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あいランド   作者: tako
1/3

くるみえりか編



私たちは、夢と同じものでできている。





ウィリアム・シェークスピア


テンペスト




















プロローグ  ~ 歓声 そして ~



闇に包まれた 広い場所で大勢のひとが何かを待っている。


そこは巨大な会場だった


スポットライトが照らすその先にはマイクを持つ美しい女性


歓声が上がり、会場を興奮が駆け巡る


やがて女性から歌が生まれる。唇からマイクへ マイクから音響設備を通して 観客へ そして会場へと吸い込まれていく。


演奏が歌声に絡み合いひとつに溶けていく。


音の粒子が拡がり、喜びになり、リズムになり、観客と一体となる。


これは今起こっていること。そしていつか見た未来




















  ~ 発表 そして記者会見 ~



そこは都内で有数の広さと設備を誇るホテルの会場だった。


日本そして世界のメディアが集まる会場は熱気に満ちていた。


さまざまな国の言葉が飛び交い、だれの目も耳も世紀を代表する発見の発表を見逃すまい、聞き逃すまいと緊張していた。


日本のひとりの科学者が発見したのだ。


石油や原子力に代わる新エネルギーを。


尽きることがなく、環境への負担もかかからない。いつでもどこでもだれもが使うことのできるエネルギー。


これまでの常識をくつがえすその発見は世界を変えるといわれていた。


やがて発表の時間となり、集まった者たちがそれぞれの場所につき第一発見者の科学者の登場を待った。


扉が開き、会場は大きな拍手に包まれた。だれもがこの世紀の発表の場に立ち会えたことを喜び、誇りに思っていた。


あらわれたのは真新しい白衣に身を包み、メガネの奥からあたたかい知性が光る女性だった。


第一発見者が年若く魅力的な女性と分かり、驚きと称賛で拍手はいっそう大きくなる。


これは今おこりつつあること  そしていつか見た未来








くるみ えりか




「おはよう。えりか 昨日の宿題やった?」えりかが教室の自分の席に座っていると隣の席の智子から声がかかった。


「うん。まぁ」えりかは目を泳がせて答える。昨夜は宿題をやろうと教科書を開いたものの全然分からなかったのだ。


「今日の試験の勉強した?」心配するようなそれでいて叱るような声で智子がいう。


「うん。まぁ。ね」えりかは自分の机を見ながら答える。まだ教科書もノートも出していない。


「もう。えりかはいっつもまぁまぁだなぁ。そんなんで自分の将来心配にならないの?」しまいには呆れるような声で智子がいう。


「うん。まぁ」えりかはいよいよ椅子の上で小さくなって答える。


「えりかったらほんとうにしょうがないね。そんなんだからいっつも青山に好き放題いわれるんだよ。えりかもえりかだよ。悔しいって思わないの。あんなむかつくやつにさ。何さ。自分だって人生負け組じゃない。生徒をいびるしか能がないのかしら」心配したり叱ったり呆れたりと忙しく声の調子を変えながら智子はいう。話ながらも机の中身を整理したり、次の授業の教科書を出したりしている。えりかは小さくなってむきだしの机を眺めたままだ。


確かに担任の青山にはいつも好き放題に言われていた。




こんな成績では受かる高校なんてない。受かるとしても落ちこぼれの吹きだまりのような高校だ。勉強もスポーツもだめ。特技もなし。人生負けるために生まれてきたようなもんだな。先生も人生を勝ち負けで分けるのは嫌いだ。


