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欠点


 起きたら昼だった。

 寝坊ではなく、夜明け前まで仕事していたのである。フィオーレは完全に夜型のようで、マストは空が白み始める時間帯まで、与太話をしながら彼女の絵を描いていた。

 であるので、むしろまだ寝たりないのだが、それでもマストは起き出した。身支度もそこそこに、ぼうっとする頭を押さえてエリサについて歩く。

 昨日のうちに注文していた画材が届いたのである。

 マストは屋敷の外に出られないのでエリサにお使いを頼んだのだが、なにせ彼女は素人だ。全て問題なく発注できているかは疑問で、マスト自身で受け取って確かめないことには安心できない。

 とはいえ、それは一応で念のためではあった。自分が注文した店のことを、マストはそれなりに信用している。

 玄関の扉を開けて外に出ると、見知った顔がお供を二人ほど連れて待っていた。

「お世話になります! ロズピエール商会です……って、え、マスト?」

「おはよう、ニズ。君が来るとは思わなかった」

 高く昇った陽の光から目をかばいながら、マストはお得意先の少女を出迎えた。


 画具の類はそこまで大荷物にはならないが、こまごまとした道具や消耗品が多い。

 商人としてニズを疑うわけではないが、誰にだってミスはあるだろう。検品は必要だと判断し、玄関先に荷物を並べて納品書を確認することにした。

 しかして、マストは文字を読むのが苦手である。

 最近は一般市民でも読み書きできる人間は多いが、元が教養とは縁の薄い漁師の産まれだ。荒くればかりの港町でそれを教えてくれた先生は、絵の師と同じ老爺であり―――ぶっちゃけた話、あまりいい教師ではなかった。

 だからマストは眉根を寄せ、時間をかけて納品書を解読する。そんな状態で一品一品確かめていかなければならないのは、寝不足でクラクラする頭にはきつかった。

「……そりゃ来るだろうよ。いくら人喰い屋敷っつっても、こんなでかいトコ住んでるヤツは金持ちに決まってる。そんなカモがわざわざ向こうから発注くれんだぜ? むざむざ丁稚だけ向かわせるかってんだ」

 そんなマストにニズが、離れた場所のエリサに聞こえないよう、小声で囁く。どうやら先ほどの答えらしい。

「だろうね。でも親父さんが来ると思ってた」

 少女には視線も向けず、検品を続けながらマストは相づちをうつ。ニズの父親は店に居るより、外回りで営業していることの方が多い。当然、ここにも彼が来ると思っていたのだが、

「今日はお得意さんの方に仕事だよ。あっちは料理されたカモだが、親父じゃないとダメだ。オレの歳だと舐められる。なあ、ここの主様にはそのへん、よろしく言っといてくれよ」

