第39話 閑話 ミランダとタリアのこと
交易都市ミランダでの出来事が終わって、4か月半程経った12月の初旬。
今ヨシトは、年長の子供たち相手に魔術訓練の教官役を買って出ている。
教え子であるミーア=イシュタルやエミル=ウガンダ達はメキメキと力を付け、特にミーアは優秀で、下手な人間族にさえ遅れを取らない力の持ち主だ。
「ヨシ兄、ミーアすごくうまくなったよ」
と喜ぶ姿にヨシトも思わず微笑みかける。
教会の例の広い部屋で、合計5人の孤児たちと一緒に魔術の練習をするのは、なんとも楽しい経験だ。
子供たちは次々と上達して行き、最近は獣人の学校でも話題になるほどだと言う。
これは、ヨシトの魔術知識がほぼ完璧で、しかも日本で一時教育者を志していたのが大きい。
そんな楽しいひと時を終え、他の子供達が帰った後にヨシトは自らの魔術の研鑚に努めていた。
最近は、ほとんどの魔術をうまく行使出来、いくつかスキル化した物もある。
特にヨシトは、思考念波を使った魔術に力を入れており、それは、思念波を使った魔術と比べるとはるかに難しいが、射程範囲が長く、一般の人には気付かれず行使できるため、将来的には非常に大きな力となるだろう。
練習を終え部屋を片付けながら、ヨシトは昨日ミランダで起こった色々な出来事について思いを巡らす。
彼は少し前にレミル=ブラットから、ミランダに新しいブラット家が完成したと聞かされていて、昨日の休みを利用して、レミルとリンダ=ハミルトンと共に新築祝いの目的でミランダに昨日、日帰りで行ってきたのだ。
久しぶりに見たミランダの町は、この4カ月で大きく様変わりしていた。
多くの建物が建設中で、町自体が活気を帯びていた。
復興特需というものだろうとヨシトは思う。
神聖リリアンヌ教国ではミランダも含め、ほとんどの都市で土地の所有は認められていない。
主に都市政府から土地を借りて、賃料を支払う形になっているのである。
町の3分の2が壊滅したため、被災場所の契約は白紙に戻され、役人達の寝食を忘れた努力によりわずか2週間で大規模な都市計画が立案された。
その後は、計画に沿った新たな場所に、戦闘に貢献した者から抽選で希望の区画が与えられたのだ。
それは、公務員で災害担当責任官であったブラット氏にも適用され、ブラット家は都市中央の官公街の近くに居を移していた。
三人がブラット家に着くと、レミルが親友であるリンダを両親に紹介し、それぞれが親交を温めた。
ブラット家は、まだ真新しい建材の匂いがし、ヨシトは日本での職業である一級建築士時代の事を思い出し、感傷的な気分になった。
その後ブラット家ではホームパーティーが開かれ、ヨシトは久々に会ったレミルの両親であるネイルさんやブラット氏との話に花が咲いた。
ネイルさんにバルゾ病の再発の兆候は無く、リション医師による毎月の定期検診も近々半年に一度程度に切り替えられるという。
ヨシト自身もその場で診察を行い、自らのギフトで悪性腫瘍が無い事を確認して安堵した。
もちろんまだ100%安心とは言い切れないが、例え再発しても何度でも治療を繰り返す覚悟を持っている。
ブラット氏とは、ミランダの町の事について色々と話をした。
ヨシトがブラット氏から聞いた話では、ミランダの人口は4分の1近くも減ったそうだ。
引っ越して行った者のほとんどが、資金を持たない獣人や若い人間族で、新たな町で家を借りて生活する事になったのであろう。
そして皮肉な事に、魔物が減った中海での漁獲高は増えていて、漁師の人達の大きな励みになっていると言う。
更に、神聖リリアンヌ教国だけでなくネピス共和国やリンダ連合市国の3大人間族国家を中心に、周辺諸国からも多くの義援金が集まり、町の復興は加速度的に進んでいると言う。
有名なところでは、キュンメ大将が港湾の復旧に私財1億ギルを投じたという新聞に載っていた話がある。
口汚い人の噂では、ただの偽善だとか、自らの指示した山波による自爆作戦が、港に大きな被害を与えたのだから当然だと言う物もあったが、ヨシトはそうは思わない。
それは、あの悪夢を体験した多くの人達には言わずとも解る話だ。
そんな感傷が起こるほど、現場は生易しいものでは無かったから。
事実、新聞の記事によるとキュンメ大将は多くを語らず、
「もう一度、あの海で思いきり遊びたいだけだ」
と答えたと言う。
それに対する論評は、彼に対する辛辣なものが書かれてあったが、そんな事を言う人に限って自らがその立場になると口をつぐみ、偽善さえ行わない場合が多い事をヨシトは知っている。
ただやはり、完全には行政の手は行き届かず、多くの零細商店や民間託児所や保育所などが再建の目途が立たず、都市機能はまだまだ回復していないと言う。
銀行もどうしてもこのような場合、大手相手の貸し付けが中心になる。
