-傾月-〈肆〉鞘を払う1
月璃の誕生日パーティーが終わって3日後に、
寒霜城、この辺境の要塞が再び空気の薄い夜を迎えた。
裏庭の方向に向いて、邸の公爵の寝室の隣でオオカミは柱に寄りかかっている。左足を伸ばして、右手を曲げた膝に置いていた。柔らかな月光は彼の鎧に降り注ぎ、細長い軍刀は彼の側に置いてある。
オオカミは満天の星空を見上げた。『無尽の月』は壁に掛かった絵のように動かない。より小さくて、色が異なる二つの月が別々の方向から空を区切っている。
『無尽の月』は水色の光を明るく輝やかせて、漆黒の夜空を照らしている。『無尽の月』、またの名は『エンドリス』だ。最も古い言葉に『終わりのない』という意味がある。他の月たちも月と呼ばれているけれども、実際に無尽の月とくらべると、五倍くらい大きな差がある。
オオカミは柔かくて穏やかな雰囲気の月を、狼そっくりの灰青色の瞳を細めって見つめた。そして顔の傷跡を掻いた。なぜがわからず、今夜、右目の刀傷がまた痒くなった。
「ハハハ、あの傷跡がまた痒くなったのかい?」彼の近くで粗野な声がした。
ヤマネコ、オオカミのパートナー、今夜彼と一緒に夜勤している男だ
痩身のオオカミと比べると、この戦士は体が大きくて荒々しい。彼の茶色の髪が乱れていた。左側の顔に三つの赤い傷跡があり、まるで山猫のヒゲみたいだ。
「妙だな……」オオカミは軍刀を掴んで、眉をひそめて立ち上がった。
公爵と十年間続いていた戦で、九死一生の激しい戦いと危険な待ち伏せが起こる前に、彼の右目の刀傷がいつも何となくかゆくなるのだった。『この傷跡が便利だな、どこの觀月預言者の魂が宿ってるのかい?』とヤマネコにいつもそ言われた。不公平だな、彼にも三つの傷跡があるのに、こんな便利な使い方はない。
しかし今戦争が終わって、オオカミは王国の要塞と称されているけれども、あまりにも平和で、危機感がなさすぎて可笑しくなった寒霜城に住んでいる。それなのにどうしてこの傷跡がまた痒くなったのか?
「しばらくの間、血の味を味わなかったので、勘が鈍くなったんじゃない?」ヤマネコが大口を開けて笑った。
「黙れ、殺すぞ」
「はいはい、リラックス、リラックス……だから言ったんだろう、お前は本当に嫌な男だな」
「てめぇに好かれたら、俺はてめえの相棒になろうとしたわけねぇだろう」
ヤマネコは暢気な笑い声をあげて、右手でオオカミの尻を叩こうとした。
びしゃっ!オオカミは差し出された手を振り払った。
「ハハハ、そんなに冷たくするな。いいじゃないか?夜が長いし、寂しくないか?」ヤマネコは全然気にせずに笑った。
「黙れ」オオカミはとっさに刀の柄を握った。
「ままま、怒るなよ。まったく。冗談が分からないお人だ」ヤマネコは両手を挙げた。
「違う、阿呆、静かにしろ」オオカミは左手で上から下に払った。
その手振りをみて、ヤマネコはすぐ意味を悟った。彼は下段に構えて、刀の柄に手を置いた。
オオカミは目を閉じて、黙っている。
数秒後、彼は軍刀を半分抜き、裏庭の草むらに向かうと、鍛えた上腕の二頭筋が盛り上がった。
「3秒の時間を与える。出ろ」
1……
「ううううぅ……」幼い女性の泣き声が草むらから聞こえた。
予想しなかった声を聞いて、オオカミは瞬間数えることを止めた。
2……
しかし彼はすぐ数を数え続けた。もしこんな程度のことで躊躇していたら、狂人である公爵に従って戦ったあの頃に、とっくに何度も死んでいたことだろう。
オオカミはヤマネコと目が合って、軍刀を抜いて草むらを切ろうとした時、その中から人がやっと現れた。
