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幕間 4

「夜分に失礼します。サロウド殿」

 真夜中に近い時間帯に玄関を叩いた客人は、あのアリシア・セルマ・ノルンサーフだった。

「あ、ども。こんばんは……」

 夜酒を嗜んでいたサロウドは酔いがすっかり覚め、非常識な時間帯の訪問に怒ることも忘れて、馬鹿みたいに挨拶した。

「あー、サロウド兄ぃ、ばんわーっす」

 アリシアの後ろでグランセンが居心地悪そうに手を振っていたが、サロウドにとってはそれどころではないので無視した。というかだいたいの事柄においてグランセンの優先順位は低かった。

「実はマスト・ポート殿についてお話とお願いがあるのですが、少々時間をお借りることはできませんか?」

 アリシアの口からもう一人の同居人の名前が出て、サロウドの表情が硬くなる。あのひょろりと頼りない男は、昨日の朝に出かけたっきり帰っていない。そしてアリシアやグランセンは、有志の集まりとはいえ街の治安維持につとめる人間たちだ。

 ああきっとこの物騒な都の路地裏で、冷たい死体となって発見されたんだろうなぁと、サロウドは沈痛に顔を伏せる。

「……死にましたか」

「え? いえ、生きていると思いますが」

「いやつーか、見切り早くねぇっすかサロウド兄ぃ」

「あ、そうなんだ?」

 なんだそれならいいやと顔を上げると、目をぱちくりさせるアリシアをけろりとした顔で屋内へ誘う。

「まあ、立ち話もなんですし、どうぞ中へ。グランセン、アリシアさんにお茶な」


 居間のソファに腰掛けたアリシアは、テーブルに人数分のお茶が揃うのを待ってから、昨夜起きた事件について包み隠さず全てを話した。

 銀髪の女を捜索していたこと。

 マストがその女と一緒にいたこと。

 二人に同行を拒否されたこと。

 その二人が人喰い屋敷へと入っていったこと。

「屋敷は、コルデーという地方貴族が持つ物件でした。階級は子爵。領地は国境付近。この都から北へ、平原を抜け大河を渡り、首都を通過して山々を越えた先です。年頃の子女が三人いるようですね」

「調べたんですか?」

 さらりと出てきた情報に、サロウドはお茶をこぼしかけるほど驚いた。

 そんな遠い場所、伝書鳩だって数日はかかる距離だろう。そんな相手を調べ上げるなんて、とてもではないが一日でできるとは思えない。

「持ち主の名義はこの都に記録されていました。幸い、コルデー子爵の領地は国境付近でしたからね。我々は元々傭兵団ですから、戦争の起こりやすい地域なら、情報のあてはあります」

 かつての仲間か同業に、その地方を知る者がいたのだろうか。あるいは、直に訪れたことがあるのかもしれない。

「しかし不思議ですね。そんな遠い地方の人間が、いったいどうしてここに屋敷を?」

「いざというとき血族を避難させるために置いてある別荘……というところでしょうか」

「ここ、最近まで戦争やってたじゃないですか」

「戦場にはならなかったでしょう。それにあの屋敷は古い。当時の情勢では、まだ安全と目されていたのかもしれません」

「しかし普通は、首都とか、観光地とかに作るのでは?」

「調べましたが、ここの領主と遠い血縁のようです。今も親交があるかは謎ですが」

「なるほど。なるほど」

 サロウドは頷きながら、アリシアの話した情報を推測する。

 マストが何かやらかした。

 やばげな貴族の女が関わってる。

 二人は人喰い屋敷にいる。

 理解はした。だが、なぜ一般人である自分にそんな話をするのか。……サロウドは考えたが、どう考えても思い当たる理由は一つしかない。

「マストが、相当な失礼をしたようですね」

 どちらかといえば確認のための問い。それを受けてもアリシアはすました顔で上品に紅茶を飲んでいたが、その横にいるグランセンの生温い笑みが全てを肯定していた。

「あいつは悪気ないんですよ。だからタチが悪いんですけどね。自分のことにも周りのことにも頓着しないから、たまに信じられないくらいの馬鹿をすることが……」

「一歩踏み出せば戻れないような線を、知った上であっさり越えかねない」

 アリシアのその声は、この場を凛と張り詰めさせる真剣さがあった。

 持っていたカップをテーブルに置き、金色の髪の女はサロウドへまっすぐに視線を向ける。

「その女性がマスト殿を評した言葉です。サロウド殿はどう思われますか?」

「その通りだと思いますよ」

 対する青年は、あっさりとそれを肯定した。

 サロウドは自分の紅茶に手を伸ばし、ゆっくりと一口飲んで口内を湿らせる。それは思考のための間だった。同居人の絵描きとは、もうそれなりに長い付き合いになる。

 はぁ、と彼はため息を吐いた。

「ま、あいつは見た通り変わったヤツなんですけどね。たしかにあの変わり方は、その女の言うとおり危ういですよ。……えーっと、どうやって説明しようかな」

 長年マストと付き合ってきた上で、サロウドも時折感じてきた。アリシアもそうなのだろう。もしかしたら、銀髪の女性とやらも同じかもしれない。

 あの貧相な同居人は、基本は人畜無害なくせに、ささくれのように心に引っかかるのだ。

「日常的なマナー、というものがありますよね」

 きっとアリシアは、マスト・ポートという男に対して困惑している。

「道で顔見知りに会ったら挨拶くらいはする。劇場では大きな声や音をださない。教会の週一の祭儀には派手な靴を履いていかない。特に法的に決められているわけではなくとも、多くの人が守るべき大切なルールと認識しているもの。常識といっても良いでしょう。たとえばアリシア様でしたら、こういったことには人一倍敏感なのではないでしょうか」

