第37話 二人は観光を続ける
「全部回りたいの」
いきなり無茶を言う人間族の女性の名前はタリア。
そして、その言葉に頭を抱えるヨシト。
メイリン女史の公開放送が終わった昼の2時過ぎ。
ラジオ局のロビーの固めのソファーに座り、この後の予定を話し合っていた時の出来事である。
ヨシトは、夜7時頃までには自宅に帰るつもりだったので、出来るだけ効率的に回ろうと思い、彼女に行きたい場所を選んでもらっていたのだ。
「全部って、10か所以上もあるんだけど」
「ここのラジオ局を含めて12か所よ」
ヨシトの言葉を訂正するタリア。
さすがにそれでは、ほとんど観光の時間が取れないだろう。
ヨシトは、何とか思い留まってもらおうと、タリアを説得してみる事にした。
「効率的に回っても、移動だけでギリギリだよ。まして、美術館なんて最低2時間は必要だし」
その言葉に反論するタリア。
「大丈夫よ、ほとんどの場所はちょっと見てみたいだけだから。それに、空を飛べば移動時間を短縮できるわ」
「いや、ネオジャンヌの人は、緊急時以外飛ばないから」
「今がその緊急時だと思わない?」
彼女の魅力的な笑みに、一瞬心が揺らぐヨシト。
「……思わない」
「うん、残念。二人で空を飛ぶのもいい思い出になるのに」
確かに、いい思い出になるだろう。
青春の甘酸っぱい思い出、…後から思い出しては身もだえするだろうが。
それに、真昼間からそんな事をすれば、ヨシトは一躍、時の人となってしまうだろう。
時計を見ると2時15分
つまり、後4時間45分。
ここで話していても時間は流れる一方だ。
それに、何と言うかタリアは断りにくい雰囲気を持っている。
ヨシトは決断する。
「わかった、全部回ろう。ただし強行軍だぞ」
その言葉に驚くタリア。
「うれしいけど、時間は大丈夫?」
「タリア、リミットは夜7時だ。それでいいか?」
彼女はニッコリ笑って「うん」と応える。
ヨシトは外に出ると真っ先に、近くにある地下の入り口へと向かい歩いて行った。
歩いて5分足らずのそこは、地球でよく見る地下街の入り口だ。
ただし、入り口は施錠され、すぐ横には警備員詰め所がある。
「ここが恋人達の道の入り口だ、タリア」
「こんな近くに会ったのね」
ヨシトは警備員に身分証明書を提示し、事情を話して中に入れてもらう。
下に伸びる石の階段を無言で進むヨシトとタリア。
二人の靴音だけが、コツコツと反響する。
下まで降りるとそこは、幅4m、高さ2m強の地下通路だった。
天井にある照明が、薄暗く辺りを照らしている。
「此処から歩いて2,3分程度だよ。一本道らしいから迷う心配もないよ」
「魔動車で、おばさま達がそう言っていたのは知ってるけど、何か不気味な感じね」
二人は薄暗い通路を、とりあえず先へ急ぐ。
歩きながらヨシトは、本で呼んだこの場所に付いて知ってる事をタリアに話す。
恋人達の道は、地下にある通路の一部をそう呼んでいること。
そもそもこの地下空間は、戦争が激しかった頃の人間族の大本営の跡地で、当時はネオジャンヌ自体が無かった事。
今は一部が下水道処理施設に使われている事。
するとタリアは、げっそりした声でヨシトに話す。
「さっきの警備員は、下水道処理施設の関係者なのね。全然ロマンチックじゃないわよ。何でそれが恋人に関係あるの」
ヨシトは、先を指さして励ます様に言う。
「あそこを曲がると解るそうだよ。観光本の受け売りだけどね。さあ、後少しだよ」
指さす先の通路が直角に折れ曲がっており、そこを曲がると光景が一変する。
「……すごい」
タリアの声と共に、ヨシトも息をのむ。
その壁の一面に、圧倒的な存在感を放つ壁画があった。
恐らく恋人同士であろう、二人の男女の幸福に満ち溢れた等身大の姿だ。
