表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鏡理世界・裏  作者: 白絹 纏
第一章 青年と青空
5/6

青年と青空

とある個室でのお話。

―――――




「……るか? 聞いているか? 研究者?」


「ん、ああ、ごめん。少し考え事をしていてね」


「そうか。それで、こちらに来たということは……」


「うん。終わりましたよー!」


「耳元でいきなり叫ぶな! うるさい!」


「ちぇー、つれないなー。そんなだから歪んだ愛を求めてしまったんで無いのかね?」


「な……! 歪んだ愛とか言うな! 私が仮にそうだとしたら貴様はどうなるんだ! 恋人すらいないじゃないか!」


「そういうこと言うんだ流石だねコノヤロー! いいよ僕はずっと独り身で生きていくよ! 蔑んで憐れむがいいさ! 独身貴族バンザーイ!」


「分かった! 私が悪かった! だから落ち着け! 先に結婚してしまった私を羨むのはいいが落ち着け!」


「素晴らしい追撃ありがとう! どんどん心が抉られていくよ!」


「追撃するつもりじゃなかったんだ! 見合いの席でもなんでも用意するから落ち着いてくれ!」


「……ということがあってね」


「貴様のその立ち直りの早さにどうコメントすればいいのか」


「別にコメントしてくれなくても僕は特に困らないからしなくてもいいよ。ただし見合いの席については強く求める」


「了解した……」


「それより、そっちの方はどんな感じかね。そろそろ報告が来ると思うけれども」


「総浚いはまだだが、反応については直ぐに結論が出たな」


「あれ? てことは僕の調査は無駄?」


「いや、また新たな問題点が浮かび上がって来ていてな。上手く使わせてもらうよ」


「ほーん。また見つかった、ねえ。大体予想付くけれども。それで反応の方は?」


「すまない、また脱線してしまったな。反応の件についてだが、追加で送った二人が到着するのを待っていたかのように群体型が湧いて来てだな」


「群体型だったのかー。湧いて来たのかーそっかー」


「対群体戦闘特化の光太郎にあっさり全滅させられていたそうだ」


「よくあることだったわけだ。それこそ、ふーんそっかー程度の」


「つまりそういうことだな。よって私たちはのんびり観光ができる」


「マジですか! やったじゃん! 適当な町行って金でも稼ごうぜ!」


「……全く。貴様は金稼ぎと研究しかすることが無いのか? もっと、こう、あるだろう。料理くらい作ってみたらどうなんだ」


「僕に料理スキルを求めても無駄だよ。ポイント振ってないし」


「ゲームの世界に生きているのか貴様は。もしそうだったら、どうせ生産系極振りなのだろう?」


「はっはっは、当たり前じゃないか。……そういえばさっき通過した街道に、ゲームよろしく初めてこっちに来たっぽい男の子が立ってたね」


「む、気づいてしまったか。どうやら彼は色々と面白そうなのでな、そのうちスカウトするかもしれん」


「ほほう、『いろいろと面白そう』ねえ……。ま、楽しみにしておくよ」


「ああ、楽しみにしておいてくれ。……さて、そろそろ着く頃か?」


「そうだね。久し振りに来る街がここだと、君と初めて出会った頃を思い出すよ」


「そうだな。確か貴様が街の手前でぶっ倒れてたのを保護したのだったな」


「ああうん、そうね。そうだったね。って、保護とか言うなし! 僕のガラスのハートが傷ついたらどうするのさ!」


「何が『ガラスのハート』だ。ダイヤモンド並みの硬度があるくせによく言う」


「あーあー、聞こえない聞こえなーい! そんなことより【アルハの街】に到着ですよ奥さん!」


「言われなくとも分かっている。貴様こそ無駄にはしゃいだりするなよ? 我々の品性を疑われかねない」




―――――




 とある都市と街を繋ぐ街道。

 そこを一人の青年が歩いていた。


 その足取りは少々疲れている程度なので、まだかなりの距離を歩くことが出来るだろう。


