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《勇者》 前編

 閉じていた瞳をそっと持ち上げた。

 入ってくる日の光に少し眩しさを感じる。

 あの初めての出会いから……今に至る。よくここまで私の気持ちが変わったものだと思う。最初の頃からは考えられない今。あの時の私が知ったら笑うのではないだろうか。

 さっきまで思い出していた内容に頬が緩むのが分かる。

 少しずつ近づいていった彼との距離。温かさ、嬉しさ、辛さ、戸惑い。沢山の感情を学んだ気がする。色々なものを知る事ができた五年間だった。

 あの食事会の後、彼は普通だった。変わりなく中庭に来て笑い合う事ができた。私の願い通りになってくれた。本当に良かった。

 ……でも、もう彼の家族について触れる事はしなかった。

 話してくれるようになった時は嬉しかったし、私は彼の辛さも知らずに、踏み込み過ぎて居たのかもしれない。

 ただ、気づけば彼とよく目が合うように感じた。

 きっと私が見過ぎていたのだと思う。もうすぐこんな近くでは会えなくなると思うと……勝手に目が彼を捉えてしまうから困っていた。

 気持ちを出すような事はしていないから気づいてはいない、はず。

 彼を視線で追うのは癖のようなもので……無意識な行動を止めるのはとても難しい事だった。

 でも、特に彼から抗議もなかったし、そのままにしていた。

 呆れていたのかもしれない。彼ならあり得る。

 そして私は、沢山楽しい思い出を作るように努めてきた。

 宣言していた通り、木に登ろうと誘ったら、意外にもするすると登るミンティスに驚いたのを覚えている。ちょっと偉そうな表情をしていたのが可笑しかった。

 それから、私もお昼寝をしてみたいと申し出て、木にもたれて一緒に眠った事もあった。

 雨の日には私の部屋へ行って、裁縫を触ってもらったりした。ミンティスは木登りは得意でも裁縫は苦手のようだった。だから今度は私が偉そうな顔をしてみた。 色々な思い出が蘇る。

 私は幸せ者だ。ミンティスのような《勇者》が居てくれて。例え本物でなくても私には本物だった。彼のおかげで、人を好きになる気持ちを知ることができたのだから。

 だから、私はミンティスにも幸せを感じてほしい。

 彼の望みを──叶えたい。



「クレシア」



 そう名を呼ばれ、もたれていた木から背を離す。

 もうこの声で呼ばれる事はなくなってしまう。だから呼んでくれたその声を刻み込むように、一つ大きく深呼吸をした。そして、声がした方へ笑顔を向けた。






 ──今日、私は十五の誕生日を迎える。






***






 ミンティスの掌に自分の手を乗せ、導かれる形で大広間へと続く廊下までやってくる。お父様から十四の時に頂いたドレスに、同じくミンティスからもらった首飾りをつけて。

 今日の彼の装いは普段のと変わらない。白い衣装に背の青い布。胸元につけた飾りが豪華になっている部分が、違っているところだった。

 あと、背が伸びた。前よりもずっと。もう顔を上げないと目線が合わない。

 そんな彼が何故か誇らしくて、嬉しさから声に出して笑ってしまっていた。

「どうかしたか?」

 小声で私に問いかけてくる。

 そうだ、そろそろ人の居る所へ出る。こうやって気兼ねなく話せるのは最後かもしれない。

 改めてそれを考えてしまうと、胸に小さな痛みが走る。

 けれど私はもう惑わされない。今日という日を楽しむ事に決めているから。

「ミンティス、背が伸びたなぁって思って……」

 素直に告げる。彼は一瞬言葉を呑むと小さく息を吐き、私から視線を逸らした。

「全く、姫様の考える事は分からない」

 呆れられてしまったようだ。

 それすら面白くて私の笑顔は収まりそうになかった。

 ……逆に良かったのかもしれない。作らなくても自然に笑えるのだから。

 覚えておこう。彼の手の温かさや、今までくれた言葉や、過ごした日々を。

 それが辛いと以前は思っていた。今もそれは変わらない。でも忘れてしまう事の方が辛いと思えたから……私は覚えていられる。

 乗せた自分の手に力を少し入れて、彼の手を握った。

 驚いたように再び私の方へ視線を向けるミンティス。私は変わらず笑顔だ。

 色々な想いを乗せた私の指先だった。それに応えるよう、彼も笑って私の手をそっと握り返してくれた。

 それだけで十分だった。確かにこの存在、この関係はあったのだと少しでも覚えててくれたらそれでいいのだから。

「君も……綺麗になったな」

 小さく呟かれた言葉に目を見開いた。驚いた面持ちでミンティスを見ていると、再び顔を私から外して軽く咳き込んだ。

 ……照れて、いる……?

