第48話 ヨシトを取りまく人達は
4月下旬の朝、聖マリアネア教会とマリアネア第二孤児院あてに送られた郵便物を、最初に発見したのはルシア=アドバンスだった。
この世界にも郵便制度はあるが、郵便局に手紙を直接持ち込む必要がある為、真っ赤なポストや切手など存在しない。
郵便局取り扱い印(消印)が無い手紙は、たまに郵便受けに入っていたりするので、特に不思議に思わず開封したシスタールシアは、内容を見て驚愕し、すぐさま孤児院のナタリーメイ=ウッドヤットの元へ走った。
「大変です、院長先生! あっ! タラチナもいた。ちょうどいいわ、とにかく大変なんです!」
「ルシアの大変は両極端。さあ今度はどっち?」
タラチナの様子に、ルシアは『心外だ!』とでも言うような雰囲気だ。
「冗談を言ってる場合じゃないんです! とにかくこれを見てください」
「…全く、シスタールシア。この世に大変な事など、そうは起こりませんよ」
そう言って、手紙を受け取ったナタリーメイだが、内容に目を通すと、さすがに真剣な表情に変わった。
そして、読み終わるとタラチナ=イシュタリアに、その怪文書を手渡す。
タラチナも、ナタリーメイの様子を見て本当に大事だと思ったのか、先程から真剣な表情だが、手紙を読み終わると、更に深刻な顔をする。
「シスタールシア、この文章は此処にある2通だけですか?」
「多分そうだと思います。それよりヨシト君は? この手紙を見せなきゃ」
「ヨシト君はマキシム大学院。今日は、朝早くから出掛けた」
「じゃあ、急いで届けなきゃ!」
「お待ちなさい! シスタールシア」
ナタリーメイの言葉に、院長室を出ようとしていたルシアは振り返る。
ナタリーメイは彼女に、「とにかく落ち着くように」と言うと、しばらく思考を巡らせ、私見を述べる。
「この手紙、いえ、怪文章と呼ぶべきでしょう。この怪文章の内容は、私達宛てというより、広く世間に対して訴える為の物です。つまり、あなたが届けずとも、既にヨシト君の目に入っている可能性が高い」
「大変じゃないですか! それこそ早く対策を立てなきゃ」
だが、ルシアは気付く。
一体、何をどうすればいいのか解らない。
「とりあえず、状況を知りたいですね。タラチナ、あなたは今日発行された新聞全紙、もちろんゴシップ紙も含めて買ってきなさい。シスタールシア、あなたは教会や孤児院の周辺を見回って、貼り紙が無いかを確認してください」
「「はい!」」
二人が部屋から出て行くのを見て、ナタリーメイは考える。
(大事になっていないといいのですが。文面を見ても、計画性が伺えます。最悪な事態も想定しておきましょう)
ナタリーメイ院長の推測は、ある意味正しかった。
この怪文章の作成者は、大手新聞社数社に、まず初めに接触していたからだ。
ヨシト=ウッドヤットの元に、例の手紙が届けられた日の事である。
ポルプ=レクイダからその話を聞いた新聞記者達は、彼の出自の事もあり、とりあえずは裏取りし、一応その中身の正当性を認めた。
しかし、ヨシト=ウッドヤットは未だ未成年だ。
しかも、客観的に見て完全な被害者とも言える。
なおかつ、ポルプの主張はあまりにも一方的で、さすがにこのまま記事にする訳にも行かず、結局は掲載を取りやめた。
もちろん、当時の事件の詳細を知る記者達の反対も大きかった。
ここで、ポルプがもう少し世間を知っていれば、オカルト紙やゴシップ紙に売り込んだり、ヨシト=ウッドヤットを逆境に負けない天才児としてでも売り込めば良かったのだ。
ヨシトにとって一番問題なのは、彼が普通とは違う事が世間に知れ渡る事で、その内容が美談であっても非難であっても、関係ない。
そうなれば、多くの人間族がヨシト=ウッドヤットの異常性に気が付き、勝手に色々と誤解したであろう。
強化人間だと言う事が世間に浸透すれば、間違いなく彼は、人間族の国で生きて行く事が難しくなるだろう。
だがポルプは、この行為が崇高な目的を持ち、ヨシトを糾弾する事こそが社会に対する責任であり、彼自体が強化人間プロジェクトの一員であるという思い込みを持っていた為、新聞社を腰の引けた、社会正義を重要視しない愚か者の集まりだと決めつけ、結局前日の深夜に、自ら怪文章をばらまくだけに留めたのである。
ヨシトは、ポルプの間違った正義感や虚栄心に、逆に助けられた形となった。
それほど、人間族にとっての強化人間の持つ意味は重いのである。
