第04話 ナタリーメイは負の遺産について具申する
さまざまなテストが終わった翌々日、試験に関わった先生たちが、教育長と保護者であるナタリーメイ院長と会議室でテスト結果に対する報告書に目を通していた。
しかしながら、その表情は対照的であった。
司会でもある教育長が言葉を発する。
「皆様にはお忙しい中、集まっていただきありがとうございます。さまざまな観点からご議論いただき、ヨシトくんに対する今後の教育方針を決めたいと思います。まず今回の調査に付いて、それぞれの先生方の所見を伺いたいと思います」
始めに発言したのは、頭脳調査官の男
「レポートのとおり、彼は身体的には問題ありません。ただし、しばらくの間、経過観察させていただきたい。一月に一度程度で構いません」
「何か懸念があるのですか」
「いえ、私もここまで極端な例は初めてでして心身のバランスを崩さないかが心配なだけです。もちろん、何か気になる事があれば、些細なことでも相談してください」
「わかりました」
ナタリーメイは頷いた。特に異論はない。
次に発言したのは体力テストの教師である。
「数字を見てもらったら解りますが、ヨシト君の体力は8歳の平均どころか成人男性をも上まわってますね。むしろ獣人の成人男性のそれに近い。魔力体の使い方も見事な物です」
ナタリーメイは朝の畑仕事の手伝いでヨシトが人一倍体力があるのは知っていたが、ここまでとは思っていなかったのでただ驚いた。そして、体育教師が言った次の言葉に怒りを覚えた。
「ただ精神的に未熟な点があると報告書にありますね、中等部なんぞに入れて暴れたら他の子供じゃ相手になりませんよ」
「その心配はありません。彼はとても優しい子です。孤児院でひどい言葉を投げつけられた時も、決して暴力は振るいませんでした」
教育長が割って入る
「まあそれは、解りました。たとえ、そうでなくても大人が注意すればいいだけの話でしょう。次の先生の所見をお願いします」
次に発言したのは、学力テストの試験管である教師
「彼は、天才と言えるでしょう。試験中の態度も問題なく落ち着いたものでした。」
「確かにほぼ満点に近い内容ですが、それで天才は言い過ぎでは。中等部編入程度の問題なら優秀な子なら同等の結果を残すでしょうし」
試験管はにやりと笑って
「その問題は10分程度で解いています。通常一時間はかかる試験を間違いが無いか丁寧に見直してね。まあ、ほとんど書き写す時間程度しか使ってませんな。更に数学で間違えたところは、この年齢では習わない公式を使ったための減点だし、歴史の問題も旧暦を使っていたため間違いとしましたが、実質満点ですよ」
なるほど、確かに優秀だ。
大人たちが納得しかけた時、更なる爆弾発言があった。
「実は、学力を計るという目的で余った時間を利用して更に高度な試験をやらせてみたのですが次々解くもので、最終的にはヨセミテ専門大学院の試験問題を40分で解いてしまいましたよ」
そう言って差し出した答案用紙は満点の印が書いてあった。
ナタリーメイは渋い顔をして苦言を呈した。
「さすがに、主旨に反するのでは。あの子はまだ8つですよ」
「まあ、さすがに勢いでやってしまった感は否めませんがね。確かなのはヨシトくんは特別に専門的なもの以外の教育は必要ありません。飛び級させて、才能を伸ばすべきです」
黙り込んだナタリーメイを見た教育長は気を使いつつも議事進行させる。
次は魔術適正テストおよびカウンセリングを行った精神科の医師だ。
彼の一言は場を騒然とさせた。
「結論から言いましょう彼は強化人間です」
彼は嬉々とした声で言い放った。
強化人間、それは、獣人と人間が激しく争っていた時代に戦争の道具として妊娠時から第二次成長が終わるまでの間に継続的に人為的に改造された人間である。
人体実験の結果、魔力に優れ、ドーピングにより肉体強化された揚句に直接頭脳に魔力回路を転写され、肉体的にも精神的に破たんしたりした彼らは短命であったとされる。
更に深刻だったのは、女神の加護が弱く改造の段階で先天性スキルまで消失した事例が発生したため、結局は弱兵を手間をかけて育てることになる皮肉な結果をもたらした。
人間族にとっては、第一級の負の記憶である。
閑話休題。
頭脳調査官は怒りを抑えつつ言った。
「ルドルフ医師、めったなことを言うものじゃない。彼に薬や魔力転写による後遺症は見られない」
「だから、その成功例ですよ、それ以外に説明できますか」
「彼の頭脳を調べた結果、他者からの思考紋はない。魔術の行使したら一月は残るだろう」
「未知の方法で上書きしたかもしれません。いや、実際は一月以上前に行ったと考える方が自然でしょう」
「非論理的だ、そのような事は方法も含めて人間には不可能だ」
「だからこそ、更に詳しく調査するか、もしくは彼の両親と名乗る人物を探すべきです」
教育長が割って入る
「ちょっと待ってください。ここはそのような話をする場でしょうか。それと、皆さんにお願いですが、ヨシト君が強化人間であるという発言は他言しないでください。」
ルドルフ医師は驚いて反論する。
「何故です、もちろん個人名を特定させたり、興味本位の人間には話す必要はないですが、このような稀有な成功例は研究者たちで共有すべきです。現に私は、自らの考えも含め数人の専門家に相談しています」
「なんて事をするのですか、彼の保護者として厳重に抗議します」
「必要と思ったからですよ。強化人間だとすればカウンセリング以前の問題ですし、どのような症状が出るか知っておく必要があります。欠陥がある場合、残念ながら記録によると彼らの寿命は20歳前後だそうですよ」
