第60話 軍務実習が始まる
ミルトル教官が、この村から姿を消して5日間、軍務実習は一時中断を余儀なくされていた。
ヨシトだけなら、強引にでもソリトン=アレイム一級回復師の元で参加する事も可能だっただろうが、ミルトルの阿呆が決めた事に彼は従いたくなかった為、他の3人の奨学生と共に今日も仮設医院で暇を持て余していた。
4人は夕方近くの患者の誰もいない待合室の椅子に座り、何をするでもなく顔を突き合わせていた。
「これは、やばいかもしれねえな。このままじゃ実習期間が終わっちまう」
タルザ=ポポスは普段の明るさも鳴りを潜め、深刻そうな表情だ。
「そう簡単に後任は決まらんさ。だが、確かにまずいな」
アスラン=ロミーゲが、低く響く声で悲観する。
「私達は、もう国家試験に合格してるでしょ! 中止になっても来期、やり直せばいいだけよ。だいたいあなたたち、辛気臭いわよ。覚悟を決めなさい!」
ルイス=セスナスは比較的元気だ。
やっぱり女性は、土壇場に強いのだろうか。
先輩達のそんな様子を見るまでも無く、ヨシトは今回の事に責任を感じていた。
もちろん、彼は何一つ悪くなどないが。
「本当にすいません先輩方。この穴埋めはきっちりとしますから」
あれから毎日、ヨシトはマキシム医術専門院に足を運び、何とか実習の再開が出来るよう学院長に嘆願を行っているのだが、何せ1ヶ月弱もの間、予定が空いている講師などいない為、後任は決まっていなかったのだ。
「何言ってんだ。学院のゴミ掃除が出来たんだ。この事を先輩方が知ったら、おまえ一躍ヒーローだぜ」
「違いない。それに、ラオス学院長は、悪いようにはしないって言ったんだろう。あの人の言う事は信用出来る」
「穴埋めなんて、とんでもないわよ。そんな事より薬を造りましょうよ。特に傭兵の方々には評判がいいのよ」
その言葉をありがたく思うヨシトだが、最悪の場合、金銭的なバックアップをする事は心に決めていた。
その時、医院の入り口のドアが開く。
姿を現したのは、ラ―ガス教授だった。
4人は驚いて、彼のそばに駆け寄る。
「待たせてすまなかった。まずは私が指導に来た。…それにしても此処は遠いな。5人も移送屋を乗り継いだぞ」
「教授自らが、教官になってくださるのですか?」
アスランの驚きは当然と言える。
普通はあり得ないことだ。
「残念だが3日間だけだ。ウッドヤット君、君の提案を採用した訳だ。負担をかけるだろうが、送り迎えを頼むぞ」
「はい、任せてください!」
ヨシトは、一か月が無理なら、開いてる時間を調整して複数の講師が教官を担当してくれるように、ラオス学院長に直談判していたのだ。
当然、送り迎えはヨシト自身が行う事も含めてだが。
ラ―ガスは学生達を見渡すと、辛そうな顔で話し出す。
「まず最初に、諸君に謝罪したい。本来ミルトルのやった事は許されないことだ。懲戒解雇ではなく、医師免許はく奪に相当する程の事だと言える。本当にすまなかった」
驚く先輩方をよそに、ヨシトは冷静に言葉を返す。
「正式な謝罪は、ラオス学院長から俺達全員にしてもらっています。教授は何も謝られる必要はありませんよ」
ラ―ガスは愉快そうに微笑むと、ヨシトを見て話し出す。