タラチナとルシアが帰ってきて、外の様子や新聞に異常がない事が解ると、三人はとりあえず一息つく。
「さきほど、ヨシト君から音話(電話)がありました。やはり大学院にも、怪文章がばらまかれていたそうです。恐らく、そこだけでは無いでしょうね。…彼は謝っていましたよ。しばらくは、迷惑をかける事になるだろうと。…何一つ悪い事などしていないのに」
ナタリーメイの言葉に、ルシアは耐えきれず叫ぶ。
「一体、ヨシト君が何をしたって言うんですか! 何でヨシト君だけ、こんなに苦しまなくてはいけないのか、私、わかりません!」
「私、許せない。…どうしても許せない」
タラチナが、これほど他人に怒りを向けるのは珍しい。
顔がきれいな分だけ、怒った表情にはものすごい迫力がある。
「二人とも落ち着きなさい。怒りに身を任せても、事態は好転しません」
そう言うナタリーメイも、自分の感情を抑えるのに苦労している様子だ。
三人は黙り込んだまま、時間だけが過ぎていく。
その時、院長室に音話の音が鳴る。
ナタリーメイが応対すると、彼女がヨシトを紹介した治療院からだった。
音話を切ると、彼女は二人に報告する。
「ヨシト君が助手を勤めている治療院からでした。怪文章が届けられていたようです。やはり推測通り、あちこちにばらまかれているようですね。犯人は、ヨシト君の立ち回り先をよく知っている人物の様です」
タラチナとルシアは絶句する。
「これからしばらくは、問い合わせが来るでしょう。いえ、逆に来た方が好ましいとも言えます。まだ此方から説明できる分だけですが」
二人は頷く。
社会生活を営むなら、悪意ある噂ほど恐ろしいものは無い。
人の口に、戸は立てられないのだから。
「シスタールシア、教会の皆の意思を統一しましょう。ノリア司祭に言って全員を集めてください。孤児院の職員達は私が集めて、合わせて私から全員に話します」
「はい、それでは行ってきます」
ルシアが、院長室から出て行くと、タラチナがナタリーメイに質問する。
「先生、子供達はどうしましょう?」
しばらく、ナタリーメイは考えると方針を決める。
「年少組は、説明しても解らないでしょう。それ以外は、あなたから説明なさい。その怪文章をきちんと見せ、誤解が起こらない様にね。それと音話の応対は、相手がいくら酷い事を言っても、あくまでも冷静にね。…チナ、ヨシト君が一番つらいと言う事を、私達は忘れないようにしましょう」
「はい、本当にその通りです。私は、ヨシト君を支えたいと思います」
二人は、それぞれの役目をこなす為に院長室を後にした。
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一方その頃、マキシム医術専門院にいるヨシトの元でも動揺が広がっていた。
まず、掲示板に所狭しと貼られていた怪文章に気付いたのは、ヨシトが最初に仲良くなった狐人のミコン君だ。
彼は一目散に、実験棟に居るヨシトの元に駆けつけると、剥がしたビラ数枚を彼に見せた。
ヨシトは一瞬、顔をゆがめたが、詳しい状況をミコン君に聞いてみる。
そして、掲示板に貼られていた事を聞くと、的外れな意見を述べる。
「全く、掲示板への掲載は、学生課の許可が必要だったはずなのに、許可印が無いな。実にけしからん」
「いや、その意見はどうなのよ。なあ、ヨシト。強化人間って人間族の間じゃ禁忌だったろ。まあ、獣人の俺らには関係ないけど。どうする? 何か手伝うか?」
ヨシトは、ミコン君にお願いする。
「時間があるなら、30分だけ俺の代わりにデータチェックしてくれるか。その間に学生課に行って、剥がしてもらうようにお願いするから」
「俺が行ってこようか? その方がいいんじゃないかな」
ミコン君の意見を聞いてヨシトは少し考える。
「…いや、俺の事が書かれているんだから、俺が行った方が速いんじゃないの? 多分だけど」
「あいかわらずだな。まあいいさ、行ってこいよ」
そうして、ヨシトは学生課に向かった。
途中で、怪文章に思考紋が残っていないか調べるが、上書きされているようで特定出来ない。
(そんなに甘くないか。それにしても、これだけの事をやるには、犯人にも相当のリスクがあるだろうに。それに、内容から見て、あちこちにばら撒かれているだろうな。確かめてみるか)
ヨシトが孤児院に音話するとナタリーメイが出て、推測通り、怪文章が2通届いているとのこと。
