第36話 二人は観光を楽しむ
ヨシトは、神聖リリアンヌ教国の首都ネオジャンヌの通用門の前に立ち、いきなり後悔していた。
ヨシトの横には小柄な人間族の女性が居て、期待に目を輝かせている。
彼女の名前はタリアと言い、ヨシトとはひょんなことからミリア教国の首都プレトリアで出会い、いくつか彼女と話をした程度の間柄だ。
これから夜までの間、二人して遊びまわろうと意気投合し、移送スキルで来てみたまでは良いとして、その後の事を全く考えてなかった自分を殴ってやりたいと彼の心は自分の決断を悔いていた。
「なあ、タリア」
「何? ヨシト」
「とりあえず、昼食にしないか」
タリアはずっこける。
確かにいきなりそれは無いだろう。
「あなた、朝食を取ってないの?」
彼女は、不満そうだ。
当然である、普通は昼食など取らない。
朝食は、しっかり食べたヨシトだったが、自分の体質の事をタリアに言ってもしょうがない。
「…まあそんなとこ。此処から大型魔動車に乗って、中央広場まで行くと、うまい軽食が食べられるカフェテリアがある。そこで、君は飲み物でも頼めばいい」
その意見に、一気に気分を良くした様子のタリアは、弾むような声で、
「私、大型魔動車に乗るの初めて」と、すごくテンションが高い。
(助かった。とりあえず時間は稼いだ。昼食を食べ終わるまでの間に何とかしないと)
ヨシトがこれほど焦っているのには訳がある。
ネオジャンヌに3年以上住んでるにもかかわらず、彼にはこんな時に何処を案内すれば女性が喜ぶのか解らないのだ。
もちろん、頭の中にはネオジャンヌの地図は入っているが、だからといってまさか自分がよく行く図書館や医院などに連れていく訳にもいかないだろう。
(思い返せば、此処に来て以来、遊びもせずにずっと真面目にやってきたのが仇になるとは。此処から少し離れた町には遊園地があるはずだけど、俺は行った事が無い。まさか、飛んでいく訳にもいかないし)
そう、彼は遊び相手にはつまらない男だったのだ。
二人は停車場に向かい歩いていく。
ヨシトは、何とか危機を打開しようと知恵を絞るが思いつかない。
(まあ、なるようにしかならないか。こうなれば出たとこ勝負だな)
こんなところが、ヨシトの強みでもあるのだが、本人は自覚が薄い。
「タリア、一つ提案がある」
横を歩く彼女に、ヨシトはぶっちゃける事にした。
「何? 提案って」
「正直、俺は君が何に興味があって、何が苦手か解らない。だから、何かしたい事や見たい物があったら遠慮せずに言ってくれ」
ヨシトの言葉に、彼女も納得したのか返事をする。
「正論ね。確かに変な遠慮は無しにしましょう」
(よし、言質はとった)
ヨシトの嬉しそうな様子を見て、タリアはしみじみとした風に話す。
「あなた、とってもいい人ね。ここまでしてくれるなんて」
タリアが誤解している様だとは感じたが、そのままにしておく。
(多分、彼女とは一日限りだし、下手に言い訳するより良い思い出にしてもらった方がいいだろう)
ヨシトはそう思っている様だが、客観的にみると、こんな良い奴は少ないだろう。
その証拠に、ヨシトは更なる提案をタリアに行う。
「タリア、今日一日遊ぶにあたって、もう二つ程決めごとをしよう」
「何? 言ってみて」
「今日遊びに使うお金は、それぞれが出す。それと行動内容は、君がしたい事が優先だ」
「何それ! いくらなんでもやり過ぎよ。あなたに一方的に気を使ってもらうなんて、私は嫌よ」
ヨシトは、タリアの誤解を解くため、真摯に話し出す。
「そうじゃないよタリア。お金の事は、一緒に楽しもうと二人で決めたなら当然だ。俺たちは雇用関係にないだろ。そして君は、めったにネオジャンヌには来れない。友達なら、君のしたい事を優先するのは当たり前だ」
「…友達。そうね、あなたが言う通りね。ただ、嫌ならはっきり言ってね」
彼女の、なんだか複雑な表情を見たヨシトは「よし、決まりだ」と、あえて明るく返事して、心の中で財布の中身について考えていた。
(プレトリアでベストを買った後、3万ギルくらい残っていたはず。今日は銀行が休みだから、最悪『錬金』で創って換金するか)
本当に、お金に困らないのは良いことだ。
金が無いのは首が無いのと同じとは、良く言ったものである。
二人は停車場に着き、それぞれ都市中央までの切符を買う。
そんな事すら、タリアは楽しそうだ。
大型魔動車に乗るのが初めてなのは間違いないだろう。
ヨシトは、そんな彼女の様子を微笑ましく思う。
広い通りの中央のレールの上を、魔車はガタゴトと軽快な音を立て時速40km以上の速さで走っていく。
各駅停車だが、目的地までは30分もかからないだろう。
