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欠点 3


 無関係に生きてきた。

 深入りを避けてやり過ごしてきた。

 だって、そうしない理由がない。




「おはようございます。朝食をお持ちしました」

「ああ、おはよう。いつもありがとう」

「本日のご予定をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「日中はまた中庭を借りるよ。天気は?」

「少し曇っています」

「そうか、また雪が降るかな?」

「そうかもしれません。では、なにか入り用でございましたらお申し付けください」

「あー……と、エリサさん?」

「はい」

「ええっと、どうかな。もし良ければモデルを頼みたいのだけど」

「遠慮します。仕事がありますので」

「ああうん。そうだね。それじゃあ……」

「洗濯物はまとめて置いておいてください」

「あ、はい」


 こうして三日が過ぎた。

「……ダメだこれ」

 あてがわれた客室で、青年は朝食のパンを囓りながら弱音を吐く。

 仕事は順調だ。特に問題なく進んでいる。問題があるのは人間関係の方だ。

 エリサとの仲がいっこうに改善しないのである。

 先ほどだって、朝食を用意してくれたエリサに会話を試みようとしたのだが、惨敗だった。それが三日続いている。しかも最近は警戒されているのか、必要なとき以外は姿も見せないほどだ。

「全然うまくいかない……なんでだ」

 マストとて似顔絵描きで口に糊してきた経験がある。話術の類はそこそこ自信があるのだが、あの侍女には通用しない。……正確には、通用するところまで持って行けない。

 会話はできる。だが続かないのだ。

 昨夜は依頼主にも呆れられた。問題有りと言うしかない事態だ。

「嫌われてはいない、よな。けれど避けられてる。まあ、人見知りってのが一番近そうだけれど」

 フィオーレ曰く、エリサはまだ幼い面を持つらしい。

 口数少なく淡々としているため大人びて見えるが、歳は十代半ばあたりだろうし、それにこの屋敷であまり人と関わらない生活をしているのだ。そもそも他人と関わるのが苦手な性質なのではないか、とマストは推測している。

「まあ、こればっかりはゆっくりやるしかないか」

 ため息を吐いてからパンの最後の欠片を口に放り込み、マストはもそもそと着替え始めた。

 絵を描くのは日常となっている。

 もはやそれがないと落ち着かない。己の大部分を構成するモノだとマストは認識している。……さらに言えば、それ以外のことには壊滅的に能が無いとも思っていた。体力も無いし、頭だって良くはない。多少は修練した話術ですらエリサに通じなかった。だから三流に甘んじていても、泥沼のような場所から這い上がれなくとも、もはやこの生き方以外には選びようがない。

 なので当面の食い扶持に困っていなくとも、マストは絵を描き続ける。

 そもそも外出を禁止されたままの身では他にやることもなく、画具を準備し中庭へ行くのは、もはや必然であるといえた。

 屋外のしんと冷たい空気を身に受け、マストは軽く身震いする。防寒具の襟を寄せ、荷物を抱えて中庭の端へ向かう。もはや定位置の場所にイーゼルを立て、組み立ての椅子に座り、描きかけの絵を据える。そして空を見た。

「……雲が厚いな」

 昨夜も少し雪が降り、フィオーレは早めの切り上げを選択した。ここでは屋外でしか絵具が使えないため、仕事は天候に左右される。

「とはいえ、天気には文句は言えないか」

 誰へともなしに呟いて、マストは絵へと向き直った。筆をとり絵の具をつける。

 そうして、ふと。

 時間がゆったりと流れる感覚に、気づいた。

 昼頃に起きて、エリサの作った朝食を食べる。日がある内は中庭で絵を描き、日が落ちたら夕食を食べる。そして夜は依頼主の肖像画を描き、明け方近くに寝る。そうやって日が過ぎていく。

 基本、順風だといえる。エリサとの人間関係に問題はあるが、実際のところ些細なものだ。彼女にしてもマストにしても、現状のままで各々の仕事に支障はない。そういう意味でいえば、無理に関係を良好にする必要もない。むしろ余計をして悪化させるよりは、現状を維持するのも手なのだろう。……まあ、次の契約にこぎつこうとするなら、早めに解決しておいた方がいい案件でもあるのだが。

「―――あー、なるほど」

 理解して、頷く。

 次の契約。そんな未来なんて、頭をよぎるのがそもそも違和感だ。ずっとその日暮らしだったのに、目の前のことしか見えていなかったのに、絵を描くために生きていただけだったのに。

「死が遠いのか」

 少しだけ余裕ができている。いまさらながらにマストは、それを自覚した。

 絵筆を動かす。

 思えば、死はいつも近くにあった。

 子供の頃は病弱で、成人まで生きることはできないだろうと言われていた。肺腑が痛くて眠れない夜など、吐いた血の臭いに埋もれながら、今度こそ死ぬ日なのだと思ったものだ。

 大人になれてからは食うにも困る有様だ。身体は多少丈夫になったが、人間は飯が食えなければ死ぬ。数日何も口に入れず、指先すら動かせずに倒れていたところをサロウドに発見されたこともある。

 幾度、生を諦観したことか。

 きっと目覚められずに死ぬのだろう。そう眠りに落ちるのが日常だった。

 人は死ぬ。そんなことは当然分かっている。無為に生きて、無為に死ぬ。それが命の在り方だなんてとうに知っている。

 あぶくのようなものだ。湧いて、はじけて消えるだけ。カタチや場所に差があろうが、同じ終わりが用意されている以上、等しく同価値と見なされている。

 おそらく、死後にはなにもないのだろう。天国も、地獄も、存在しないに違いない。だって命にはそれだけの価値がない。ならば終わりの先を期待するなんて馬鹿馬鹿しい。

「亡霊のようだ、か」

 ふとおかしくなって、マストは口の端を上げる。


 ―――すでに僕は、亡霊のようなものかも知れない。


 鼻先に冷たい白が降りる。空を見上げるとちらほらと雪が降っていた。マストは白いため息を吐いて、ゴキゴキと身体を軋ませながらのびをする。どうやら結構な時間がたっていたらしい。

 急いで道具を片付け、屋内へ避難する。そんなに降っていないが、絵を濡らしたくないし、仕事でもない作業で体調を崩す間抜けもいやだ。

「マスト様」

 エリサがやって来たのは、ちょうど全ての道具を避難し終えた時だ。

「お客様です」

 彼女はいつものように淡々と、短く用件を伝える。実のところ、マストはこの侍女のこういうところを快く思っていた。……より正確には、都合が良いと思っていた。

 干渉されないのは楽だ。なにせ面倒がない。

「僕に? あ、ニズかな。発注はしてないはずだけど、営業に来たのか」

 自分を訪ねてくる人物で、かつ自分がここに居ることを知るのはニズくらいだと思い、マストは画材へと視線を向ける。どうせフィオーレへの足がかり程度の用件だろうが、せっかくである。在庫はまだ問題ないが、予備でいくつか注文するのも悪くない。

「いえ、ロズピエール商会の方ではありません」

 だがエリサは首を横に振った。

「アリシア・セルマ・ノルンサーフと名乗られました。金の髪の女性です」


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