 行く当てのない旅、と言うほどではないが、なぜだろうか。その中性的な顔は少し青褪めており、何か見たくもないものを見てしまったような、そんな印象を受ける。

 身を包んでいる服が恐らく高校のものと思われる学生服であるから、学生にとってよほど気分が悪くなるものなのだろうと推察できる。

 少なくとも学生に対して致命的なダメージを与えてくるテストといった類でないことは確かだ。


 その手に握っているものが、赤黒い液体(・・・・・)が随所にこびりついた折り畳み式のナイフなどでなければ、まだましな状態だったのかもしれないが。


 よくよく見れば右手に握っているナイフだけではなく、学生服の右袖や前面なども同じ赤黒い液体で汚れてしまっている。

 また、学生服自体も裾が破れていたり、何かに引きちぎられたようにボタンが取れてしまったりとボロボロの状態だ。


 彼の身に、一体何が起こったのだろうか。


 彼が一歩を踏むたびに、ポニーテールにした背中まである黒髪が、まるで尻尾のように左右に揺れる。


 ふと、少し俯かせていた顔が上がった。

 表情には特に何の感情も籠っていなかったが、そのまま地平線よりも少し上を見つめたまま足を止める。



「………ふう」



 彼はそうため息をつくと、張りつめていた糸が切れるように、そして崩れるように道端に座り込んだ。

 胡坐をかいた体勢から右膝を立て、両の手を後ろについて空を見上げる。

 その目には青空とそこを流れていく雲が映っていたが、どこか空虚で疲れた雰囲気を醸し出していた。


 暫しの時が経ち。

 青年は徐に立ち上がると、また歩き始めた。


 立ち上がった拍子に握っていたナイフが手からこぼれ落ちる。

 ナイフは地面に落ちた衝撃で刃が欠けてしまったが、青年は気づくことなく遠ざかって行く。

 青年の姿が地平線の向こうに消えてしまった、草原を貫く街道。

 そこに落ちた一本のナイフは、唐突に端から砂となり崩れてしまった。

 この現象は、青年が青褪めていたことと何か関係するものなのだろうか。


 当の本人はというと、相変わらず青褪めた表情のまま歩みを進めて行く。


 しばらくして、草原の中に広がっている林に入っていくが、少しばかり虚ろな目にはそのような変化も映っていないようだった。


 と、その時。



「―――――!!!」



 青年が林の中に数メートルほど入ったときに、それは聞こえた。

 何かが折れるような音。

 何かが潰れるような音。

 それらと共に聞こえてくる、大型の肉食動物のような低い唸り声。


 そして、「助けて」という悲痛な叫び声。


 青年の虚ろだった瞳に、一瞬で光が戻った。



「……っどこだっ」



 青年は声を押し殺して一言呟くと、今までの足取りは何だったのかと言わんばかりに、声の聞こえてくる方向へと足を進める。



「来るっ、来るなあっ!」


「くっ、このままでは全員がぐふっ」


「リーダー!? この野郎! これでも食らいやが、れ……ゴボッ」


「う、腕が、俺のうでがあああ!」



 声の方向へと進んでいる間も、悲痛な叫び声は響き続けている。

 声が大きくなればなるほど青年の心の内に不安が募っていくが、お構いなしに林の木々をかき分けていく。



「誰だ……どこにいる……」



 手入れもされていない木の枝が青年の頬を掠る。

 棘のついている枝で青年の顔に一筋の赤い線が走った。


 頬に走るかすかな痛みに顔を歪めながらも、その手は枝をかき分けて、その足は前に進んでいく。

 いつの間にか彼の息は上がり、全身に冷や汗を掻いていた。

 恐らく大型肉食動物に襲われているであろう人物の声が聞こえたので、林の中を突っ切って来たはいいものの、元学生には不安の方が勝っていたのだろう。


 それでも見殺しには出来ないという善人性が働いたのか。

 かき分けるペースは落ちつつも、着実にその現場へと近づいていた。


 そうしてかき分け続け、一本の枝を視界から払いのけた時。