国による貸付制度は、時間がかかるし十分ではない。
それを聞いたヨシトは、昨日帰宅してから自らの保護者であるナタリーメイ=ウッドヤットと相談し、クロベ財団から、主に民間託児所や保育所に対し無利子無利息で貸し付けを行う事を決めている。
ナタリーメイはクロベ財団管理者の一人で彼女の支援者でもある、法律家のキャメル氏にそれを依頼し、財団の資産の半分近い3億ギルを融資枠に充てる事になったと、学院から帰ったヨシトにその旨を報告した。
ヨシトはキュンメ大将の気持ちが何となくわかった。
人にどう言われようが、自分のお金ぐらい自分の好きなように使いたい。
それが自分の懐に入ろうが、そうでなかろうが。
特にクロベ財団の資金は、自分の為には一切使わないと決めているヨシトには、そんな事より自分の利益を顧みず動いてくれたナタリーメイやキャメルの存在自体が何よりありがたかった。
話を昨日の事に戻すと、ブラット氏が最近一番嬉しかった事は、ミリア教教皇であるエンツォーネ聖下が巡幸にお見えになった事だそうだ。
これは非常に珍しい事と言える。
ミリア教国は、彼女が国外に出る事を極端に嫌がる。
万が一の事でもあれば取り返しがつかないと。
それほど女神様の地上代行者である彼女の権威は高いのだ。
それでは何故、異例の巡幸が行われたかというと、エンツォーネ教皇の強い希望によるものだと言う。
聖下はこの度の魔物による3つ港町の被害に心を痛められ、時間はかかったものの周囲の反対を押し切って、巡幸をお決めになったそうだ。
エンツォーネ教皇の在位は100年近く、治世は安定しており、信者達の圧倒的な支持を集めていると聞く。
ミリア教国以外では、ほとんど姿を現す事もなく、写真も教会が許さないため、姿どころか正式なお名前さえ知られていないが、ブラット氏が遠くから御尊顔を仰ぎ見た様子では、可憐な少女のようだったという事だ。
ヨシトはふと、ミリア教国の首都プレトリアで出会ったピンクブロンドの長い髪の女性の事を思い出した。
ブラット氏が語るエンツォーネ教皇の姿が、何となくタリアと重なったからだ。
しかし即座にその考えを否定する。
それは、伝え聞く教皇の振る舞いと、タリアの奔放でわがままだけど魅力的で純粋な性格が一致しなかった為だ。
ばかばかしい事だとヨシトは思う。
酷く感傷的な思い込みに過ぎないと考える。
そして万が一の可能性を思い描き、再び会った時の事を推察する。
もし、同一人物であったとして、あの思い出とは関係ないだろうと。
今度会う時は、タリアではなくエンツォーネ教皇聖下であるだろうと。
そして、あの幸せで夢のような時間は、心の中にしか残っていないと。
いっそ会わない方が、お互いの為ではないかとさえ考えた。
そして、ほとんど無い可能性について考えるのを止めた。
自分は、今現実を生きているのだから。
ヨシトは自室である角部屋のゲストルームに戻ると、ゴロリとベットに倒れ込む。
これからの予定では、ヨシトとってはマキシム医術専門院の後期試験が控えている。
そしてそれが終わると、休みの間を利用して要塞都市ゴルゴダのリンダ=ハミルトンの自宅にて、レミルと一緒にホームステイが予定されている。
「要塞都市ゴルゴダなら、例え魔獣が来たって大丈夫よ」
と言うリンダのおどけた声を思い浮かべ、自然と笑みが漏れる。
歴史上、一度も陥落した事のないゴルゴダなら確かにそう言えるだろう。
特に精霊族のコミュニティに行ける事が楽しみだ。
要塞都市ゴルゴダには、ヨシトの移送スキルで訪問する予定だ。
最近のヨシトは、休日を利用して飛空船に乗り、神聖リリアンヌ教国の様々な町を訪れ、そこの位置情報を記憶している。
これは、保護者であるナタリーメイ=ウッドヤットの言葉『経験が自らを救う』を実践するためだ。
ヨシトが孤児院に来てからの様々な出来事を思い返すと『自分は未熟者』だと言う答えに行きつく。
母親から与えられた知識、ヨシト自身が本で読んだ知識、いづれも消化出来きれていない。
つまり、
ヨシト=ウッドヤットは色々知っている。
だが、実はほとんど何も知らない。
それを心底、実感したのだ。
そして、強く願う。
『世界を知りたい』
『自分の目で確かめたい』
『此処を出たら世界を旅しよう』
『それが俺自身を救うのではないか』
そして、自らに移送スキルがある事に感謝した。
それこそが女神様の意志ではないかとさえ考える。
もちろん、彼の理性は否定する。
馬鹿な思い込みだと考え、思考を切り替える。
「早い物でマキシム医術専門院に入学してから一年が過ぎようとしている」
彼は独り言をつぶやき、未来に思いをはせる。
(来年の今頃、俺は何をしているのだろうか。少しは成長してるかな)
その答えは誰も解らない。
未来は彼の努力によってのみ確定するのだ。