タリアは子供のように、車窓に映る景色を眺めている。
ヨシトも通い慣れ、見慣れた風景を新鮮な気持ちで彼女越しに見ている。
「プレトリアにもあれば便利なのに」
タリアの言葉にヨシトは苦笑する。
確かに便利かもしれないが、無粋だろう。
「正門からミリア大教会までだけでも路線があればいいのにね」
その言葉に、タリアは視線は外を向いたままヨシトに話す。
「実は、何度かそんな話はあったのよ。だけど、中央通りの商店主達の反対で立ち消えになったの。地元の人は、乗合自動魔車を使っているわ」
なるほど、素通りされては商売あがったりだろう。
そういえば『お荷物配達します』の、立て看板が出ていたのをヨシトは思い出す。
(なんとも世知辛いな)とヨシトも思う。
タリアは、珍しい建物があると「あれは何、ヨシト」と指さして尋ね、ヨシトは丁寧に答えていく。
そんな二人の様子を周りの乗客たちは、生温かい目で見ている。
少し騒がしすぎたのかもしれないと、ヨシトが思っていると、年配の獣人のおばちゃんが声をかけてくる。
「ねえ、お兄さん。あなたの恋人は首都は初めて来るのかい?」
どうやら勘違いをしているようだが、あえて訂正するのもどうかと思ったヨシトは、とりあえず答えを返す。
「ええ、そうなんです。すいません騒がしくて」
それにおばちゃんは「いいのよ。若いっていいわねぇ」としみじみ話している。
そんな様子を知ってか知らずか、タリアは相変わらず外を見たまま色々聞いてくる。
ただ、彼女がアベニュー通りを示す黄色い看板を指さした時、一瞬躊躇してしまった。
タリアは、返事が返ってこないのを不思議に思ったのか、振り返り遠慮がちに尋ねる。
「ねえ、アベニュー通りって何か悪い場所なの」
その言葉に、周りの乗客からはクスクスと忍び笑いが聞こえてくる。
困惑しているタリアに、ヨシトは耳打ちする。
「アベニュー通りは、遊廓のある場所だよ」
彼女はその言葉に少し赤くなって、何も無かったかのように外に目線を戻す。
その様子に、更に乗客達から笑いが聞こえてくる。
ヨシトも当然無視する事にした。
神聖リリアンヌ教国では男女問わず、そういう行為自体には抵抗感が少ない。
体の相性だけで、パートナーという特定の相手とスポーツ感覚で性処理をする。
ただ、中にはパートナーに恵まれない人もいて、そういう人相手の遊廓はどこの町にも普通にある。
もちろん男女問わずそこを利用し、同性同士の行為は禁じられている。
遊廓はしっかりとした会社組織で、ほとんどの従業員が獣人達だが、もちろん人間族もいる。
そして彼らは、感染症を予防するため定期的な検査を受けていて国の管理も厳しい。
特に人間族の従業員は、準公務員扱いである。
最下級の仕事ではあるが、決して世間から軽蔑されている仕事ではない。
日本でなら、保健所の委託業者の感じに近いだろう。
閑話休題
そんなわけで、タリアの世間知らずさを微笑ましく思った乗客たちが、次々とヨシトに質問してくる。
これを幸いと、ヨシトは架空の話をでっちあげ『地方から来た親しい友人女性にネオジャンヌの何処を案内したらいいか』を聞いてみる。
タリアもその話に加わり、いくつか気になる場所をピックアップしていく。
これにより、ヨシトの不安は完全に解消され自然と期待も膨らんでいく。
(何がどう転ぶか、予想なんてつかないもんだな)
ヨシトは、しみじみそう思った。
ネオジャンヌ中央に着くと、ヨシトの要望通り二人は軽食屋、バグハウスに向かう事になる。
結構おしゃれな店構えのそこは、学生達の人気スポットだ。
バグハウスを見る彼女の珍しげな様子に安心したヨシトは、扉を開け中に入ると窓際の通りに面した場所を確保し、彼女の帽子とコートを預かり椅子に掛ける。
こうして見ると、二人は傍目には恋人同士に思われるだろう。
だが二人は全くその意識は無く、さっき大型魔動車であった乗客達の話にいろいろと意見を交わしている。
「展望台が楽しみね」
「俺は首都を上空から結構見てるから、景色よりも中の様子が気になる」
「都市の飛行は高さ制限があるでしょ。まさか黙って飛んでるの」
「いや、結界があるから、街の外からその上に行くなら構わないんだよ。……結界よりかなり上空だけど。1000mくらいかな」
「……あきれた」
そんな話をしていると、注文した品が運ばれてくる。
ヨシトは、カルボナーラ風パスタセット。
タリアは、フルーツパフェのスモールサイズだ。
「一度、食べてみたかったのよ」
そんな女の子らしい姿に笑みを浮かべるヨシト。
食事中にもかかわらず、話題が自然と弾む。