「そうですね。たしかに私は、それについては人より細かいかもしれません」

「ですがこれが、マストには無価値に見える」

 きっと、これはマスト・ポートという人間の核心だった。

「……というと?」

 ある意味で、彼女とマストはまったく逆なのだろう。

 これは在り方の問題だ。

 魂の色合い。精神の向かう方角。その人間がどういう生き方をする者なのか。これはそういう話に他ならない。

「そういうものがあることは知っている。それなりに便利だから使ってもいる。けれど別に守るべきものだとは思わない。……そんなところでしょうね。理屈ではしっていても、根本的にどういうものかを理解できていない。いいや、する気が無い」

「なんか意味わかんないっすけど?」

 グランセンが横から口を挟む。同じく同居人とはいえ、この少年はサロウドほどマストと付き合いが長いわけではないし、ついでに頭も弱い。そもそもこの性格では、折々でそういう気配に触れることはあっても、気にもしていないに違いない。

「お前にも分かるよう、語弊を恐れず簡単に言うとだな。つまりマストには、良心ってものがないんだ」

 アリシアが息を呑んだ。グランセンが変な顔になった。

「なんすか? それってマスト兄ぃ、もしかしてヤバイ人なんす?」

「いつも見てるだろ。あいつは間抜けで不器用で、絵のことしか考えてない変人だよ。いやある意味ヤバイけどなそれも」

 茶化すように笑い飛ばしてから、サロウドはよっこらせと椅子から立ち上がった。アリシアへと向き直り、廊下の奥を指し示す。

「ま、それだけじゃ半分以下ですけどね。あいつの部屋に案内しますよ。そうすれば、きっとお分かりいただけると思います」


 油絵は、筆を入れては乾かすという作業を繰り返す。

 当然、乾かしている最中は空き時間になるが、ではその間に貧乏な絵描きはなにをするのかというと……他の作品を手がけるのだ。

 一流の画家ならば一つの作品に専念できるかもしれないが、安値でしか売れない三流なら、数を描いて生活費の足しにしなければならない。そんな厳しい現実は、マストを容赦なく押し潰していた。

「勝手に入ったからって怒るヤツじゃありませんからね。ただ、絵は傷つけないようにお願いします」

 サロウドが灯りを持って先導する。うだつの上がらない貧乏絵描きの部屋には、未完成の作品がいくつか置いてあった。どれも乾かしていたのか、壁に立てかけるように並べてある。

 モチーフは様々だ。街の風景だったり、テーブルに置かれた果物だったり、教会の礼拝堂だったり、椅子に座る人だったり。

「暗いんで気ぃつけた方がいいっすよ。床とか絵の具で酷いことになってんすから、もしかしたら足滑らすかもっす」

 グランセンがアリシアに注意を促す。

 部屋の一歩手前で、アリシアは鼻を突く匂いに足を止めた。

「アトリエですか?」

「ええ。ですが、あいつはここで寝食してますよ。おかしなやつでしょう?」

 アリシアが部屋に入る。無造作に置いてある絵に目をとめ、その一つの前に膝をついた。

「ちょ、床汚れてるって言ったすよね……」

 床の汚れもグランセンの声も気にならないのか、彼女はじっと絵を見つめる。気を利かせたサロウドが、絵の近くで灯りを掲げた。

 教会の礼拝堂。先日、マストとアリシアが会ったあの場所だった。

 ステンドグラスから漏れる日差し。神々しい聖印。壇上で神父が聖書を手に立ち、並ぶ長机で信者が熱心に祈りを捧げている。

 記憶を頼りに描いただろうに、細部までこまかに描写してあるそれを、アリシアは泣きそうな目で見つめ―――やがて絞り出すように、お世辞を口にした。

「……上手いですね」

「それだけですがね」

 サロウドはきっぱりと言い切った。

 覗き込んだグランセンが分かってもいないくせに、かゆくもない顎をこすりながら口を出す。

「久々に見たっすけど、マスト兄ぃの絵ってほんとにスゲェっすよね。こんだけ上手いのになんで成功しないんすかね」

「じゃあ買ってやれよ」

「いや俺こういうのに興味ないんで」

「だろうなー」

 いつもの調子で軽口を叩く二人。その間もアリシアは絵を見つめていた。

 何かを探すように。読み取ろうとするように。ほんの少しの、間違いのようなものを見つけようとして。

「サロウド殿」

 やがて、彼女はそれを諦めた。

「あなたは分かっているのに、なぜそれを……」

「言えるわけがない」

 絵描きの同居人は首を横に振る。

「言えば自殺しますよ。そういうやつです」



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