 どうやら親父さんは他の仕事とかち合わせたようだ。そしてそれをいいことに、ニズは一人でここの営業を仕切ろうとしているらしい。相変わらず商魂たくましい親子である。

「いいよ。担当は若いけどいい目利きだって言っておく」

「サンキュ。ところで、ここの主様ってどんな相手だ?」

「若くてきれいな女の人だよ。変な人だし怒りっぽいけど、話は通じる」

 ニズの頬が引きつった。ちらりとエリサの方を見やり、自分たちを見ていないことを確かめると、いっそう声を小さくして確認する。

「なあ……お前がそう言うならそうとうだな? 奇人変人で、見た目以外は最悪のクソ女と見た」

「夜型だから今は寝てるんじゃないかな? 朝まで絵のモデルやってもらってたし」

「クッソ否定しねぇ……」

 難敵の気配に少女は歯噛みする。しかしさすが商人の娘、その口の端は笑みを浮かべていた。

 商売への情熱と、どんな相手にも怖じ気づかないところは彼女の長所だ。

「ま、人喰い屋敷の主だ。おいしいカモじゃねぇことは確かだわな。寝てて会えねぇならしかたねぇし、次は会える時間帯に来るさ。だからまたウチで発注しろよ?」

「言われなくてもそうするさ。……ところで」

 やっと検品を終えて、マストはニズへと視線を向ける。

「師匠の絵を買い戻したいんだけど」

 数日前に売った絵の話だった。私的な用件なので今回の発注では頼まなかったが、フィオーレからもらった金額なら余裕であれを買い戻せる。

 しかし、返答は予想だにしないものだった。

「あー、あれか。悪ぃ、昨日売れちまった」

「……は?」

 青年の間抜けな驚き顔から、少女は視線を背ける。

「勘違いするなよ? うちはお前の倉庫じゃねぇ。買い取った以上は店に並べる。だから買い手がつけば売るのは当然だ。文句を言われる筋合いはない……だがな、それでもオレだって情はある。お前がのたれ死ぬまではと思って、あの絵はわざと高値で出してた。銀貨にして十五枚。それでも買われたんだよ」

「銀貨十五枚……?」

 信じられないという面持ちで、マストはその額を復唱する。

 銀貨十五枚と言えば、ロズピエール商店にマストが持ち込み、並べられたどの絵よりも高額だ。とてもではないが、あの絵についていい値段じゃない。

「ど、どこの間抜けが買っていったんだ……?」

「おいお前の師匠のだぞ」

 呆然と本音を漏らす青年に思わずツッコミを入れてから、ニズはボリボリと頭を掻いた。

「たまにあるんだよ。目の利く金持ちが、棚の隅のガラクタ欲しがることな。なんつーか、その品と波長が合うっていう、そんな感じだ。粗悪品だって分かってても手元に置きたくなるんだよ。オレも品定めやってるとたまにある」

 言葉がマストの耳に空虚に響く。

 しばらく呆然として、彼女流の冗談ではないのだ、とだけやっと理解して、青年は空を見上げる。

 故郷を出るとき、旅荷はかなり厳選した。旅の間は自分で持って歩き回るのだ。あまり大荷物にはできない。それでも必要な物を最低限詰めれば、鞄はほとんど埋まってしまった。

 あの絵は、あの漁港の町から持ってきた唯一の余分だ。

 海と船と漁夫の絵。マストが育った景色。

 あれは師の遺作であり、故郷の思い出であり、つながりだった。

「そうか」

 ゆっくりと息を吐く。

「師匠の絵が認められたんだ。きっと喜んでる」

 ばつの悪そうな少女へと向き直り、絵描きの青年はそう微笑んだ。

 ニズは困った顔で頬を掻く。

「お前、珍しくマジでへこんでるだろ?」

「まあね」

 とはいえ仕方がない。ロズピエールは慈善事業ではないのだ。こういうことだってあると、マストも覚悟していた。

「……なあ、ニズ」

 自画像に集中したかった。けれどお金に困っていた。日銭を稼げる似顔絵をやめるなら、後は手元にあるモノを売るしかない。

 そして、売れるのはアレしかなかったのだ。

 仕方がない。これは仕方ない。仕方ないが。

 納得はいかない。

「あん?」

 師の絵はお世辞にも上手いとはいえない。なのに高値で買い手がついた。

 ―――マストのどの絵よりも高く売れた。


「僕に足りないモノってなんだろう」


 問われたニズは、へらりと笑った。

「運だよ」

 ほとんど即答。考えるまでもないというように。

「この間も言ったよな。お前は腕はある。あとは運だけだ。オレに言わせりゃ、お前は運がなさ過ぎる。お師匠さんのがよっぽど幸運に恵まれてるね」

「師匠ならのたれ死んだよ」

「それでもだ。お前はただ運が悪いんじゃない。画家としてあまりにも運が悪い」

「画家として?」

 聞き捨てならない言葉に、青年は聞き返す。

 そんな彼を見て、少女は堪らないといった感じでふきだした。

「ブハッ、相変わらず絵のプライドだけは高いのな。まあ焦るなよ。そのうち分かる。分からなかったら、お前はそれまでだったってことだ」


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