第51話 会議は終わる
ゲルギッチ教授の発言により、ヨシト=ウッドヤットは人体強化実験の被験者でない事が確定的になり、マキシム医術専門院での職員会議は一気に終息に向かう。
ミルトル講師はもちろん、動議提案者であるシュバリエ教授までもが、有効な反論を示さないのだから当然であると言える。
シュバリエはゲルギッチに話しかける。
「ゲルギッチ君、後で君が書いたと言うレポートを見せてもらいたい」
「ふむ、現物は此処には無いが、国立図書館には在る筈だ。何より、私の頭の中に残っている。興味があるなら、後で研究室に来たまえ」
「伺おう。それと一つ腑に落ちない点がある。君は最初から、ヨシト=ウッドヤットが強化人間ではないと確信していたはずだ。何故最初から言わなかった? まさか、高みから我らの様子を見て、面白がっていた訳でもあるまい」
ゲルギッチは「でゅふっふっふ」と一声笑うと、説明する。
「私の強化人間に対する知識は300年以上前の物だ。その後は、人体強化に関する論文は、動物実験の物を含めて一切読んだ事は無い。もし諸君らが、ウッドヤット君に対する有効な強化方法を提示できていれば、私は発言するつもりは無かったのだ」
シュバリエは頷くと、念のため確認する。
「ヨシト=ウッドヤットは、君と親しいと聞く。失礼だとは思うが、確認させてくれ。君は、彼をかばっている事は無いと誓約できるかね?」
「でゅふっふっふ、それこそあり得ないよシュバリエ君。私はウッドヤット君が退学になっても、一向に構わんのだから。その時は、私もここを去り、彼が望めば私の知り合いの大学院に、推薦入学させるつもりだった」
その言葉に驚くシュバリエ。
「君はそこまでの覚悟を持っていたのか。ウッドヤット君に、それほどの想い入れがあるとは、予想だにしなかったよ」
「それこそ勘違いだよシュバリエ君。そもそも彼に、何の非があると言うのだね。少し冷静になれば気付いたはずだ。我々は、まず教師であるべきだと。それを忘れた学院に、どうして私が付き合わねばならない」
その発言を、シュバリエだけでなく、ほとんどの者が胸に刻み込む。
思い返せば、とても冷静とはいえなかったと思う。
例え、議題が強化人間の事であったとしても、ヨシト=ウッドヤットの学生の身分とは関係ない話なのだから。
「…解った。動議は取り下げる。議長、ヨシト=ウッドヤットが強化人間ではないと言う見解を学院の総意とする事を確認したい。宜しいか?」
ラオス議長は頷くと、参加者に挙手を求める。
全員の手が上がり、これ以降、ヨシトが強化人間でないとマキシム医術専門院が保障する事が正式決定された。
だがラオス議長は、動議の取り下げを認めなかった。
何故かと尋ねるシュバリエに、ラオスは重々しく説明する。
「本来この会議の目的は、ウッドヤット君の適性と共に、本学院の強化人間に対する姿勢を決定する為の物です。一つは合意を得ました。しかし、もう一つは議論が十分とはいえません。例えシュバリエ教授が動議は取り下げても、改めて議長提案します。この場で強化人間に対する学院の見解を示しましょう」
ゲルギッチ教授は、微妙に体を発光させ笑った後に、愉快そうな声でラオス議長に話しかける。
「実に興味深いよ、ラオス君。なるほど、君の目的はそちらだったか。確かに人間族は、強化人間に対しての思い入れが強すぎるからね。ふむ、まずは参加者全員の意見を、一通り聞いてみたらどうだね?」
その言葉を良しとした議長は、参加者一人一人に対し時間を取り、それぞれの見解を明らかにさせる。
ラ―ガス教授が真っ先に発言の機会を求める。
「議長宜しいか? 人体強化実験については、医師会だけでなく医療界全体での指針は既に決まっている。未成年はいかなる理由があろうとも被験者になれない事、魔術シミュレーションや動物実験で、ある程度安全性が確立された技術しか、他人に使用する事が出来ず、それらを破ると法の裁きを受ける等が代表的だ。だが強化人間、これは強化人間実験を含めた人体強化実験の被験者の事だが、その人物についての取り扱いは決まっていない。研究者が自らを被験者にする事すら禁止されていない。それならば、学院の彼らに対する対応はもちろんだが、医師会への提言も含め、この場で指針をまとめるべきだと思う。その為にも議論を広く人体強化実験の被験者に対する物とし、集中的に論議した方が有効だと思われるが、どうでしょうか?」
ラ―ガス教授の提言に反対意見は無く、今後はその方針に従って会議は続けられる。