彼がナタリーメイに謝ると、「何も謝る必要などありません」と返してくる。
この時初めて、ヨシトの心に怒りが芽生えた。
彼は、学生課に向かう途中で考える。
(俺の見通しが甘かったから、仕方ない部分もあると思ったが…。やはり許せんな。一体どんな奴だ。…それにしても、院長先生の話では、直接孤児院に届けられたみたいだが、よく考えるとすごい労力だぞ。日本でネットに書き込みしている奴らとは、大分違うレベルだな)
資料を調べ、文章に起こし、これだけのビラを複製し、思考紋を消し、深夜に直接配達したのだ。
この世界では、パソコンやネットなど無い。
すべてが、軽い思いつきで出来るような物ではないのだ。
ここまで恨まれる覚えがない為、ヨシトはどんな犯人かと考えてみる。
(可能性が高いのは、アレク=バーストの関係者か。次は、学院の関係者だな)
そして、犯人の動機だ。
(前者は、アレク医師の名誉回復か俺への逆恨み、後者は妬みか、正義感か、逆恨みってとこだな。両方とも調べれば、犯人に辿り着くかもしれん。だが、それからどうする? まさか、実力行使する訳にはいかない。下手に騒ぐと、事態は更に悪化するかもしれん)
実際、犯人が捕まって法の裁きを受けても、良くて罰金刑だろう。
そうしていると学生課に着き、ヨシトは、学生課の職員に事情を説明する。
ビラの内容を見た人間族の職員は、彼に対し、ひどく驚いた顔を向ける。
そして我に帰り、「剥がしてきます!」と一声上げ、掲示板にすっ飛んで行く。
ヨシトはその反応を見て、納得せざるを得ない。
(やはり、強化人間は特別なんだろうな。さて、ミコン君を待たせるのは悪い。さっさと帰ろう)
ヨシトは帰り道で、今後の方針を決定する。
(とにかく、犯人を特定しよう。すべてはそれからだ。俺の推測通りなら、多分、すぐ見つかる。そして、相手が何を考えているかで対応を決めよう。ただ、世の中にはどうしようない場合もあるからな。俺とタリアの関係の様に)
出来れば、穏便に解決したい。
もちろんくやしい。
でも、目的はこれ以上被害を広げない事だ。
怒りを抑え、冷静に対処しようとヨシトは思った。
その後ヨシトの元には、レミルやリンダを始め、たくさんの友人たちが訪れる。
対応は人により様々だが、レミルやリンダ以外の人間族の多くは、腫れ物に触るような扱いだった。
逆に獣人達は、ほとんど気にして無い様子だ。
理由を聞くと、
「基本、能力が高いだけだろ」とか、
「寿命が縮むって言っても、それでも俺らより長生きだろ」とか、
「何百年も前の事を引きずるなんて、おかしいわよ」とか、
「そんな事より、また勉強会に顔を見せろ」
などの、ありがたい意見を頂戴した。
つまりヨシトは、獣人の割合が多い場所でなら、例え本当に強化人間であったとしても、大した迫害も無く生活が送れるようだ。
それから問題の解決を図る為に、ヨシトの考えをレミルやリンダと話し合う。
三人で、その有効性を確認し合うと実行に移す事にした。
ヨシト達は友人達に頼んで、ある噂を流してもらっている。
犯人をおびき出す為の、単純な方法だ。
ただ、順調に行っていた時こそ、足元をすくわれる可能性がある。
ヨシトは、怪文章が配られてから4日後に、学長室に呼び出しを受けたのだ。
マキシム医術専門院の学長である、ラオス学院長からだ。
レミルやリンダ達は心配したが、とりあえず彼は院長室に向かい、その扉を叩く。
すぐ中に通され、現在ヨシトはソファーに腰掛け、目の前に座った人間族の男に質問を受けていた。
ラオスは、テーブルの上に封書を乗せ、ヨシトに話しかける。
「これが4日ほど前に、私達マキシム医術専門院の職員あてに届けられた。内容は知っているかね?」
「それが、掲示板に載っていた物と同じなら、知っています」
「ふむ、それなら確認したまえ」
(見たくないな)と思ったヨシトだが、話を早く終わらせる為にも、我慢して見る事にする。
封筒を手に取ると、相当の量が入っている事が解る。
その中身はレポート状にまとめられた、アレク医師の裁判記録の抜粋に対する詳細な意見書で、ヨシトに対する非難はもちろん、『彼はそもそも犯罪者の可能性が高く、例えそうでなくても存在自体が倫理的に許されなく、特に医術を学ぶこの学院にはふさわしくないので退学処分にするべきだ』と、まとめられてあった。
ヨシトは呆れた。
何という暇な、いや、執念だ。
