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出会い

 穏やかな風の吹く中庭。お気に入りの木の側に座り、揺れる木の葉の音を聞いていると、ふと昔の記憶が呼び起こされた。

 そう、あの時もこんな風の吹く中で、彼を話をした。

 今でも思い出す。初めて彼と出会った日の事を……。

 



***




 十歳の誕生日を迎える日、大広間に呼ばれた。

 お父様とお母様が色々な人に出会う場所。お城の外から着た人達が来る場所。だからこんなに大きい。

 でも、私がそこへ呼ばれる事は少なくて、今日はどうして呼ばれたのかが分からなかった。

「クレシア、こちらへおいで」

 優しいお父様の声。笑顔で私を手招きしてくれている。

 小さく頷き、長い服の先を踏まないよう気をつけてお父様とお母様の座る場所へと進む。

 高い位置につけられた窓から日の光が差し込み、大広間はとても明るかった。

 私が歩く中央の道の脇には剣を携えた兵士がずらりと並んでいる。

 初めて見るその情景が少し怖くてあまり見ないように、一生懸命お父様達の方へ急いだ。

「お誕生日おめでとう、クレシア」

 傍まで来るとお母様が暖かく微笑んでそう言ってくれた。茶色に近いブロンドの長い髪が揺れる。

「ありがとうございます、お母様」

 その笑顔が嬉しくて、私も自然と笑って返していた。

「元気に育ってくれて私たちも嬉しいよ」

 隣の席に座るお父様も微笑んでくれている。お母様とは違って濃い茶色の髪に、同じ色のおヒゲを生やしていた。

 厳しそうに感じるけれど、全然怖くない、優しいお父様。

 そのお父様にも言葉を返そうと口を開きかけたけど、先にお父様が続けた。

「今日はそんなお前に会わせたい者がいるんだ」

 ……私に?

 いきなりそんなことを言われて驚いてしまった。思わず目を見開いてしまう。

「クレシア、《勇者》の話はしたわね?」

 そっとお母様が私の手を握ってきた。椅子に座るお母様を見上げる。

 長い新緑のドレスに身を包むお母様は、本当に綺麗だった。

 そんなお母様に言われて、数年前から時々聞かされていた話が呼び起こされた。



 《勇者》というのは私達のような王族の者に専属で就く守護者の総称。

 王家の者は十歳の誕生日を迎えると同時に、《勇者》が傍につく。

 守護者と言ってもただ主人を守るだけではなく、深い存在だと聞いた。

 良き話し相手、相談相手、孤独に苛まれないよう、常に主人の味方であり続ける存在。

 その為《勇者》になるのは自分と同年代の者が選ばれるのだ、と。



 そうか、私も十歳だから《勇者》を賜る日が来たのかと今気づいた。

 頷いてお母様に返事をすると暖かな笑顔を更に深くしてくれた。

 そしてその顔が少し上がり私の後ろを見る。さっき私が入ってきた正面の扉の方だった。

 私もそれに倣って後ろを振り返ると、開いた扉から小さな人影が入ってきた。

「……」

 思わず言葉を飲み込んだ。

 聞かされていた《勇者》。私の《勇者》になってくれる人に違いない。

 どんな人なんだろう……?