ナタリーメイは絶句した。そもそも今回の試験についてシスタールシアと話をしたとき、何となく嫌な『予感』がしていたのだが、ここまで大事になるとは思わなかったのだ。
「ルドルフ医師、例えそうだとしてもこの場合、判断するのは頭脳調査官である私が適任だろう。異論はあるかね皆さん」
ゆっくりと周りを見渡しながら反論がないのを確認してから頭脳調査官は私見を述べた。
「私は、彼が強化人間と言う意見には反対だ。もちろん彼の両親と名乗る人物から何らかの虐待を受けていた可能性は否定できないが、非常に高度な教育を受けていた彼が両親に捨てられた事により一部の記憶を自ら消した可能性も否定できない。体力面も不自然ではあるが不可能でない数字だ。つまり、異常なしと言う事だ。それ以上は今回の調査の主旨に反する。何か反論があれば聞こう」
ルドルフ医師は冷静に医師として問うた。
「あなたの意見はしごくもっともだ。だが、あえて聞かせてもらいたい。本当にそれでいいのかと。」
「具体的に言ってくれたまえ」
「強化人間の人体実験は後の世に医術革命をもたらした。もちろん負の側面が極めて大きいので二度と起こしてはならないが、得られた結果は生かすべきではないかね」
「生かせないのだよ」
「どういう事だい」
「私は、これでも脳科学の専門家だ。特に思考探索では第一人者と言われている。それが全く痕跡すら掴めないなら後は物理的に解剖するしかない。君は出来るのか、はっきりした根拠もなく推測だけで子供の命を奪う事が」
会議室は沈黙に包まれる。
「……わかった。彼の両親が名乗り出てくれるのを待とう」
「他に反論がなければ、参加者の皆様に教育長の権限でヨシト君に対する不利な内容の発言について守秘義務を課します。此処は、第一に子供の将来を考える場所であり、そもそもこの調査は、その理念に元づいて予算が執行されたものであるのだから」
参加者一同がすべて納得したのを確認すると教育長はゆっくりと言い放つ。
「それでは、本題に入りましょう」
それ以降、会議は順調に進んだと言える。
まず学校に通わすべきか否か。
これには様々な意見が出されたが、最終的には「年相応の学校には通わすべきでない」で意見が一致した。
一時は家庭教師による英才教育や飛び級で大学へと言う意見も出されたが時期尚早ということで、特殊学校に通わすことが満場一致で決定された。
具体的には怪我等で記憶に障害を持った人たちが通う、クスノキ学院に通わせて様子を見ることになった。これは、医療機関が併設されている事と生徒が少人数で年齢も様々な上にそれぞれに合ったカリキュラムが組めるため最適であると考えられたからだ。
粛々と段取りが決まって行き、本日より10日後の8月1日に入学が承認された。
会議が終わった後、その場に残り入学手続きの書類を書いているナタリーメイが視線を感じて顔を上げるとルドルフ医師と目があった。
「何か用でもあるのですか」
素っ気なく言い放つと目の前の男は、多少バツのわるい表情を浮かべ話し出した。
「どうやら私は年がいも無く興奮してしまったようだ。私の発言は色々と配慮が足らなかったと思う。ヨシト君に謝る事は出来ないから、保護者である君に謝罪しておきたい。すまなかった」
「あなたが悪気が無かった事は解っています。だからと言ってすべて許せるほど私も無感情ではいられないのです。ただ、謝罪の意思は伝わりましたのでこれ以降の事は結構です」
男はフッと笑って穏やかな口調で話し出した。
「ただ、考えるのですよ。この国では戦争こそ長らく無いが、この世界は人間にとって決して優しくない。地方に行けば行くほど魔物の被害や災害で亡くなる者も少なくない。病気で亡くなる人も無視できない。せっかく長い人生がこんなことで終わっていいのかなと」
「その手段が人体改造とでも言うつもりですか」
「もちろん違うとはっきり言うべきなのは医師として理解している。ただ、彼の魔術適正試験の後、私は興奮してなかなか眠れなかったのだよ。すべての項目に高い適性を示した彼はあらゆる魔術を人並み以上に扱えるだろうし多分、魔力値も高いだろう。一般的に魔力値の高い人間は病気にもかかりにくく寿命も長いとされている。つまり彼は人の理想形だと言える」
ナタリーメイは深い溜息をついた後、毅然とした口調で目の前の医師に意見を述べた。
「私は一級の回復師の資格を持ってはいますが、医師としての倫理観や力が及ばない事への葛藤は解りません。それでもはっきりと言える事があります。何のリスクも無く理想の人間を作ることが可能なのは神の御業のみです。人は決して万能ではないのです。日々の努力を積み重ね、少しでもましな自分になるしかありません。又、強運にたより結果だけを手に入れる行動は、長い人生を否定するものです。今後、ヨシト君がどのような人生を過ごすのか解りませんが、私はすべてを受け入れる覚悟です」
ルドルフ医師は彼女の考えを理解した。
(つまり、ナタリーメイ院長は神様でもない限り命をもてあそんだ結果はヨシト自身に帰ってくると考えてるわけだ。高潔だが悲しい考え方だ)
しかしながら、その意見には説得力があった。
そして、その時初めて親に捨てられた8歳児の今後の人生について思いをはせ、彼は悔恨の表情を浮かべた。
「せめて私は彼の将来に、幸あらん事を神に祈りましょう」
ナタリーメイは、男に向かって初めて笑顔を浮かべて最後にこう言った。
「本当にヨシト君は神の子かもしれませんね。もっとも、彼にそんな事を言ったらきっとはにかんでこう言うでしょうね。『神の子でなくていいから両親に会いたい』と」