第30話 それぞれの心
マリアネア第二孤児院の院長室にナタリーメイ=ウッドヤットの力強い言葉が響く。
弾かれたようにヨシトは立ちあがる。
そして、目の前にいる最愛の二人をじっと見る。
泣いているタラチナの顔が目に入り、ヨシトは無意識にハンカチをウエストポーチから取り出そうとして、直ぐに考え直す。
(俺に、彼女の涙をぬぐう資格なんて無い)
そしてヨシトは、一言告げる。
「俺、行ってきます」
立ち去る彼の背に、タラチナは思わず声をかける。
「ヨシト君! あなたは悪くない。本当に何も、悪くないのよ」
「…はい」
振り向かず部屋を後にする。
ヨシトが立ち去った部屋の中は、ただ沈黙だけが支配している。
まるで夜の静寂が、しみ込んでいるかの様に。
「先生、ヨシト君、無茶しない?」
涙をぬぐい、話しかけるタラチナに、ナタリーメイは落ち着いた声で語りかける。
「チナ、ヨシト君は、無茶をするかもしれないわね。ただね…、私達との約束は決して破らないと思うのよ。それは確信しているの。さあ、もう泣きやみなさい、チナ。あなたも何も悪くないのよ」
タラチナは首を横に振り、美しい瞳から涙をこぼしながらナタリーメイを見る。
「先生、私は、何も解ってなかった。いえ、彼の苦しみを解ったつもりになっていたんです。それは本当にひどい事です」
タラチナには両親がいる。ただ、親子仲があまり良いとはいえない。
それは、自らの持つギフトの力が関係していた。
タラチナは、自分自身を責めてはいるが、恐らくヨシトの近しい人の中で、その苦しみを一番理解出来るのは間違いなく彼女だろう。
だがナタリーメイは、それを承知で彼女の意見を肯定する。
「あたりまえですよ、チナ。人の心がすれ違うのは仕方ありません。そしてそれが相手に憎まれるかもしれない事も。ただあなたは知っているはずです。それでも人の心を理解しようとする行為は美しいと。そして、苦しいからと言って大切な相手にさえ心を閉じるのは愚かだと言う事を」
タラチナは頷く。
「はい先生。私はそんな人間にだけはなりたくない」
「ヨシト君も、それを解ってます。彼は私達を信頼して秘めた想いを打ち明けてくれたのですよ。彼の本当の苦しみは理解出来なくても、心の支えくらいには、なってやれるはずです」
「……はい。本当にそう在りたいと思います」
「さあ、もう部屋に帰って、お休みなさい」
「……はい」
彼女は、きっと今夜は眠れないだろうとナタリーメイは思う。
タラチナが部屋に戻り、院長室に一人残ったナタリーメイ=ウッドヤットは、ヨシトがマリアネア第二孤児院に来てからの3年間の事を思い返していた。
彼女は当初、ヨシトが精神的にも肉体的にも破綻するのではないかと危惧していた。
その後、アレク=バーストに誘拐され、殺されかけた。
仕方が無かったとはいえ、同世代の学友達とは隔離された状態が続いた。
肉体的にも、小さな体と強靭な体力もそうだが、何より異常な食欲に悩ませ続けられた。
月に一度の定期検診が解除され、異常無しと判断された事は本当に嬉しかった。
更に二年たって神託を受け、彼のトリプルギフトが判明した時は『ギフトによって苦悩させられる者がまた一人増える、しかもどう客観的に見ても今まで以上に深刻なケースである』と言う事は直ぐに理解できた。
これだけの事が続けば、良くてひねくれるか、普通は自らの存在を否定するだろう。
だが彼は強かった。
狂った医師が起こした事件については、すぐに立ち直って見せた。
肉体的に異常な力を自分の物として受け入れ、それを生かして、毎朝欠かさず畑仕事に精を出した。
異常な食欲には自ら料理を覚えることで対応し、今では料理人顔負けの腕だ。
精神的にも、みるみる成長を遂げ、彼が絵本を出版する許可を求めに来た時は心から応援した。
その後、出版された本を読み、想像力豊かな話に感心し、彼を誉めると「これは、お父さんからもらった力なんです」と、すまなそうに言う。
そんな様子に心が震えたものだ。
里親の件も、此処に残りたいと言う彼の気持ちを嬉しく思った。
ただそれが、彼の今後の人生に悪い影響を与えないか、今でも気にかかっている。
そしてトリプルギフト。
それでも、それを使いこなすべく日々努力を続ける彼の精神は、何と強く健全であろうか。
(そんな彼が悩んでいる。だからこそ、彼自身にしか解決できない)
ナタリーメイはそう考える。