ここまでするのは、相当に大変だっただろう。
その情熱を建設的な事に向ければ良いのに。
まるで、人ごとの様な感想を持つ。
「これは、俺が見たのとは別物ですね。よくもまあ、これだけの事をするものだと感心しました。それで、学院長の御用件は何です?」
ラオス学院長は、軽く笑うと説明する。
「この内容を見た一部の職員から、君のマキシム医術専門院での適性を疑う動議が提出された。そこでは、強化人間に対する取り扱いも検討される」
「はあ? 何ですって? 署名も無いこんな怪文章を元に、俺は裁かれると言うんですか」
ヨシトは一気に脱力する。
そして、理不尽に対する怒りを覚える。
学院長は、ヨシトに動議について説明する。
「動議というのは、職員が持つ権利だ。正式なものなら職員会議が開催され、それを妨げる事は、学院長である私にも出来ない。そして、学生の退学を決める場合は、出席者の過半数の意見と私の承認が必要だ。だがさすがに、これは異例な事だ。何しろ君は、何もやってないのだから。しかも、告発者も匿名である事を考えると理不尽過ぎる。だから、君に職員会議に出席する許可を与えようと思ってね」
ヨシトは黙り込む。
そして、怒りを含んだ声で、冷静な口調で話し出す。
「俺に立ち会えと言う事ですか? こんな茶番劇に。当然俺は、賛否には参加は出来ないんですよね?」
「その通りだよ、ウッドヤット君。君には、抗弁権が認められるだけだ。会議は明日の午後開かれる予定だ。参加して見るかね?」
ヨシトは考える。
マキシム医術専門院に残りたいなら参加すべきだろう。
本人に非が無いのに、目の前で賛成の挙手をする人は少ないだろうから。
例えそれが、強化人間に関する事でも。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
しばらく考え、ヨシトは決断を下す。
「お断りします。そちらで勝手にやってください」
ラオス学院長は、興味深そうな表情で質問を返す。
「出来れば、理由を聞かせてもらえるかね、ウッドヤット君」
ヨシトは、すぐに語り出す。
「理由はいろいろありますが、大きくは2つ。まずは、これは裁判ではありません。被告人の立場である自分には、元々立ち入る権利さえ無い事です。理不尽ですが、それに従う誓約の元に俺はここに入学したのです。つまり学院長の提案は、俺を特別扱いする物です。それでは今回の理不尽な動議に対し、理不尽な対応を取る事になります」
ラオス学院長は頷いて、ヨシトの語る表情を見つめている。
「そして最大の理由は、学院長がおっしゃった、俺のマキシム医術専門院での適性を疑う動議という内容にです。つまり、この職員会議では、俺の適正だけでなく、この学院の学生に対する姿勢も問われる訳です。そんな場所に俺が顔を見せれば、職員達の活発な論議を損なう恐れがあります。どんな結論が出ても、それはあくまでも職員自身の主義主張による決定でなければ、会議の意味はありません」
その言葉を聞いたラオス学院長は、真剣な表情でヨシトに語りかける。
「いいのかね? カッコつけて言っているのなら、後で君は後悔するかもしれんよ。それほど強化人間に関する嫌悪は、医師達の間では強いのだ。正直、結論がどう転ぶか解らん程度には」
ヨシトは頷く。
「こう言っては何ですが、この1年3カ月、自分なりに一生懸命やってきました。単位もほとんど取れています。いま退学になると、確かに後悔するかもしれません。ですが、どちらに転んでも、自分が会議をかき回す事だけは避けたいと思います。俺が退学になれば、その程度しか職員の方々に認められていなかったと、ある意味納得できますし、在学が認められれば、卒院した後でもマキシム医術専門院出身だと胸を張れます」
ラオス学院長は、鋭い視線をヨシトに浴びせかける。
「そこまで言うなら、私は学長権限である拒否権を行使しないよ。つまり、職員達の多数決に委ねる事になる。本当にそれで構わないのかい?」
ヨシトは、本心から話す。
「それも本当は、学院長が決めるべきだと思います。ですが俺の意見をあえて言うなら、ぜひそうしてください」
こうして、明日の夕刻にヨシト=ウッドヤット抜きで、職員会議が開催される。
これは、彼の運命を決めると共に、マキシム医術専門院の職員達の倫理観が問われる重要な会議である。
まだ天秤の針は、どちらに傾くかは決まってはいない。




