2ndシーン『寂しい男の長ったらしくてつまらない世界観の説明(多くの人は居眠りか、あるいはこのシーンを飛ばすだろう)』
西暦二千百十六年。
人類の持つ多くの技術は、際限なく、飛躍的に進歩していた。
宇宙航空技術、料理、電化製品。とにかくあらゆる分野で、どんどん技術は進んだ。
俺が持っているテレビだって、百年前までは考えはしても実現なんて到底できないような技術で作られているらしいが、今となっては型遅れも甚だしいおんぼろジャンク品だ。
最低限の音声認識機能や自動録画機能はついているが、最新型じゃあ忙しい社会人のために番組を放送の十分の一の時間で理解できるよう、AIが編集してくれるっていうじゃないか。
まぁ、大した仕事もなく、友人も恋人もいない俺が、そんな機能使うこともないだろうが。
話を戻そう。
人類の持てる技術の多くはAI技術の発展による福音を受けて、爆発的に成長した。
その中でも、最も進歩が速かったのは、医療だ。
まぁ、言うまでもないことかもしれないが、あらゆる人間が必ず世話になる分野だし、しかも、進歩すればするだけ、死ぬはずだった人間が救われていく。
科学者や技術者にとって、こんなにやりがいのある分野はなかったんだろう。
そんな専門家たちの後押しもあって、人間の医者の代わりに人工知能、つまりAIを搭載したロボット型のドクターが医療を担うようになった。
奴らは急速に人間にとって代わり、人間の医者は機械のメンテとか、AIドクターの補佐とか、患者の話し相手とか、そんな役割をするようになった。
今じゃもう、百年前は人間が経験を頼りに人体を切った貼ったしてたのが信じられないくらいだ。
その頃の医者がいてこそ、今のAIドクターがある、なんていうけど、俺にはそんなこと言われてもよくわからない。
そうして、技術が革新的に進んでいっても一つ、大きな問題が残っていた。
金の問題だ。
医療は金を喰う。
病気になったら治してもらう。
でもそんな時、金がなかったら?
野垂れ死にしろ、とその患者に言える国は、百年前でもなかったはずだ。
いくらAIが全部やってくれるとは言っても、AIのメンテナンスや監視をすべて別のAIにやらせるわけにはいかない。
俺みたいな凡人の仕事がなくなっちまうしな。
そこに人件費がかかり、機械の開発にも大きな金がかかるせいで、少しずつ政府は貧窮していった。
最初は、嵩む医療費をそのまま診察料に転嫁した。
でも、それでも補いきれなかった。
保険に入っていても、医療費がどんどん高くなるせいで保険料まで上がって、段々保険にも入らず、病気になっても病院に行かない患者が増えていった。
皮肉なことに、医療が進んだにも関わらずこの国の死亡者数は増加した。
いよいよ追い詰められた政府は、発想を変えることにした。
『人間は助け合うもの。
人と人とは支えあって生きている。
ほら、人、という字を見たって、そういう風にできているだろう? 』
大昔の偉人が言ったらしい言葉だが、そんな言葉をうまく使って、政府は健康税を導入した。
『あなたが健康なのは医療が発達したおかげ。』
『お金がなくて死んでしまう人たちを、あなたが労働で救うのです。』
『AIが人を救うんじゃない。一人一人がドクターなのです。』
CMがバンバン流れ、世論は一気に健康税を受け入れた。
当然だ。
金のない病人は死ねばいい、俺は健康だし、医療なんていらないから金は払わない、なんて普通、顔を出して皆の前で言えるわけがない。
どんなに思っていたとしても、そんなことを言えば、週刊誌に袋だだきにされ、ネットの掲示板で八つ裂きにされたあと、やる方も見る方もこれっぽっちも得しないくだらない謝罪会見で公共の貴重な電波を30分間占領した挙句、周りの汚い大人どもにケツの毛までむしられてダストボックスにシュートインされるのが関の山だから。
病気はAIが診察することで同時に研究され、病人は医療の発展に貢献する。
健康な人間は健康税を払い、それを支える。
イメージを上げたい金持ちが寄付にも乗り出し、少しずつ死亡者数は減っていき、健康な人間が増えた。
当然、税収も増え、さらに研究が進む。
患者たちには税金から、潤沢な補助金が与えられた。
そしてまた、死ぬはずの人間が救われる。
いつの間にか病気の人間はほとんどいなくなり、治せない病気も激減した。
遺伝子の操作をすれば、致死的な病気や先天性の障害を回避できるし、危険な外科手術を受けなくて済む。
風邪や水虫でさえもすぐ治せる。
病人は、希少な存在になった。
その頃から、テレビに出る人間の種類が変わっていった。
顔がイケてるとか、話が面白いとか、そういう人間が人気を得る時代は終わっていた。
その代わりに、やたらと病気を持った人間がテレビに出るようになった。
彼らの持つ病気のほとんどは、遺伝子を前もって操作していれば回避できるものだった。
しかし、家庭の事情で、だとか、宗教上の理由で、などと言って、それらの治療を受けない人間が増えていった。
彼らは皆青い顔をして、こけた頬を揺らしながら、必死に演技したり、笑いを取ろうとしたり、百メートルを走ったりする。
いつの間にか、一昔前はかわいそうと言われていたであろう人間に、俺たちは羨望のまなざしを送るようになっていた。
その必死な姿に、この時代に普通に生きていればほとんど見られないような悲劇に、まるで映画を見るような心境で感動するようになっていた。
そこからはもう、ほとんど一瞬だった。
健康税を搾り取られるだけで、医療の発展に大して貢献ができるわけでもない専門家以外の一般人は無価値な存在になった。
その一方で、豊かに暮らし、テレビの前では悲壮な人生を演出する、病人たちがヒーローになった。
一昔前は人気が凋落し、風前の灯といってよかったテレビ業界も、一気に持ち直した。
誰もが彼らに夢中になった。
アイドルグループは病人で構成され、治ったら卒業。
芸能人はよほどのことでないと病院に行かなくなった。
さっきのお笑い芸人Yの病気だって、もう五十年以上前に治療法が確立されている。
つまり、治そうと思えばいつだって、彼らの病気は治るわけだ。
しかし、俺のように健康だけが取り柄の人間になったところで何も得られない。
それどころか、テレビの世界で活躍できなくなり、補助金は打ち切られ、翌年から莫大な健康税を納めることになる。
人気は落ち、寄ってきた女には捨てられる。
他の芸能人からすれば、“ライバル一人減ったあ”というわけだ。
義眼のアイドルだって、今や生来のものと遜色のない、いや、むしろもっと便利といっても良いような義眼だってあるのに、「親への仕送りや寄付のためにお金がなくって買えません、私はこのアイちゃんと一緒に生きていきますっ!」などと言って旧式の義眼をはめている。
どいつもこいつも生き残りに必死、というわけだ。
俺はそんな世界にほとほと嫌気がさして、あーあ、と誰に言うでもなくうめきながら床に寝転がった。
ピロリロリン。
と、同時に端末にメッセージが届く。