 私の頬が熱くなるのを感じた。久しく忘れていた感情を思い出す。こんな言葉は久々に聞いた。

 蓋をしたはずの自分の気持ち。

 けれど、こんなにもまだあなたは私の心の中に居る。それを再認識した。

 空いている手で自分の頬へ手を添え、少しでも赤みを抑えようと努力しながら、大広間の扉の前までたどり着いてしまった。

 ここは彼と出会った場所だ。その場所で、最後になる。ある意味運命、そう思った。

 扉の前に立っていた二人の使用人が私達を見て、頭を深く下げる。

 そうして互いに扉を握り重厚な音を響かせ、その扉の左右が大きく開かれた。その先には音楽、光、笑い声、沢山の音があった。

 何度も見てきた自分の祝いの席。だが、今日は盛大な気がする。それもそのはず。十五は成人となる節目だからだ。いつもは城内の者だけで祝っていた誕生の日。だが今回は招待状を出し、街の者を呼んでいると聞いている。

 圧倒されるような人々の気配に少し戸惑う。でも、手を引く彼は躊躇う事無く力強く足を進めた。引かれるよう私も後を追う。

 その瞬間、人々の視線が私と彼に注がれる形となった。

 人々の会話が止まったからだろう、鳴っていた音楽が大きくなったような気がした。そして歩みを進めると共に、周囲から口々に祝いの言葉が上がる。

 私は笑顔で片手を挙げてそれに応えた。

 沢山の人からのお祝いの言葉。知らない人がほとんどだ。それでも微笑みと共に投げかけられる言葉は嬉しかった。

 その中でも握られた彼からの手の温もりは変わらなくて、私の行動に合わせて優しく手を引いてくれた。

 気遣われているのがとてもよく分かる。ミンティスの温かい部分だ。

 私は彼を見上げた。するとその青い瞳と視線がかち合う。

 ……覚えておこう、この瞳の色も。彼の瞳に映る私の姿も。

 精一杯の感謝を込めて私は彼に微笑んだ。

「……っ」

 一瞬驚いたような顔をしたミンティスは私から視線を外して、前を見据えた。

 あら、この反応はさっきと同じ……? 照れているのかしら。

 そうは思えても何に照れているのかまでは理解できなくて、少し首を傾げながら相変わらず引かれる手についていく。その歩みは玉座の前に立つお父様とお母様の前で止まった。

 私達はようやく繋いでいた手を離す。

 ミンティスはその場で片膝をつき、恭しく頭を下げた。私もその場で軽く膝を曲げ、二人に挨拶をする。

「十五の誕生日、おめでとう、クレシア」

 優しさを含んだお父様の声。

「ありがとうございます。このような素敵な祝いの席、本当に嬉しいです」

 周囲を見回して心から告げた。

 それを聞いたお父様とお母様も笑顔で頷いてくれた。

 するとお母様が手招きをしたので、私は疑問に思いながら数歩近づく。

「どうかしましたか?」

「ふふ、私達からのお祝いよ」

 楽しげな笑みと共に、隣の使用人へと目配せをしたお母様。運ばれてきたのは小さなティアラだった。綺麗な細工が施されていたが、華美ではなく可愛らしいという表現の似合うものだった。