ヨシトは感動を覚えつつも、頭の中にある知識をタリアに伝える。
「この絵は、戦争で恋人と生き分かれた男が、彼女の無事を祈り書いた絵なんだって。ただ、作者の名前も解らないし、恋人と無事会えたのかも解らない。でもこの絵を見た恋人同士は幸せになれると言う都市伝説があるそうだよ」
タリアは、感嘆の声をもらす。
「何でこれが、美術館に展示されてないかが理解できないわ」
さすがに、そこまでの情報はヨシトの頭の中に無かった。
彼は、心に浮かぶままの考えをタリアに話す。
「多分だけど、此処にあるからこそ意味があるんじゃないかな。暗い中で愛する人の無事を祈り必死で書いた男の気持ちと、戦争の記憶が相まって価値を高めているように思う」
「ヨシト、あなた詩人ね。でも素敵だわ。この絵も、あなたの考え方も」
二人はしばらくその絵を眺めていたが、タリアが後ろ髪を引かれる想いでヨシトに告げる。
「名残惜しいけど、行きましょう」
「そうだね」
二人は元来た道を帰って行き地上に戻る。
外に出た解放感からか、ヨシトはテンションを上げてタリアに問いかける。
「さて、これからが大変だぞ。覚悟はいいか?」
「もちろん。望むところよ!」
タリアの勇ましい一言で、戦闘開始だ。
ヨシトは歩いて5分くらいの場所にあるレンタルショップに急ぐ。
その理由は、足を確保するため飛空車を借りる為だ。
自分の『防御』スキルの関係上、避けたかった移動方法だが、彼女の願いをかなえてやりたい気持ちの方が勝ったのだ。
それに、ヨシトは自分の他のスキルの事も言っていないので、ばれても問題ないと思った為だ。
この国では、8歳以上になると車の免許が取れ、ヨシトは普通車免許を取得しており、営業者以外の自由魔動車(自動車)も飛空車も運転できる。
実は、ルシアを抱え夜の街を疾走した恥ずかしい思い出が、普通車免許取得の動機となっている。
レンタルショップに着くと、ヨシトは素早く手続きをして、二人乗りの飛空車を借りる。
地球で言うとスノーモービルに似た形のそれは、都市内では交通法規に則って、道路上空20mを時速60kmで飛べ、今回の移動にはうってつけだ。
料金を折半すると一人当たり4000ギルの出費になるが、もちろん二人は出し惜しみしない。
ヨシトとタリアは飛空車にまたがり、さっそうと街へ繰り出す。
次の目的地は人民院、日本で言う国会だ。
近くにあるので、5分もかからず到着する。
「外から見るだけでいいんだよね」
「そう、一度この目で見たかったの」
ミリア教国には人民院に当たる物が無い。
都市ごとには同様の組織があるが、国家レベルの運営はいわゆる官僚が作った物を宗教指導者が追認する形を取っている。
「タリアはもしかして、ミリア教国の政治を良く思ってないのかい」
「ええ。宗教なんてものは現実の問題に深く関わるとお互いの為にならないと思う。実際に国を動かしているのは事務方の人たちよ。お飾りに過ぎないなら、いっそ権力なんて手放した方がいいと思うわ」
(政教分離か。日本では一応、実現されていたけど、地球の国々では宗教指導者達の意見を無視できない事も多かったよな)
さすがにミリア教国の内情に詳しくないヨシトは、タリアの意見をただ聞く事しか出来なかった。
気を取り直してヨシトは言う。
「もしかして、次の新聞社も同じような理由かい?」
「もちろんそうよ。私、新聞に載りたくもないし、新聞社の中も興味は無いわ。ただ、見ておきたいだけ」
その後、タリアの見ておきたいだけの場所は続く。
新聞社の後は、おみあげ屋、女の子に人気のファンシーショップ、そしてヨシトの通うマキシム医術専門院。
彼女は、それぞれの目的地に着くと飛空車を降りて、少し離れた場所から1分ほど目に焼き付けるように、じっと見つめる。
