第50話 会議は踊る
マキシム医術専門院での職員会議は続いている。
『ヨシト=ウッドヤットには、精神探査を受けてもらう。それを拒否するなら、当学院を退学させるだけでなく、医師会の査問を受けてもらうつもりだ』
シュバリエ教授の言葉に、多くの反対意見が出る。
ある教授がシュバリエに詰問する。
「君は、一度でもヨシト=ウッドヤットを診察したのかね。具体的な症例でも彼に当てはまるのかね。何の確証もなく、退学や査問など私には認められんよ。何より彼はまだ学生だ。医師では無いのだよ」
また別の女性教授が言葉を重ねる。
「あなたは、強化人間を恐れるあまり、医師としての倫理さえ忘れてしまったのですか?彼は、まだ未成年ですよ」
その言葉を、黙ってじっと聞いているシュバリエ教授。
彼自身も、結論があまりにも極端過ぎる事は理解していた。
しかし彼は、強化人間の存在そのものを許せなかった。
いや、それに関わる者すべてに対して嫌悪していた。
次々と出る反論の中には、ヨシト=ウッドヤットが強化人間であると言うシュバリエ教授の仮説に、異論を唱える者は一人もいない。
つまり、マキシム医術専門院の教授達の間では、ポルプ=レクイダの主張は一部認められた事になる。
ミルトル講師は密かに笑った。
目論見は達成されたと言える。
元々彼は、ヨシトが退学処分になるとは思っていなかった。
ラオス学院長が、学院長権限を使わないと言った時には少し驚いたが、大勢に影響は無いだろう。
(ここの教授陣は偽善者だ。未成年を退学処分になど出来ないだろう)
ミルトルは、この会議に至るまでの経緯について思い返す。
始めに怪文書が届いた時、ポルプ=レクイダの書いた物だと、彼には直ぐに解った。
厄介事が舞い込んできたと思い、始めはポルプに、これ以上事を荒立てないよう注意した。
だが、ポルプの意思は固く、実名の告発さえ辞さない構えで、どうやら新聞記者にすげなくされて、相当な義憤を感じているようだ。
(これだから、世間知らずのお坊ちゃんは困る)と思ったが、それならいっそ利用できないかと考えた。
なにせ、ミルトルはヨシトの事を毛嫌いしていたからだ。
医療の歴史をよく知る彼は、強化人間の事を医師としてではなく、歴史家の観点から良く知っていた。
その彼から見るに、ヨシト=ウッドヤットは強化人間などでは決してあり得ない。
現実的に、ヨシトの力が人間族とはかけ離れていると言っても、歴史上で見ると精霊族や獣人族の中には、似たような力を持つ者は存在する。
つまり、ヨシト=ウッドヤットは天才だ。
それも、オールマイティーな才能を持つタイプであろう。
だがミルトルが、それをこの場で発言する事はあり得ない。
自分が、ヨシトとは相容れない存在だからだ。
まず、価値観が違いすぎる。
獣人と付き合う彼の気持ちが理解できなかったし、だからといって見下して優越感に浸っている様子もない。
精霊族であるゲルギッチとも親しい事を見るに、人は皆平等だとでも思っているのだろう。
現実的にはありえないが、彼にはその理想を実現できる能力がある。
始めは上手く取り行って、利用してやろうかとも考えたが、どうにも気が合わない。
背が高いのが気に入らない。
人あたりが良いのが気に入らない。
人望があるのが気に入らない。
成績優秀だが、それをひけらかさないのも気に入らない。
意志が強く、平気で此方に意見してくる態度も気に入らない。
彼の孤児と言う境遇以外は、何もかも気に入らなかった。
このまましばらくすれば、あっという間に学院を卒業し、目の前から消えるだろう。
だが、獣人好きなヨシトなら、このまま学院に残り、同僚となる可能性がある。
そうすれば、彼はあっさり博士号を取り、自分に命令を下す立場になるかもしれない。
それをミルトルは何より恐れ、我慢ならなかった。
つまり、ミルトル講師の目的は、マキシム医術専門院の教授陣に、ヨシトが強化人間だと誤解させ、彼の医師としての将来を奪う事だった。
ここの教授陣は、意外と付き合いが広い。
医師会の幹部や、各国の重鎮ともつながりがある。
広くヨシトが強化人間だと認知されれば、医療人としての栄達は望めないだろう。
それではどうするか?
