欠点 4
この屋敷の門は主が許可した者以外、開かれることはない。そう、エリサは言った。
細かい雪がぱらつく中、マストは枯れた雑草を踏み分け、人喰い屋敷の正門へと向かう。自分の来客はそこで待っているはずだった。
果たして、彼女はそこにいた。
錆び付いた格子の門の外。寒さなどものともせず凛と背筋を伸ばし、アリシアは一人で立っていた。
「……こんにちは」
マストが近寄って格子越しに挨拶すると、アリシアは丁寧に頭を下げる。
「突然の訪問、失礼します。お元気でしたか?」
アリシアは暖かそうな厚い生地の服を着ているだけで、武具の類は身につけていないようだった。探してみたが、マストから見える範囲にはお供もいない。
「そうですね。健康に問題はありません。アリシアさんは?」
「鍛えていますので」
そう微笑む表情も柔らかく、マストは少しだけ拍子抜けしながらも、荒事にはならなさそうだと緊張を解いた。まあ警戒していたからといって、戦闘にでもなればアリシアに抗う術など無いのだが。
「よくここが分かりましたね。どうやって調べたのですか?」
「あの日、部下に尾行させました」
まったく気づいていなかったため、マストは目を瞬いて驚いた。ならば、この場所は最初から知られていたことになる。
だとしたらなぜ、あれから数日たった今、彼女はここに来たのか。場所が分かっていたのなら翌日にでも来られたはずだ。アリシアはフィオーレを疑っている。何もなく、この場所を知っているぞ、などとわざわざ宣言するはずがない。
「なるほど。それで、今日は何の用件でここへ?」
「あなたの顔を見に来ました」
「ご冗談を」
マストは思わず失笑したが、アリシアの表情があまりにも真面目なのに気づき、眉根を寄せる。
金の髪の女性は、まっすぐに青年の目を見つめていた。
「……あの夜から今日まで。少なくとも私が把握している限りで、不審な行方不明者は出ていません」
「喜ばしいですね。アリシア様のご尽力の賜だと思います」
「フィオーレ殿がこの屋敷から出ていないのも、こちらで確認しています」
それはそうだろうな、とマストは心中のみで頷いた。場所がばれている上、夜間はテラスで灯りを付けて肖像画を描いているのだ。確認されていない方が驚きである。
「まさか、それで彼女が怪しいと? さすがに飛躍のしすぎでしょう。いくらなんでも言いがかりでは?」
「ええ、私も不確かな根拠で動くつもりはありません。ですが我々は、彼女の手が血で染まっているところを見ています。それでも強硬に出られないのは、彼女が貴族であるからという一点のみ。それこそ不動の証拠がなければ、握りつぶされてしまうからに他ありません。彼女は元から限りなく黒に近いのです」
「なるほど、お話は分かります。ですが、それを僕に話してどうしろと? 捜査協力なんてお断りですよ。彼女は依頼人です。仕事の信頼関係を損なう真似はできません」
「……マスト殿」
詰め寄るように、アリシアは半歩前に出る。手を伸ばし、意外なほど白い指先で鉄格子に触れた。
粉雪が降っていた。
「―――怖くは、ないのですか?」
それは、懇願のようにすら聞こえて。
「………………怖、い?」
青年はただ首をかしげる。彼にはその意味が分からなかった。
女性の瞳に影が差す。悔しそうに唇を引き結ぶ。死に到る傷口を確認したように。
何か言おうとして口を開き、何も言わずに閉じた。視線を地面へと落とし、奥歯を噛みしめる。
「……サロウド殿の許可をいただき、あなたの部屋を検めさせていただきました」
か細い声でそれだけ告白した。
「はあ、そうですか。描きかけの絵しかなかったでしょう」
「絵しかありませんでした」
雪が降っていた。
「最低限の生活用具と、画具と、絵。それだけです。他には何もありませんでした」
「まあ、必要ありませんし」
前髪についた雪を、マストは手櫛で払った。
「あなたは絵を描くだけの機械です」
絞り出すような言葉に、青年は驚いて女性を見る。
アリシアは顔を上げ、マストをまっすぐに見つめていた。睨むように。挑むように。
言葉に覚悟が込もる。
「私があなたを救います」
それは一方的な宣言だった。
「だから、待っていてください」