まず、学院の強化人間も含めた被験者に対する取り扱いについては、シュバリエ教授の強い反対はあったものの、その事自体で入学拒否を行ったり、罰則を加えたりする事を禁止する学則が賛成多数で可決された。
被験者本人の希望が無ければ、学院自体が調査を行わない事も明記された。
しかし、当然のことながら、禁止薬物の使用等の法に触れる行いは、これまで通り懲罰対象になる事も確認された。
もっとも、ヨシト=ウッドヤットが強化人間と関係ないと確定した今では、それらを適応されるケースが今後そうあるとも思えないが。
あっさりと終わると思えた会議は、それからが難航した。
紛糾したのは、研究者自らが被験者になる事を禁止するか否かである。
ある教授は言う。
「老化した人間族の中には、自ら進んで人体強化実験の被験者に名乗り出る者もいる。不治の病に冒された者もそうだ。それは、複数の医師の合意があれば、法的に認められる行為である。過去の例を見ても、医師が家族や自らに施術をし、医術を発展させてきた事実もある。自己被験者制度を正式に認めるべきだ」
ある女性教授は言う。
「いかに完璧を期しても、人体強化に関する事は、どの様な結果になるか解りません。自己に対する施術を認めると、周りに誰もいない状態で、深刻な容態に陥る危険性があります。逆に禁止すべきだと思います」
シュバリエ教授は言う。
「そもそも、人体強化実験自体が、『不必要に多くの生命を奪うべからず』という世界に理に反すると私は考える。その考えに基くと実験自体を禁止すべきだ」
この意見には多くの反論が出るが、最も驚くべき内容はゲルギッチ教授の話であった。
「でゅふっふっふ、その意見は、そもそも間違いなのだよシュバリエ君。人体実験に反対しているのは教会であって女神では無い。人体強化実験は、私が知る限りでも700年以上前から行われてきたのだ。そして『託宣』が降りたのは、たった一度だけだ。今から600年ほど前の戦争が激しい頃の事だ。その頃は、人の命の価値など実に軽かった。結果、無茶な内容の実験が多発し、不必要に多くの命が失われたのだよ。そして『託宣』の内容は、『効率的でない生命の消費は控えるべき』との事だ。それを利用した教会関係者が、都合のいいように広めていただけだよ。つまり、女神は実験自体を否定していない」
シュバリエ教授は、心底驚いた表情でうめく。
「…馬鹿な、そんな事があるはずがない。女神にとって、我々は何だと言うのか。それでは、実験動物と同じではないか」
参加している教授陣にも、動揺が走る。
ただ、ゲルギッチ教授の笑い声だけが会議室に響く。
「私が、生き証人だよ諸君。まあ知らないのも無理はないがね。何より女神が反対しているのなら、何百年も実験を継続できるはずなど無かろう。でゅふっふっふ、だからね諸君、この問題は、人が己の倫理観によって確立しなければならないのだよ。女神に預ける事は出来んと言う事だ」
重苦しい雰囲気の中、会議は進む。
だが、人体強化実験に反対する意見は、以降あがらなかった。
あくまでも、いかにそれを抑制するかに終始する。
ラオス議長は思う。
(この教授陣をもってしても、女神の考えを否定できないか。やはり、神の意向に逆らってまで、医学倫理を前面に押し出す事は難しいのだろう。…悲しく残念な事だ。神は世界の理に触れる事以外、人には干渉しないと言うのに)
そして、様々な思惑が錯綜した会議は終わった。
その最終的な合意事項は、
1 ヨシト=ウッドヤットが強化人間実験を含む人体強化実験のいかなる関係者でもないとマキシム医術専門院が保証し、問い合わせに対してはその旨を徹底する。
2 人体強化実験の被験者に対し、マキシム医術専門院はそれを理由に、いかなる迫害をも加えない。(ただし法に抵触する場合は除く)
3 人体強化実験の被験者に対し、法的な整備を含め医師会、法曹界にその立場を明らかにする事を求め、マキシム医術専門院は具体的な提言を行う。
(具体的な提言項目は別途に記載する)
以上が決定された。
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職員会議終了後、教授棟にあるゲルギッチ教授の研究室では、彼の頭の中にあるレポートに対する様々な質問が、シュバリエ教授より投げかけられていた。
いくつかの質疑応答の後、シュバリエは「ふぅー」と一息漏らし、ゲルギッチ教授に話しかける。
「なるほど、つまり人体強化と言うのは、いかにして効率よく命を削るかと言う事だな。
