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人喰い屋敷

 商売道具を背負い、銀の髪の女に先導されて夜の道を歩く。

 その道のりで、マストは依頼を受ける返答をしたわけでもないのに、いつのまにか肖像画を描くことになっていると気づいた。

 なんということだろう。前後不覚になるほどの怒りで我を忘れていたが、まだ自分たちの商談はそこまでたどり着けていなかったはずだ。なのにあの余計な横やりのせいで、もはや描く方向で話が終わってしまっている。……まあ、とはいえたどり着けていなかったのはマストの心情のみであり、たどり着けなければ死ぬ案件であるのだが。

 しかしこうして冷静になってみれば、意固地に断る理由もなかった。

 なにせ、彼女は自分に絵を依頼してくれるというのだ。本来それだけで喜ぶべきである。画家としての評価は気に入らないが、なんだかんだで腕は認めてくれたということだろう。ならばそれに応えずしてなんとする。

 彼女が自分に期待しないというのなら、その認識を上回らずしてどうする。

「フィオーレ、というのですね」

 マストは歩みを止め、先導する女性の背中に話しかけた。彼女も足を止め、振り向く。

「いかにも。それが私の名だ。どうした? そこまで変な名ではないはずだが」

「僕はマスト・ポートです」

「知っている。さっきあの女がそう呼んでいただろうに」

「改めて、自分で名乗っておきたかったんです」

 マストの名も、フィオーレの名も、互いに向けて名乗られたわけではなかった。マストの気分の問題ではあったが、これから契約するのであれば、きちりと互いの名の下に交わしたかった。

「肖像画の件、正式に依頼を受けさせていただきます」

 決意を込めて宣言する。

 必ずや、貴女を唸らせるものを描いてみせる、と。そんな意気を漲らせ、マストは銀髪の女性に真っ向から対峙する。

「……確かに、正式な契約はまだだったな。これにて完了だ」

 だが彼女はそれを呆れた視線で返した。すぐに肩をすくめて背を向け、また歩き出す。

「だが意気込む必要はない。貴様はできることをやれば良いのだ。せいぜい気楽に励め」

 フィオーレにとっては、それで十分なのだろう。だがマストからすれば不足だ。しかし今どうこういったところで、適当にあしらわれるだけに違いない。

 反論は歯を食いしばって我慢して、マストはその背を追う。




 結構な時間、歩いた。

 慣れた重さとはいえ、大荷物のマストに長距離の移動は厳しい。足はとっくに疲労で重く、荒くあえぐ喉は冷たく乾燥した空気で痛みを訴える。冬の夜だというのに体温が上がって汗がにじみ、防寒着の中で蒸されるような不快感が精神を削っていく。

 しかし、道中でフィオーレがマストを気遣うことは一切無かった。もしかしたら気づいていなかったのかもしれない。手荷物すら持っていない彼女は夜道をスタスタ進み、マストは遅れないよう、ひいこらひいこらとその後をついていく。

 フィオーレはなぜかずっと機嫌が悪そうで、自分からは一言も話すことはなかった。ひたすら前を向き歩き続けるのみだ。だからどうにも声をかけずらく、休憩を願い出るのも憚られてしまう。

 とはいえいい加減限界に近く、もはや疲労困憊なマストは、意を決して小休止の提案をしようと息を吸い、

「見えたぞ、あそこだ」

 フィオーレのその言葉にむせた。

「どうした?」

「いや、どうしたって……」

 どうもこうもなかった。

 古い、大きな屋敷だった。

 おそらくかなり長い間、まともな手入れをされていないのだろう。塀は薄汚れてひび割れ、門は赤く錆び付き、庭は背の高い雑草が生い茂っている。屋敷に通じる道は石畳が敷かれているが、それすらボロボロで、そこかしこに走る割れ目からは草が膝丈まで飛び出ている。

 マストはこの場所がなんと呼ばれているか知っていた。

「……人喰い屋敷」

 その場所は人の出入りもなく、夜に明かりは灯らず、とうに打ち棄てられたという言われていた。

 そして……屋根を求めた無宿人。金目のものを漁りにきた盗人。肝試しを敢行した若人。それら屋敷に立ち入った人間のことごとくが帰ってこないと、一昔前に噂になった場所だ。

「なんだ、我が家はそんな名で呼ばれているのか」

「あ、いえ……それは」

「よい。この見てくれだ。悪い噂の一つや二つ、あってもおかしくはない。……この朽ちた外観は気に入っているのだが、さすがに悪趣味なのは自覚しておる」

 フィオーレはそう嘯くと、錆び付いた門に手をかける。油の切れた音をたてたが、存外にすんなりと開いた。門が門としての機能を失わないよう、最低限の手入れだけはしてあるのかもしれない。

 夜の暗さにもかかわらず、フィオーレは割れた石畳を慣れた調子で進む。本来なら芝生の庭園でもありそうな広い庭を抜けるまでに、マストは何度もつまずいて転びそうになった。

 二人はやがて屋敷の重々しい扉にたどり着き、フィオーレはノッカーを使いもせずに開く。マストもおっかなびっくり後に続いた。

「ようこそ我が家へ、とでも言うべきなのかな。貴様は久方ぶりの客人だ」

「うあ……」

 中は暗かった。窓からわずかに月明かりが差し込むのみのそこは、全然光量が足りていない。だが響いた足音はかなりの空間を感じさせた。

 人は見通せぬ闇の先に本能的な恐怖を覚える。まして、それが不吉で有名な人喰い屋敷とあれば、マストが入り口で固まってしまうのもしかたない。

「お帰りなさいませ、御館様」

 不意に発せられた知らない声に、マストがビクッと子兎のように跳ねた。声のした方に視線を向けると、暗闇の奥に明かりが灯り、ぼんやりと人の姿が現れる。

「留守中、何もなかったか。エリサ」

 十六、七歳ほどの少女だった。

 艶やかな黒い髪に蒼の瞳。華奢な身体をメイド服に身を包み、本来は野外用と思われるカンテラを手にし、靴音を響かせながら近づいてくる。

「本日は何もありませんでした」

「そうか。こやつは例の絵描きだ。しばらく面倒を見てやれ」

「分かりました」

 淡々と、簡潔に、感情薄く。エリサと呼ばれたメイドは機械仕掛けのように受け応えると、マストへとなんの興味もなさそうな視線を向ける。

「部屋を用意してあります」

 それだけ言うと、エリサは背中を向けて歩き出した。

「……え、あ?」

 あまりに言葉少なだったため、理解するのに少し時間がかかった。

「ついてこい、ということでいいのですか?」

 ニヤニヤと傍観しているフィオーレに聞くと、彼女は肩をすくめる。

「貴様とて準備もあるだろう。仕事は明日の夜からだ。部屋はこれから自由に使ってかまわんから、今日はゆっくり休め」

「……お心遣い、感謝します」

 迂遠な返答だったが、案内先の部屋で今日は休めということらしい。マストはフィオーレに一礼し、エリサの背を追う。

(……分かっていたことだけども)

 エリサの足は速くはないが、大荷物で明かりも持たないマストを待つつもりはないらしい。だいぶん先行されていたため、マストは足早に追いかける。

 暗さに慣れて館の内部が少しずつ分かるようになると、その内装の素っ気なさが嫌でも目についた。燭台などの調度品は簡素なものが多く、絵や彫刻などはそもそも飾られていない。絨毯すら敷かれていない屋内には、落ち着かない寒々とした空虚さが横たわる。

 先を行くメイドの後ろ姿を見ながら、絵描きの青年は今更のように確信していた。

(この仕事、絶対に一筋縄じゃいかない)


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