第34話 シスタールシア失敗する
交易都市ミランダでの出来事が終わって、2か月ほどたった9月の末頃、
ヨシトは朝から自分の住む孤児院のゲストルームで、クロベ財団に提出する企画書のアイデアを書いていた。
この部屋は、二階にある角部屋で、4つあるゲストルームの中で一番広く14畳程もあり、シャワーや簡易キッチンも付いていてヨシトは非常に気に入っている。
あの時の『お願い』を聞いてくれたタラチナさんに、ヨシトは感謝している。
机の前に座り(今度は、音楽再生魔道具を改良してみようか)などと考えていると、誰かが廊下をパタパタと走って来る音がする。
(孤児院の子供でも、俺を尋ねて来たのか)
と考えていると、案の定、激しくヨシトの部屋を叩くノックの音が響く。
「はい」と答えると同時に扉が空き、顔を見せたのは、なんとルシアだ。
彼女は、相当あわてている様子で、少し大きめのカバンを抱えて、
「ヨシト君! 大変なの!」
と、若干、目を血走らせながら部屋に飛び込んできた。
ヨシトはルシアを落ち着かせようと、水差しからコップに水を注ぎ、
「落ち着いて。とりあえず水でも飲んで」
と、ルシアに渡す。
彼女は半分ほどを一気に飲むと、
「はぁ…、ありがとう」と少しは落ち着いた様だ。
ヨシトは部屋にある折りたたみ椅子を広げ、ルシアに座るように促がすと、彼女は素早く腰掛け直ぐに用件を話し出す。
「ヨシト君は、ミリア教国に行った事ある?」
「いいえ」
「……そうよね」
そしてがっくりと肩を落とし、うなだれる。
「事情を話してくれませんか。協力出来るかもしれません」
「ホント? 助かるわ」
ぱっと、表情が明るくなった彼女を見て、
(まだ何も聞いてないのに、相変わらずだな)
と思ったが、とりあえず彼女が話す内容に耳を傾ける。
「実は、2か月前のミランダの件で司祭長様からお呼びがかかったの」
ヨシトは驚く。
そして、あわてて聞き返す。
「それでどうなったんですか?」
もしかして、自分が関わった事がばれて何か問題でも発生したのだろうか。
(誰かしゃべったのか。リション医師? いいや、少なくても俺の名前を出すとは思えない。ルシアさんと言う事は……、無いとはいえないのが残念だ)
ルシアは口がかたい。
だが、親しい相手には口が滑る事がある。
そんなヨシトの深刻そうな表情を見て、ルシアはあわてて説明する。
「違うの、ヨシト君の事は、この場合関係ないの。何かミランダにいた人達から教会に問い合わせがあって『無事、シスターは着いたのか』みたいなのが。それでミランダの町の司祭様がお調べになって、私である事が解ったみたいなの」
(そうか、公会堂の人達か。その後会った人達には一応、説明したんだが。レミルも、うまく説明してくれたはずなのに残念だ。…まあ、仕方ないかも)
そして心の中でルシアを疑った事を詫びた。
ルシアは、ヨシトの内情に気付かずしゃべり続ける。
「それで、何と話が総本山の司祭長様まで伝わって、私、直々にお褒めの言葉をいただける事になったの」
何だか話が、おかしくなってきた。
「それで、何が大変なんです?」
ヨシトの当然の疑問に、ルシアは頭を抱える。
「……今日なの」
「はあ、何がです?」
「約束は、今日の10時からなの!」
部屋には沈黙。
今は、朝の8時半だ。
「念のため確認しますけど、謁見場所はプレトリアなんですよね。そして時間は午前10時ですか?」
「そうなの、その通り。さすがはヨシト君」
プレトリアは、ミリア教国の首都だ。
此処から800km程、北にある。
ヨシトは、気を取り直しルシアに質問する。
「移送屋に音話(電話)しましたか?」
「真っ先にしました。でもプレトリアまで送れる人は、昼過ぎまで帰ってこないって」