さすがにポルプ=レクイダの文章だけでは、これ以上の進展は望めない。
広く世間に訴えようにも、ポルプは新聞社に対し下手を打っている。
要は、医師達にヨシトの存在を誤解させられればいい訳だ。
(それならいっそ職員会議でも開くか)と考えたが、自分が矢面に立つ事はまずいと思った。
現実的には、ポルプの主張をもう少し世間に受け入れられやすいように修正し、今後も匿名で、主に医療関係者に送付し続ければ、時間はかかるだろうが可能性はあるだろう。
なにしろ、強化人間の事は医療関係者にとっては特別である。
中には誤解して、暴走してくれる者も出てくるだろう。
それに、倫理上の問題になってこちらに非難が集まった場合は、トカゲのシッポ切のごとくポルプ=レクイダに責任を取らせればいいと考えた。
そんな時、シュバリエ教授が、例の怪文章に対して憤っているとの噂を耳にし、彼の元を訪れる事にした。
彼に話を聞くと、怪文章の中身は相手にもしていないが、強化人間の事を軽々しく取り上げる事自体が許せないようだ。
どうやらシュバリエ教授は、相当強化人間に対しての嫌悪感が強いように見受けられる。
ならばいっそ、この正義感の強い男を焚き付けて、ヨシト=ウッドヤットのことを調べさせれば面白い事になるかもしれない。
ミルトルはポルプ=レクイダの名前を出し、シュバリエ教授にヨシト=ウッドヤットの調査を依頼した。
どうせ、駄目で元々である。
シュバリエ教授が三日間かけ、ヨシトの足跡を医師の観点から調べると、驚きの結果が明らかとなった。
再び会合を持った際、ヨシトの体力テストの数値や魔術適正と魔力量の数値を見たミルトルは驚いた。
ここまですさまじいとは思っていなかったのだ。
なるほど、これなら納得だ。
自分が彼の親なら耐えられないだろう。
育児放棄をした挙句、捨てたとしても不思議ではない。
彼が、ガリア地方以外の出身なら、身元は特定出来ないだろう。
記憶欠損については、自由魔素との親和性がここまで高い者なら、嫌な記憶を忘れたいと強く願うと記憶消去が起こる場合もあり得る。
(だが、これは利用できる)
ミルトルは、アレク医師の裁判記録を持ちだし、ポルプ=レクイダの推論を補足しつつ訴えた。
ヨシト=ウッドヤットは危険人物ではないか、研究者の一員ではないか、まだ悪魔の実験は続けられているのではないか、医師としてそれらは許されないのではないかと。
後は簡単だった。
正義感や倫理観が強く、自ら泥をかぶる事を恐れないシュバリエ教授は暴走していく。
強化人間に対する、異常なほどの憎しみは不思議だったが、ミルトルには関係ない事だ。
そして今、ヨシト=ウッドヤットは強化人間だと教授達に認識された。
医療関係者の付き合いは、その数自体が少ないので狭い様で広い。
ヨシト=ウッドヤットが将来医師を目指すのなら、それは苦難の道だろう。
ミルトル講師は内心で、ほくそ笑んだ。
彼にとっては、ほとんど意味を持たない白熱した議論が続いている。
いっそ早く終わらないかと考えている所で、ある人物が発言を求めた。
ゲルギッチ=ブルブルド教授である。
このような場で、彼が発言する事が非常に珍しいので、参加者たちは一斉に注目する。
そして、驚くべき発言が飛び出した。
「ふむ、諸君たちの意見は、ほぼ出尽くしたようだね。興味深かったが、全く的外れな議論だった」
その言葉に、シュバリエ教授は反論する。
「ゲルギッチ君、君が獣人の体以外に興味を持たない事は解っている。だが、人間族、いや医療関係者にとって強化人間の問題は重要なのだ。さすがに今の発言は無視できない。撤回するべきだ」
「獣人の体以外に興味を持たないとは心外だ。特に獣人の女性を一つの研究テーマに置いているに過ぎん。そもそも、女性の体は素晴らしいのだ。人間族の女性も興味深く、それらを比較する事も研究に値するが、残念だが魔力体を持つ分だけ美しさに欠ける。魔力体には神経組織を補う力があり、それ故……」
たまらず、ラオス議長が止めに入る。
「ゲルギッチ教授、あなたの研究意欲やその多彩さは理解しています。しかし、今の会議のテーマではありません。ここでは今後、議論内容に合った発言を心がけるようにしてください」
「ふむ、残念だが仕方がない。ラオス君は実に論理的だ」