何故なら、彼のこれからの人生において、常に付きまとう問題だからだ。
(チナに言ったように、私もせめて支える事にしましょう)
そして彼女の信仰する、今は亡き聖女マリアネアに祈る。
(聖女マリアネアよ、願わくばヨシト=ウッドヤットの心に平穏あらんことを)
そうして彼女は院長室を後にした。
――――――――――――――――
その頃ヨシトは、レミルの居る避難所の前に来ていた。
この場所は交易都市ミランダの移送場であり、町の北口からは3km程離れている。
その待合所が臨時避難所になっており、南の方を見ると町の明かりが見える。
どうやら、まだ魔物の襲撃は始まってない様子だ。
ヨシトは扉を開け、中に入っていた。
避難所の中には二、三百人程の人達がいて、レミルはすぐに見つかった。
「レミル、来たぞ」
「本当に来たんだ。よく君の保護者が許可したね」
痛いところを付いてくる。
「まあ、わがままを言ってな。危なくなったら逃げるし。町には近付かないから」
「なるほど、確かに移送スキルがあれば問題ないよね」
「ああ、万が一の場合は首都まで往復してやるから。……ところで、ブラットさんは?」
その言葉に、レミルは不安そうな表情を浮かべる。
「父さんは本部に行ったよ。僕が母さんを守るようにって」
なるほど、公務員の鏡のような人だ。
その後、後ろにいるネイルさんを見つけ握手する。
「さっきは急いでましたので、ご挨拶出来ずにすいません。ヨシト=ウッドヤットと言います」
「レミルから話は聞いてます。大変なご苦労をかけたようね。ネイル=ドルトンよ、ドルトンさんは無しで、名前で呼んでね」
「はい、ネイルさん」
聞いていた通り、山猫人の素敵な女性だ。
目元がレミルに似ている。
ヨシトはそれから周りを見回し、レミルに質問する。
「ところで、ずいぶんと人が少ないな。この町の人口は一万二千人ぐらい居ただろう」
「臨時に移送陣を発動して、病人や幼い子を中心に北の街に移したんだ」
なるほど、此処を避難所にしているのは、そんな事情もあるのだろう。
ヨシトは床の上に置かれたマットや毛布を見つめ、親友にぶっちゃけた。
「ところでレミル。俺は寝るから魔物の襲撃があったら起こしてくれ」
「えー、僕もクタクタだよ」
そんな言葉を聞いていたネイルさんが、二人に請け負う。
「わたしは、ずっと寝ていたから、起きていられるわよ。二人とも横になって」
その言葉にヨシトは腰をおろし、毛布にくるまり横になる。
もちろん寝られない。
ヨシトの頭の中では、先ほどの院長室の模様が何度も繰り返された。
つらい出来事と言えた。
だが心の中は、妙にすっきりしていた。
ヨシト自身、考えないようにしていた奥に秘めた感情で、きっとあふれる寸前だったのだろう。
今回の様な事でもなければ無理やり押し込め、最悪の場合、ヨシトの心も醜く歪んでしまうかもしれなかった。
だから、自分のした事に後悔は無い。
でも、タラチナの泣き顔が頭から離れない。
(タラチナさんを傷つけてしまった。でも彼女にも俺の気持ちを聞いて欲しかった)
相反する感情を自分でも持て余していたヨシトだった。
そして何より、ヨシトが自分自身を許せない事がある。
それは先ほど自分の感情をどうしても抑えられなかった原因でもある。
ネイルさんの完治を心から喜べなかったのだ。
もちろん、親友の母親が助かった事は嬉しい。
ヨシト自身も必死で動き回った。
最愛の人達にも女神様にも祈った。
そして、移送スキルが手に入った時に何故か母親のことを思い出した。
その気持ちは、がんばった自分への女神様の贈り物だとも思った。
無我夢中でルシアを連れてきて、彼女の治療を手伝った。
リション医師が完治を宣言した時は、達成感に包まれた。
泣き崩れるレミル、感無量の様子のブラッド氏。
周りを見渡せば、ルシアも泣いている。
幸せに包まれる中、彼の心は急速に冷えていった。
ヨシトは気付いた。
いや、気付いてしまった
自分が、ネイルさんと顔も知らぬ母親の姿とを重ね合わせていた事を。
そして自らを恥じた。
自分の行為が利己的な偽善に過ぎないと感じた。
そして、泣いているレミルの頭をネイルさんが優しくなでている姿を見て、ヨシトは、深い絶望を感じた。
どんなに望んでも、決して得られない理想の姿がそこにある。
ヨシトの胸に、言い知れぬ孤独感が突き刺さる。
抑えきれぬ嫉妬心が心を渦巻く。
瞬間、親友の喜ぶ姿に憎しみさえ覚えた。