「音話は…通じませんし、まさか伝報(電報)とかでは済まないでしょうし」
「そう、そこで困った時のヨシト君なの。何とかならない?」
(俺を、耳無し青猫みたいに思われても困るんだけど)
そう思ったヨシトだったが、ルシアにはネイルさんの件で大きな借りがある。
それに、ヨシトは彼女を助けてやりたい。
そこで少し悩んだが、ある提案をしてみる。
「一つ、方法があります。…あまりお勧めは出来ませんが」
「本当? すごく助かる」
喜ぶルシアにヨシトは冷静だ。
「実は結構、危険があります。今から説明しますので、どうするかはルシアさんが決めてください」
その言葉に神妙に頷くルシア。
それを確認すると、ヨシトは説明を始める。
「移送スキルを使います。ただ、本来は2点間を結ぶ物なので、座標を知らない俺はプレトリアには安全に移動出来ません。移送魔術は、まず特定の座標に思考波送り、その場所に簡易のマーキングを作り、そこから跳ね返った思考波を確認し移送ロードを作ります」
「移送魔術の基本よね。それで?」
「移送ロードを形成する為、俺の出す思考波は先ず上空に延び、平地同士なら術者の個性により違いますが、俺の場合は高度約1000mで進行方向に曲がり、ちょうど箱型の形になり目的地で跳ね帰ります。その思考波の情報を元に目的地を確認する訳です。それ故、その間に固体があれば、思考波の特性により移送ロードを形成出来ず、結果的に目的地が見えなくても安全に移送できます」
「なるほど、じゃあ何が問題なの?」
ヨシトは一拍置くと話し続ける。
「位置情報が無ければ安全な移送ロードが形成できず、下手に曲げると最悪、宇宙空間に飛び出します」
「ちょ、ちょっと! 危険どころじゃないじゃない」
ヨシトは本棚から地図を取り出し、机の上に広げる。
「それを防ぐため、遥か上空から方角を決め、直線的に移動するしかありません。目に見える範囲なら、まあ問題ないですが、800kmも離れていると、角度調整はもちろん、地形も正確に知っておかないと山にぶつかったりします。それがうまくいっても、最悪、雷雲の中の氷にぶつかり、そこで術が解けると雷の直撃を受けます。ですから移送魔術の使い手は、二点間が確定しない限り術を行使しないのです」
「……わかったわ。ヨシト君の言葉の意味が」
だが、ヨシトは続けて説明する。
「ただ俺の場合『防御』ギフトがあるので、危険な場所に出ても直ぐに発動すれば最悪の状況は防げます。恐らく雷も大丈夫です。もちろん初めての経験なので、不測の事態が起こる可能性はありますが…。ルシアさんと密着した状態でなら、一分以内に対処できれば多分問題ないです。以上で説明は終わりです。要は、上空から上空の移動、何処へ出るかは運任せ、と言う事です」
ルシアは真剣な表情で考えていたが、ヨシトの顔を見て決断した。
「やるわ、私。ヨシト君お願い」
その言葉にヨシトは、ちょっとした冒険をルシアと二人でする事にした。
―――――――――――――――――――――――――
それから20分後、二人は街の外に来ていた。
時間が無かったので、ヨシトが地図を見てる間にギル車(タクシー)を呼び、街の外まで送ってもらったのだ。
当然料金はルシア持ちである。
二人は、人目のない所に向かい歩いていく。
「ところで、何でこんな事になったんです。プレトリアに行くなら泊りがけでしょ」
ルシアのカバンを持ち、自身は地図を入れたリュックを担いだヨシトは、ルシアに合わせてゆっくり歩く。
「月を間違えてたのよ。昨日本当は、本部の寄宿舎に泊る予定をすっぽかしたのをおかしいと思った担当の方が伝報(電報)をくれたの。それが朝一番に届いて、それから大慌てで、はぁ…、思い出したくない」
「それは、お気の毒です。でも運が良かったと考えましょう」
