第53話 小さな問題の結末
午前中の予定をこなし、前もって昼食を終わらしたヨシトは、親友であるレミル=ブラットと共に、メモに書かれていた学生棟2階の202準備室の前に来ていた。
二人は頷き合うと、部屋の中に入る。
するとそこには、人間族の女性が椅子に腰かけていて、こちらを興味深そうな表情で見ていた。
彼女がフジコ=デイビイ、ヨシトを呼び出した人物だろう。
彼女は鮮やかな青い髪と金色に輝く瞳を持ち、かなり顔立ちの整った、利発そうな印象を受ける雰囲気を漂わせていた。
彼女の服の胸には、学院の入場許可証が留め付けてある。
(うん、美人だ。タラチナさんよりは落ちるけど)
ヨシトが少し失礼な事を考えていると、彼女の方から話しかけて来た。
「こんにちわ、お二人さん。ところで、どちらがヨシト=ウッドヤット君なのかしら?」
ヨシトは一歩前に出る。
「俺がヨシトです。多分初対面だと思うのですが、名前を聞かせてもらえませんか?」
「フジコ=デイビイよ。何だか深刻そうな雰囲気ね」
「事情を知っているなら、俺が友好的でないのは解るでしょうに。それで、用件は何です? まさかあなたが怪文章を書いた訳ではないでしょう?」
にこりと笑うフジコ。
「まあとりあえず座って。もう一人は友達か何か?」
その言葉に自己紹介をするレミル。
「はい、レミル=ブラットと言う名前です。…宜しければ覚いぇてふださい」
(今、噛んだな。珍しい)と思うヨシト。
フジコは、「フフッ」と笑うと、右手を差し出し握手を求める。
「あら、素敵な名前ね。レミル君って呼んでいいかしら?」
「はい! こちらこそデイビイさん」
レミルは、妙に気の入った声で返事をする。
それから、レミルは名残惜しそうに手を離す。
ヨシトはフジコに、念のためレミルに同行してもらった事を告げる。
彼女が魅力的な表情で、レミルの事を褒める。
「お友達思いなのね。目の色も落ち着いていて綺麗ね。ふふっ、よろしくねレミル君」
口をパクパクさせ、「…はい」とだけ答えるレミル。
それは彼が、孤児院でタラチナにあった時の様子を思い出させる。
(しまった! レミルは美人に弱かったのを忘れていた)
彼は、骨抜きになる寸前だ。
(会ってまだ2分もたってないぞ。早すぎるだろう親友よ!)
リンダを連れて来た方が良かったかと思ったが、後の祭りだ。
とはいえ、荒事になる可能性を否定できなかった為、その選択肢は無かったが。
さっさと話を終わらせた方がいいと判断したヨシトは、フジコに話しかける。
「それで、デイビイさん。一から事情を話してくれませんか」
彼女は、事情を説明し始める。
「あら、せっかちなのね。まあいいわ、私はこの学院の卒業生で現在は医師よ。そうね、先輩とかお姉さまと呼んでもらっても構わないわよ」
「はい、お姉さま」
真顔で返事するレミル。
(駄目だこいつ、なんともならん)
すかさずフォローするヨシト。
「いや、レミルもふざけてないで。それから、デイビイさんも本題に入ってください」
彼女はクスリと笑うと、いきさつを話す。
「まず私は、昨日までは全くの部外者だったの。事情も知らなかったわ。そもそも昨日、後輩に音話(電話)で相談されてね。何だか面白そうだから、仲介しようと思っただけ。今日、会議の議事録に目を通して、ようやく理解した程度よ」
その言葉に、一つ息を吐くヨシト。
「ようやく犯人の顔を見れると思ったんですが、相変わらず陰に隠れている訳ですね。…それで、何を仲介するんですか? 先輩は医師で、弁護士では無いですよね」
彼女はコホンと咳払いをすると、ビックリする話を提案する。
「実は、告発者がヨシト=ウッドヤットとの一対一の討論を望んでいるの。そして私は司会役ってわけ。三人だけで放送室にこもって、学生達に向けて放送する予定よ」
その言葉に驚くヨシトとレミル。
「ヨシトくんずるい! 僕も参加したい」
「いや、何でそんな感想を持つんだ。…ごめん、何も言わなくていいから」
「あら、相手が一人で来るのに、二人がかりなの?」
「デイビイさんも、何言ってるんですか。そもそも討論なんて必要ないですよね。まして、学生放送と言う事は、教授棟以外はすべて流れるんですよ。確かにお昼には、学生放送で討論が流れる事はありますけど、俺は別に評論とかしたい訳じゃありませんから」
フジコは少し悲しそうな顔をすると、とんでもない事を言い出す。
「もう、予定は押さえてあるらしいの。あと20分後には30分間の予定で放送が流れるわ。もし、あなたが参加しなければ、ポルプ=レクイダの一方的な主張が流れるけど、あなたはそれでいいの?」
(なんて勝手な事を)と思ったが、ヨシトは最後の部分だけとらえて質問する。