ラオス議長は、あらためてゲルギッチに問う。
「それではゲルギッチ教授。今までの発言が、的外れな議論だと言う論拠を示してください」
ゲルギッチ教授は無表情なままで、恐らく参加者全員に向けて発言する。
そして、それは確かに今までの議論の意味を無くすものだった。
「ヨシト=ウッドヤットは強化人間ではない。また、それに類するものでもあり得ない。私の経験や、何より魔力生体解析の専門家として断定し、保障しよう」
ミルトルは呆れた。
この精霊族は、今までの議論の何を聞いていたのか。
何処の誰が、そんな事を保証できると言うのだ。
今までの流れからして、シュバリエを始め、恐らく多数の反対意見があがるだろう。
だが、彼は周りを見渡すと愕然とする。
すべての教授陣が異議を唱えない。
ゲルギッチの姿を真剣な表情で見てるだけだ。
一体どうしたと言うのか。
ミルトルがシュバリエに肘を当てて、更に視線で促がすと、彼はようやく発言する。
「ゲルギッチ君、論拠を解りやすく説明したまえ」
その一言に、ミルトルは驚く。
彼をしても、この程度しか言えないという事実に。
「でゅふっふっふ、まずは私のギフトに関する事だ。諸君らは、資料の数値を見て大層驚いている様だが、私は彼を一目見たときから、なんとなくだが能力の高さには気付いていたよ。最も、ここまでの数値とは、私のギフトを行使するまでは気付かなかったがね。その後、私は、彼の魔術行使時の状態を特に詳しく観察していたのだ。彼に、強化人間特有の魔力体の歪みは見られない。思考波、思念波、魔力体からの身体魔素の切り離しの様子、いや、私が『解析』出来る全てにおいて完全な健康体だ。ヨシト=ウッドヤットが強化人間なら、ここに居る私以外のすべてがそう言えるだろう」
ゲルギッチのギフトは『解析』。
強力なレアギフトである。
一見複雑そうな現象も、彼にかかれば単純に数値化される。
もちろん、万能なものではないが。
彼の場合、特に人体生理や魔力生体の解析に優れており、右に出る者はいないとされている。
彼が、「異常無し」と言うなら、その決定を覆すのは至難の業だ。
この場にいる会議参加者の中で、そんな事も知らなかったのは、唯一人だけだ。
そして、学院長や一部の教授は、ゲルギッチの過去のキャリアについても知っている。
唯一人であるミルトルは、あわてて反論する。
「ゲルギッチ教授、あなたのギフトはともかく、ヨシト=ウッドヤットが強化人間でないという意見は、推論の域を出ません。未知の技術による成功例だとは考えられませんか?」
「君は、実に阿呆だね。いや、いまさら言う事でもないか。ミルトルのアホと言えば有名だからね」
さすがにこの発言は、ラオス議長によって議事録から削除された。
それに対するゲルギッチの意見は、
「事実を削除するとは愚かなことだ。だが、いまさら記録に残す程の事でもない」
と言う了承の返事。
ミルトルは、内心はともかく、落ち着いてゲルギッチに再度問う。
「ゲルギッチ教授、私の質問に、未だ答えてもらっていませんよ」
ゲルギッチは恐らく、阿呆を相手にしたくなかったのであろう。
返事はせず、出席者達に問うた。
「この中に、強化人間実験の被験者たちを診察した者はいるかね?」
誰も手が上がらない。
当然だ、関わっていた者自体少なく、300年程前には全ての実験は禁止され、表向きは行われていないのだから。
「さっきの質問の答えにもなると思うが、私は多数の被験者を見ている。私の過去のレポートの中には詳しい所見が書いてあるから、興味がある者は目を通すことだ。そして、第二の理由だが、この300年間で被験者にダメージを与えず恒久的に能力値を伸ばす方法が、何か一つでもいいから見つかったかね? 思い当たるならここで示したまえ」
誰も手を上げない。
上げられないのだ。
薬物投与や魔術などで、体力や魔力量を一時的に上昇させられる事は知られている。
だがそれは、一時的なものであり、比較的安全であると言うだけだ。
ましてヨシト程の能力値に上げる方法など、何一つ思い浮かばない。
彼の寿命を犠牲にすれば、可能かもしれないが。
ゲルギッチ教授は続けて説明する。