だが持つものと持たざるものの違いというものはあるからなぁ。しっかり自分の現実を見つめてだな。そうすれば少しは努力しようという気になるはずだ。


先生だってあのときもっと努力しておけば、と思うことがあるんだよ。だからくるみには同じ失敗を繰り返してほしくないんだ。


くるみのためだと思って言っているんだ。


俺の大事な教え子だからな。




こんな調子で担任からはとくとくと説教をされ、友達からは同情されるか、馬鹿にされるか、無視されるかだ。


廊下ですれ違っても無視するクラスメートや他クラスの生徒の方が圧倒的に多いし、私物がなくなっていることもしょっちゅうだ。




二限目後の休み時間にくるみが机上に進路調査票を広げて何を書こうかと考えていると、後ろからのぞき込んだ美保がいった。


「へぇ。くるみも受験すんの。ていうか、くるみに受かる高校なんてあるわけ。いっつも青山にしぼられてるじゃない。

くるみはどっか違う時代に生まれるとか、違う国に生まれていれば幸せになれたかもね。

惜しい惜しい」


「あはは。そうだよね」美保はクラスでも影響力のある生徒だ。仕方なく、えりかも笑った。




四限目の体育の授業では美保と同じチームになった。だが美保はあからさまに不満な顔をしていった。


「ええっ バレーあたしくるみと同じチームなの。やだなぁ。こんなかすんだやつと。あたし熱いゲームがしたかったのになぁ。

ねぇ、くるみあんたかおると変わんなよ」結局くるみが頼んでかおるとチームを変わった。




昼休みになり、えりかは机の上で本を広げて読んでいた。教室の後ろの方では隣のクラスのさちが遊びにきていて美保と話していた。どこから話が繋がったのか分からないが話題がえりかのことになったようだ。えりかにも聞こえる声で話している声が聞こえた。


「えりかってさ。見ているだけでなんかいじめたくなるっていうかさ。見た目も暗いし。勉強も運動もできないし、なんか取り柄があるわけでもないし、あんたよくそんなんで学校来れるよね。あたしだったら痛すぎて来れないわ。未来も暗そうだし、死ぬね。あたしだったら」


「あはは!ちょっとさち、それ言い過ぎー」美保が笑い声をあげならいう。「これで明日えりかが死んだらどうすんの」


「おう。死ね死ね」さちがいう。「ま。こいつに死ぬ勇気なんてある訳がないかー」




放課後になり帰ろうと準備をしていると隣の智子に声を掛けられた。「ねぇ、くるみ、あんたあんなこと言われて悔しくないの」


「うーん。しょうがないよ。」鞄に教科書を詰めながらえりかはいう。


「はぁ。あんたよくそんなんで生きていけるね。くるみってさぁ。何かしていて楽しいこととか、好きなことってないわけ」帰り支度の終わった智子は椅子に座ったままたずねる。


「わたしは、歌、かな・・」手を止めてえりかは答える。


「うたって、歌うのが好きってこと」意外だとでもいうように智子はたずねる。


「うん。まぁ」視線を下げてえりかは答える。堂々と智子の目を見つめて話したいのだができない。


「へぇー。じゃあさ、なんか歌ってみせてよ」何かを確かめようとするように智子はいった。


「えぇ。今?」えりかの目が泳ぐ。


「うん。今。ここでさ」簡単なことでも頼むように智子はいう。


「そんな。今は、ちょっと無理かも」えりかは下を向いたままだ。


「ふーん。やっぱりねぇ。えりかじゃ無理だよねぇ。歌手になるのは才能もいるだろうし、ひとまえで歌えないんじゃ致命的だよね。えりかはなんか他に好きなこと見つけたほうがいいんじゃないかな。もっと自分の現実を見てさぁ。現実を変えるのが無理なら自分の好きなことを変えればいいじゃない」教え諭すように智子はいった。


「だよね。やっぱり」えりかは足下を見ながら答えた。


「そうだよ。その方がえりかのためだよ」智子は優しくいった。


「ありがとう。考えてみる。じゃあね。智子」えりかは足早に教室を出た。智子はえりかのためを思っていってくれているのだと分かっていても早くそこから離れたかった。


学校にいても全然面白くなかった。


家に帰っても全然面白くなかったけれど。


えりかはてくてくと家への道を歩いていた。


学校から家までは歩いて30分ほど。


部活に入っていないえりかは学校が終わるとそのまま帰る。


靴にいたずらされていなければ、だけれど。


たまに下駄箱の中に靴が見当たらずに、花壇に落ちていたりする。


見つからずに、上履きで帰ったこともある。


今日は靴箱に靴がそのままあったので、えりかは中学生になってから何度めかに買いなおした、地味な安物のスニーカーを履いて帰った。




えりかはひとりっ子だ。父親とは帰っても普段は会話がない。ないほうがましだけれど。


母親は自分のことばかり話す。パートの職場での意地の悪いおばさんの話とか、パートほどの役にも立たない無能な社員のことをとか、店の利益は上がっているはずなのに給料があがらないこととか、父さんと結婚しないで仕事を続けていれば、こんな職場で働かなくてもよかったのに、とかだ。