 すごく興味が沸いた。今になってどきどきと緊張してきてしまった。

 お母様が私の手を離してくれたので、両手を自分の胸元へと添えた。ちょっと心音が速い気がした。

「姫に会わせよう。さぁ、前へ。──《勇者》よ」

 お父様の凛とした声が広間に響く。

 その言葉に私は胸元の手をぎゅっと握った。

 扉の前に居たその影はゆっくりと、靴音を鳴らして近づいてくる。

 それを見て、失礼にあたらないように振り返る形で止まっていた自分の身体を、向き直らせた。

 一歩ずつ歩いてくるその影に、私の胸の期待が次第に膨らんでいく。

 キラリと何かが輝いた気がして思わず瞳を少し伏せた。でもすぐにその正体に気づいた。

 広間に入る光に反射したのは輝く金色の髪。大きく中央で分けたその輝く髪は肩くらいまでの長さだった。

 歩く度にさらさらと光を零しながら揺れるその髪のせいで、まるで幻想の世界みたいな感じがした。だからじっと見てしまっていた。

 私もお母様ゆずりの髪色に、背まで伸ばした長さだったけど、私の色とは違って、本当に金色という表現が相応しかった。

 その姿は徐々に私達へ近づいて来て、一定距離まで来ると立ち止まる。

「──男の子?」

 驚いた。あまりにも綺麗な髪色だったから女の子かと思った。

 近くに来た事でようやく判別がついた。

 白を基調とした服に、肩には豪華な飾りがついていて、正式な場に出る為の物なのだと分かる。

 そんな中で背につけた青い色のマントが映えていた。こちらを真っ直ぐ見つめてくる瞳と同じ色をしていた。

 整った顔立ちに思わず視線を下へ逸らしてしまった。

 ……綺麗過ぎて、見ていられなかった。

 それを合図とするように、目の前のその子が片膝を折るのが見えた。

 そっと視線を彼へ戻せば、恭しく頭を下げる姿が目に入る。

「初めまして。私の名はミンティス・アーウェル。代々、あなた様の王家に仕えてきた一族の者でございます」

「っ……」

 思わず息を呑んだ。ミンティスと名乗ったその男の子はとても響きのある声だった。

 高くも低くもなくて、よく通る声。広間に響き渡るその声が、空気の波紋を作っているように感じる。

 どうしよう、胸がさっきより速くなっているみたいで苦しく感じる。

「さぁ、クレシア。お前も挨拶なさい」

 硬直して動けない私にかけられたのはお父様の声。

 はっとそっちを見るとお父様もお母様も笑顔で私の方を見ていた。

 そうだった、固まっている場合ではなかった。

 一つ息を吐き出すと気持ちを落ち着けて背筋を伸ばした。それを保ったまま歩みを進め、彼の直線上──正面へと立つ。

 淡いピンク色のお気に入りのドレス。その左右を掴んで持ち上げ軽く頭を下げてから口を開いた。

「ティーリウス王家第一王女、クレシア・フェル・ティーリウスと申します。城まで出向いて下さり、感謝致します」

「……クレシア様」

 !

 彼の声が初めて私の名前を読んだ。それだけなのに、さっき落ち着けた胸がまた苦しくなった気がして、思わずお辞儀の体制を崩してしまった。

 お辞儀の為下げていた顔を上げてしまい、彼の瞳とかち合った。

 意志の強そうな瞳。いつの間に彼も顔をあげていたんだろう。瞳から目を逸らせない。吸い込まれそうだった。

 すると彼、ミンティスはふわりと柔らかく笑ってくれた。

「素敵なお名前ですね。クレシア様の《勇者》となる事ができ、とても嬉しく思います」

「あ、ありがとう……ございます……」

 頬が熱くなるのが分かった。こんなことを言われた事がなくて、どうしたらいいか分からなくて、思わず俯く。

 絞り出したお礼の言葉だけで精一杯だった。

 なんて言葉をかけようか色々考えて、体の前で合わせた手を動かしていると、彼の立ち上がる気配がする。

 弾かれるように彼を見た。そこには更に近くなったミンティスの姿。

 あ、背が高い……。

 私は彼よりも少し高い台座の上に乗っているんだけど、それでも身長が私と同じくらいになっている。

 そんなことを思わず考えてしまった。だから反応が遅れたんだと思う。

「これからは、私をどうぞお傍に……。可愛らしいクレシア様」

 流れるような動作で私の右手を掬い上げ、少し背を屈めたミンティスはその手の甲へ唇を触れさせた。



 え……?



 顔が今まで以上に赤くなっていくのが自分でも分かる。

 初めての行為にどうしていいか分からなくて、左手を口元に当て少し身体を引いてしまった。

 背を伸ばした彼は未だに笑顔だった。

 ど、どうして笑えるんだろう……。私はこんないっぱいいっぱいだっていうのに……!

 それを思うと恥ずかしくなってきて、彼に持たれていた手を素早く引き、慌ててお母様の座る椅子の後ろに身体を隠した。

 そこからそっと顔を出してミンティスの様子を伺う。

 私の行動に驚いたように目を瞬かせる彼。

 しばらくその状態で止まっていたのに、今度は微笑みではなく、軽く声に出して笑っていた。

 その姿は年相応の、さっきまでの大人びた雰囲気とは違ってて──可愛かった。

 目を瞬かせてその姿を見ていた。

 そうか、ミンティスは私と同年代なんだ。だから怖がる必要も恥ずかしがる必要もなくて……。

 改めてそれに気付かされた。王家として、そこに仕える者として、必要な礼儀作法がある。私も例外ではなかったし、きっと彼もずっとそれを教わってきたんだとようやく思い至った。

