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噂話3

 家に帰ると同居人が死んでいた。

 いや生きてはいたが、一瞬死体と見紛ったのは本当だ。殺伐とした話をしたばかりなので、あっさりと友人の死亡を受け入れそうになってしまった。

 おっかなびっくり近寄って、マストはその胸が規則正しく上下しているのを確認する。玄関に入って数歩もしない場所に倒れていたのは、年の頃は十代半ばほどの、くせのある栗色の髪をした美男子だ。まだ幼さの残る顔を床にぺたりと付け、幸せそうにうつぶせで眠っていた。

「…………」

 マストはため息を吐きつつ歩み寄ると、ためらいなくその脇腹に蹴りを入れる。

「ふぎゃっ!」

 尻尾を踏まれた猫のような声を上げ、少年が跳ね起きた。転がるように隅まで移動し、獣が威嚇する姿勢でぴたりと止まる。床のあとがついた顔を迷惑そうにしかめ、恨みがましそうに、安眠を妨害した相手を睨め付けた。

「ちょ……いきなり蹴るとかひどいっすよ鬼畜っすか?」

「君が声を掛けたくらいで起きる相手なら、僕だって他の手段を取るよ。グランセン」

 栗色の髪の少年……グランセンは涙目で抗議の視線を送るが、マストは肩をすくめて受け流す。

「どこでも熟睡できるのは傭兵として取り柄だろうけど、とりあえず廊下は塞がないでくれ。通れない」


「いやー、おいらここ数日まともに寝てなかったっすからね。家にたどり着いたら安心してぶっ倒れたんすわマジで気失いましたわー。いや聞いてくださいよ師匠の人使いの荒さといったらひどいんすよ。扱いが傭兵時代のまんまっすもんつまり下っ端時代再来って冗談じゃないっすよ。そんで報酬がこの携帯保存食だけってちょっとヤバくないっすか。あの人これを好きでみんな食べてたと思ってるんすよ。何が悲しくて街中で保存食なんか喰わなきゃならないんすか。どうせ飯ならせめて、その辺の酒場でうまい料理でも奢ってくれりゃいいのに。そういうとこズレてるっていうかなんというか。しかもコレわざわざ師匠の手作りなんすよ。御自らの手作りなんすよ。下手なくせにバカすかアホすか。これで師匠が美人じゃなかったら、マジでおいらたち見廻り組は暴動もんっすよ」

 居間に置いてあったサロウドの干し肉を勝手に囓りながら、グランセンはひたすら文句を並べ立てる。どうやら久しぶりに元団長にこき使われたらしく、相当お疲れかつお冠らしい。

 なぜか聞き手として卓についていたマストは、(どうせ内容がないのは分かりきっているので)話を聞き流しながらくだんの保存食を囓ってみた。

 なるほどたしかにおいしくはない。固くてぱさぱさして、塩味が濃く、少し変な臭いがする。そして原材料が何なのかまったく判別できない。

 マストは水を口に含み、難しいことを考えるような顔で飲み下した。

「アリシア様も大変だ」

 そして、その保存食を手ずから作った女性を思い出し、そうつぶやく。

 アリシアの話では、夜の見回りは町の治安向上だけが目的ではない。戦争が終わってまだ職にありつけていない昔の仲間に、それとなく食い扶持の紹介をするのも目論見の一つなのだ……と、先ほど会ったときに聞いていた。

『ですがその前に、グランセンは性根の叩き直しが必要です』

 そう苦笑していた美貌の女性を思い浮かべれば、ため息も出ようというものである。

「あ、やっぱマスト兄ぃもそういう顔になるっすよね。まずいっすもんねそれ。まったく女なんだからせめてこう、もっと色気のあるもの作れっていうんですよ。保存食て。ここはどこすか? こんな陰気くさくっても都すよ。戦場じゃねーんですよ。酒場で飯喰って酒飲んで女買って爆睡しても全然大丈夫な場所ですよ。なんでそんな殺伐としたもん食べなきゃならねーんすか。つーかもうこれだけ尽くしてるんだから、そろそろ色気で報酬くれてもいいと思わないっすか? こんな保存食より師匠のあの完璧な身体をおいらの好きにさせてくれたほうが何千倍もやる気でるっつーっかそもそも最初からそれ目当てっつー話っすよまったく……」