 それを手に取ったお母様は私の頭上へと贈ってくれた。

 乗せられてしまうと自分ではどのようになっているのか分からなくて少し居心地が悪い。

「まぁ、とても似合うわ」

 お母様は両手を胸の前で合わせとても嬉しそうに告げてくれた。

 隣のお父様も満足げに頷いてくれている。

 ……どうやら変ではないらしい。

 もう一人気になる反応がある。私は後ろを振り返った。そこには頭を垂れたままのミンティスの姿。

 彼はなんと言ってくれるのだろう。

 きゅっと胸が締め付けられる。気づいた時には声をかけていた。

「ミンティス……どう、ですか?」

 名を呼ばれた彼はそっと顔を上げた。見上げてくる青い瞳を真っ直ぐ受ける。

 この情景を私は知っている。初めて出会った時と同じだ。同じ場所で、同じような立ち位置で、同じ格好で──重なる。

 しばらく私を見ていた彼は、ふとその口元に微笑みを浮かべた。

「とても似合っています。更に愛らしさが増しましたね」

「あっ……ありがとう、ございます」

 彼のその言葉だけで胸が速く脈打つのを感じる。

 幸せという感情が身体に染み渡る。お世辞でも構わない。彼の言葉がこんなにも嬉しい。

 自然と赤くなってしまう頬を隠そうと彼に背を向けた。

 こんな態度を取りたいわけではない。最後なんだからもっとミンティスを見ていたいのに、胸が煩くてそれどころではなかった。

 ちらりと彼へもう一度視線を向けると不思議そうな眼差しを私に向けていた。

 ……そうよね、可笑しく思っているわよね。

 私がどう対応をしようかと考えている時、お父様がミンティスへ声を掛けた。

「《勇者》よ。立つが良い。私達の事よりも我が娘についてやってくれ」

「かしこまりました」

 その言葉と共に立ち上がる気配を感じる。そしてゆっくりと私に近づく足音。

 そろそろ、例の目的を果たす時が来たのかしら。

 薄く瞳を閉じて気付かれないように深呼吸をした。

「クレシア様」

 優しく呼ばれる名前。ようやく収まってきた頬を感じつつ意を決して振り返る。そこには自然な微笑みを携えたミンティスが居て、さっきと同じように片手を差し出してきていた。

 私は何も言わず、その掌を取る。するとそのまま料理の並ぶテーブルへと連れて行かれてしまった。

 ……どうしたのかしら。傍に居てくれて嬉しいのは確かなのだけれど。

 ミンティスの目的は、ここで《勇者》を辞める事を両親に告げる事のはず。元々そのような約束だった。先ほどの挨拶の場はそれを告げやすかったと思うのだが……。

 彼の横顔を伺い見ても、その心は読む事ができなくてますます不思議だった。

 さっきの場で言われる事を覚悟していたのに、私の緊張が無駄になってしまった。まだ言う機会ではないということだろうか?

「私の顔に何かついていますか?」

 問われて初めてミンティスが私の方へ顔を向けていたのに気づいた。

 ああ、またやってしまったわ。

「い、いえ! なんでもありません」

 慌てて目の前の料理へと視線を落とす。

 どうして言わないのか、なんて質問できるわけがなかった。私から別れを早めるような事はしたくなかったし、周囲に変に思われてしまうだろう。これはミンティスから切り出すのが一番良いのだから。