しまいにはえりかは可哀そう、となる。いい学校に行かせられなかったから勉強もできなくなったのよね。今の時代、幼稚園や保育園からしっかりとした教育を受けさせないと、勝ち組になんてなれないのよね。


レベルの低い子供たちと同じ学校に行ってるから、同じようなレベルになっちゃうのよね。えりかは可哀そうね。バカな子供たちと一緒に育ってしまって。



そのバカな子供たちにいじめられバカにされているのだと知ったら母親はなんていうだろうか。



自分の将来なんていつもは考えないけれど、きっと明るいものではないのだろうな、と思う。


先生や両親は、えりかより長く生きてきて、いろんなことを経験していろんな人を見ているから、えりかよりもきっとよくえりかのことが分かるんだ。


両親はえりかが生まれた頃からえりかのことを見ている。だから、そんな人たちから負け組とか、可哀そうな子供と言われるわたしってやっぱりそうなんだ。


夢なんて持ったらいけないんだ。


でもこのままいじめられたり、バカにされるのは憂鬱だな。


これがずっと続くのかな。


いやだな。でもあたし、なんの取り柄もないし。


人に勝てるものなんてないし。


これからもずっと負け組なんだ。


このままなんにもいいことなんてないまま死んでいくのかな。


面白くないことばかり続いて。


人にバカにされたり、嫌なこといわれつづけて。


年をとって、嫌なことをずっと我慢したら。


そしたらやっと死ねるのかな。


死んだら楽になれるのかな。


だとしたら、いっそのこと。


いっそのこといま死んじゃおうか。


生きていたっていいことなんてないし。


だって。つらいもん。


つらいよ。つらいよ。


たすけて。だれか助けてよ。苦しいよ。


気付いたら涙が出ていた。


涙がどんどんあふれてくる。


「ひっく。ひっく」嗚咽まじりになる。


いけない、こんなに泣いたら人に見られる。


泣くのをやめないと、思うのに止まらない。泣きやむことはあきらめて、どこかあまり人の目につかないところへ行こうと思い、周りを見る。涙でぼやけて見える。


「ひっく。ひっく。あれ」


周りに見慣れた家並みがない。


「あれ?ひっく。ここ、どこだ」




周りには白いもやと黄色い砂のほこりのようなものが取り巻いている。遠くから波の音と、潮のにおいがしてくる。


足元を見ると、黄色い砂を踏んでいる。砂浜だ。頬に風があたり、えりかの肩までかかる髪を動かした。視界が晴れて目の前に広がる海が見えた。


「ようこそ。待っていたよ」後ろから声がした。


驚いて振り返ると象がたたずんでいた。


大きな体だ。でも怖くない。感じるのはどっしりとした木のそばにいるような安心感だ。


象の目を見ると、その目が力強く、えりかが知っている象のものとは違うことに気付く。これはライオンの目だ。テレビで見た、野生のライオンの目だ。


「あなたは、誰」もう涙はとまっている。


「僕は見えない者だよ。ぼくを呼んだだろう」


「わたしが呼んだ?」


「そう。助けて、助けてってさ」



えりかは思い出してまた少し悲しくなった。泣きすぎて頭がおかしくなったのかな。見えない者、が現れて海辺にいるなんて。


「ひっく」嗚咽が戻ってくる。


涙で象がぼやける。


「ほんとうはもっと前から君を助けるために、たくさんのサインを出していたんだよ。君は気付かなかったみたいだけれど」象は鼻を曲げたり伸ばしたりしながらいった。


サイン?こんな大きな象に何かサインを出されたら、すぐにそうと分かりそうなものだけれど。


それにこんな象が近くにいたらすぐに分かるはずだ。まずあたしの部屋に入らない。


「きみが考えていることは分かる。でもぼくは普段は目に見えないんだよ。言っただろ。見えない者だって。きみが助けを呼ぶとき、いつだってぼくはそこにいた。今日こうしてきみの前にあらわれることができたのは偶然じゃない。きみがこうしてぼくを受け入れる準備ができたからだ」象は左右の前足を踏み替えながらいった。見た目は重そうなのに軽やかなステップだ。


