第38話 小さな冒険の終わり
美術館の閉館後、ヨシトとタリアは無言でアプローチを抜け、二人乗り飛空車の方へ歩いて行った。
(もう少し、美術館に時間を取れればよかったのに。効率的なんて考えた俺は朴念仁だな。少し前の自分を殴ってやりたい)
ヨシトが自虐的な考えにとらわれていると、タリアは明るく彼に話しかける。
「ねえヨシト、あと何ヶ所だったかしら」
「三ヶ所だよ。聖ネオジャンヌ広場と再びの泉、そして展望台」
ヨシトが即答すると、タリアは美術館のエントランスにある時計に目を移した。
「今、5時15分ね。ふふっ、美術館の職員の方に迷惑かけちゃったかしら」
二人はゆっくりと歩いて最後まで回ったので、閉館時間を10分ほど過ぎてしまったのだ。
「それほどの事じゃないよ。それより後三ヶ所は、どう回ってもそんなに時間は変わらない。タリアの好きな順番でいいよ」
「じゃあ、ネオジャンヌ広場に行きましょう」
「解った、でも今の時間じゃ屋台とかも閉まっているかもしれないから、あんまり期待しないでくれ」
「あなた、また何か食べるつもりだったの」
「でも、ネオジャンヌ広場名物っていえば屋台なんだけどな」
ヨシトの言い訳じみた言葉を聞きつつタリアは笑う。
ネオジャンヌ広場は、此処から飛空車で15分くらいだ。
二人を乗せた、まるで空飛ぶスノーモービルのような飛空車は、夕暮に近づく街を軽快に飛んでいく。
下を見れば大型魔動車、道路横の建物はカラフルな石造りの5階建て、遠くには展望台やラジオ局のある電波塔が見える。
まるでおとぎの国の光景だが、彼らにとっては見慣れた風景だ。
滑るような様子で、二人を乗せた飛空車は道路上空を飛行する。
そんな風景を感慨深げに見ているタリアの様子を運転しているヨシトは知らなかった。
ネオジャンヌ広場に着くと、やはり屋台は店じまいを始めていた。
二人が地面に降り立つと、いきなりフラッシュが浴びせられる。
(何事か)とヨシトが斜め前方に顔を向けると、商売用の受像機を抱えた獣人の男がにこやかな顔でセールストークを浴びせかける。
「旦那、写真はいかがです。可愛い彼女と二人旅の記念に。通常は1800ギルですが、お二人の幸せそうな姿に当てられやした。1500ギルでいかがでしょう」
その言葉にタリアは堅い口調で話す。
「困ります、写真は処分してください」
その言葉に食いつく写真屋。
「そういわれても、こっちも商売ですけぇ困りまさぁ。商品を捨てるなんてとんでもないこってさ」
彼女の困っている様子に、ヨシトは口をはさむ。
「おじさん、いきなり写真を撮ってそれは無いよ。彼女は写真は嫌いなんだ」
「すんませんこって。いきなり撮ったのは、お嬢様があまりにもお美しいからでさぁ」
調子のよい男に、ヨシトは少々辟易とするが、少し考えると質問する。
「確か、その受像機は記録が残らないタイプだったよね」
「旦那はよくご存じだ。世界でたった一枚の写真でさぁ」
受像機が単なる旧式タイプだとは知ってはいたが、ヨシトは構わず交渉する。
「ちょっと写真を見せてくれ。もちろん破ったりしないから」
男は嬉しそうに、受像機から写真を取り出す。
大きさは10cm程度の小さなものだ。
しかし、非常にきれいに写っていた。
「うまく撮れてる。驚いた」
「あっしは、この道15年でさぁ」
「もしこの後、俺達を撮らないと誓約するなら、買い取ってもいい」
その言葉を聞くと男はすぐに答える
「女神様にも、ネオジャンヌ様にも誓いやす」
ヨシトは苦笑を浮かべつつ、1500ギルを払い写真を受け取る。
ヨシトはタリアに向き直り、写真を差し出す。
「君が持っててくれ。二人の今日の思い出に」
タリアは首を横に振り、胸に手を当ててつぶやく。
「思い出は、心に残っているから別にいいのよ。それに、あなたが支払った写真だから受け取れないわ」
ヨシトは、ニッコリ笑って言う。
「確かにそうだね。でも俺は、君にプレゼントしたいんだ。心の中の風景にはタリア自身は写ってないだろ」
ヨシトの差し出す写真には、飛空車にまたがり前を真剣な表情で見つめるヨシト。
