答え 3
「依頼したいのは元傭兵団の団長と構成員数名。私も戦場で直に見たことがあります。戦が終わり山賊に堕ちていたらしいのですが、この都で目撃されました。拠点は外でしょうが、定期的に都へ来ている可能性があります」
椅子に座っても背筋を伸ばして姿勢良く、アリシアはそう説明した。
「ああー、いるんすよね。戦争が無くなって、暇だから稼いだカネをパーっと使っちゃって、なくなったら物盗りになる馬鹿。傭兵って腕っ節しか取り柄がなくて、しかも刹那的に生きてるヤツが大半っすからねー」
出て行けとは言われなかったため、未だ部屋に居座るグランセンが横やりを入れる。
「他人事のように言っているけど、君も同じ類だろう?」
傭兵が山賊になる話なら、マストも聞いたことがあった。終戦し仕事が無くなった傭兵は、少なからぬ者たちが略奪で生きるようになる。モラルの低い荒くれほどその率は高いのだとか。
「いやいや、おいらはちゃんとしてるっすよ。戦がなくても、待ってりゃそのうち稼ぎ時は来るもんす。ちょうど今とかそうっすね。商人の護衛とか山賊退治とか、それなりに儲かるらしいっすよ?」
「喰い合いか。どこまでも血で稼ぐんだな君らは」
「私は、もっとまともな職に就いて欲しいのですが……」
渡された木炭と画板、そして修正用のナイフ。最低限の画材を手に、マストは小さく息を吐く。
絵には絶望した。己に絶望した。あの夜、あの画布にナイフを突き立てた自分は、画家として息の根を止めたのだ。芸術を裏切った自分には、もはやこれを扱う資格はない。三流でも、それ以下でも、名乗るのならば違えてはいけない。それほどの禁忌だった。
―――だが、では他に何ができよう。絵を捨てるなら、何も残らないのに。
惨めだった。なによりも、指がうずくのが酷たらしい。画板があって木炭があるなら、いいから描かせろと掌が訴える。貴様の誇りなど塵にも劣ると、腕がどうしようも無く震えるのだ。
「あの夜の件は、一部始終を見ていました」
葛藤に静かな声音が滑り込む。マストが顔を上げると、まっすぐに自分を見つめるアリシアと目が合った。
「心中は私にも理解できます。ですが、これはこの都に住む人々のため。どうか協力していただきたいのです」
「しかし、他に描ける方もいるでは? 今まではどうしていたんですか」
「我々の内には、その役割を担える人材はいません。そして我々はこの都では新参で、治安維持活動も長いわけではありませんから、能力のある人間のつてもありません。今までは衛兵に協力を頼んでいましたが、最近の彼らは我々に非協力的です」
マストの口から、失笑が漏れそうになった。アリシアの善性で始まった治安維持活動だが、アリシアが悪目立ちするので領主に目を付けられ、ついに衛兵の協力まで抑制されるようになったのだろう。面倒ごとに首を突っ込み、面倒ごとを呼び込んで、面倒ごとに縛り付けられる。なんとも不器用な話だ。あまりにも彼女らしい。
おそらくマストが人相書きを手がければ、それを理由にまた一悶着起こるのだろう。領主からの風当たりは強くなり、余計な仕事が増えて仲間たちを辟易させ、周囲はまた無責任な期待の目を向ける。そしてそれを理解してなお、彼女はマストに依頼するのだ。
不器用すぎて憐れですらある。なぜもっと利口に立ち回れないのか。隅の方で静かにしていれば、がんじがらめにならなくてすむだろうに。
ふと、脳裏に。
銀の月がよぎった。
……あるいは。
ふと真顔になって、青年はその不器用な女性をまじまじと見つめる。
もし彼女なら。アリシアのその性質をどう見抜くのだろうか。見抜いていたのだろうか。
思えば……彼女はアリシアを笑いはしても、決して嫌悪はしなかった。己を敵視し、追い回し、捕らえようとする相手なのに。
なぜか。
「特徴を」
理由に気づいてしまったら、もはや受けるしか無かった。
だってしょうがない。もしそうであるのならば、なるほどマストの心情など、塵にも等しいわがままだろう。
自分と違って、彼女は誇りを貫いているのだから。