 彼なりの機会を伺っていると自己完結して、私はその場を楽しむ事にした。

 ……でもいつ言われるのかが分からなくて始終落ち着かなかった。

 ミンティスが何か話す度に注目してしまって、何度か彼に笑われてしまうし……。元はといえばあなたのせいなのに、と言いたかったけれど言えない。

 隣のミンティスは楽しそうに笑ってて、このままずっとこの関係が続くのではないかという錯覚までしてしまいそうだった。

 いや、彼の望みは自由なのだから、いつまでもこのままで良いはずがない。どの機会で言うのかくらいは聞く権利はあるだろう。

 私は自分に気合を入れるように一つ頷くと、飲み物を両手に持ったままミンティスとの距離をさり気なく縮める。

「……あの、ミンティス。例の事は……?」

 小声で隣の彼にのみ届くように、濁すような問い掛けをする。

 きっとこれで分かってくれるはずだ。

 でも、彼からの返答が無い。意味が分からなかっただろうか。

 更に付け加えようと口を開いたところで、私と同じ小声で返答があった。

「クレシア。実は、その事なんだが──」



「皆の者! 本日は知らせたい事がある!」



 ミンティスの言葉に被せるように大きな声が響き渡った。驚いて私達は振り返る。そこに居たのは玉座の前で朗々と声を発するお父様だった。

 いきなりの事で広間内の音という音が途切れた。会話する者、和やかな音楽を流す者、料理を運ぶ者、全てが動きを止める。

 玉座のお父様へ視線が集中していた。

 ……なんだろう? 特に何かを発表するという事は聞いていない。

 ミンティスへ尋ねるような視線を向けたが、彼も小さく首を横に振る。

 その様子からますます分からなくなってしまって、お父様へ視線を戻した。

 先ほどの挨拶した時とは違って少し厳しい表情のお父様。その様子に何故か嫌な予感が胸を駆け抜けた。グラスを持つ両手に力が入ってしまう。

 お父様は周囲の視線を一心に受けながら凛と佇んでいる。

 その姿は政務に赴く時のお父様だった。いえ、お父様ではない。王としての姿。

 あまり見る事がないその姿に気がついたら息を詰めていた。ますます不安な気持ちが胸を支配してくる。

 すると父はゆっくりと広間内に集まった人達を見回して、私達の姿を捉え視線を止めた。真っ直ぐとした瞳に射抜かれる。

「っ……」

 向けられた事の無い厳しい眼差しに、思わず肩が跳ねてしまった。でもその瞳は僅かにズレている。私を見ているのではない。その隣……?

 私はゆっくりと隣のミンティスを視界に映す。彼の顔も緊張に固まっていた。

「《勇者》よ。こちらへ」

 静かだが有無を言わせぬ響きの声。やはり、見ていたのは彼だったのだ。

 私はその状況に心が不安一色になり、ミンティスに声をかけようとした。でも彼は片手でそれを制すと迷い無く足を進めた。振り返らず、真っ直ぐに父の元まで歩んでいく。

 ……どうしたというのだろうか。少し前の挨拶ではあんなに笑顔だったのに。

 お父様の隣に立つお母様は瞳を伏せ、表情には何も表していなかった。これが王と王妃なのだと理解して、緊張に喉が鳴るのを感じた。

 お父様の前に再び片膝をつくミンティスの姿がある。しかしその挨拶は私の誕生祝いをもらった時よりも遥かに重々しかった。その空気に誰も何も動けない。

 私の位置からだと斜めになっているせいで、ミンティスの表情が伺い見れない。背中の青い布が垂れ下がっている様がよく見える。

 その代わり、その彼を見下ろすお父様の表情はよく見えた。

 足元のミンティスに冷えた視線を向けるお父様は一度その視界を閉ざした後、顔と瞳を上げ、周囲の人々とミンティスに対し高らかに宣言する。

「ミンティス・アーウェル。本日をもち──我が姫の《勇者》の任を解く!」



 !!



 驚きに持っていたグラスを落としそうになり、慌てて掴み直す。

 今まで静かだった広間にざわつきが広がっていく。

 いきなりのお父様の宣言に、理解が追いついていないことを感じる。

 《勇者》を解くと言った。そのような話は一度も聞いていない。一体どうしてその流れになったのだろうか。

 私なりに考えて思い当たるのが、数日前の食事会だった。

 確かにあそこでミンティスは意見をした。けれどお父様は特に怒る事もなくて、意思を尊重しようという姿勢を見せてくれていたはずだ。

 ……いいえ、それともあれ自体が演技で、本当はすごく怒っていた……?

 でも、そうであれば私の承諾も得ようと話してくれるはずだわ。けれど私は何も聞いていない。それは一体どういう事?

 頭が混乱でいっぱいになっていく。表情の見えないミンティスの背に私は視線を向ける事しかできなかった。

 彼はまだ何も言葉を返していないし、動きを見せる事もしていない。

 と、そこまで思って気がついた。これは彼の希望に叶った展開だということに。

 元々辞退を申し出ようとしていたはずだ。しかしお父様が宣言をなさった以上、誰が何を言うまでもなくミンティスの望みは叶うのだ。

 私が制止をする余地もないだろう。普段の父とは違って、私に意見を聞こうとする素振りがない。これはもう決定事項なのだ。

 それに、私には制する意味がない。元々私も承諾するつもりだったのだし、これも彼の希望の展開に叶っている。

 こんな形で訪れるとは思わなかった……。

 唇をきゅっと噛み締めた。

 先ほどまでの優しい笑顔が、今は傍にない。これで最後なのだ。

 あとはミンティスが了承の意を示せばそれで終わり。もちろん、彼にも否定をする余地はないし、する意味もない。

 これで、全てお終い。

 私は俯いて固く瞳を閉じた。

 どれくらいの静寂が続いたか……ようやくミンティスが口を開いた。

「……理由を、お聞かせ願えますか」

 ! ミンティス……!?