それは、強化人間実験も人体強化実験も根本的には違いがない。軽微なものなら自己回復により無視できるが、慢性的で強力なものなら必ず被験者の身に影響が出る。…それを700年以上続けているとは、人とは、実に愚かな存在だな。神が我々に必要以上に関わらない訳だ」
「でゅふっふっふ、そう悲観するものではないよシュバリエ君。あるいは神は我々の成長を期待しているのかもしれんよ。でなければ、これほど自由に放置などしないはずだよ」
「君は、想像力が乏しいと言ったが、なかなかどうして詩人じゃないか」
「ふむ、年を取ると、どうにも感傷的になるようだ。実に非論理的だ、忘れてくれたまえシュバリエ君」
それからしばらく、部屋に沈黙が流れる。
シュバリエは、唐突に自分の心情を漏らす。
「今回の会議では、君に色々助けられた。私は相当、冷静さを失っていたようだ。何より、神が人体強化実験を認めていたという事実に、私は救われた気がしている。君にとっては当然の義務を果たしただけかもしれんが、礼を言わせてくれないか。君がこの学院に居てくれた事に感謝するよ、ゲルギッチ教授」
ゲルギッチは笑いもせず、視線無き眼で彼を見つめ、ある人物の名を言う。
「タルタニア=グレイブ」
その名に驚愕の表情を浮かべ、シュバリエは息をのむ。
「知っているのか! …彼女を」
「ふむ、優秀な医師だった。そして、人格者であったよ。君の魔力体にも、彼女の面影がある」
シュバリエは、深いため息を吐くと告白する。
「…私の祖母だ。300年前に強化人間の実験が禁止されると、研究者達に非難が集中した事は、君が誰よりわかっているだろう。…彼女は自責の念に堪えかねて、自ら命を絶ったよ」
ゲルギッチに表情など無い。
だが、その体は悲しみを湛えているようだった。
「…実に悲しい。実に嘆かわしい事だ。研究者達のほとんどは、己の行為を恥じていた。いくら種の存続の為とはいえね」
人間族は、過去にその存在自体をすべての獣人の国に否定された事があった。
女神の『託宣』が降り、その考え自体は否定されたが、長く苦しい戦争が始まった。
長い戦争の時代には、種の存続を危ぶまれるほどの劣勢に立たされた時期があった。
そうでなければ、子供を大切にする彼らが、胎児に手を加えて改造する強化人間などに簡単に手を染めるはずなど無い。
人体強化実験の中でも、強化人間に関する事は特別なのだ。
その実験に関係したと言うタルタニア=グレイブ。
シュバリエは過去を思い出し、懐かしく辛い表情を浮かべる。
「優しい人だった。何より医師であろうとした。祖母は、ほとんどの人生を研究にささげ、結婚したのは遅く、子育てが終わると無理やり研究に復帰させられたと聞く。…それが、強化人間に関する物だった。私が15の時、祖母は毒を飲んで死んだ。…理不尽だと思ったよ。戦争を含め、人体強化実験の全てを憎んだ。ミリア教の教えでは、自殺した者は神の御許に行けないと言う。余りにも理不尽だと思った。だが、女神様が認めていた実験なら、彼女の人生やその魂は救われるのかもしれない。…ふふっ、実に非論理的ではないかね」
ゲルギッチ教授の体が悲しげに点滅する。
まるで蛍の光の様だ。
その光景に、シュバリエは思わず見とれる。
ゲルギッチは静かに語りかける。
「私はね、本当に魂と言う物があるのなら、彼女の様な人こそ救われるべきだと思うよ。ただね、シュバリエ君。我々は、過去の悲惨な事実から解放されるべきだと思う。私は、多くの研究者の末路を見て来た。グレイブ君のように耐えられなかった者。一切の口をつぐんで、医師をやめた者。多かれ少なかれ、その後の人生に影響を与えた強化人間実験は、まさしく負の遺産だ。だからこそ思う。我々は下の世代に事実は伝えても、己の悲しみや憎しみは伝えてはならんとね」
「正にそうだ。だが普通は割り切れないものだよ。…君は強いな、ゲルギッチ教授」
ゲルギッチの体が、力強く発光する。
「ふむ、それは新しい目的を見つけたからだよ君! 人の体の中でも、特に獣人の女性は最高だ。魔力体の体は汎用性はあるが、美しさや機能美に欠ける。人間族の女性も大して仕組みは変わらんが魔力体に依存する分だけ……」
その後、ゲルギッチ教授の主張は10分近く続いたが、シュバリエ教授はそれを止める事はしなかった。
これにて、ヨシト=ウッドヤットを襲った大きな問題は、ほぼ解決した。
後は、小さな問題を残すだけだ。
そう、ポルプ=レクイダは、まだあきらめていない。