その後ろで、穏やかな表情を浮かべるタリア。
後ろの風景には、天高く剣を掲げる聖ネオジャンヌの銅像が写っていた。
タリアは、おずおずと写真を受け取ると、大事そうに胸に抱え「ありがとう」とだけ言った。
ネオジャンヌ広場を後にすると、次は『再びの泉』に向かう二人。
飛空車の後部座席で、タリアは鼻歌を口ずさんでいる。
彼女の上機嫌な様子にヨシトも心が弾む。
再びの泉に着くと人気は少なく、今まさに太陽が地平線に沈もうとする空は、きれいな夕焼けに彩られていた。
水面が夕焼けを反射して、なんとも幻想的な雰囲気の中で、二人は泉の前に立つ。
「……きれい」
タリアがそうつぶやくと、ヨシトは『再びの泉』についての説明を始める。
「再びの泉は、出征地に向かう戦友が、生きて再びこの泉の前で会おうと誓ったのが名前の由来とされているんだ。その後、長い時間が経過して、この場所にネオジャンヌが出来ると話が変わってしまったんだ」
タリアはヨシトの話を聞くと、泉の水底を見つめ尋ねる。
「少し嫌な予感がするけど、泉の底にあるたくさんの硬貨に関係しているの?」
「ああ、今の都市伝説ではネオジャンヌに再び来たければ100ギル硬貨を、此処に住みたければ500ギル硬貨を想いを込めて泉に沈めると願いが叶うとされている」
「何だか、ネオジャンヌ観光協会の悪意を感じるわ。きっと、お布施の一種なのね」
ネオジャンヌ観光協会はともかく、それは正しい推察だろう。
この泉が整備された当初の『再びの願い』は10ギル硬貨だったのだから。
ちなみに数カ月に一度、硬貨はしっかりと回収される。
「俺は此処に住んでいるんだけど、硬貨を投げ入れる意味は無いよな」
ヨシトも何だか複雑な気分だ。
「1万ギル硬貨だったら、泉が歩いてやってきそうね」
「そんなオカルトありえませんから」
二人はクスクスと笑い合う。
ヨシトが「硬貨を投げ入れるの?」と聞くと、
タリアは「来たければ自分で来る」と答えた。
そして、二人は『再びの泉』を後にする。
最後の場所である展望台に着くと、時計の針は6時20分を過ぎていた。
入場料を払い、二基あるうちの右側の昇降機に乗り込む。
150m先の展望台まで一気に上昇する直通の昇降機は、この世界でも此処にしかない規模の物であり、ネオジャンヌ最大の観光スポットである。
たどり着いた先には、夕闇に染まる街を一望できる回廊があり、二人は手に手を取り、言葉も無くゆっくりと一周する。
見慣れた景色さえもタリアと一緒だと、ヨシトには新鮮に感じられた。
ヨシトはタリアに話しかける。
「終わったよ、タリア」
「ええ、そうね。終わったわ」
天空の回廊で見つめ合う二人。
街の明かりが彼女の後で、きれいにきらめく。
これから本格的な夜が始まるのだ。
そして……
二人が繋いでいた手は自然に離れていく。
そして、決別の時が訪れようとしていた。
街の外に向かい飛空車を飛ばしていると、後部座席から讃美歌を口ずさむタリアの歌声が聞こえる。
ヨシトは、そのきれいな歌声を聴きながら考えていた。
(今日の彼女と俺の関係は、一体何だろうな。友達以上恋人未満ってやつか。タリアの事を思う気持ちは、このまま時を重ねれば、かけがえのない想いになるのだろうか)
本当は、ヨシトは理解していた。
今日の二人は、あくまでも仮初めの関係であると。
そうと割り切って付き合うのには、お互いが純粋すぎると。
そして、お互いが秘密を抱えたままでは、決して二人の間は進展しないと。
だからヨシトは、今日の小さな冒険をきれいな思い出として、明日からの日常に持ち込まない事に決めたのだった。
街の外に着くと、二人は無言で暗い地面に降り立つ。
ヨシトは飛空車を木立の陰に隠し、タリアの前に戻ると、軽く深呼吸をしてから一言声をかける。
「プレトリアに送るよ」
「ええ、お願い」
ヨシトはタリアのそばに立つと、移送スキルを発動し二人の姿はネオジャンヌ近辺から消えた。
プレトリアの西門近くにヨシトとタリアは静かに降り立つ。
少し離れて、門番の姿が小さく見える。
西門の入り口近くで煌々(こうこう)と明かりを照らし、何だかこの町の夜には似つかわしくない雰囲気だ。