「そうね、はぁ…、帰る前に、寄宿舎にも寄って謝らなくっちゃ」
そして、適当な場所に着いた二人は、お互いをロープでくくりつけ、念のためカバンもロープに結ぶ。
「冷静にみると、変な趣味を持ったカップルみたいね」
「ルシアさん、人目はありませんよ」
「ちょっと残念」
「ホント、そういうの勘弁してください。それより行きますよ」
ヨシトの『飛翔』スキルが発動する。
『飛翔』は『飛行』とは似ている様だが魔術の内容は大きく異なる。
『飛行』が結界や力場で、重力を曲げたり弱めたりして空を飛べるのに対し、飛翔は自らにかかる重力のベクトルを自由自在に操れる優れ技だ。
時速もヨシトなら500km以上出せる。
普通はそんなに速くは無いが、ヨシトの『飛翔』は空気を二重の物理結界にして纏い、自身ごと結界を操って低騒音で飛べるハイブリッド版である。
最近、スキルにしたばかりのヨシトお気に入りの魔術である。
すさまじい速さで上空に飛ぶヨシトとルシア。
「ねえ、これで飛んで行った方が速いんじゃないの?」
「一人ならともかく、二人でなら1時間程しか飛べません。だいたい、生身で空を長く飛ぶのは危険すぎます。何より時間が無いんでしょ?」
「ああ、自分が憎い」
「ふざけてないで…、此処でいいでしょう。上空約1000mです。良いですか、ルシアさん。物理結界だけ残して、『飛翔』を解除しますから自由落下しますよ」
ルシアは目を見開く。
「え! 落ちるの?」
「暴れないでください、方向を間違えると大変ですから」
「やっぱり怖い―」
「大丈夫です、宇宙空間に出たって死にませんから…多分」
「今、多分って言ったー。いやー! もっと怖い――!」
ルシアの叫び声を残して移送スキルは発動され、二人は首都ネオジャンヌの空から消えた。
―――――――――――――――――――――――――
数秒の無重力状態の後、二人は遥か彼方のプレトリア上空に現れる。
そして自然の法則にのっとり、自由落下を始める。
「ああー、やっぱり落ちる――!」
ルシアは絶叫し、まずいことに飛行魔術を発動してしまう。
当然、物理法則の成り行きで、ロープでつながっている二人は、きりもみ状態になって落下する。
「きゃああああー!!」
「ルシアさん、落ち行いて!」
パニックを起こしたルシア。
風の音が強くて、ヨシトの声は届かない。
ヨシトは冷静にロープを手繰り寄せルシアを抱えると、重力軽減魔術結界を発動する。
二人は結界に包まれ、何とかヨシト達は体勢を整えるのに成功する。
(自由落下で時間を稼ぐつもりが、失敗した)
ヨシトは、腕の中にいるルシアに声をかける。
「ルシアさん、もう大丈夫ですよ」
どうやらルシアは目を回わしているようだ。
「ああ、此処はきっと、神の御許なのね」
ヨシトは冷静に突っ込む。
「いや、そう簡単に死んでたまりますか。それより着きましたよ」
そう言って眼下に見下ろす風景は、プレトリアの町であろう。
良く見ると町の中央に資料で見た、ミリア教の総本山ミリア大教会の姿が見える。
(うん、完璧だ)
自画自賛するヨシトをよそに、ルシアは夢心地で、つぶやいている。
「ああ、ヨシト君の声が聞こえるわ。女神様、私はともかく彼だけは、地上にお返し下さい」
その言葉に苦笑を浮かべるヨシト。
「ルシアさんしっかりしてください。それより下を見てください」
「えっ、下?」
ルシアも、まだおぼつかぬ様子で下を見る。
「……すごい」
ルシアは、その絶景に心を奪われたようだ。
ヨシトは感想を述べる。
「ルシアさんの言った事も、あながち嘘ではないかもしれませんね。確かに此処は、地上で最も神に近い場所でしょうから」
プレトリアの遥か上空で、二人はその美しい光景を眺めていた。