「反論が無いなら、結論は一つだ。彼には何一つ、人的な操作は加えられていない。唯一、考えられるとすれば、彼の肉体と魔力体自体の遺伝情報を完全に理解し、構築し、肉体受精卵を生みだした後、それに耐えられるだけの魔力受精体と一体化させ、子宮に戻して生育させる事だ」
「…馬鹿な、それは神の御技ではないか」
一人の教授から、溜息にも似た声が漏れる。
「諸君、今言った事は現実に行われている事だ。母親の子宮の中でだがね。でゅふっふっふ、私が常々、特に女性の体が最高だと言っていた理由が理解できたかね」
その意見に、誰も声を発さない。
しかし、ミルトル講師は違った。
ここで、ヨシト=ウッドヤットを普通の人間扱いされては、今までの努力が水の泡だ。
実際は、ヨシトの事を調べる努力をしたのは、ポルプ=レクイダとシュバリエ教授で、彼はそそのかしただけだったが、その意識はミルトルには無い。
彼は、違う側面からゲルギッチに反論した。
「ゲルギッチ教授、それでは何故ヨシト=ウッドヤットの体が未熟だったのか、能力はともかく、何故優れた知識を有していたのか、そして、何故孤児なのかの説明になりません。説明してください」
「ミルトル君、我々は医師だよ。そういう物語は作家にでもまかせたまえ。そもそも仮説でさえ、医師としてはなるべく控えるべきだと考えている。だが、諸君もウッドヤット君については、ずいぶん想像力豊かなようだ。いっそのこと作家にでも転身して見てはどうかね? ちなみに私のお勧めは、クロベ氏の小説だよ。最近出て来た新進作家で、ずいぶんと想像力豊かな作品を書いている。何よりすごいのは、その世界観の構築…」
すかさず、ラオス議長が割って入る。
「作家クロベは私も知っていますが、今は、ミルトル講師の疑問に答えてやるべきではないですか?」
「ふむ、違いない。とはいっても、私は想像力が乏しいのでね。だが、ミルトル君にはお似合いかもしれない」
さすがに議場には、忍び笑いが漏れる。
ミルトルは気を悪くしつつも、手ぐすね引いて反論の機会を待つ。
「ヨシト=ウッドヤットの体が小さかったのは、彼の持つ極めて高い魔素との親和性にあるのだろう。特に自由魔素の98%は脅威だよ。ここまで高いと、『枷』をはめた状態でも、思考力自体が彼の心身に影響を与える。次に、すぐれた知識を持つ事は、彼の記憶力からすると不可能ではない。ただ、小さい内からほとんどの時間を読書に充てる必要があるが。つまり彼は、大人になりたくなかった、少なくても8歳までは本の虫だったと言える」
ゲルギッチ教授は少し間をおくと、多分、気乗りしない口調で話し出す。
「私は、ヨシト=ウッドヤットが両親によって虐待されていたと推測する。育児放棄と言う奴だよ。そして、物心つく頃から多量の本を与えられていたのだろうね。両親は恐らく利己的な学者か何かだろう。そんな境遇に追い込まれた彼が、どう感じたのか私には推測すらできないが、親に放置された子供は、幼児性が抜けきらない場合がある。するとどうなるかね? 親は恐怖したと思うよ、いつまでも大きくならない我が子に。そして、自分の仕出かして来た結果を見て、責任を回避するため、彼を捨てたのだろう。恐らく相当な遠方から、この街に来て捨てた。世界には住民登録制度が無い国も多い。記憶に関しては言うまでもない。親に捨てられた子供は、自ら記憶を閉ざす場合がある。彼ほど高い魔素親和性を持つと、物理的に自ら記憶を消したとしても不思議ではない」
ミルトルは、反論できなかった。
まさかゲルギッチが、自分と似たような結論に辿り着くとは考えていなかったのだ。
彼の排他的で差別主義者の側面が、精霊族も同じ人であるという、誰でも気付き得る前提を無視していた為である。
いわば、ミルトルの思考限界を突かれた形になったのだ。
そして、その効果は大きかった。
出席者の多くは、今までヨシト=ウッドヤットを強化人間実験の被験者であると見ていた。
しかしどうだろう。
ゲルギッチの仮説が正しければ、彼らのしている事は医師としてだけでなく、人として許されない行為である。
いくら優れた能力を持っていたとしても、彼は親のいない未成年なのだ。
ヨシト=ウッドヤットの今までの生活を想像し、多くの参加者は胸のつまる思いであった。
会議は、今だ続いている。
だが、大勢は決した。




