をつき、ドレスの裾は黒い花みたいに咲いていた。
少女の人見知りな姿を見て、賓客たちは軽く笑った。しかしこの笑い声が、彼女の震えをもっと強くさせて、儀式を妨害するほどになった。
コー、コー。
夏涼は機に乗じて隣のテーブルを叩いた。月璃はそっちを向いて、やっと夏涼に気づいた。
彼は穏やかな笑顔をして、右手を胸の前に握った。それは彼たちの暗号の一つだ。この意味は『あなたと共に』だ。
月璃は他の人たちに気づかないような程度に彼に軽く頷いて、ゆっくり息を吐き出し、ようやく落ちついた。
「今君の成人の証明を与えよう」
ミサ公爵は奇妙なネックレスを取り出して、そのネックレスの真ん中には透き通ってキラキラしている宝石を嵌めた鉄製のリングがある。彼はネックレスを娘の真っ白な首にかけて、黒水晶と映り合う。
「これは私たち王族の印として、代々受け継がれてきたものだ。今君の成年の証明とする。大切に保管してくれ」
「はい」
ミサ公爵は彼女を引っ張りあげて、周りの観客たちは拍手を送る。
「私は一生で無数の功績を立てた」公爵は娘の肩を叩く。「だけどあれらと比べて、君こそが私の最も誇らしい成就だ」
「わたくしもです……あ、あなたがわたくしのお父さまのことは、わたくしの最も幸運なことです」月璃は緊張しながら用意したセリフを言った。
賓客が拍手をやめた時、公爵は話を続ける。
「慣例に従って、次は舞踏会の時間ですが、その前に、私は少し話したいことがあります」
「皆さん知っての通り、今年、プールバッハ帝国は再びわれたち王国の領土ーデカル高原で大軍を集まってました。これは間違いなく我々への挑発と宣戦です」
公爵は口調をどんどん上げ、最も高揚したところで急に止めて、静かな瞳で賓客全体を見渡す。
この件は王国の貴族にとって、まるで刺が背中に刺さっているようだ。アルフォンス王国の王の病状が悪くなった情報を得た後、利益を得るために帝国は素早くに王国の国境の隣に軍隊を集めた。
帝国は王国の南にある。国の間に高い山脈が天然の障壁としていて、唯一の境界は王国の南東方、帝國の東北方の寒い荒漠たる高原ーデカル高原にある。王国が独立から二百年の間、双方も彼らこそが高原の主人と宣言した。この領土は両国の唯一の交わる扉なので、誰も放したくない。
ロビー中に沈黙が訪れた。公爵の人を通り抜けるような視線で見渡された人たちは思わず固唾を飲んで、夏涼の隣にいる子爵閣下は無意識に後ずさりすらした。
公爵は両手を背中で軽く握り、前の激しい口調と逆に、淡々とした口調で次の言葉を話した。
「私が、あいつらを滅ぼします」
穏やかな声で、当たり前のことを宣告するように。
人たちはまず沈黙して、即座に公爵の話を理解できず。しばらくしてようやくわかった。これは『王国の英雄』が自発的に出兵する宣言だ。喝采が起こり、気分が舞い上がる。
「では……」公爵は両手を上げて少し拍手をして、沈黙が再び訪れ、賓客たちは息を凝らして次の彼の話を待っていた。
夏涼は知っていた。公爵はわざとそうするのだ。過去公爵の言葉によると、沈黙はどんどん蓄積して言葉をもっと強くする力だ。それの累積過程は丘型だ。短すぎたら風采がなく、長すぎたら魂がない。
公爵は、いつも最高の場所が好きだ。
群衆の当惑と不安が頂点に達する時、彼は突然に風雅な微笑みを示した。
「……どうか皆さんは心を落ち着けて、舞踏会を楽しんでいただきたい」
彼は指をパチンと鳴らした。技の月財はゆっくりと動き始めて、空で漂って音楽を流す。同時に楽師たちも両手で八弦球を持っておもむろに演奏し始めた。
……