 予想外の言葉に弾かれたように顔を上げて彼の背中を見る。

 承諾の意ではなかった。私の頭が一気に混乱してくる。どうして今承諾をしなかったのか、理由を考えても何も思いつかない。

 彼の言葉を受けたお父様は再び視線を下に向けると、細めた眼差しで彼を捉えた。

「ほう……分からぬか?」

 冷たい言葉と視線に私は呼吸が止まるかと思った。私の知らないお父様の姿に少し怖くなってしまった。震えそうな手をグラスごと胸に寄せて抑える。

「お前は先日、我が娘は好みではない、そう申したな?」

 ミンティスは沈黙している。沈黙は肯定とみなされる。

 やはり、そのことなのだろうか。

「まぁ、そのような些細な事はどうでもよいのだ。……ミンティスよ、《勇者》とは何か?」

 私の考えが即否定され、新たな質問が彼に投げかけられる。

 お父様の考えている事も分からなくて、私はその光景を見守る事しかできなかった。

「《勇者》とは、ただ一人の主に尽くし、共にあり、お守りし、常に主の味方である者にございます」

 迷いなく言い切るミンティス。私も幾度となく聞かされた内容だ。

 お父様はその答えに深く頷き、尚も冷えた眼差しのまま言葉を紡いだ。

「お前が仕えていたのはクレシアだ。そのクレシアを悲しませるような者は《勇者》として相応しくないと判断した」

「っ!」

 どくんと胸がひどく波打つ。

 否定をしようと口を開きかけ、慌てて口を閉じた。違う、否定は要らないのだ。このまま《勇者》を辞められるのなら良いはずなのだから。

 でも、ならどうしてミンティスは承諾をしないのだろう。いきなりのことで、理由を知りたいと、そう思ったからだろうか。

 お父様に否定をしてしまいそうな自分が怖い。懸命に唇を引き結んだ。

 また沈黙をしたミンティスにお父様は追い打ちをかける。

「──苦しそうに泣いていたのだ。そのような辛い姿、私は見たくない」

「! 泣いて……?」

 そこで初めてミンティスが驚きの声音になり、垂れていた顔を上げた。

 私は瞳を見開く。

 泣いて、いた……? 私が周囲を顧みずに泣いたのはあの一回だけだったはず。数ヶ月前のお兄様の話題の事で少し言い合いになってしまったあの時。嫌われてしまったかと思って、泣いてしまった。

 でもあの事は周囲に誰も居なくて、私しか居なくて、お父様の耳に入るはずは……。

 そこまで思ってふと、一人の人物が頭を掠めた。

 淡い金髪の翡翠の瞳を持つ──レティウスさん。

 いえ、でも彼がその事をお父様に伝えるなんて、あるわけがない。伝える意味がないもの。でも、それではどうしてお父様はご存知で……。

 お父様とミンティスの様子を視界に捉えながら、一生懸命思考を回転させた。けれど、たどり着くのは“分からない”というなんとも情けない答え。

 歯がゆさに視線を落としかけた時だった。

「姫の涙さえ知らないとは……本当に《勇者》失格だな」

 お父様のものでも、ミンティスのものでもない声が広間に響く。

 私はこの声を聞いたことがある。これは、この声は、やはり──!

 澄んだ靴の音を響かせ、ある人の群れの一角から前に進み出て来たのは私が先ほど思い出した人物。

「レティウス」

 お父様の言葉に、名を呼ばれたその長身の男性は優雅に一礼をした後、膝を着いた状態のミンティスへと身体を向ける。

「……久しいな、ミンティス」

「あに、うえ……?」



 ──え?



 呆然と呟かれたミンティスの言葉に、自分の耳を疑った。



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