第49話 会議は始まる
4月末の夕刻、マキシム医術専門院の会議室の中には、学院の頭脳とも言える教授達が集まっていた。
これから、シュバリエ教授から提出された動議による、職員会議が開かれるのだ。
その内容は、本学院が、学生ヨシト=ウッドヤットに対する適性を問うと共に、強化人間の扱いを決めるという、あいまいだが、だからこそ個人の倫理観や主義主張が問われるものである。
ラ―ガス教授は、その会議室に集まって着席している面々を見て、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
彼は、今回の会議について、何から何まで気に入らなかった。
まずは、動議のきっかけとなった怪文章についてである。
そう! 怪文章なのだ!
署名も無い文章など、少なくても証拠能力には欠ける。
シュバリエ教授の正気を疑いかけたが、彼は決して愚か者では無い。
つまり、動議に値する何かがあると考えるべきであろう。
次に、内容についてである。
まずは、ヨシト=ウッドヤットが強化人間という言いがかりである。
人体強化実験の中でも、強化人間に関する実験は特別である。
被験者は、胎児の頃から改造を施され、戦争の道具、人体兵器として造られ、多くは結果的に若くして死ぬ。
300年程前に完全に禁止された、いわくつきの実験である。
そして、動議の文面自体にも作為を感じる。
懲罰動議ならともかく、このような倫理観や学院の方針を決める会議には、教授以上の立場の者が出席する慣例となっている。
結果的に、ヨシト=ウッドヤットは不利な立場に追い込まれたと言える。
何故なら、教授クラスでヨシトの人柄を知る者は、この中には4,5人と言ったところだろうか。
議長でもある学院長を含めて、今回の参加人数は12人。
内容が内容なので、結論はどちらに転ぶか解らない。
にもかかわらず、一人場違いな奴が会議に出席している。
ミルトルと言う、いけすかない男だ。
もちろん講師の立場であっても、本来は学院職員であるなら、全員が出席を許可されるので、規則違反ではないのだが。
そこまでするからには、ミルトル講師に思惑があるのは間違いない。
それは、ヨシト=ウッドヤットにとっては、決してプラスには働かないはずだ。
それどころかミルトル講師自体が、今回の茶番劇を仕組んだ男だとラ―ガス教授は考えている。
しばらくすると、議長でもあるラオス学院長が会議室に現れる。
彼は、遅れた事を皆に謝罪すると、議長席に腰掛けた。
ラオス議長の一言により、職員会議は開催される。
「それでは、職員会議を始めます。今日の議題はシュバリエ教授から提出された動議による、学生ヨシト=ウッドヤットに対する本学院での適性を問うと共に、強化人間に対する姿勢を決定する為の物です。出席される方々のご議論に期待します」
まず最初に、発言を求めたのはレントン教授だ。
彼は、ヨシトをよく知る人物の一人だ。
「議長、これで形としては職員会議は開催された事になる。さっさと終わらせてしまいたい。シュバリエ君、動議を取り下げるつもりはないかね?」
「レントン教授、まだ何も話し合っていない。そもそも、簡単に取り下げるつもりなら、わざわざ皆さんに、ご足労をかけた意味など無い。私は、ヨシト=ウッドヤットの事も強化人間に関する事も十分議論に値すると考えている」
その言葉に、レントン教授は反論する。
「私は茶番劇に付き合う趣味は無いよ、今回の議題は、実質、ヨシト=ウッドヤットに対する懲罰動議だろう。誰の入れ知恵か知らんが、そんな事をすれば獣人職員をはじめ、助教授や助手までが大挙して押しかけてくるからな。それとも何かね、今後強化人間が、この学院に入学する事を恐れていると言うのかね?」
「でゅふっふっふ」
静かな会議室内に、ゲルギッチ教授の笑い声が響く。
何がおかしいのか解らないが、いつもの事なので、誰も気にしない。
場が白けかけた所で、ラオス議長が意見を述べる。