そしてヨシトに振り返り「行きましょう」とだけ言い、次の目的地に向かうのだ。
ヨシトはマキシムを立ち去る際に、後ろに乗るタリアを振り返り聞いてみる。
「なあタリア、俺の通う大学院なんて見てどうするんだ」
「どうもしないわ。ただ見てるだけよ」
「よく解らないな」
「ふふっ、もちろん私なりの理由はあるけど、それは秘密よ」
次々と予定が消化されるのは良い事かもしれないが、ヨシトは何か釈然としない。
彼女が何を考えているのかヨシトには解らなかったが、目的地を見終わると妙にさばさばしているので、気にせず付き合う事に決めた。
ただ、次の目的地である始祖ミリアの像の前に着いた時の反応は大分違った。
「何これ! でたらめもいいとこよね。何かの冗談なのかしら」
そう言ってタリアはケラケラと笑っている。
ヨシトでさえ苦笑してしまう。
ミリアの黄金像は人間族の姿をしていたのだ。
ちなみに、ミリア教の始祖ミリアは精霊族だ。
決して人間族とは違う。
ミリア教のシンボルは丸の中に十字の横棒が一本多い線が入った物である。
これは、硬殻系精霊族であった彼女の形を模したものとされる。
硬殻系精霊族は人型を取る物はほとんどなく、頭と胴体が一体化した非常に硬い外殻を持つ種族である。
ヨシトは、なんとなく申し訳ない気持ちになり弁解する。
「多分、擬人化だと思うけど…。なんか見せるべきじゃ無かったような気がする。俺も今日初めて来たので此処までひどいとは知らなかった」
「いやいや、ある意味最高よ。まあ偶像なんて、そんなものよね」
確かに人の心なんて、自分達の都合のよいように捉えるものだろう。
ヨシトが時計を確認すると3時50分。
急に、大切な事を思い出す。
「タリア、美術館に急ぐぞ。あそこは5時で閉館する。後一時間程しか空いてない」
「それは大変。笑ってる場合じゃないわね」
二人は素早く飛空車に乗ると、此処から5分ほど先にある美術館に向かった。
美術館に着くと手早く入館料を支払い、二人は順路に沿って急ぎ足で歩く。
三又の分岐点の前で立ち止まり、ヨシトはタリアに話しかける。
「なあタリア、全部は見れないから、どれかに絞った方が良くないか」
彼女は、少し考えヨシトに同意する。
「宗教関係、特にミリア教の展示品は通過しましょう」
「えっ、何か意外な意見だ。一応君はミリア教関係者だよね」
「だからよ。プレトリアには教会の近くに教国美術館があるの。世界広しと言えど、ミリア教関係の展示でそこに勝る所は無いわ」
「それは気付かなかった。今度行ってみる」
「ミリア大教会の次に有名な場所よ。観光に来てるのに知らないあなたがおかしいと思うわ」
(それは、君が強引に連れ出したからだろう)
とは思ったが、ぐっと抑えて入り口で渡された館内案内図に目を落とす。
「右側が、主に彫像や歴史資料、左が絵画中心で奥に行くほど年代が古くなるみたいだ。中央は特別展示室で、今は精霊族の新進作家による抽象美術展示をやっている」
その説明にタリアは嫌な思い出でもあるのか、首を横に何度も振る。
「ヨシト、特別展示は無しの方向で。先に右側の歴史資料を見ましょう」
「いいけど、何で? 抽象美術は苦手なのか?」
「あなた、精霊族の抽象画を見た事無いのね。あれは理解不能だわ。黄色キャンバスの中に黒い点一つでタイトルが『宇宙』って、あれは黄色い絵の具の無駄ね」
タリアはそう言うと右側の通路に進む。
「なるほど、お気の毒に」
後ろから付いていくヨシトの言葉に「あれは時間の無駄だったわ」とつぶやくタリア。
ヨシトはもちろん、精霊族の抽象画を見た事がある。
そして、その感想は「素晴らしい」の一言だった。
何せ日本では、一時期美術教師を目指していた彼は、ある程度芸術に対する造詣が深い。