「それでは、個人的に礼を言おう。ウッドヤット君、よくぞやってくれた。おかげで奴は、当分の間は教壇に立てないだろう。医師の資格はそのままだが、奴がこれ以上、優秀な学生をつまらん理由で迫害する事は無い。医師のつながりは浅い様で広い。少なくても周辺国を含めた国で、奴を講師に雇う学び舎など無いよ」
学生達は頷く。
ミルトルの欠点は、医術や研究の資質などでは無いのだ。
医師の中に含まれる、教育者としての部分こそ問題なのだから。
奴が現場や研究施設で働くなら、一向に構わない。
患者には選択権があるのだから。
「ラ―ガス教授、もう済んだ話はいいよ。俺達は、何をすればいいんだい?」
タルザの言葉を聞き、ラ―ガスは説明する。
「早速、明日から実習を行う。期間はこれから30日間だ」
「よっしゃ、そうこなくっちゃな」
「私、精一杯がんばります」
「中断期間を考慮していただき感謝します」
ヨシトは、3人の声を聞き心が弾む。
「先輩方、明日からいよいよ本番ですね。ラ―ガス教授、よろしくお願いします」
その後、ラ―ガス教官は討伐隊の元に行き、明日からの段取りを付けることで軍務実習は無事再開された。
5日間無駄にしたとはいえ、結果的には最高の条件になったと言えるだろう。
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次の日の朝、ヨシト達は100人ほどの魔物討伐隊の一団の中に、緊張した面持ちで集合していた。
1000人ほどの密林開拓団を護衛するのが彼らの任務だ。
ざわざわと落ち着かない様子の奨学生と比べ、ヨシトは結構気楽だった。
確かに名目は護衛任務であるが、回復役である彼らが戦う必要など無いのだ。
それに、討伐隊の中には10人程の人間族の熟練兵がいる。
400歳以上の高齢者の能力は、はっきり言ってけた違いだ。
ヨシトが彼らと戦うのなら、一対一なら楽勝だが、全員相手には普通は勝てないと考えるべきだろう。
防御ギフトがある為、そう簡単にはやられず、例え待ち伏せを受けても逃げ出す事ぐらいなら出来るだろうが。
もちろん、そんな戦いなど起こるはずもなく、この仮定には全く意味など無いと言えるが。
集合時間がくると隊長が号令をかける。
いよいよ、出発だ。
討伐隊は、それぞれ10人ほどの小隊に分かれて、開拓団の周りを囲うようにして進軍を開始する。
ヨシト達計5人は、医療小隊としてラ―ガス教授が指揮を執る。
「何か緊張するぜ。なあ、アスランよ。俺っちは上手く歩けてるか」
「問題無い。気が散るから少し黙れ」
「アスラン、普通に歩きなさいよ。手足がバラバラに動いてるわよ」
(訓練通りすればいいのに)
ヨシトは、全くプレッシャーを感じていない。
「諸君、私語は慎むように。辺りを警戒し、物音も聞き逃すなよ」
ラ―ガス教官の指示が飛ぶ。
アスランとタルザは、完全に浮足立っているが仕方がない。
彼らは20歳そこそこなのだから。
一団は、魔の森沿いに進軍して行くと、森の縁から小型の魔物が飛び出してくる。
すると、投網が投げられ、魔物が網に絡まると、獣人の傭兵達が出てきて武器でタコ殴りにする。
(平和だなぁー。神は天にいまし、全て世は事もなし)
間違っても、ブラウニングの詩を朗読する状況では無い。
その証拠に、また一匹、森から魔物が飛び出してきた。
(ありゃ、あの魔物は毒持ちのはず。どうするのかな?)