彼達の目の前に現れたのはすごく美しい女の子だった。肩まで掛かった青いロングヘアー、柔らかい鼻先が少し赤くなり、湿り気のある漆黒の瞳が瞬いていた。
オオカミは目を見張って、軍刀を下ろした。彼はこの女の子を見たことがある。これは公爵の娘の月璃・アルフォンス、三日前に誕生日を迎えたばかりの女の子だ。
詳しいことはわからないが、公爵の言葉によれば、彼はほぼ見たことのない二人の娘たちが結構気に入る。最近すごく楽しく付き合ってきた。ボスがそう言った以上、彼らは当然に彼女をなおざりにすることができない。
「月璃殿下、どうした、眠れないのか?」オオカミはなるべく優しい声で話した。
「ううぅ……怖いよ……」少女の眉は下弦の月になり、薄い唇をしっかりと一文字に結んで、右手で赤ちゃん翼竜のぬいぐるみを引っ張って、左手でベージュ色のネグリジェを掴んでいる。
「何が怖い?」
「はっはっは、バカ、てめぇのことに決まってるじゃないか?」ヤマネコは警戒心をゆるめて、オオカミの肩をたたき、どっと笑った。
「翼竜ちゃんのお父さんが私を追う夢を見たの……」少女は赤ちゃん翼竜を抱きしめ、涙を堪えている。
「怖がるな、もし翼竜が本当に来たら、俺がそいつの翼と骨を断ち切って、血を抜き尽くして鱗を切り開いて骨髄を引き出しておもちゃに作って、殿下にあげる」オオカミは優しい声で話し続けた。彼は女性を慰める経験はまったくないが、今の慰めの言葉は絶対に励ましになると思った。
「ううぅ……」だけど月璃には理解できないそうだ。彼女はもう泣きそうでした。
「そういえば、お姫様には専属の保母がいるじゃないかい?あいつはどうなった?夏なになにの……あぁ、そう、夏じゃん?」ヤマネコは唇をなめて、いやらしく笑った。「あいつは贅肉がないタイプだよね。えへえへえへ……あのお尻……ぜひ試したいもんだな」
「おい、ボスの娘にてめぇの汚らわしい思考を叩き込むな」オオカミ冷たく言った。
しかし話したばかりで、オオカミは気づいた。月璃が呆然として潤いを帯びた目でヤマネコを見ている。そして彼女は急に赤面して、頭を下げた。
「実は……あたしも嫌いじゃない……男同士の暑さ」
「……」
「ハハハハハ」ヤマネコはからからと笑いた。「まさかお姫様と気が合うとはね。なら夏じゃんを紹介することは、お姫様に任せるぜ」
オオカミは少し黙っていた後、口を開く。
「殿下はこんな真夜中にここにきて、何の用があるか?」
「悪い夢を見たの……お父さんに会いたい」月璃は口ごもるように話して、耳まで赤くなった。
「月璃殿下」オオカミはしゃがんで、手を差し出して彼女の頭をそっと撫でる。「公爵はもう寝ていた」
「ダメ……の?」月璃は唇を軽く噛む。
「わるいな、ボスが寝た後は、誰にも会わない」ヤマネコは肩をすくめた。
事実だ。公爵が寝た後、誰にも眠りを邪魔させない。以前、一人の間抜けた新兵がこのミスを犯した。公爵が目覚めた後、微笑みながら、次の一秒で新兵の頭は身体からさよならした。
ヤマネコまだ覚えている。ある夜に、彼は命知らずにこの件に触れた。『ボス、これはひどいじゃないか?あいつは一応ボスに忠誠を捧げた。あんな程度のミスで躊躇なしにあいつを斬るなんて、ひどいすぎるよ。』あの時、公爵はただ無表情で今空に渡している赤い『力量の月』を見つめて、淡々とした口調でこのように言った。
『私は夢を見ること嫌いだ。だけと、他の者から私は今夢を見ていることを教えられるのは……もっと嫌いだ。』
何を言ったのか?ヤマネコはさっぱりわからない。しかし公爵がこれを話した時、憎しみに満ちた凶悪な眼差しで『力量の月』を見つめて、まるで刀であのでっかいやつを切り落とす勢いだった。あの目を見て、ヤマネコは思わず体中が火照った。彼は公爵の前に跪いて、この男がどこへ行こうと後ろについていくと海誓山盟を誓った。敵を屠り、血の海を流し、骨の山を築こうとも。