 もしかしたら緊張していたのは私だけではないのかもしれない。

 そう思うと胸の苦しさが少し引いた気がして、そろりと隠れていた椅子から身体を出して一歩進み出る。

 その靴音に気づいたらしいミンティスは無邪気な笑顔を消して、またさっきの大人びた微笑みを口元に浮かべていた。

 私も、しっかりと挨拶しないと。これから私の傍に居てくれる《勇者》なんだから。

 まだ少し頬が熱いのを感じながら、私も精一杯の笑顔を浮かべた。

「こちらこそ、これからよろしくお願い致します。──ミンティス」

「!」

 そこで初めてミンティスの表情が驚きのものへと変わる。仕返しができたみたいで嬉しくて、小さく声に出して笑った。

 それを聞いて彼はそっと肩から力を抜く。持ち直したらしく微笑み左手差し出してきた。

「有り難き幸せでございます。お手をどうぞ、クレシア様」

 差し出された掌と彼の顔を見比べてから、さっき取ってしまった距離を埋めるように歩き、傍まで来てから自分の右手をそこへ乗せた。私と同じくらいの手が、私を包もうと軽く力が込められる。

 ……やっぱり、恥ずかしいかも……。

 自分とは違う体温。それがこんなに近くにある事に胸の苦しさが再び私に襲った。

「クレシア、城内を案内して差し上げなさい。それがあなたの最初のお仕事よ」

 後ろから聞こえたお母様の声に振り向く。お父様もその隣で嬉しそうに頷いていた。

 そうか……これからお城へ来ることが増えるのなら、色々伝えないといけないのか。

「はい、分かりました」

 自分のやるべき事が分かり、二人にそれだけ声を返して真正面の彼を見た。

 ミンティス……私の《勇者》。

 改めてそれを思うと、胸には苦しさだけじゃなく温かさも広がっていく気がしてくすぐったかった。

 彼にそっと手を引かれ、導かれるよう台座から足を下ろし同じ場所へ足をつく。そうすると、やっぱりミンティスを見上げる形になった。

「参りましょうか、クレシア様」

「……はい」

 不思議と笑えた。隣のミンティスがずっと柔らかい笑みを浮かべてくれていたからかもしれない。

 二人で手を繋ぎ、急がずゆったりとした足並みで大広間を後にした。

 後ろで扉の閉まる音が聞こえ、周囲は私達だけになった。城内に使用人は居るけど、今この廊下には見当たらない。だから、本当に二人。

 しばらく何も話さず真っ直ぐに伸びたその通路を歩き続ける。

 庭の見える開けた廊下。外の風がそっと吹き抜けて私の髪、ミンティスの輝く金色、醒めるような青の布を揺らす。

 その風に誘われて、何気なく隣の彼を盗み見ると、笑顔が消えていた。

 ……? さっきまですごく笑っていたのにどうしたのかしら……?

 疑問に思ってしまい首を傾げた。その私の視線に気づいたらしい彼が私を見た。と、大きく息を吐き出す。

「手、放してもいいか?」

「え……」

 さっきとは全く違う言葉遣いに、声のトーン。別人だろうかと思う変わりようだった。

 いきなりのことで頭がついていかず、目を瞬かせて呆けたように彼を見返す。

 そんな彼もジッと冷めたような瞳で少し背の低い私を見下ろしていた。

 ちょっと怖くなって、私は微かな温もりで繋がっていたその手を慌てて退ける。

 ミンティスは離れたその手を一度見た後、両手を高く上げて伸びをした。

「あー堅苦しかった。ああいう場所苦手なんだよなぁ」

 思わず自分の耳を疑った。さっきの言葉は彼から発せられたんだろうか……。

 目を瞬かせながらその姿を見守ると、近くにあった柱へ近づきもたれ掛かる。腰に片手を当て、やる気の無さそうな表情で周囲を見回している。

 え、えーと……。

 なんて言葉をかけたら良いかが分からず、彼を見ているしかできなかった。

 さっきまで温かかった自分の右手を左手でそっと包み込む。

 と、ようやく彼の青い瞳が私を見た。小さく胸が鳴る。

「俺、あんたの《勇者》やらねぇから」



 ──え?



 彼が何を言ったかすぐに理解ができなかった。

 えっと、さっきまで微笑んでて、《勇者》としての挨拶をしてくれて……お城の案内をしなくちゃって……。

 あれ……?