ヨシトが注視していると、さっきと同じように投網が投げられ魔物の動きを止める。
すると、兵隊達は小銃を取り出し一斉に鉛玉を獲物に撃ち込む。
(普通に害獣駆除だな。でも、合理的だ。ゲームや物語じゃあるまいし、剣で立ち向かっていく馬鹿は早死にするってわけだな)
魔物の死骸に対して、兵隊達が情報破壊魔術を行使している姿をじっと見ているヨシト。
毒の付いている投網は、水で洗い流した後に簡単な浄化系魔術で解毒している様だ。
(やっぱり、出来るだけ魔術は温存しているみたいだな)
いったん身体魔素が空になると、全回復には早い人でも半日以上は時間がかかる。
もちろん、ゲームのようなMP回復薬などないので、魔力は使わないに越した事はないのだ。
特に獣人達は、そう言えるだろう。
その後も同じように小物の襲撃があるが、順調に行軍は続く。
ただ、人より大型の魔物が襲ってくる事は無く、医療小隊の出番も無かった。
2時間ぐらいすると、今日の目的地である開拓現場に到着する。
これまでは、回復や治癒を含めて、医療小隊は何もしてなかった。
ただ見てるだけであり、さすがにアスランとタルザも落ち着いたようだ。
到着が間もなく、討伐隊が軍事行動に移る。
今回の一団の目的は、魔の森の拡大阻止及び、それに伴う魔物の討伐である。
出来れば魔の森は縮小する事が望ましいが、現在までは何とか抑え込むだけで精一杯だ。
この森は、ガレア地方では最大級の物であり、遥か上空から見ると楕円形をしており、長辺の長さが1000kmを超える。
現在も密林は規模を拡大しつつあり、植物の繁殖防止魔術陣でも抑えきれないのだ。
つまり、物理的に木を切り倒して、森を開拓するしかない。
すぐに、開拓団と討伐隊は切り離され、傭兵や軍人達は魔の森に向かい迎撃態勢を取る。
ヨシト達の小隊は最後尾に位置し、防御陣を突破してきた魔物を始末するのがその役目だ。
「これからが本番だ。気を引き締めろよ」
ラ―ガス教官の指示に、奨学生達は緊張に包まれる。
(1匹くらい来ないかな。退屈しのぎにはなるよな)
全く緊張感の無い男が一人いるが、別に気を抜いている訳ではない。
ヨシトに取ってみれば、一対一なら20m級以上が来ない限りは、大丈夫だ。
ただし、油断しなければという当たり前の条件が付くが。
そして、森の外周部にはそんな奴はいない。
せいぜい、大きくても5m以下である。
いよいよ、兵隊達が動き始める。
まず最初に、何人かの傭兵が飛行魔術を使いさっそうと飛び立つ。
彼らの腰の横には、小さなケースを取りつけてある。
ラ―ガス教官が解説する。
「今から行うのは、周辺の魔物をおびき出す作戦の第一段階だ。彼らは奥から手前に向けて、小型の通常爆弾で約20m間隔の爆撃を行う」
「教官、いっそのこと絨毯爆撃をすりゃあ、楽でいいんじゃないんですか?」
「爆弾では、直撃に近い場合で無いと小型の魔物ですら死なない。その場合でも、死体が飛び散り、大きな部位を回収しないと魔物の数自体が増える。密林の中で、魔物の死骸を探し回りたくはないだろう。それを防ぐためには大型の爆弾や、範囲型焼夷弾を使う場合もあるが、今回の目的には合わない。何よりコストの問題が大きい」
ラ―ガスの解説に、皆納得する。
すると、ボン!という小さな爆発音が前方から聞こえて来た。
森の上を見ると、傭兵達が手のひらサイズの爆弾を森に向けて一定の時間を開けて落とす様子が見られる。
恐らく、魔物をおびき寄せる為に時間差をつけているのであろう。
しばらくすると、予定通り魔物の群れが森から現れる。
ここでようやく人間族の軍人の出番だ。
出て来た約100匹の魔物のうち、2mを超える物を中心に攻撃魔術を行使する。
その数はおよそ7,8匹程度で一番大きい奴で4m程だろうか。
ヨシトは魔力視を使い、彼らの戦闘や魔術の構成を観察する。
(完全に分業だな。獣人の兵達は3人のチームを組み、人の大きさ以下の魔物退治。それ以上は、人間族の熟練者の魔術か。それにしても、彼らはすごい。魔術の構築がスムーズで芸術的だ。それに、獣人の兵達も攻撃型ギフトを使っている人が多いな)
ヨシトの攻撃魔術は、彼らと比べるとかなり荒っぽくて無駄が多いと言える。