 この顔がいいだけのゲスな少年には、アリシアですら手を焼いているだろう。なにせグランセンは、とにかく品がなくて欲望に忠実だ。さらに楽天家で楽観主義者の快楽主義者ときている。彼女とは正反対かつ相性の悪い人格だろう。

 もしかしたら……この少年の存在は、あの師範殿の最大の汚点かもしれない。そんなことまで考え、マストはさすがに苦笑する。さすがにそんな責まで背負わせるのは可哀想だ。

「言うほどまずくはないけどね」

 しばし考えた末、マストは保存食に対してのみ感想を口にした。説教などするたちではないし、実のところマストはマストで、この同居人のすべてが馬鹿馬鹿しくなるような性格は気に入っていた。

 この少年、傍から見ている分には面白いのだ。

「マジッすか舌腐ってるんじゃないっすかマスト兄ぃ。そんなの美味いなんて言い出すとかよっぽどっすよ。普段喰ってるのってどんな犬の餌すか?」

「べつに美味いとは言ってない。まずくはないって話だ。アリシア様に作り方を聞きたいくらいだ」

 こともなげに言って、マストは保存食を囓って見せる。実際、まずくはない。口の中の水分を持って行かれるので食べるときに水は欲しいが、味そのものは苦手ではない。それに傭兵の保存食なら、きっと栄養もあるだろう。

 保存が利いて片手で食べれて栄養も摂れるなんて、ほとんど理想的である。絵を描きながら囓るためにあるような食料だ。

 次に会う機会があれば、本気で調理法を学ぶべきかもしれない……などとマストは真剣に保存食を凝視していたが、どうやらグランセンには異論があるらしく、うろんげに細められた目は珍獣に向けるそれだった。

「師匠のこれ、豚の餌だって団員一同共通の見解だったんすけどね……」

「……まあ、僕も大していいもの食べてる人間じゃない。舌が粗悪品なのは認めるよ」

「あー、たしかに食えれば何でもいいって感じっすもんねマスト兄ぃ」

 グランセンはウンウンと頷き、それから改めてマストの顔をじろじろ見る。

「……つーかマスト兄ぃって、自分のことは結構いろいろと無頓着っすよね。飯もそうだし、部屋だって汚くって匂いが酷くっても全然気にしねーですし、格好もてきとーで女だって全然興味なさそうだし。なんつーかその細っこい身体も合わさって生気が感じられないトコあるっすよ。悪いっすけど初めて会ったとき、そういう幽鬼の類かと思ったすもん」

「そうか。僕は君のことを哀れな道化師だと思ったよ」

 お互いに初めて会ったときの印象を語りあう二人は、実のところあまり長い付き合いではなかった。出会ったのはつい最近であり、出会ってすぐに同居が決まったという、実に妙な関係だ。

 その元凶はサロウドである。

「いやでもアレはおいら被害者じゃないっすか。まさか声かけた相手が女装した男だったとかマジで愕然としたっすよ。戦場でもあんな絶望味わったことないっす。せっかく超がんばってがんばって口説いて奢って金まで出して、じゃあ家に来る? むしろ一緒に住む? なんて言われて舞い上がってたら正体男っすよ。同居すればその分家賃が安くなるからって男の声で言われたときは、思わず斬り殺しそうになったっすね。サロウド兄ぃと戦場で会えなかったのがマジ残念でしかたないっす。そしたら味方でも後ろから斬り殺してやったのに」

