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茶会2

「武器を預からせていただきます」

 夜の帳が落ち、都の通りに人がいなくなった頃。出迎えた年若いメイドの言葉に、アリシアはドレスの裾を摘まんで、ふわりと一礼した。

「本日はお招きいただき、ありがとうございます。アリシア・セルマ・ノルンサーフと申します。武具の類は持っていませんので、どうか会場までご案内いただきたいのですが」

 若葉色の、最低限の飾りしかない質素なドレス。華美さはなく、夜会に赴くには遊びがないが、それだけに彼女の本来の魅力を引き立てている。申し訳程度に添えられた紅玉のブローチが、逆に注目を惹くアクセントとなっていた。

「そちらの方もでしょうか?」

 お付きのグランセンは、かっちりとした真新しい正装だ。慣れていないのかあからさまに服に着られている印象だが、本人も自覚していないのか楽しそうに。

「もちろん。凶器の類はナイフ一本持ってないっすよ。持ってるものといえば、ほら、これくらいのもんで」

 少年は懐から真っ赤な薔薇の花を一輪取り出すと、きざったらしくエリサに差し出す。

「どぞ、美人のメイドさん。これが君の心を貫く恋の槍っす」

「預かるものがなければ、このまま案内させていただきます」

「無視! 興味ゼロ! ちょ、歳も近いし可愛いしで結構前から話せるチャンス狙ってたんすよこっちは。あんまりっすよこの反応!」

「場をわきまえなさい」

 早々に歩き出したメイドを追って、アリシアは屋敷内に足を踏み入れる。

 暗い屋内を年代物の燭台が灯し、古めかしく荒れた内観を浮かび上がらせる。なのに良く見れば掃除は行き届いていて、廃墟のようであるのに蜘蛛の巣もなければ埃の匂いもしない。違和感はあるが、だいぶん古いものを徹底的に洗浄すればこうなるのだろうか。

 なぜ、と思わなくもない。補修くらいできるだろうに。侵入者を怖がらせて帰らせるためなのか、それとも何かこだわりがあるのか。

「メイド殿。あの絵描きはお元気ですか?」

 この奇妙な屋敷内で、あの青年はどう過ごしているのだろう。アリシアがそんな疑問を胸に問いかけると、メイドの少女は立ち止まって、思案するように宙を仰いだ。

「お元気です。とても」

 そう答えてから、少女はアリシアを振り返る。

「あの方はなんなのでしょう?」

「…………いや、その」

 真っ向から聞かれると、とっさに言葉が出てこない。彼のような人物を簡潔に説明する術をアリシアは持たなかった。

「絵描きっすよ」

 しかし、グランセンは軽々にそう答えた。

「貧乏で、ろくでなしで、頭の悪い、二流の絵描きでおいらの兄ぃっす」

「……ご家族の方ですか?」

「そんなもんっすね」

「大変ですね」

 メイドはきびすを返すと、先へと進む。アリシアとグランセンは顔を見合わせて、それに続いた。

「あの方が放逐された日」

 背を向けたまま。少女は語る。

「あの日、絵をけなしました」

 懺悔のように。

「あんな顔は、初めて見ました」

 言葉少なく。しかし胸に残った何かを吐き出すように。


「怖ろしい。あの方は下手に触れれば、簡単に壊れてしまいます。壊すところでした」


 声はか細く、震えていた。

 告白を聞いてアリシアは得心する。あの日のマストの行動は、彼女が起点だったのだろう。彼の絵に対する志は純粋で、真摯すぎる。文字通りそれに人生を賭けている。そんな人間を、彼女は知らなかったのだろう。知らずに、指摘してしまった。この少女はそれを後悔している。

「でも今は元気なんすよね?」

 かける言葉をアリシアが見つける前に、少年があっけらかんとした調子で陰鬱な空気を壊した。

「……はい。まあ」

「じゃ、いいじゃないっすか」

 メイドは再度立ち止まって振り向いた。その顔には珍しく表情が浮かび、グランセンを呆れた目で見ていた。

「家族なのですよね?」

「家族っすよ。でも、そういうのって生きてりゃそういうこともあるっすからね。泣きたいときだって、死にたいときだって、月の異教の神に縋って狂いたいときだってある。―――誰だって、必ずあるっす」

 珍しく……本当に珍しく真面目な顔で、傭兵の少年は困惑する少女に説く。

「だから立ち直ったならそれでいいし、立ち直らなかったら……ケツを蹴っ飛ばして、無理矢理立たせてやればいい。戦場じゃそうしてきたっす」

「…………乱暴ですね」

 メイドの少女はそれだけ言って、また歩き始める。グランセンは肩をすくめてから続いた。

 アリシアはそんな二人を交互に見てから、追いかける。

 あの青年は何者なのか。その問いが、心にチクリと刺さっていた。

 グランセンのさっぱりした態度を少し羨ましく感じる。彼にとってあの青年は同居人であり、家族だ。そういうはっきりとした答えを持っている。

「こちらです」

 メイドの少女が扉の前でそう言った。ノブに手をかけ、ガチャリと回す。音も立てずに扉が開く。

 音楽が鳴った。落ち着いたリュートの音。優しい音は楽器一つでも部屋に染み渡る。奏でているのは、奥の美女か。

「……なにやってんすか」

 グランセンが小さく呟いた。本気で嫌そうな声。気になったが、アリシアは状況把握を優先し室内を見回す。

 天井に豪奢なシャンデリアがあり、壁にも燭台。広さはそれなりで、この人数が会すのに十分な程度。中央には清潔なクロスがかけられた長テーブルと椅子。それ以外にはなにもない。

 すでに部屋で待っていたのは三人。美しい演奏家と、痩せた画家と、女主人。

 演奏家は奥の片隅でリュートを鳴らし、画家はその近くで壁を背に立っていた。

 若い女主人だけがすでに、卓について座っている。

「お待ちしていたよ、お客人。さあ、席につきたまえ」

 フィオーレ。銀髪の女性。ヘテロクロミアになった瞳が、面白がるようにアリシアを映す。

 茶会が始まる。


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