「ポルプ=レクイダって誰です?」
「今回の元凶、あなたが言う犯人ね」
ヨシトとレミルは顔を見合す。
「知ってるか」
「知らないよ」
その言葉に、たまらず笑い出すフジコ。
「あはははっ、やっぱりその程度なのね。いいわ、説明してあげる。ポルプ=レクイダはあなたの先輩。社交的でないし協調性も皆無だから、知らなくても仕方ないわね。彼はね、あなたが人間の敵であると証明したいそうよ」
その言葉に、少し正気を取り戻したレミルは、苦笑して質問する。
「その、レクイダさんって想像力豊かなんですね。ヨシトくんが、魔物だとでも言うんですか」
「強化人間だと言う事を証明したいらしいわよ」
「彼は、掲示板を見てないんですか?」
「もちろん見ているわよ、ヨシト君」
ヨシトは、先ほどからニコリともせずフジコに話しかける。
「彼は、教授陣の決定を覆す程、優秀な人物だと言うんですか?」
「さあ? 私も彼の事はよく知らないのよ。自分で確かめてみれば?」
「そんないい加減な」と言うレミルに説明するフジコ。
「そう言われてもね。私と彼は、以前、在学中に少し話をする程度の関係と思ってもらっていいわ。彼の父親と私の母が知り合いなだけよ。それに今回も放送も、やめるように言ったのだけど、彼の意思が固かったの。それなら、面白そうだし、母校への里帰りも兼ねて寄ってみようかなって感じで来たのよ」
ヨシトはメモ書きを取り出すと、彼女に見せる。
彼女はそれを見ると、少し不快な様子だ。
「私の字じゃないわね。多分、ポルプ君の仕業ね。昨日、音話で説明されて、今日は一時間程前に来て議事録に目を通しただけよ。そのおかげで、面白いものが見れたからいいけど、確かに問題よね」
ヨシトは頷くと、フジコに提案する。
「俺はポルプ=レクイダのする事の、何から何まで気に入りません。彼が優秀だと仮定しても、俺を診察さえしていないのに、一方的に強化人間と断定できるはずがありません。それに、無関係な人間を平気で巻き込むのも、この時に至っても顔すら見せないのも、勝手に学生放送するつもりなのも、全て問題ありです。…デイビイさん、放送自体を中止してくれるよう、もう一度彼に言ってくれませんか。話があるなら個人的に聞きます。何もこれ以上、学院に迷惑をかける必要性を感じません」
フジコは苦笑を浮かべ、説明する。
「実は私も昨日、似たような事を言ったの。でも拒否されたわ。どうやら、彼は世間に広く訴える事が正義だと考えているみたいね。それと何より、あなたの報復を恐れているわ。個人的に会うと、その場で殺されるとでも思っているみたいだったわね」
心底呆れるヨシト。
そしてレミルは反論する。
「フジコさんほど聡明な人が、そんな馬鹿な事を信じているはず無いですよね。この辺で身を引いても、何も問題ないと思います。例えレクイダ先輩が、一方的に放送でヨシト君を非難しても、誰も取り合わないと思います」
その言葉に頷くフジコ。
「そうね、確かにレミル君の言う通りよ。でもね、いっそのこと参加して見ない? 面白いものが見れるかもしれないしね。それに、変な事を言いそうだったら口をふさいじゃえばいいだけだしね」
ヨシトはじっとフジコの様子を見ている。
レミルが更に、意見する。
「そんなことしたら、相手がつけあがるだけですよ。僕も参加していいなら、彼の口をふさぐのかもしれませんけど」
「この際、レミル君も仲間に入る? それなら私がレクイダ君に話してあげようか」
「是非お願いします!」
「レミル、帰ろう」
突然、ヨシトは一言告げる。
その言葉に驚くレミル。
「ちょっとヨシトくん、一体どうしたのさ」
「さっき、レミルが言った通りだよ。ポルプ=レクイダの言う事など誰も信じない。それなら、俺はこれ以上関わりたくない」
レミルが寄ってきて、耳元で話す。
「そうだとは思うけど、君には色々と知られたくない事があるでしょ。勝手にしゃべらすのはまずいよ」
親友の言葉に首を横に振ると、フジコに向き直り話し出す。
「あなたにその義務も無いでしょうけど、レクイダと言う男に会いに行くなら伝えてください。もう一度だけ、デイビイさんに免じて話し合いの機会を持つと、ただし、学生放送を行った後には、もう二度と顔を見せるなと。じゃあレミル帰ろう」
そのまま、出て行こうとするヨシトを彼女は呼び止める。
「待って、ヨシト君。…頼めた義理じゃないんだけど、出来ればポルプ君に付き合ってやってもらえないかな。逆にとっちめてやってほしいのよ。彼自身と言うより、彼の親御さんの為に」
「お断りします。彼が穴に落ちて這い上がれなくても、俺は助けない。失礼します」