そして、それに気付いて恐怖した。
こんな当たり前の事が喜べない自分は、怪物なのではないかと。
ヨシトは、心の中で自分を嘲笑する。
(情けないやつだな俺は。前世を含めると40年近い人生経験があるのに)
そして、そんな物がある事自体が彼の悩みの素だった。
ヨシトは両親について、ある推測を立てていた。
彼らが神であるならすべては解決するが、現実的にはありえない。
そもそも女神様は人の死の恐怖を救ってくれるが、人の生死にはほとんど干渉しない。
何より、ヨシトの生活なんかに関わるほど暇でも無いだろう。
人を救うのは、自身も含め、人だけだ。
そう、聖女マリアネアのように。
そうすると、自分の記憶にある両親とは何者だろう。
ヨシトの妄想の産物でなければ、恐らく何らかの研究者だろう。
ヨシトは首都の国立図書館でヒントを求め、たくさんの書物を読んだ。
その中に、ギフトと魂の関係性の研究があった。
ほとんど与太話に近い内容のオカルト本であったが、何故かヨシトは心に引かれる物があった。
そもそも、魂なんてあるかどうかも解らない。
ただ、女神様の話を引用してギフトと魂の関連性を解いたその主張は、記憶に残る母親の話と一致している。
つまり自分の両親とは、魂の研究者ではないか。
彼らと血のつながりがあるにせよ、無いにせよ、未知の方法で自分は魂をいじくられたのでないか。
前世の記憶とは、その結果生み出された疑似人格か、ダイブツ教の輪廻転生を信じるなら、本当に魂に残った記憶かもしれない。
そして、人間族にしては異常な身体能力は、同時に肉体強化を施されたのかもしれない。
では何故、彼らは名乗り出ないか。
ヨシトの推測は二つある。
一つは、知的好奇心だけの目的で、結果に満足したか、恐怖したか知らないが、結論を出して、不要になった実験体である自分を足がつかない様に捨てた。
そして二つ目が、ヨシトが決してナタリーメイ達に言えない事、そして、あえて考えないようにしていた推測である。
それは最悪な予想であった。
自分が彼らを皆殺しにした、という推測である。
ヨシトが孤児院に来た時の状態は、肉体と魔力体のバランスが極めて悪く『枷』が掛かったままの小さな子供だった。
だがそんな小さい体でも、ヨシトは獣人の大人並に強かった。
こうは考えられないだろうか。
ヨシトが孤児院に来るまでは大人だった可能性だ。
そもそも、ヨシトが実験体なら『枷』をそのままにして置くなんて、ありえない。
研究者達と何のトラブルがあったか解らないが、ヨシトの前人格は人生をやり直そうとしたんではないか。
そして、いまわしい力で研究者達を排除した後、自らの肉体を若返らせ、都合の悪い記憶を消す術式を組み、教会の前で発動するようにして、擬似的な『枷』をはめたのではないか。
自分自身に発動した魔術には、思考紋は残らないので証拠も残らない。
この方法なら、いずれも実現可能である。
神技のように極めて難しいが。
その結果が、
突然、教会の前に立っていた事であり。
両親の記憶が無い事であり。
他人の思考紋が残っていない事であり。
異常な知識や体力を持つ事であり。
『枷』が簡単に、はずれた事であり。
何より、トリプルギフトを持つ事である。
つまり、自分が犯人であれば、すべて説明可能である。
これは例え記憶が無くても、ヨシトが世界の理を外れた外道であり、魔物と同様の怪物である事を意味する。
もちろん、今のヨシトはそうでないと自信を持って言えるが、そんな怪物を頭の中に抱えているかもしれない恐怖は、並大抵ではなかった。
実際自分は、ネイルさんの完治を心から喜べなかったではないか。
ナタリーメイを筆頭に、素晴らしい人達に囲まれているのに、ギフトを含め非常に利己的ではないか。
『アレク=バーストのように狂う』と言ったヨシトの言葉は、ヨシトが成長したら己の都合だけ優先し、自分をよく知っている身内を殺し、また同じ事を繰り返すのではないかという恐怖心から出た言葉であった。
もちろん今の話は絵空事に近いものだが、否定しきれない自分が確かにいた。
ナタリーメイ達にこんな話をすれば、きっと笑って否定してくれるだろう。
だが、そういう問題ではない。
これは、ヨシト自身が解決すべき問題なのだ。
そんな事を考えていたら、疲れていたのだろう。
ヨシトはつい、うとうととして、夢の世界に誘われていった。
見る夢は、きっと悪夢に違いないのに。