「歳は中年から壮年の間。筋骨隆々の大男でざんばらの赤髪に白髪が交じる。顔は全体的に横に太い印象で、目玉が大きく鷲鼻。髭は口元が隠れるほど長い、と。頬骨のあたりは記憶にありますか? なるほど、ではこんな感じでしょうか」
「……いや、目の辺りはこう、もう少し野卑というか……」
「あ、おいらもそいつ知ってると思うんすけど、つかあのクソみてーな死体あさりの連中でしょ? じゃあこんな上品に描いちゃダメっすよ。もっと下卑てて不潔なヤツっす。目元は嫌らしいくせに爛々と光る感じで、それなりに鍛えてはいたけどちょいと脂肪がある。酒飲みだから赤ら顔で、髭は手入れしてないから固くて縮れてたっすね。口がくさくて体臭きつくて怒鳴り声がうるさい頭悪い。典型的な暴力だけで生きてきましたタイプの馬鹿っすわ」
「珍しいな。グランセンが男の特徴をそんなに覚えているなんて」
「いやこいつ、どっかから攫ってきたのかめっちゃきれいな女連れてたんすよね。しかも扱いが酷くて奴隷以下って話で、ああこのゴミいずれ背中から刺してやろうと狙ってたんすけど、まあさすがに別の傭兵隊じゃあ機会がなかったっす」
「なるほど私怨ありか。じゃあ今の特徴は少し歪んでるな」
伝えられた情報を冷静に吟味し、画板の表面をナイフで削って修正する。
手直しし、二人から意見を聞いて、さらに修正。それを何度か繰り返しながら少しずつ人相を似せていく。
人物画など、マストにとっては慣れたものだ。飯のタネに多くの似顔絵を描いてきたのだから、コツは分かっている。積み重ね培った技術は確固たる力と化して、木炭は迷わず画板を走る。
やがてデコボコになった画板を捨て新品を手にすると、マストはさらさらと清書してテーブルに置いた。
「……よくまあ、見たこともないくせにそんな似せられるっすね」
覗き込んだグランセンが感嘆するが、マストにとっては難しいことではない。
「こういうのに重要なのは正確さじゃなくて印象だ。というか、正確にだけ書くなんてダメだ。顔なんて見る角度や表情の機微だけで変わってしまう。でも特徴を捉えて雰囲気さえ合えば、実際には正確ではなくても、何となくそう見えるものさ。似顔絵なんかわざわざ美形に描くくらいでね」
「ええ……正確に書かなくていんすか?」
「君だって、知り合いなら遠目でも見つけられるだろ? その時、目はこうでとか鼻はこうでとか見ているか? それと同じだよ」
アリシアは人相書きを手にとって、まじまじと見つめる。
「……印象に残るような特徴を強調して、雰囲気を出している、ということでしょうか?」
「そういうことです。まあ、僕が直接は知らない人ですので、正確に書くのは不可能ということでもあります」
「しかしここまで巧く、短時間でできるとは思いませんでした。……衛兵ではこうはいかないでしょう」
「そりゃあ―――」
言いかけた言葉を止め、一度目を伏せてから、マストは再度口を開く。
「張り出された人相書きなら見たことがありますが、素人に毛が生えた程度です。あれと比べられるならば、僕のが巧いでしょう」
「……ご協力感謝します。続けて構成員の人相書きをお願いしたいのですが、大丈夫でしょうか? 身体に障るようでしたら、休憩を挟みますが」
「この程度で疲れはしませんよ。次の画板をください」
結局そのまま、マストはさらに三枚ほど人相書きを仕上げた。そして休憩を挟み、今度は写しを作っていく。
同じ構図の木炭画など、マストにとっては単純作業にも等しい。日が沈む前に五枚ずつを書き切ると、グランセンが若干引き気味の顔で受け取った。
「なんつーかおいら、マスト兄ぃに初めて感服してるっすよ。すごかったんすね実は」
「すごかったらもっと売れてるよ」
「それもそっすか。まあでも、やっぱすげーっすよ。こんなん、おいらにゃ生まれ変わってもできやしない」
「別に決めつける必要は無いだろう。まだ若いんだし、今から始めればモノになるかも知れないぞ? なに、戦死か餓死か選ぶだけの話だ」
「あ、おいら腹上死って決めてるんで」
グランセンはキシシと笑って、画板を抱えると椅子から立ち上がる。
「んじゃ、これ渡してくるっすよ。飯はまたあのマズイやつ作ってると思うんで、後で持って来るっすね」