部屋から出て行く二人の後ろ姿を見ながら、フジコ=デイビイは大きな溜息をついた。
―――――――――――――――――――――――――
放送室の横にある準備室の中で、ポルプ=レクイダとフジコ=デイビイは、向かい合って話をしていた。
ポルプは、先ほどのヨシト達とフジコの話の内容を聞き終わると、嘲笑を浮かべた。
「そうか、奴は逃げたのか。まあ仕方ない、俺はやる事をやるだけだ」
その言葉に、真剣な表情で語りかけるフジコ。
「やめなさい、レクイダ君。そんな事をすれば、ウッドヤット君の思う壺よ。彼と話し合いなさい。私も横に付いているから、あなたに危害が及ぶ事は無いわ」
「馬鹿な! それこそ奴の思惑通りだろう。第一、何で俺が譲歩しなければならない。奴の異常性を訴えれば、人間族の内の何人かは、必ず奴を恐れ、排除するだろう」
「それは、宣誓文が貼り出される前ならそうでしょう。でも、今となっては逆効果よ。そもそも、あなたは議事録に目を通したの?」
不可解そうな表情を浮かべ、彼女に答えるポルプ。
「いや、見ていない。だが、見たところで何も変わらないさ。こんな二流大学院の教授に、何が解るって言うんだい先輩?」
「あなたは、あまりにも愚か過ぎる。あなたの父親が、何故ここに入学させたのか考えた事はあるの? ここの教授達は医師会でも一目置かれているわ。下手な事をすれば、あなた自身の身の破滅よ」
「…そうだとしても、俺は認めたくない。それに、俺の身の破滅だって? それこそあり得ないよ。この世は、そういう風に出来てるんだよ。先輩もそれは知っているはずだよ」
フジコはポルプに憐れみの表情を浮かべると、最後の忠告をする。
「ポルプ=レクイダ、あなたのレクイダ姓に免じて最後に言っておきます。放送は中止し、ウッドヤット君と話し合いなさい。それが出来ないなら、もう二度と私に関わらないで。私は本気よ。これが最後の機会だと、肝に銘じなさい!」
ポルプは考える。
多分、フジコの意見の方が合理的だろう。
これ以上突き進んでも、恐らく望む展開は得られない。
こんな事をやっても、自分に一切の得は無いだろう。
それでは彼女の忠告に従って、奴と話し合うのか。
駄目だ、そんな事は出来ない。
どうしても認められない。
本来、ポルプは馬鹿ではない。
だが、決して譲れない物を持っている。
ヨシト=ウッドヤットの存在は、それらを否定する。
二人は対立点が多すぎた。
家柄は、名家と孤児。
マキシム医術専門院に入学してきた経緯。
友人に対する考え方。
獣人に対する考え方。
魔力と体力の格差。
社交性や医学人としての在り方。
自分がヨシトの何を嫌いなのかを改めて確認したポルプは止まらない。
いや、止められるはずもなかった。
自己の矛盾を社会に対する義務感や、医師を志す者の正義感に置き換え、ポルプの暴走は続く。
「残念です、フジコ先輩。だがこれは、どうしてもやらなければならない事なんです」
「そう、勝手になさい。…さようなら、お馬鹿さん」
彼女の立ち去る後ろ姿も見ず、彼は放送室の中に入っていった。
そして、彼の主張は学院中に流れた。
―――――――――――――――――――――――――
その後に何か起こったかと言えば、大した事ではない。
外部からの問い合わせが少しあったが、学院が対応し、噂にもならなかった。
学院内では、ポルプの主張の真偽を確認する為、何人かの学生がヨシトやその友人の元に聞きに来た程度だ。
そんな時のヨシト達の返事は、判で押したように同一の物だった。
「議事録があるから、それを見てくれ。君の医術に携わる者としての見識が試されると思う」
そして、議事録を見た者の結論は一つだった。
「ポルプ=レクイダの主張は間違いである。彼にこそ問題がある」
その後もポルプは、事あるごとにヨシトに対する非難を繰り広げる。
フジコから事情を聞いた彼の両親は、社会に訴える事だけは厳しく禁じた。
彼は納得は出来なかったが、仕方なしに学院内で訴え続ける。
その主張に耳を傾ける者は、もはや誰もいない。
彼に忠告する者も、既に一人もいない。
元々友人の少なかった彼は、それに気付かない。
本当は、気付きたく無かっただけかもしれないが。
このまま7月が来れば、ポルプは無事この学院を卒業し、社会に出るだろう。
そして、そこそこ優秀な彼は一級回復師の資格を取り、家族に守られ、遅くても10年後には医師になるだろう。
それでは、結果的に何も変わらないのではないか。
だが、それは違う。
マキシム医術専門院の学院生活で、ポルプは何も得なかったに等しい。
ヨシト=ウッドヤットの報復は完全に成功した。
彼の目的は、ポルプ=レクイダの成長の機会を奪う事だったのだから。