 その光景は青年の目に入って来た。



「……っ」



 そこら中に散らばった木の破片。

 無理矢理引きちぎられたような残骸を晒す、数台の荷馬車。

 あちこちに広がる、赤黒い水溜まり。

 関節が本来曲がらない方向に曲がったまま、倒れて動かなくなった人間。


 そしてそれらを押しのけるようにして、そこには明確な「死」が佇んでいた。

 木々の隙間からその現場を覗いている青年が死の恐怖を感じるほど、「それ」の前では人間というものはあまりに貧弱で頼りない。

 限りなく人間に近い、人ではない何か(・・)。外見は人間に見えるが、中身は全く違う別物。そのような存在がそこを我が物顔で蹂躙していたのだ。


 否。

 事実として、「それ」にとっては我が物顔で蹂躙しているつもりなどなく、「蹂躙することこそ使命」だったのだろう。

 今回もその使命に従い、自らの身で蹴散らかしたに過ぎない。

 ただ、その対象となる「モノ」がたまたま人間だった。それだけだ。


 それだけなのに、「それ」に対して抗っていた人間たちを、何故青年は助けようとしてしまったのであろう。

 一度関わってしまえば、巻き込まれてしまうに決まっているのに。


 無論それくらいの事は青年も分かっていた。だが、元からあった善性のせいだろうか。聞こえてくる悲鳴に対して思わず身体が動いてしまったのだ。

 その結果が、目の前の惨状に顔を青くしているだけ。

 これでは何のためにここまで来たのか分からない。



「ひいっ……来るな、来るなよ!」



 一人だけ荷馬車の陰に隠れて生き残っていた線の細い男が叫んだ。

 そのまま隠れていれば、「それ」に見つからずに済んだかもしれない。

 しかし、ひっきりなしに轟音と叫び声が聞こえていて、且つ荷馬車のせいで周囲の状況が解らなかったために、今にも襲ってくるのではないかという恐怖が大きくなってしまったのだ。

 叫ぶことによって少しでも恐怖を和らげようとしたが、この場ではそれは悪手でしかない。


 耳聡い「それ」が、声を押し殺した男の叫び声を聞きつけた。

 右手で掴み、地面に何度も叩きつけて遊んでいた人型の肉塊を放り捨て、荷馬車へと歩み寄る。そして右手を徐に振りかぶると、荷馬車に勢いよく振り下ろした。


 振り下ろされた「それ」の一撃は、自分より大きい荷馬車の四分の三を木端へと変えた。

 「それ」の右手はそのまま荷馬車を砕きながら地面へと突き刺さる。

 勢いがつきすぎたのか、突き刺さった右手を支点として身体が半回転し、残った四分の一に突っ込んでしまうが、それも扉を開けるように中央から二つに割れて吹き飛んだ。



「ぐ、がっ! ……ひいっ!」



 先程叫んだ男が、壊れた荷馬車の破片で弾き飛ばされる。

 幸い、と言っていいのか、息が詰まった程度で余りダメージは入っておらず、男はすぐに起き上がる。その目の前に「それ」が着地した。男の顔が引きつり、口からは悲鳴が漏れる。

 「それ」は一度男を見てから、自分の位置を確認するように頭を巡らせて周囲を見渡す。そしてもう一度男に向き直ると口の端を大きく歪めた。まるで無抵抗な獲物を前にした狩人のように。



「あ、ああっ! 嫌だ、死にたくない!」



 狂気すら感じさせる笑みを見た男は、情けなくも叫び散らしながら逃げ出した。腰が引けていて転びかけながらではあったが、生きようとする意志が男をそうさせたのだ。少しでも「それ」から距離を取るために。ここから逃げて、生き延びるために。

 だが、男の思いは早々に潰えてしまう。



「―――――!!」



 ガラスを思い切り引っ掻いたような異音が「それ」から発せられた。「それ」にとってこの音はただの笑い声に過ぎなかったが、人間にとっては三半規管を狂わせる音波の波となる。

 その音を間近で聞いてしまった男の視界と身体が不意に揺れ、地面に倒れてしまう。男は必死に起き上がろうとするが、三半規管がやられてしまったため、立って倒れてを繰り返すばかり。



