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二、変調

 僕とエレナは二年前から付き合っている。エレナが、中学卒業間近の僕に、勇気を振り絞って告白してくれて、僕はそれに応えたんだ。

 そう決めた。そう認識した。だからそうなった。

 世界が、あまりに簡単になった。

 僕とエレナは何度も体を重ねた。何度もその瑞々しい肌を楽しんだ。時に授業をさぼって逢引(デート)した。教師どもは当然いい顔をしなかったが、授業なんぞ出なくたって、十分過ぎる程の成績を修めていた為、口出しする者はいなかった。むしろ、出席日数でも融通が利いた。学校としては、少しでもいい大学へ行ってもらい、学校の質を上げたいらしい。利害の一致だ。

 僕らは嫉妬の視線に囲まれた。しかし、それさえも心地よかった。嫉妬とはつまり、僕を羨望の対象で見上げているということだ。僕はやつらを見下げればいいだけだ。なんとも愉快じゃないか。

 全てが愉快。全てが順調。笑いが止まらない……筈なのだが、……

「やっほー渡瀬君♪ 上手く行ってるみたいね」

 突然後ろから掛けられた、鈴を鳴らした様な声。玲子が、ツインテールを揺らしながら、にやにやと嘲笑にも似た笑みを湛え僕を呼び止めた。

 上手く行かない事も、幾つかある。先ずはこの玲子の存在である。

 どうもこの女は、思い通りにならない。出て来て欲しくない時に出て来て、特に何をするでもなく、にやにやと近況を聞いて、と思ったら飽きたら帰ってゆく。一体何がしたいのか、目的がまったく判然としない。

 何度か『玲子など始めからいなかった』と認識しようとしたのだが、どうも上手く行かない。その度に、心臓をちくりと刺すような痛みが襲う。遠ざけようとあらゆることを試みたのだが、その全てが失敗に終わった。そして何より、エレナと遊んでいる時にでも、この女のことが、いつもどこか頭の片隅にあり、忘れようとしても忘れられない。

 この世界にあって、特別なのは僕だけではないのかもしれないな。……

 そして、もう一つ。――

「なあ渡瀬、また授業さぼってたみたいじゃないか。……お前だけなら別に何だっていい。だがな、妹まで巻き込まないでくれないか? あいつにも未来があるんだ。あいつの人生を狂わせるようならば、俺も容赦しないぞ」

 清樹針太、つまりエレナの兄の存在だ。

 僕と玲子の二人で居る所に、構わず非難してきた。僕は学校内で、エレナの次に、この玲子と一緒に居る時間が多い。だから針太にも、二人一セットだと思われているのだろう。僕としては心外この上ないのだが。……

「平気だよ。エレナだって、僕と同じで成績は上々。教師どもだって、ある程度黙認してくれている。何も未来に差支えは無いよ」

 僕は肩をすくめて答える。針太は眼光を鋭く尖らせる。

「あいつはお前だけのものじゃない。家族が居て、友達が居て、いろんな人が居て、それであいつが成り立っているんだ。お前一人が独占していいモノじゃない」

「針太、僕は別に彼女に強制して一緒に居させているわけじゃない。彼女自身が、僕といつも一緒に居る事を望んでいるんだ。……君は、兄としてエレナの意思を尊重してあげたらどうだ?」

「最大限尊重しているつもりさ。本当だったら、お前たちを今すぐにでも無理矢理にでも引き裂いてやりたい」

「君こそエゴだね」

「否定はしない」

「……針太、どうか安心してくれ。僕は彼女だけを愛している。彼女に悲しい思いはさせないし、彼女を襲う不幸から、全身全霊を以って守る。全ての災厄から彼女を遠ざける」

「渡瀬、お前こそがその災厄だ。……まあ、あいつの長い人生だ、お前みたいな碌でなしと付き合うことだってあるだろうさ。何事も経験かもな」

 針太は大きな体で僕を威圧し、背を向けて去って行った。姿が消え去ったことを確認し、ふうっと大きく溜息。傍らの玲子が、黒目がちな瞳を細め、くすくすと楽しげに笑う。

「あらあら、あんな凡人風情に良いように言われるなんて、随分だらしないわね」

「ふん、放っておけ」

 僕は眉をひそめる。この目の上のたんこぶ、清樹針太も玲子同様、思い通りにはならないらしい。『エレナには兄などいない』、『針太など存在しない』、『針太は僕とエレナを祝福している』、『僕とエレナの仲を快く認めている』、全てが上手く行かない。

 こちらは何と言うか、玲子とは違い、針太が特別だとか言うよりも、僕自身に原因があるような気がする。兄と妹と言う関係を考えると、『そんな都合のいい事があるものか』と、これ程まで都合のいい世界に於いても、考えてしまうのである。