そのヨシトの見解では、この世界では思考力を使った抽象画こそが地球の作品と比べても圧倒的に優れていると感じる。
彼の言った『気の毒』の意味は、作者も閲覧者も、そして作品自身も含めてである。
理解されない芸術は、関わったすべてのものにとって不幸と言える。
二人は、右側の彫像や歴史資料が飾られている建物に入ると、時間をさかのぼるようにして過去の作品を見ていく。
実はヨシトは、この美術館に何度か足を運んだ事がある。
だから、本当は中央の特別展示を見たかったのだが、タリアの様子を見て断念したのだ。
今は何より大切なのは、彼女と一緒の時間を過ごす事だとヨシトは考えていた。
30分ほどかけて右側の作品を見終わった二人は、連絡通路を通り絵画展示スペースへと向かう。
「変なのがいっぱいあったわね。何あれ『絡み合う二つの蛇』とか作者の頭の中が絡み合ってるだけだと思うわ」
そんな話をするタリアはすごく楽しそうだ。
相変わらずヨシトは彼女が何を考えているか解らないが、自分も彼女の様子を見てるだけで楽しいので不満など無い。
ただ、タリアの作品に対する評価は微妙だった。
歴史上の人物の銅像を見ては「この顔は悪い事を考えてるわね」とか、裸婦像を見ては「ポーズに思いっきりが無いわ。どうせなら女豹のポーズを取ればいいのに」など楽しそうに自身の意見を述べる。
ヨシトはそんな様子を見て苦笑しつつも、タリアの事がますます好きになっていった。
まだラブではなく、ライクの段階であったが。
二人が絵画スペースに入ると、今度は過去から未来へと時間が移っていく。
古い壁画や絵皿のような物から始まり、油彩画、油絵、魔術絵と移り行き、時代は進化する。
古い時代の絵は技法も大した事が無く、作者の絵に込めた想いもほとんど残っていないため、ヨシトからみれば骨董品的な価値しかないとも言える。
時代は中世に移っていき、宗教関係の絵画が増えてくる。
多分、タリアはスルーするだろうと思ったヨシトが足を速めると、彼女がついてこない。
振り返り見ると、タリアは1枚の絵の前にたたずみ、食い入るような瞳でその絵を見つめている。
ヨシトは、少し気になって彼女の横に並び、その絵とタイトルを眺める。
絵自体は、なんとも地味で獣人の男が苦難に負けず布教している姿を描いたものだ。
タイトルは『聖ザッハタルの生涯』で、確かザッハタルは始祖ミリアの高弟の一人だったはずだ。
ミリア教の早初期に多大な貢献のある人物だが、獣人差別の強い地域では忘れ去られた聖人の一人である。
タリアはその絵を見つめ、一筋の涙を流す。
そして、ヨシトに自らの想いを打ち明ける。
「ザッハタル様は、私の信仰するお方なの。まさかここでお目にかかれるとは思っていなかったわ。ザッハタル様の生涯は50年足らずの短いものだったけど、始祖ミリアの話を研鑽し、教義をまとめられた偉大なお方なの。そして自らは、迫害に負けず苦難を乗り越えられ、ミリア教の布教にすべてその身を投じられたの。亡くなられた後には、聖書一つしか残されなかった程の高潔な聖人の御一人よ。私のミリア教に対する気持ちを救ってくださった恩人でもあられるわ。ザッハタル様の存在を知った私は、初めて自分の運命に向き合う覚悟を持てたの」
ヨシトも、その言葉にザッハタルの苦難を想像し、目の前にある目立たない絵をじっと見つめた。
絵の中の男は何も語らない。
だが、彼の生涯を知る者の心には、確かに伝わる物があった。
ヨシトは自らの悩みなど、彼の存在の前では何とも小さいものだと強く思う。
だがしかし、そう簡単に割り切れない自分の心も無視できなかった。
二人の想いを無視するかのように、美術館の閉館アナウンスが流れていく。
小さな冒険は、まだ終わっていない。