「此処でいいわ」とタリア。
「送っていくよ」とヨシト。
タリアは辛そうな表情でヨシトに語る。
「多分迷惑をかけると思うから、ここで別れましょう」
ヨシトは、彼女にそんな顔をしてほしく無かった。
「わかった、最後は笑顔で別れよう」
「ええ、最高の笑顔で別れましょう」
「今日は楽しかった。さようなら、ヨシトさん」
「ああ俺も楽しかった。じゃあな、タリアさん」
そして互いに背を向け、それぞれの日常へ帰っていく。
心の中で、最高の笑顔を浮かべて。
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プレトリアの北側にある宗教区のとある場所では大事件が起こっていた。
やんごとない身分のお方が、行方不明になっていたからだ。
司祭長ケングリッドは自らを落ち着かせるためにも、今日の出来事を思い出す。
本日は、休息を取られる予定であったそのお方は、今日のお昼前頃にお忍びで出かけてしまわれた事だけは解っていた。
このような事は今までも度々あられ、ほとんどは数時間以内にお戻りになられる。
以前にお出かけなさる理由をお尋ねすると「街の様子を見て来た」との事。
それが今日に限っては、3時を過ぎても戻られず、内密に直属の衛兵に命じて安否の確認をさせるが、一向に見付ける事ができない。
夕方5時を過ぎると、さすがに一大事であると司祭長達が集まり、大規模な捜索が行われる事となった。
しかし、日が沈む頃になっても足取りさえつかめないため、非常事態宣言さえ視野に入っていた。
このような事態を招いた事は痛恨の極みであり、予測は出来たはずだ。
実際、側近である司祭長達が何度もご忠言を申し上げてはいたが、一向に気に留められるご様子もなく、何かあっては女神様に申し開きも出来ぬと以前より考えてはいたのだが、今日それが現実となるとは悪夢のようだ。
ケングリッドがそんな事を考えていると、西門の衛兵から発見した旨の連絡が届く。
彼は、ほっと安堵の溜息を吐くと、彼女を迎えに出るため急いで宮殿の入り口まで出向く事にする。
しばらく待っていると、衛兵達を引き連れ、そのお方が現れた。
ケングリッドは尊礼をすると、彼女に話しかける。
「エンツォーネ様、御無事の御様子で何よりでございます」
「無事は当たり前ですよケングリッド卿。…それと、皆にも心配をかけたようですね」
男は自らの役目に従い、彼女に忠言をする。
「どうか、御立場を御考慮されて下さい。外出時は、衛兵達を御連れいただくよう進言申し上げます」
「自らの立場など、卿に言われなくても理解しています。もう100年近くも勤めているのですから」
エンツォーネはそう言うと踵を返し、内殿の彼女の居場所へと歩いていく。
その後ろ姿を見つめながら、ケングリッド司祭長は密かに溜息を吐き考える。
(この放浪癖さえ無ければ、我らには過ぎたる御方なのだが。やはり教皇という立場は、まだお若いエンツォーネ様には退屈であられるのだろう)
ケングリッドは、いくつかの行幸先を思い浮かべ、彼女の予定に加える事にした。
内殿の最奥にある教皇の間の近くに、ミリア教の教皇クリスタリア=エンツォーネの住まいはあった。
彼女は、世界にたった一人しかいない、始祖ミリアの次にこのミリア教国に誕生した『託宣』ギフトの持ち主で、女神様の地上代行者という立場である。
彼女自身は、地上代行者という見方を強く否定しているが、側近たちの思惑もあり世間一般には広がっていない。
彼女は、ミリア教国のはずれにある小さな村の出身で、10歳で神託を受けた後にそのギフトが明らかになると国中が大騒ぎになった。
なにせ『託宣』ギフトの持ち主は、世界にたった一人しか現れない。
25年前にゾンメル教の教主だった人間族の男が無くなって以来、世界には誰一人も『託宣』ギフトの持ちがおらず、宗教関係者の間では不安が広がっていた。
「もう15年以上前から、いつ現れてもおかしくは無いはずだ。我々は、神に見放されたのであろうか」