 兄と妹、その事を考えると、心臓がちくりと痛む。

 玲子。兄と妹。心臓の痛み。それだけが、この世界に於いて僕の認識の外にある。……

「まぁ、まだまだこれからよ。これからもっと、常識を捨てて、世界を自分に都合よく創造すればいいのよ」

 玲子の鈴の音の様な声が脳内に響く。

 そんな二人の様子をじっとねめつける視線に、僕らは気付かずにいた。


 僕は無事三年に成る事が出来た。実際出席日数は足りていなかったが、お咎めはなし。エレナも僕と同様で、出席日数など足りていなかったが、無事二年に上がる事が出来た。依然玲子は邪魔者で、針太は目の上のたんこぶだった。しかしそれでも、精一杯楽しむことは出来た。

 そして、僕にはどうでもいいことなのだが、新一年生が入学してきた。

「ねえ、渡瀬君。あなた、他の女には手を出さないの?」

 桜の木の根元に玲子が座り、鈴の音を鳴らした様な声で、そんな事を聞いてきた。少し風の強い日で、吹く度に桜の花を落とし、墨色のツインテールをばたばたとはためかせた。

「いきなり何を言うかと思えば……興味ないな」

「また変な所で真面目なのね。操でも立てているの? 別に一夫多妻でもいいじゃない」

「そう言うんじゃないって。エレナさえいてくれれば、それでいいんだ」

「うわー、鳥肌立った。何言ってんのこの人。顔だけよくってキモチワルイ」

「お前な……まあ、そう言うわけだ。別に常識がどうこうとか操がどうこうとかじゃ無い。面倒だってのが一番だけど」

「なーに、無気力系主人公気取ってんのかしらこの人は。でも、こんだけぴちぴちの新女子高生が大量に入って来たってのに、そのまんまにしておくなんて随分勿体ないと思わない? 抱こうと思えばいくらでも抱けるのよ? ほら、今だってあそこに……」

 玲子が示す方には、五、六人ばかりの女子生徒が固まっていた。その中の一人が、僕らをじっと睨んでいた。黒の長髪、黒ぶちの眼鏡をかけ、頬には点々とそばかすをつけ、切れ長の目で、僕らを、ただ一点を、じっと見つめている。おや? と思う。僕は、この子を、どこかで見た覚えがあるのだが、……誰なのか、一向に思い出せない。

 そして、その女の口が開く。

 ――やっと、気付いた。――

 どくん。心臓が、今まで感じたことが無い程に強い、刺すような痛みに晒される。

「……不味いッ!!」

 玲子が叫んだ。女の手の平から真っ青な炎が出て、僕ら二人を囲んだ。玲子は跳ね起きて、自分の手首を爪で切った。鮮血が大量に飛び出る。急に何を!? そう思っていたら、その血が、四方八方に蜘蛛の糸のように張り巡らされ、僕らを囲った。青い炎がそれをじゅうじゅうと焼くが、中の僕らにはその熱さえ届かない。

「貴様……こんな所にまで追ってきたか!!」

 玲子の忌々しげな声が荒野に轟く。……荒野? いつの間にか風景は、学校から、ごつごつとした特撮にでも使えそうな荒野へと早変わりしていて、生徒は皆消えていた。

 眼鏡をかけた女は依然、僕らを、いや、僕を、じっと、切れ長の瞳で僕を捉えている。不図、右手で星を描く。すると、ぎゅるぎゅると音を立てて、真っ白で巨大な虎が現れた。あっと驚いている暇も無く、今度は玲子が、

「ナメるな巫女風情がッ!! 出て来いキュウキ!! この糞生意気な人間を食い破れッ!!」

 と叫ぶと、きりきりと音を立て空間が引き裂かれ、その狭間から翼の生えた、鋭い巻き角を携えた牛が這い出て来た。よく見ると、その体毛は鋭く硬い針だ。

 その虎と牛が、正面衝突。と同時に閃光を伴う爆発が起こる。熱を持った爆風に吹き飛ばされそうになる。牛と虎の両方が、消滅する。女が眉をひそめるのが見えた。

 しかし玲子は、そんな事には構わず、たんと飛び上がり、女へと向かった。女が驚きに目を見開く。

「甘いんだよ!! くたばれ小娘がッ!!」

 玲子の爪が伸び、鋭く尖る。そして、それを腹に突き刺した。赤い血が、腹からも口からも飛び出る。内臓も飛び出す。……するとどういうことか、玲子もまた、腹から血が滴り、内臓を飛び出させ、口からも血を吐きだした。

「玲子!」

 僕が叫ぶと同時に、誰も居ない学校の屋上へと風景が切り替わる。腹を切り裂かれた女は虫の息で、玉のような汗を全身から噴き出させ、浅く速い呼吸を繰り返し、玲子の方はふーふーと息を荒くし、倒れた女を忌々しく睨みつけている。