まぁ……要するに、公爵は誰にも眠りを邪魔させたくない。たとえ娘でもな。
「ご、ごめんなさい、私はわがまますぎる……」
今、公爵の娘、この【月からの姫ちゃん】と呼ばれた人物はネグリジェを掴んでいて、目の周りが少し赤くなって、顔には普通の人には『すごくかわいそう』と思わせる表情をしている。
しかし彼女の目の前にいる荒武者たちは、普通の人ではない。
「殿下、朝の間まだこっちにくる。どう?」
「そういうことだ。帰って寝ろ、夏じゃんにもよろしくね」
月璃は口を尖らして、両手の人差し指を突き合わせて、そして再び頭を上げた。
「な、なら……もう一つお願い」
彼女はつま先立て、そう遠くない場所に咲いている青い花の木を指差した。なぜかわからないが、青い花の中に、一輪の鮮やかな赤い花が咲いている。
「あの花を持って来て」
オオカミはその方を見た。あの不思議な赤い花が月璃の手が届かない高さにある。
「それを取ってきたら、大人しく帰る?」
まず承諾を得るべきだ。オオカミは少女とずっと遊ぶつもりではない。
「うん」月璃は無邪気な顔で頷いた。
オオカミも頷いて、少しへだたった木へ向かって行った。
月璃は右手で赤ちゃん翼竜のぬいぐるみを掴んで、置いていかれたヤマネコに両手を開いた。
「おじさん、だっこして」
「断る。次に生まれ変わったら、好い男になれ」
「なら涼を紹介しないもん」
月璃は唇を尖らせて、横を向いた。
「うぅぅわ……」ヤマネコは少し考えて、仕方なくでしゃがんでいて、月璃に両手を開いた。「いいだろ、少しだけ、本当に少しだけよ」
オオカミはあのわけのわからない会話を聞きながら、木の下に着いた。彼は少し戸惑った。あの夏涼はとっても器用な、慎重な人だと言われていた。しかし、たった20代の前半で寒霜城のナンバー2になった人は、どうして彼の姫様を放っておき、こんな真夜中に一人でちょろちょろさせている?……そしてもう一つ、姫様は……どうやって妨げもなくここにきたのか?
そして、オオカミはさらにおかしなことに気づいた。あの赤い花はもともと木に咲いた花ではない、誰かが意図的に樹脂でくっつけたものだ。
誰がどうしてこんなことをするのかを考えならが、彼は赤い花を取った。
カー
小さい機械の音が立っていた。一瞬、鋭く光っていて、草むらの影から射られた小さい矢がオオカミの腹に刺さった。オオカミはウーと呻いて、跪いて倒れた。
ヤマネコの視線が急に倒れたオオカミに惹かれた瞬間、月璃はタイミングを捉えて、赤ちゃん翼竜のぬいぐるみに隠してあった麻痺毒を塗った針を抜いて、素早く彼の首の横から刺す。
しかし刺した少し前に、月璃の腕はかすかに揺れた。このコンマゼロニ秒ほどの迷いは、過去三日間で数千回も練習した動作に水を差した。
毒針は数センチで外れて、彼女が狙った首の静脈に達しなかった。
「きさま……」
ヤマネコは月璃を睨みつけて、目じりが裂けるほど開いた。何が起こったのがわからないけど、彼は一応プロだ。月璃が針を抜く時間を与えなく、全身の筋肉が破裂しそうに膨れ上がって、拳を握って月璃の体に打つ。
月璃は歯を噛み、躊躇わずに針を放して、両手でヤマネコの腰に携えてあった刀の柄を掴んで引き出して、鋭い刃をヤマネコの拳の前で塞いだ。
けど、プロとプロじゃない者の差は、瀬戸際に迷うかどうかということだ。
ヤマネコは殺気立った顔つきをして、でかい拳を全然減速せず、全力で刃に突き当てる。
ガツ!