「レントン教授、会議の終了は認められません。それに、今回の事を茶番劇にするのも、意義ある事にするのも、出席者の議論の内容次第だと思います。それとヨシト=ウッドヤットに対する懲罰についてですが、私は、それに賛否を示す事も、学院長権限を使うつもりはありません。つまり、参加者の多数意見に従うと言う事です。そして、ヨシト=ウッドヤットにも、その事は了承済みです」
会議室は、驚きに包まれた。
これではまるで、学院長自身がヨシト=ウッドヤットの懲罰に対して積極的だと思われても仕方ない。
ざわざわとする室内に、ゲルギッチ教授の笑い声が響く。
事態の深刻さに驚いたレントン教授は、続けて発言する。
「シュバリエ教授、君の動議について、納得いかない部分がある。それは、動議のきっかけが得体のしれない告発文を元にしていると言う事だよ。匿名の物など、我々が議論するには当たらない。そんな資料を元にした議論や結論こそが、学院の品位を貶めると思うが、反論はあるかね?」
「それについては、私が説明しましょう」
ミルトル講師が、レントン教授に対し反論する。
「この告発文の作者については、私が身元を保証しましょう。この文章が届いた後、その者から私に相談があったのです。その人物との誓約で、名前は明かせませんが、仮にXとしましょう。Xの話では、ヨシト=ウッドヤットは非常に危険な人物だと推測されます。わが学院どころか、医療会全体に不利益をもたらすと言うXの話は、事実に基づく部分が多く、決して軽視できるものではありません」
ラ―ガス教授はその言葉を聞くと、たまらず発言する。
「何がXだね馬鹿馬鹿しい。この癖のある文章はポルプ=レクイダの物だろう。彼は個人的にウッドヤット君を恨んでいる。しかも一方的な逆恨みでね。ミルトル講師、君は彼の個人的な悪意を利用し、何の罪もない人物を告発しようとでも言うのかね」
「Xについて特定する発言には、お答え出来ません。議長、ポルプ=レクイダに関する部分の、議事録の削除を要請します。あくまでも、ラ―ガス教授の確証無い思い込みなのですから」
ラオス議長は、その発言の正当性を認め、書記に一部削除を命じた。
ラ―ガス教授は、ミルトル講師に対し論理的な説明を求める。
「ミルトル講師、あまりにも一方的に過ぎないか。我々は今、ウッドヤット君に関する議論をしている。今回の場合は彼に責任はないのだから、裁かれる者だけ記録が残り、告発者は匿名が守られるのはフェアじゃない。君は、学生達に対してどのようなスタンスを取っているのかね」
ミルトルは、ニヤリと作り笑いを浮かべる。
「普通なら、その意見は最もでしょう。実際、Xもこの場で証言したいと私に申し出ました。しかし、私がそれを止めたのですよ。今回は、Xの身が危険だと判断してね」
ラ―ガスは、彼のあまりの言いように眉をしかめ、怒りを抑えつつも、意見を述べる。
「どうやら私の知っているウッドヤット君と、君の言う彼は別人の様だ。まさか、彼が告発者に危害を及ぼすとでも言うのかね。まあ、一発ぐらいは手が出ても、この場合はおかしくは無いが」
「まさにそれですよ、教授。ヨシト=ウッドヤットに一発殴られただけで、Xは致命傷を負いかねない。更に、ウッドヤットの周りには、獣人の奨学生達がたむろしている。彼らがXに逆恨みを持って、Xを殺めたとしても、私は不思議には思いませんよ」
解っていた事だが、ミルトルと言う男は性質が悪い。
さすがに、今の言葉には、周りの教授陣も不快そうだ。
それが逆恨みと言うなら、ポルプ=レクイダの行為こそ何と呼ぶと言うのだ。
ラ―ガスは、これ以上話しても無駄だと思い、矛先をシュバリエに向けた。
「シュバリエ教授、あなた自身は、告発者には会われたのですか?」
「いいや、直接は会っておらんよ。だが、動機はあくまでも義憤に駆られたものだとミルトル君に説明を受けた。それと、この場はXの是非について語る場なのかね? わが学院の教員が身元保証したのだ。それでも私の動議に正当性がないと言うのかね?」