それでも彼の攻撃魔術は、ここにいる誰よりも威力が高いのだが。
それだけ伸びしろが大きいと言う事だが、下手をすると味方にまで損害を与えかねない為、集団戦では使いにくい。
それに格闘戦は、素人と変わらないのだ。
これは、彼の持つ『防御』ギフトがある為、対戦相手が素手での訓練しかできないので、スポーツならともかく、実戦形式の物は練習出来ないからだ。
(とりあえず、すごく勉強になる。戦闘の実物を見ると武器はあくまでも牽制や防御だな。銃器を使っている人も多い。そして、止めは魔術やギフト。魔物相手には、こちらの魔術が届く距離を保ち、近寄らせない事が重要だ)
戦いの基本であり、当たり前と言える。
拳銃相手には、剣では勝てない。
魔術を使う人間に、剣士は勝てない。
相手に反撃機会を与えない事、言いかえれば敵の有効射程に入らない事こそ重要なのだ。
それは、減衰が激しいこの世界でも変わらない。
(大型の魔物が恐ろしいのは、第一がその質量で、次に魔術耐性と体の丈夫さ。最後が固有魔術や毒だと思っていたけど、小型ならその順番は全く逆だ。ただし、俺の場合は不意を突かれなければ怖くもなんともない)
と言っても、彼の『防御』ギフトがあれば、そんな心配は無い。
唯一、毒にだけ気を付ければいいのだ。
ヨシトは一つ決心をする。
(浄化魔術を極めよう。それぞれの毒に対して、最も有効な術式を構築しよう。そうすれば、俺にとって小型の魔物は敵では無い)
回復師としては、実に最もな結論である。
そしてそれは、新しくヨシトの日課に加えられる事になる。
彼がそんな事を考えていると、あらかた魔物は討伐されていた。
今までの、場を包んでいた緊張感が霧散する。
「さて、ここからが私達の仕事だ。負傷者を見て回るぞ」
ラ―ガス教官の号令で、学生達全員に気合が入る。
「傭兵は特にそうだが、よほどひどい傷以外、見せに来たりしない。こちらから動いて治療するんだ。隊員の健康管理こそ最重要任務だと思え」
4人は急いで、兵隊たちの元に走る。
ヨシトは、先ほどの戦闘で少し気になる場面を見つけていた。
その獣人の男の姿を思い浮かべ、即座に見つけ近寄っていく。
「失礼します。先ほど魔物の体当たりを受けましたよね。左腕を動かせますか」
「駄目だ、しびれて上手く動かん」
ヨシトが調べると、骨が完全に折れている。
「二カ所、折れてますね。今から骨を接ぎますので、楽にしていてください。痛みはありませんから」
患者の身体魔素を局部的に移動させ、骨の位置を魔術で整復し、活性と治癒と再生を組み合わせ行使する。
「治療が終わりました。腕を動かしてみて、変な感じはありませんか?」
「いいや、…驚いたな、兄さんいい腕をしている」
男は腕をぶんぶん振り回すと、にこやかな顔をする。
「ほとんど治ってますが、神経組織の完全な修復には3日程かかります。少し、しびれが出るかもしれません。その時は、医院を訪ねて来てください」
「ああ、わかったよ。本当に助かったぜ、以前折れた時は、3日は動かせなかったんだがな。その間、日当が出ないからきついんだ」
獣人達にとって骨折は、魔術を使用しても完治には3日間程かかる。
今ヨシトが行った治療は、ベクトル操作と自由魔素親和性が高い彼の開発した得意魔術である。
特に外科的な治療に対して、彼は優れた能力を持っていると言える。
彼の回復師としての能力は、外傷治療のスペシャリストに匹敵する。
そのほかにも数名の重傷者がいたが、全員で治療にあたり、何とか完治させた。
軽い怪我人には浄化殺菌を行い治癒魔術をかけ、毒に冒された人には抗毒素薬を使う。
その内容は、ラ―ガス教授から見ても完璧に近い物だった。
ようやく仕事らしい仕事ををした4人は、満足げな表情を浮かべている。
その後は、密林開拓団1000人が、一気に木を切り倒し始める。
兵隊たちは、上空から周囲の警戒任務につく。
この場所は、戦場から木材の生産地に劇的に変化して行く。
ヨシト達は、魔物の死骸を集め、毒を採取したり亜種の存在を調べたりして今後に備える。
もちろん、死骸には情報破壊魔術を使う事も忘れない。
そんな風にして、初日の実習は終わった。
得られた経験は大きく、奨学生達は、これからの1カ月に少し自信を深めた。