「うあっ……ぐっ! クソ……がっ!? 何で……立てないんだ」



 悪態をつくが、それで何かが変わるわけでもない。万が一、億が一程度しかない奇跡に縋るのみだ。

 しかしながら、とても残念なことに今回ばかりは運が悪かったという他ない。

 というよりも、そもそもこの男の運命は決まってしまっていたのだ。この世に生まれ出る前から、否、それ以前から(・・・・・・)決まっていた。

 そして今、何かの繰り返しのように「それ」が男の命を刈り取ろうと歩みを進めている。十メートル、九メートル、八、七、六……。



「…………?」



 必死に這いずっていた男に、ふと影が差した。新月の晩よりもなお暗い、黒い影が。


 それは人の形をしていた。



 だがそれは人ではなかった。




 数多の命を奪った化け物。





 数多の命を刈り取った死神。






 『獲物』は振り返る。それを知りたくないという本能を抑えて。







 『狩人』は余裕の籠った笑みでそれを見た。自分の足元で無様に這いずっている、一匹の獲物を。恐怖に怯える一匹の餌を。








 『獲物』は叫んだ。大声で、持てる力の限りで、仲間を呼ぶために叫んだ。それが来ないことを知っていながら、恐怖を隠すために叫んだ。









 『狩人』は笑みをより深いものにしながらそれを見ていた。必死に生きようと足掻く様を。










 しばらく『獲物』を見つめていた『狩人』は、徐に『獲物』に手を伸ばす。胴を掴まれた『獲物』が暴れるが、『狩人』はそれを意にもせずに持ち上げた。










 そしてもう片方の手を『獲物』の胴に添え、そのまま掴むと、










 一拍。

 辺りに絶叫が響き渡った。



「あああああああああああああああ!!!」



 発生源は、『狩人(それ)』にとっての『獲物』であった男。


 男の叫び声と共に辺りの地面に鮮血が飛び散る。

 その体は腰の上あたりから無残にも引き裂かれていた。

 いや、引き千切られていた、が正しいか。「それ」に掴まれている胴や骨盤が「それ」の手の形に凹んでしまっている。一体どれだけの力が込められたのだろうか。



「がああああ、あああ! うああああああああ!!」



 分かたれた上半身と下半身からずるりと腸や内臓が零れ落ちる。

 それらを「それ」は右足で踏みつぶした。グジュ、グジュと生々しい音が絶叫の合間に聞こえてくる。


 「それ」が男の内臓で遊んでいる間も、男の身体の断面からは絶え間なく血が噴き出していた。あの細い体のどこに、これだけの血液が流れていたのかと思える量の血が。

 噴水の如く吹き出す血は地面を赤く染めていった。男の内臓だった何かは勿論、荷馬車の残骸や人型の肉塊に至るまで。


 その明らかにおかしい血液の量に「それ」は一度首を巡らせると、男を見ながら首を傾げた。


 前の玩具はもっと早くに壊れた(・・・)のに、と。


 今度の玩具はもう少し遊べるな(・・・・)、と。



 それからしばらく、男は「それ」に文字通り身体を弄ばれていた。


 骨ごと神経を引き千切ったせいで下半身に感覚がないため、残った上半身に指を突っ込んでみたり。

 ダメージは無いが自分を叩いて来て鬱陶しかった腕を噛み千切ってみたり。

 うるさかったので、男の肺を握って物理的に黙らせたり、と。



「ああ……うあ……かふっ、ごふっ」



 既に男の意識は朦朧とし、時折走る鈍い痛みに身体を跳ねさせるだけとなっていた。


 右腕は肩から食い千切られており、左腕は全ての関節が逆に折り曲げられている。

 両の目は潰されて、顎は砕かれていた。

 その他にも体に幾つもの穴を開けられながら、それでも男は生きていた。少なくとも男の望んだものではなかったが、生きていた。



「もう……ころ、殺してくれ……」



 だが、その精神は限界を迎えていた。

 「それ」に、殺してくれ、と頼むほどにまでなってしまっていた。


 何度も何度も痛めつけられて、それでも死ねない。

 大量に血を流しているから失血死でもしそうなものだが、なぜか死ぬことが出来ない。


 そのような状況で、男は痛みに耐えることを諦めた。生き残ることを、諦めた。


 男の懺悔のようなその言葉に「それ」が答えたのだろうか。

 殺してくれとうわ言を呟く男に向かって頷いた、ように見えた。


 そして大きく口を開くと、男の頭を丸ごと口の中に入れ、躊躇いなく噛み砕いた。


 また一人。

 その命の灯を静かに散らして、死んでいった。

依頼人:白絹 纏

依頼概要:辺境の街に続く街道の調査

詳細:上記の街道を通過していた商人とその護衛からの連絡が途絶えました。元々比較的安全な街道であったため、何らかの異常が発生した恐れがあります。少しでも腕に覚えのある方は、同街道の調査をお願いします。また、一時的にではありますが、一般人の通行を禁止いたします。ご理解、ご協力のほどお願いします。

報酬:大帝国金貨千枚(約千五百万円)(調査内容に応じて増額有)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