 ぐるぐると色んな考えが頭を巡って、よく分からなくて……風に乗って揺れる髪を抑え、戸惑いつつも笑みを浮かべてみた。

 私が笑ったらまた笑ってくれるんじゃないかって思った。もう一度、さっきみたいな優しい微笑みを。

 でも、そんな事はなくて呆れたような大きな溜め息をつかれる。反射的に身体がびくついてしまった。

「……俺、王族や貴族って嫌いなんだ。どいつもこいつも他人の顔色伺ってさ。嘘も平気でつくし……」

 “きらい”その一言が胸に刺さる。

 どうしよう。ミンティスはどうしたんだろう。さっきまでの優しい彼はどこにいったんだろう。

 私の《勇者》になってくれて、優しく手を引いてくれた彼は……?

 両手が震えるのをぎゅっと握って堪えた。胸が今までにないくらい苦しくて痛い。さっきまでの苦しさと全然違う。

「ほら、そうやってすぐ泣く」

「っ!」

 彼の言葉で、熱くなった瞳から涙が零れそうになっているのが分かった。

 なんだかすごく恥ずかしくて顔を赤くして、ミンティスに背を向けた。彼に、涙を見られるのがすごく嫌だった。

「王と王妃だって、あんな優しい顔して、何考えてるか──」

「お父様とお母様の事、悪く言わないで!」

 気づいた時にはきつく声を出していた。

 私のお父様とお母様は本当に優しくて、ずっと私の事を考えててくれる。そんな二人を悪く言われて我慢できなかった。

 零れそうだった涙を手で拭き取り、彼を振り返る。力を込めて見据えた。

 私の強い視線を受けても、ミンティスは特に表情を変えず私を見てくる。

 ようやく冷静になってきた。そうなんだ、ミンティスはこっちが本当でさっきのは嘘だったんだ。

「それなら、どうして今日ここに来たの。《勇者》は嫌なんでしょう?」

 気を抜けば震えてしまいそうになる声を、一生懸命堪えて聞いた。

 そうよ、王族や貴族が嫌ならこんな所に来なければいい。

 ミンティスは何も答えない。

 私はくじけそうになる気持ちを奮い立たせてじっと彼を見つめ続けた。

 何か答えが聞きたいと真っ直ぐ見据える。

 すると、また溜め息。そのまま私から視線を逸らして。

「……別に、単なる気まぐれ」

「ッ!!」

 怒りが込み上げた。

 確かに勝手に《勇者》を期待してしまったのは私。優しい彼に嬉しくて、これからの事に期待したのも私。

 でも、それでも……彼の動作に一喜一憂していた私の気持ちまで、気まぐれから生まれた産物だと、そう言われた事が許せなかった。

「分かりました!」

 大きな声でそれだけ告げて、私は今一度彼に背を向け、歩き出す。さっきまで居た大広間に向かって。

「どこ行くんだよ」

「お父様とお母様のところです。《勇者》を破棄してもらいに──」



 がしっ。



 腕が掴まれた。強く掴まれて痛い。顔を上げると少し怖い顔をしたミンティスが居た。

 でも、私も怯まない。訳の分からない理由では引き下がれない。

「離してくださいっ!」

 振り払おうと腕を振っても、彼の手は離れてくれない。それどころか更に強く掴まれて顔を歪める結果になってしまった。

 唇を噛み締めて自分にできる限りの険しい表情で見返した。

「では、理由を教えてくれますか」

「……」

 また無言のミンティス。

 いや、少し違う。瞳が少し揺れ僅かに私から視線が逸らされる。さっきと同じだ。

 言いにくい事なんだろうか。……いや、でも私も失礼な事をされたのだから、引いてはいけない。

 どちらも何も言わずそのままで時が流れ、風がそっと吹き抜け再び彼の青い布を揺らす。

 腕を掴まれていた力が弱まっていくのを感じてそちらへ視線を向ける。

「言えば……協力してくれるのか?」

「協力……?」

 答えになっていないどころか、質問で返されて思わず眉を寄せる。

「まぁ、本音を言えばあんたの協力とか嫌なんだけどさ、そうでもしなきゃ無理だし」

「……っ」

 また、私の怒りを煽る一言。思わず開きかけた口を閉じる。ようやく話してくれそうになったんだから、聞かなくては……。

 私は言葉を返したいのを我慢して小さく頷く。

 それを目にしてようやく私の腕が離された。僅かに痛む掴まれていた部分をもう片方の手で覆う。

「誰にも言うなよ」

 厳しい彼の瞳に圧倒され、私は小さく頷く。

 彼は当たりを少し見回してからそっと小さな声で告げた。

「──家を出る為だ」



 ……!



 私は目を見開いた。

 どういう、こと……?

 理由と行動がよくわからなくて頭を回転させていると、ミンティスは更に続けて説明をしてくれた。

 それでも、私には理解しがたい事だった……。




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