噂話1
「お! ようマストじゃないか、ご無沙汰だなーこの野郎。最近顔出さないから死んじまったかと思ったぜぇ」
店に入って来た客を見るなり不作法極まりない出迎えをしたのは、まだ十二、三歳ほどの少女だった。
頭に巻き付けた布に髪をひっつめ、男物の衣服を着ているため、一見はやんちゃな男子に見える。が、彼女はれっきとした女性であることを、マストは知っていた。
「元気そうだねニズ。親父さんは?」
あまりそういうことを気にしない性格なのか、年下の少女の無礼な接客を、絵描きの青年はあっさりと受け流す。
店内を見回せば陶磁器に彫刻、絵画など、様々な美術品が並んでいた。付けられている額はピンキリで、庶民が気軽に手を出せそうなガラクタから、目の飛び出るようなものまで。
「親父ならいないよ。今はお得意さんとこで駒遊びの最中さ。ま、どうせ負けて帰ってくるだろうけどな」
「ああ、接待ってやつ?」
「いや、単純に弱いんだ」
やれやれ、とニズは肩をすくめる。
「で、どうしたんだよ。絵画は廃業じゃなかったのか? お前、最近は似顔絵で食い扶持稼いでるって聞いてるぞ」
死んだと思っていたのではなかったのか、とマストは返したくなったが、この店の親子ならそれくらいの情報、知っていて当然なのでやめておいた。
「……本業は絵描きのつもりだよ。今も仕事で描いてるから、似顔絵はしばらく休業だ」
「へぇー。で、絵は完成するまでお金もらえないし、似顔絵もやってないから収入がなくって貯蓄も尽きたと」
あっさりと現状を言い当てられ、マストは言葉に詰まる。ニズはそんな青年を見透かすようにニヤニヤと笑い、彼が小脇に抱える荷物を見る。
「で、食い扶持にならないかと思ってそれ持ってきたんだな。見せてみなよ」
「……まあ、その通りだけどさ」
マストはため息をついてカウンターに荷物を置くと、包んであった布を剥ぐ。
それは絵画だった。
サイズは小さめで、質素だが額縁に納められている。描かれているのは海と、船と、作業をしている漁夫。
全体的に雑な出来で、構成も特に工夫は見られず、色味も単調だ。モチーフも地味だし、あまり値の張るような絵には見えない。
「むぅ……」
普段は快活なニズが、唇に指を当て難しい顔をする。その仕草は少しだけ、女の子らしく見えた。
「……お前の絵じゃないな」
しばらくしてそう口にした彼女の声は、確認するような調子だった。
「分かるか?」
「ああ。わりと古そうだし下手だし、昔描いたヤツかと一瞬思ったけどな。なんつーかお前のみみっちさや、クソ真面目さがない。こいつは違う。……なのに、画風はどっか似てるな。なんだこれ。誰のだよ」
「僕の師匠のだよ。まあ、師事したのは短い間だったけど」
「お前師匠なんていたの? そいつぁオレも初耳だ。もしかして親父も知らないんじゃないか?」
「言ってないからね」
「てか下手だなー。まあ買い取ってやらんこともないが、こんなん高値は付けられねぇぜ」
それは予想はしていたのか、ばっさりしたニズの言葉にマストは渋面になる。
「今売りに出せるのがこれしかないんだ。なんとか数日しのげるくらいで買い取ってくれないか? ……お金が入ったときまだ売れてなかったら、その倍額で買い取るから」
「倍額ね……」
ニズはマストの顔をちらりと見やる。
何度も取引した仲だが、一度売りに出した絵を自分で買い取るなんて、この絵描きの青年は一度もしたことがない。芸術家にもいろいろいるが、この青年は完成した絵には興味がなくすタイプだ。それは執着心が薄いということでもあるし、新しい作品への切り替えが早いということでもある。
だが、彼はこの絵に関しては執着を見せた。大した価値のある絵ではないが、こういう品にはしばしば、持ち主にしか分からない思い出が宿る。この絵は彼にとって大切なものに違いない。
そんなものを手放そうとしているのだから、相当に困窮しているのだろう。それは理解できたが、とはいえこれは商売である。金銭が関わる仕事で情けをかけるほど、ニズは甘くない。
が。
「そうだな。オレとお前の仲だもんなー。困ってるみたいだし、まあ多少は色を付けてやってもいいぜ」
ニコニコしながら、ニズはそう言った。
「本当かい? 助かるよ」
ほっとした様子で胸をなで下ろすマスト。ニズはその胸ぐらを引っ掴むと、ぐいっと自分の方に引き寄せる。口づけでもするかのように顔が近づく。
「……が、代わりにやってもらいたいことがある。もちろん、今の仕事が終わってからでいいぜ」
マストが驚きに目を見開いていると、ニズはニコニコしながら、小さな声で囁いた。
「贋作を描け」
それは、良い話ではあった。
「実はいい感じの間抜けと親父が知り合えてな。とにかく有名な画家の絵が欲しいってんで注文受けてるんだが、これが詳しくないのに見栄で欲しがってるだけの成り金なんだわ。な? ちょいっと稼げそうだろ?」
少なくとも、それは絵描きの仕事だ。
「簡単な話だろ? お前の腕なら楽勝だ。誰でも好きな画家の絵を模写すればいい。なんなら画風だけ似せて新作描いちまってもいいぜ。親父もオレも絵描きとしての技術は認めてる。いつも、あとは運だけだ、って話してるんだぜ? まあそれが一番アレなんだがな」
きちんと腕を認められた上での、依頼だ。
「もちろん報酬は払うぜ。こんなご時世でも金が余ってるところはあるもんだ。いい値で売れたら、数日しのげなんてケチくさいことは言わねー。二、三ヶ月は保つくらいの額は出してやる」
報酬も魅力的で、文句の付けようがない。
けれど。
「すまない」
青年は優しい声音で言って、胸ぐらを掴む小さな手をほどく。
「たぶん、描いても酷いものにしかならないと思う」
それを聞いてニズは笑顔を引っ込めると、つまらなそうに舌打ちした。
「……そうかよ。ま、ゲージュツってのはやる気でやたら質が変わるからな。できないヤツにはできないさ」
「すまない」
「謝るなよ。ったく……しゃあねーから成り金様にはホンモノ用意しとくかね」
少女は肩をすくめると、よっこらしょ、と歳に似合わない声を上げながらカウンターの下に手を伸ばす。
「ほらよ。この絵だとこれ以上は出せねぇよ」
「ありがとう。恩に着るよ」
カウンターの上に置かれたそれはだいぶん少ない額だったが、マストは礼を言って受け取った。
「それはそうとな、マスト」
店を出ようとした背中に声を掛けられ、絵描きの青年は立ち止まって振り向いた。
「何?」
少女はカウンターに頬杖をつき、暇そうにあさっての方角を見ていた。
「親父の話だと、ここ最近で少なくとも七人消えてるらしい」
それは、サロウドからも聞いた噂話だった。あの女装癖の友人が見立てた人数よりさらに少ないが、より信用できる数字であることは明白だ。ニズの父親は商業柄、街の有力者とも広く付き合いがある。
「全員夜逃げでもしたか、人買いにでも攫われたか、頭のおかしい殺人鬼でも出たか、詳しくは知らねー。化け物の仕業だって話まであるしな。ま、夜は気をつけとけ」
少女の忠告に、少し不器用な善意に、すでに約束のある青年は頷くことをしなかった。ただ、柔らかい笑みを向ける。
「ありがとう」