「ぐッ……!! 己、小癪な!!」

 そして、ぎっと僕の方を見る。

「渡瀬君、あなたが殺して!!」

 突然のご指名に、混乱する。ただでさえ頭が追ッ付かないのに、いきなり殺せとはどういう料簡だ。意味が分からない。しかし玲子は、僕の答えを待たずに、

「私では、こいつを殺す事が出来ない。……渡瀬君、迷わないで。あなたは何だって出来る。あなたの行動は、この世界に於いて全て許される。罪なんて無いわ。……さっきのを見たでしょう!? こいつは問答無用で私たちを攻撃してきた!! こいつは、ここに居てはいけない存在、あなたに仇なす存在! この世界を壊し得る、唯一の存在よ!!」

 じっと女を見下げる。肩で短く速い呼吸を繰り返し、真っ白な地面をどす黒く血で染めている。……この世界を壊し得る? 今まさに死に絶えんとする、こんな女が?

 どくん。――

 まただ。心臓に、刺すような痛みが走る。目眩がして、立っていられずその場にへたり込む。ぐにゃりと、世界全体がゆがむ。同時に、確信する。

 ――この女は、確かに世界を壊す。異物だ。――

 何故かは分からないが、そう認識してしまった。認識してしまったからには、……危険だ。

 この異物を、今すぐに排除せねばならない。

「そう……その通り……その女はここに居てはならない。今すぐに、殺さなくてはならない」

 玲子の、鈴を鳴らした様な声が脳内に響く。僕は操られたように立ち上がり、女の側に寄り、座り、首に手を掛け、ぎゅっと締める。……

 どくん。どくん。――

 心臓を、何度も何度も、ノックするように、何かを気付かせようとするように、刺すような痛みが走る。

 女の顔が苦しみに歪む。それと同時に、僕も息が止まる程苦しくなる。女から大粒の涙が零れる。と同時に、僕の瞳からも、自然と涙が流れる。視界がぐにゃぐにゃと、七色に光りながらゆがむ。苦しい。やって居られない。

 僕は我慢できず、女から離れた。すると一瞬で苦しみが治まった。ぜいぜいと体で息をしつつも、安堵に肩を下ろした。それが不服なのだろう、玲子は僕を恨めしそうな顔見つめている。

「……あなたは何をやっているか、分かっているの? そいつは、この世界に於いて異物よ? その存在を許すと言うのは、癌をその身中に飼うのと同じなのよ?」

「ああ、そうだろうな。しかし、僕はこの子を助ける。そう決めてしまったんだ」

 周りの景色がぐにゃりと(ひず)んだ。世界全体が、彼女に対し戸惑いを持っているかのようだ。

 ――彼女がどんな存在か、そんな事はどうだっていい。さっさと助けろ。――

 そう半ば強引に要求すると、諦めたかのように、歪みが収束し、背景が保健室に定まった。保健室と言っても、大病院の設備が完備されていて、超一流の医者が何十人も配備されており、その全員が知力の限りを尽くして女を助けようとしている。

「愚かだわ。その女は必ずや、あなたに牙を剥くと言うのに……」

「そうだろうな。玲子、お前も治療してもらえ」

 僕は玲子を半ば無視した。玲子は悔しそうに唇を噛み、眉尻を吊り上げて女を睨みつけた。


「すごいねー、命懸けで女の子助けるなんて、漫画かドラマの出来事だよ」

 丸井ことオマルが、呑気に弁当をつつきながら喋った。その隣には、むすっとした表情の針太が購買で買った蒸しパンを黙々と食べている。

 エレナは、久しぶりに友達と食堂で食べると言いだした。こんな事は初めてだ。しょうがないので一人でこそこそ食べようとしていたら、オマルに呼び止められた。そして、久々に、この二人と弁当を食べる事になってしまった。

 それよりも、この丸井の言葉である。

『僕があの女を命懸けで助けた』

 何故か、そう定まってしまった。そんな風に認識したつもりなど無いのだけど……。

 学校全体にその噂が広まった。その所為か、周りの僕に対する認識も変化した。嫉妬の視線は凪いで、善人でも見るかのような態度に取って代わった。目の上のたんこぶでしかなかった針太の態度も、少しばかり和らいだ。

 まあ、別に悪い方向に行きそうにないので、取り敢えず放っておこうと思うが……。

「ねえ、幸次君が助けた女の子、目を覚ましたって話よ。お見舞いに行ってあげれば?」

 エレナまでもが、突然そんな事を言い出した。目を覚ましたのは知っていたし、いつかは行くつもりだったが、まさか他人に指図されるとは思わなかった。少しだが、不服だ。明らかに、少しずつだが、世界が自分の思い通りにならなくなっているような気がする。少しずつだが、確実に、都合のよさが失われてきている気がする。……恐らく、あの女の所為だろう。

「だから殺しておけばよかったのよ」

 脳内で響く、鈴の音の様な声を無視した。


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