そんな時期に、しかもミリア教国に教祖ミリア以来の『託宣』ギフトの持ち主が現れたのだから、ミリア教の幹部達は狂喜乱舞した。
その結果、クリスタリア=エンツォーネは自らの意志に反して強引にプレトリアに連れてこられ、あっという間に司祭に祭り上げられた。
当初は完全に客寄せパンダの扱いで、本来必要とされる聖書への理解や、精神的な修練にも時間が取れない。
彼女が愚か者であれば、唯々諾々(いいだくだく)と自らの境遇に甘んじていただろうが、聡明であったので周りと度々衝突した。
そんな中ででも彼女はくじけず、日々研鑽に努めて徐々にではあるが周りも彼女への見方を変えていった。
しかし10年余りが過ぎた頃、前教皇が320歳の若さで急死したため次期教皇にクリスタリアを推す声が一気に高まった。
クリスタリアは自らの未熟を理由に、教皇への就任を固く固辞し続けた。
実際、彼女は司祭長にもなっておらず、本来は彼女の意見こそが正当な物であっただろうが、誰も彼女を差し置いてまで教皇の地位を望む物は、表向きは現れなかった。
結果的にクリスタリア=エンツォーネは教皇に選出されたが、それは内外に色々と憶測を呼んだ。
前教皇の突然死に加え、まだ20歳そこそこの司祭の地位にしかない小娘がミリア教の最高位を極めたのだ。
内情を知らない人々は、『前教皇に不満を持った誰かが教皇を暗殺し、クリスタリア=エンツォーネを傀儡にして権力を掌中に収めたのではないか』
また、『たかがギフトを持っただけの小娘に何が出来ると言うのか』等の流言が世間に広がった。
この時のクリスタリアの心境はいかばかりか、余人には決して知る所ではないが、それでも表向きは彼女は粛々と公務をこなし、着々と信頼を築いていった。
そして、世間の噂が完全になりを潜めた頃、クリスタリア=エンツォーネはミリア教国の国民に対して宣言を行う。
『これからは、世界の理に関する事以外は自らは決して政治的な発言はしない』という彼女の言葉は、ミリア教国に対する教会の権限を緩める事になるため、当初司祭長達にも反対意見は多かった。
しかしクリスタリアは、自らの教皇位にかけてでも譲らなかった。
そして、その発言を受けたミリア教国では法を整備して、事務方が決めた政策を司祭長達が追認する形をとり、今まで宗教関係者による口出しで混乱が多かった政治は、効率的な物となった。
今日ではそれは、エンツォーネ教皇の英断として歴史的にも重要な事件となっている。
そしてクリスタリア=エンツォーネが即位してからのおよそ100年間、ミリア教国は穏やかで緩やかな発展を続けているのだった。
彼女がこのまま在位を続ければ、ミリア教史上最長で最高の教皇であると歴史家は表するであろう。
そんな彼女は、自室に戻ると懐から一枚の写真を大切そうに取り出し、穏やかな笑顔でじっと見つめる。
その顔は、教皇クリスタリア=エンツォーネではなく、まだ幼き日生まれ故郷に置いていった少女タリアのものだった。
彼女は、今日のお昼からの小さな冒険を思い出し、幸せそうにクスクスと笑った。
そして、ヨシトの事を考える。
(私が、クリスタリア=エンツォーネである限り、彼の人生と将来並び行くことは決してない。だが唯の村娘タリアとしてなら、どうだったろうか。タリアは平凡だけど幸せな人生を彼と送れるのではないか)
だが彼女は知っていた。
この幸せな経験は、はかない夢の様なものであると。
雪のようにきれいで、手のひらにつかむと消えてしまうものであると。
教皇の地位を捨ててまで自らの幸せをつかむことは、聖人ザッハタルを信仰する自身の考え方に反すると。
そして、そんな彼女を自分自身は決して許さないであろうと。
だからタリアは、今日の小さな冒険をきれいな思い出として、明日からの日常に持ち込まないと決めたのである。
クリスタリア=エンツォーネは就寝前に、女神様に祈る。
お祈りをすると、女神様のお考えをぼんやりとだが知る事が出来るのだ。
そして、今日の素晴らしい出会いに感謝する。
女神様からの想いは、いつもより優しく感じられた。
こうして、
彼女の幸福な一日は幕を閉じる。
宝箱の中に一枚の写真を残して。