「うん、そもそもサロウドは戦場に行ってないし、戦場にいた頃の君はまだサロウドに騙されてもいないはずだけどね」

「あの悲惨な運命を断ち切る機会があったなら、きっと神様がおいらの剣先を定めてくれたはずっす!」

「その神様が君のおもしろおかしい姿を望んだんだと思うよ」

「神は死んだ!」

 大げさに天を仰いでみせるグランセン。マストは背もたれに体重を預けて脱力し、保存食を囓る。

 評判は悪いようだが、やはりマストにとっては苦手な味ではない。少しくせはあるが、ゆっくりと咀嚼してみればそれなりに味が出てくる。

「マスト兄ぃ……そんなに気に入ったなら全部あげるっすよ。たくさんあるんで」

 その様子を見て同居人が本当に保存食を嫌ってないのを理解したのか、グランセンは袋から保存食をいくつも取り出すと、卓にずらりと並べた。どうやら自分では一つも食べる気はないらしく、袋を裏返して残っていないか確認までした。

「……ずいぶんあるね」

「まあ昨日はおいら、一応手柄たてたっすからね」

「手柄?」

 初耳な話に首をかしげる。教会でアリシアと話したときには、そんな話題は出なかった。

「いやー。実は昨日の見回り中、めっちゃ美人な女の人見つけたんすよ」

「ああ、女絡みの話か……」

「妙に納得しないでもらえないでくれるっすかね? まるでおいらがマトモなところで活躍してないみたいじゃないっすか」

「失礼。続きをどうぞ」

「いいっすけどね。まあ夜に出歩くのは危ないんで送りましょうか、って感じで声かけたんすけど、その女……よく見たら、両手が血だらけだったんすよ。怪我なんてどこにもしてないのに」

「ふむ……」

 話の内容がにわかに血なまぐさくなり、マストは表情を引き締める。

「あ、これはどこかで人を殺したな、って思ったっすね。そんでその女が走って逃げたんで、あとは追いかけっこっすわ。……まあ見失ったんすけど、でも顔は覚えたっす。シルバーブロンドの髪の、紅い眼をした女っした」

「シルバーブロンドの髪の、紅い眼をした女性……?」

 記憶に思い当たる人物がいて、絵描きの青年はその特徴を反復した。

 その特徴は、紛れもなく――。

「……ま、人が消えるって事件と関係あるかどうかは調査中っすけどね。ちなみにおいらは関係ないと思ってるっす。手が血塗れっしたからね。きっと今日にも、短剣か何かで刺された死体がどこかで見つかるっすよ。師匠ならともかく、女の細腕じゃ、死体を隠すのは骨が折れるっすからね」

 戦場にいたからか、栗色の髪の少年はそういうことに慣れているようだ。あっさりとした口調でそんな推理を披露する。

 そして、ふと困ったような顔になった。

「……どうした?」

「いや……そういえばこれ、師匠に口止めされてた話だったんすよね。どんな事件があったのか不明だし、女の身元も分かっていないからって」

 自身はそこまで重要とも思っていないのか、言われたことをそのまま口にするふうのグランセン。マストは少し考え、なぜ先ほどの教会でこの話題がのぼらなかったのか理解した。

「不確定なことが多いから、噂になって広まればいたずらに民衆の不安を仰いでしまう。それにもし同じ特徴を持つ女性がいれば、人違いでも迷惑を被りかねない。妥当な判断だ」

 そもそもグランセンの見間違いという可能性もあるのだ。公にするのは少し待つという方針は、あの思慮深い師範らしい選択だろう。

「あー、なんかそんな話だったすね。なんでマスト兄ぃ、どうかこの話は内密に。食料あげるっすから」

「うん。グランセンも、もう誰にも言わない方がいい。アリシア様に知られたら叱責だけじゃすまないだろう?」

「脅さないでほしいっすよ。わかりましたこれ以上は無しっす。二度と言やしませんっすよ」

「ああ、そうしてくれ」

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