そのミルトル講師自体が信用できないとは、さすがにラ―ガスやレントンにも言えなかった。
これでは門前払いどころか、本格的な論議に移らざるを得ないだろう。
出席者全員にも反対意見は無い。
「でゅふっふっふ」と言う笑い声だけが部屋に響く。
ラオス議長が議事進行する。
「それでは、シュバリエ教授。具体的にウッドヤット君の何処に問題があるのかを説明してください」
シュバリエはその言葉に頷くと、一拍置いて話し始める。
「私はここでヨシト=ウッドヤットが、強化人間、あるいはそれに類する存在だと言う事を証明し、彼の異常性を示したいと思う。もちろん、彼自身が何かをしたと言う論点では無い。だからこそ今回の動議は、懲罰動議では無いのだよ。まずは、今から配る資料に目を通してほしい」
そうして、シュバリエから参加者に対して、ある資料が配られる。
しばらくそれに目を通していた、ゲルギッチ教授以外の人達は、その内容を見て深刻な表情を浮かべる。
もちろん、ラ―ガスやレントンもその中に含まれる。
頃合いを見て、シュバリエは話を再開する。
「私は、今回のXの告発文を読んで、始めは相手にもしなかった。だが、ミルトル講師の強い勧めもあり、ヨシト=ウッドヤットを調査して見る事にした。今配った資料は、彼が8歳の時のネオジャンヌ教育委員会での調査報告書。次に、彼が以前在籍していたクスノキ学院での神託直後の検査資料。最後が、アレク医師の裁判記録の抜粋だ」
一人の女性教授が、発言の許可を求めしゃべりだす。
「シュバリエ教授、この資料を持ち出された事自体を疑問に感じます。確かに博士号をもつ我々は、全ての医療関係記録を閲覧、利用できます。それが例え、個人の尊厳を傷つけるものであったとしても。あなたの医師としての倫理観は、それについて何も疑問を覚えなかったのですか?」
シュバリエは彼女の言葉にも、少しも動じない。
「事が、強化人間研究に関する物でなければ、私は取り上げなかった。それほど事態は深刻だと言う事だよ。ヨシト=ウッドヤットが強化人間だと言う事は、いまだにあの忌まわしい実験が行われていると言う事だ。それは、決して放置できない」
皆、一言もない。
この中には、一人として強化人間実験を許す者などいない。
シュバリエ教授は、資料について説明する。
「まず最初の資料の注目点だが、この時点でのウッドヤット君の身体は、3歳児の平均程しかない。しかし、体力テストの数値は獣人族の大人以上だ。更に、記憶の欠損が見られ、頭脳調査官の所見では、魔力体と肉体のバランスが悪い。そして、学力テストはほぼ完璧で、年齢にそぐわぬ知識を有している。しかし、精神的には幼く4,5歳程度、だが全体的に見れば異常無し。この結論は、調査の趣旨から考えて仕方が無いかも知れんが、明らかにおかしい。皆さんの中で、彼が頭脳や肉体に改造を施されている以外の仮説を立てられる方はいるかね?」
誰からも手が上がらない。
彼の孤児という境遇を考えても、やはりヨシト=ウッドヤットは実験体であったと仮定するのが最も論理的だ。
「次の資料では、彼の10歳での魔術適正と魔力量の測定用紙と、担当教官の所見に注目してほしい。彼の最大魔力値は確かに異常だ。人間族にしては、魔力体の密度が高すぎる。これは先ほどの資料から推察すると、強靭な体自体をわざと成長させず、長期間魔力体に負荷をかけ、密度を爆発的に高めたのであろう。そして、更に異常なのが魔素との親和性だ。恐らく彼の改造に関わった研究者は、親和性を高める事に成功したのだろう。可能性の一つとして、魔物の因子を組み込んだのではないかと推察する」
これには、多くの教授陣から異論があがる。
「あくまでも仮説に過ぎず、非倫理的だ」
「親和性を高める為に、魔物の因子を組み込んだ強化人間は直ぐに死亡する」
「肉体の成長を人為的に妨げると、彼が8歳まで生きる残る事は難しい」
などの多くの意見があがり、シュバリエ教授もそれを一部肯定した。