「ねえヨシト。あなたは、ネオジャンヌでどんな暮らしをしているの」
その言葉にヨシトは答えていく。
自分がマキシム医術専門院の院生であること。
親戚のナタリーメイ=ウッドヤットを頼り、彼女が院長を勤めるマリアネア第二孤児院のゲストルームに下宿していること等を話す。
「……ナタリーメイ=ウッドヤット」
「ナタリーメイさんを知っているの?」
彼女のつぶやきに、思わず聞き返すヨシト。
タリアは少し気まずい顔をしたが、構わず話す。
「ウッドヤット司祭は有名よ。司祭長の中でも知らない物はいない程ね。彼女が司祭位を返上をして、孤児院経営に専念すると言った時は相当強く慰留を勧められたそうよ。司祭位の返上だけは、何とか思い留まらせたみたいだけど。…全く、優秀な物ほどやめていくなんて。ミリア教は終わっているわね」
彼女の歯に衣着せぬ言葉に呆気にとられつつも、自分の知らなかった事実に妙に納得するヨシト。
(ナタリーメイ院長は、60年以上前にマリアネア第二孤児院の院長になったはずだ。それを知っているタリアは、少なくてもタラチナさんより年上なんだろう。それと、教会の内情に詳しいのは、予想はしていたけど高位の聖職者なのかもしれない)
だがヨシトは、それ以上考えない事にした。
彼女の詳しい話を一方的に聞き出すのは、友人としてフェアじゃない気がしたのだ。
そうなると、自分の年齢や孤児である事も告げる必要があり、それは今日1日楽しむと言った言葉を否定する事につながるだろう。
(今後、彼女に会えるかどうかは別として、幾らなんでも早すぎるだろう)
ヨシトはそう決めて、一切その話題に触れなかった。
二人は食事を終えると、店の外に出る。
第一の目的地は、近くにあるラジオ放送局である。
意外に思うヨシト。
ラジオなど周辺国ならどこにでもあるだろうに。
急いで歩くタリアの横にヨシトが軽く並ぶと、彼女はジト目で彼をにらむ。
「ヨシト、あなたでか過ぎ。歩幅も違いすぎ!」
「いや、そんなこと言われても」
ひどい言いがかりに聞こえる。
「はぁ…、女神様も不公平よね。あなたの身長を10cm程私に分けてくれればいいのに」
女神様は、そこまで暇でもないだろう。
どうやら彼女は、身長に強いコンプレックスがあるようだ。
この世界での人間族の平均身長は、男女問わず170cm程度だ。
155cm程と小柄な彼女には、思うところが色々とあるのだろう。
ラジオ局に着くと、彼女は嬉しそうにヨシトに告げる。
「お昼からは、メイリン女史による歌の公開放送があるの」
それはヨシトも知っている。
「プレトリアでも放送されてるの? 知らなかったよ」
「1時間遅れでね。音質も良くないの。だから、すごく楽しみ」
ネオジャンヌからプレトリアまでは、とても電波は届かない。
恐らく、録音魔道具に記録した情報を思考波で周辺国に送信しているのだろう。
音が悪いのは、日本のようにデジタル信号じゃないからだろうか。
術者の腕が、いまいちなのかもしれない。
100人ほど入れる程度の小さなスタジオに、二人はラジオ局職員により案内される。
聴衆は8割ほどの入りで、スタジオ内は放送前の緊張感が漂っている。
しばらく待つと司会の獣人の男が登場し、簡単に注意事項を説明した後、放送が始まる。
司会者に紹介され、いよいよ歌姫の登場だ。
メイリン女史は獣人の女性で、珍しくふくよかな体形をしている。
彼女は司会者の男と軽く会話をした後、魔楽器のリズムに合わせ歌い始める。
心に響くような歌声が、スタジオ内を駆け巡る。
地球で言うオペラの様な感じだろうか。
この世界の歌は、歌手の思考や魔楽器の魔素との共鳴等が相まって、完全に場を支配するのだ。
初めての体験に感動するヨシト。
メイリン女史の心まで伝わってくる。
(なるほど、ルシアさんが俺の歌を下手だと言った訳が解った。地球とは比べ物にならない。ラジオを通してじゃ決して伝わらない物が確かにある。あまりにも日本の歌と違いすぎるんだ)
この世界で、音楽再生魔術道具が流行らないの理由を実感したヨシト。
そして、今朝考えていた企画書のアイデアを白紙に戻した。
歌の公開放送が終わり、スタジオに残り感動の余韻に浸るヨシトとタリア。
「素晴らしかったでしょう?」
彼女のその言葉に完全に同意するヨシト。
そして、タリアに感謝する。
「タリア、ありがとう。君にここに連れてきてもらえなければ、俺はこんな単純な事にも気付かなかった。やっぱり生歌が一番だな」
その言葉にタリアは、クスクスと笑いヨシトに宣言する。
「まだまだ。今日は思いっきり楽しみましょう」
「ああ、よろしくな」
そう、二人の小さな冒険はまだ始まったばかりだ。