だが、実験自体が数百年前の事であり、新しい方法が試されたのだと言う彼の意見は、多くの賛同を得た。
実際、色々な動物実験により検証された論文によると、理論的に可能だからだ。
もちろん、被験者はすぐに死ぬだろうが。
そして「彼の肉体よりも精神の方がダメージを受ける」
と言う意見に、我が意を得たりとばかりに話を続ける。
そう、シュバリエ教授は精神科の専門医だったのだ。
「今の意見に全くの同感ですな。そこで、最後の資料を見てほしい。アレク医師の裁判記録に、一部興味深い発言がある。彼が、治安員(警察官)に捕まる直前のヨシト=ウッドヤットとの会話の抜粋だな。いよいよ、生命の危機に直面した際、ウッドヤット君の様子が、まるで別人のように豹変したそうだ。今までの幼い人格では無く、ウッドヤット君の親、…恐らく研究者と思われる人格に変わったと記されている。つまりここで、二つの可能性が指摘できる。一つは、ヨシト=ウッドヤットの人格は分裂している。これは過酷な実験により精神がダメージを受けた場合に起こり得る。そしてもう一つは、ヨシト=ウッドヤット自身が研究者の一員であり、実験成果を使い、記憶や体を改変したのか、あるいはXの主張通り世間を偽っているか等が考えられる」
たまらず、ラ―ガスが反論する。
「馬鹿馬鹿しい! 我々は医療専門家だ。何より教師でもある。そして今回の事が起こるまでは、彼の人格に懸念を持つ人物は誰もいなかった。シュバリエ教授、あなたの意見はこじ付けに過ぎない」
更にレントンも、そのシュバリエの意見に反論する。
「アレク医師は狂人だよ。それは、法的にも医学的にも確定している。シュバリエ君、そんな人物の意見を元に、仮説を立てるんじゃない」
シュバリエは反論する。
「アレク医師は、人格や価値観は破綻していたが、裁判記録を読むと、事実関係の誤認は皆無だった。つまり、彼の証言はこの場合、十分に信用できる。私は、ヨシト=ウッドヤットの人格が破綻している可能性が高いと断定する」
「でゅふっふっふ!」
ゲルギッチの大きな笑い声が聞こえる。
何故か体が発光しており、大うけの様だ。
さすがに、シュバリエは彼に忠告する。
「ゲルギッチ教授、笑っていないで意見があれば述べたらどうだね?」
ゲルギッチは、当然無表情のままで、初めて発言する。
「いやいや、シュバリエ君。まだ君の結論を聞いていない。続けたまえ」
その言葉に、気を取り直したのか、シュバリエは話し続ける。
「私は、このままヨシト=ウッドヤットを放置する事は出来ない。だが、確かに私の仮説には何も証拠は無い。状況証拠はそろっているがね。そして私の結論は、この学院に通う学生だけでなく、医療人を志す者は、精神に爆弾を抱えていてはならないという事だ。強化人間なぞ、もってのほかだ! ヨシト=ウッドヤットには、精神探査を受けてもらう。それを拒否するなら、当学院を退学させるだけでなく、医師会の査問を受けてもらうつもりだ」
あまりの内容に、すべての参加者は絶句する。
さすがに今度は、ゲルギッチさえ笑っていない。
ラオス議長が重々しい声で、シュバリエ教授に尋ねる。
「シュバリエ教授、君は当然知っているはずだ。精神探査魔術は探索魔術とは違い、脳の情報自体を調べられるが、上手く行っても記憶障害が残り、ひどい場合は死亡例もある。君は、今の仮説を元にヨシト=ウッドヤット君の命を危険にさらそうと言うのかい?」
シュバリエは参加者全員に告げる。
「恐らくヨシト=ウッドヤットの余命はそう長くは無い。だが、これはそういう問題では無い。彼がいまわしい治験を施された事を明らかにし、事実を公表する必要がある。私の意見に反対の者は、ウッドヤット君が強化人間であると言う事や、精神に異常を持っているとの考えに反論すればいい。そのための会議だろう」
その言葉に、多数の反論があがる。
しかしその中には、ヨシトが強化人間ではないと言う意見は一つもなかった。
ミルトル講師は密かに笑った。
会議は、まだ始まったばかりだ。