「準備?」


「そうさ。きみは今日より前にぼくの姿を見て、僕のことを受け入れられたと、信じられたと思うかい」


「分からない。たぶん、信じられなかったと思う」


「そこだよ。信じられないと、ぼくの姿は見えないんだよ。でも今日のきみは信じられる。信じたい気持ちのほうが、信じられない気持ちよりも強くなったんだ。ぼくはえりかを助けたい。えりかもえりかを助けたいんだろう。行こう。王国の鍵を探すんだ。えりかの願いを叶えるために」いいながら象が前足を踏み換える。


太陽の光だろうか。象の後ろからきらきらした光が見える。




「さぁ。行こう」象が鼻をえりかのほうに伸ばしていう。


突然現れた象に行こうといわれたって困る。


ひょっとしてわたし、死んだのだろうか。


お迎えは死神とか死んだおじいちゃんじゃなくって象だったのね。


仏教では象は神聖な動物らしいし、お迎えにも来てくれるのかもしれない。王国の鍵で願いを叶えるなんて意味不明だ。私をあの世に連れて行くための口実かしら。


「考えてること、どれも外れてるよ」


象の声でふと我に返った。あきれた目でえりかを見ている。




「まったく。自分で助けてとか言っておいて、こうやって姿を見て声を聞いてもまだ信じないんだもんなぁ。えりかは生きているし、ぼくはきみを助けたい。王国の鍵を見つけて、扉を開けば、えりかのどんな願いだって叶う。以上。行きたいの?行きたくないの?」


う。行かないでまたあの現実に戻るのは嫌だ。行こう。一度は死のうと思ったのだ。失うものなんてない。


「行くわ」えりかは右足でとんと砂を踏むといった。


象が口を大きく曲げて笑う。ライオンの目なのにとても優しい。そしてその鼻を海に向けて伸ばす。鼻の先には虹のかかった島が見えた。


真っ青な空と海に囲まれて、きらきらと輝いている。


えりかの足元からは島へと向かって一本の砂道が続いている。


「潮が引いたね。行こう」ふわっと、羽のような軽やかさで象が歩きだした。


えりかもそのあとをついていくが砂に足を取られて歩きにくい。


「靴を脱いだらいい」


そうだね、と靴と靴下を脱いで手にもつ。


「置いておけばいいよ。島から戻ったらまた履けばいい。大丈夫。だれもとったりしないから」


「ここならだれもいないね」ほっとして靴を砂浜に置く。


「潮が満ちてこない?」


「大丈夫。潮が満ちるまでには帰るから」


さくっ さくっ と砂を踏む足が心地いい。波打ち際まで足を運ぶと冷たい波が足を洗う。


こんなにすっきりした気持ちになったのは久しぶりだった。


最後にこんな気持ちだったのはまだほんの幼い頃だったかもしれないなどと考えながら歩く。


黙々と歩くうちに島の周りにヤシの木のようなものが群生しているのが見えてきた。普通のヤシの木と違うのは幹の周りにふわふわとした苔のようなものが巻きついていて、緑色の綿あめがくっついているようになっているところだ。


木の背も低くえりかの頭より少し高いくらいだ。


緑色の綿あめの中からは色とりどりの果物が飛び出している。


「これは?」


「果物の木さ。見れば分かるだろ」


よく見ると奇妙なヤシの木についた緑の綿あめからは赤や黄色やオレンジの色とりどりの果物が生えていた。


どこからか香ばしい匂いが漂ってくる。


鼻をひくひくさせてえりかは一本のヤシの木へと近づいていく。


「この木、パンが生えているっ」


その木からは街の大きなパン屋で見るような数多くの種類のパンが生えていた。


「パンの木だ。食べてもいいんだよ」


メロンパンに手を伸ばし、ぐっと引っ張る。木の葉がとれるような音と手ごたえでメロンパンが木から離れる。


小さくかじるように口に入れる。じわっと香ばしい匂いが鼻を通って拡がり、さくっさくっとした触感と共にほんのりとした甘みが口の中を駆け巡る。夢中になって食べ終える。


口の中が乾いてしまった。飲み物が欲しいな。


辺りを見渡し、自動販売機があるわけないか、と思ってうらめしげにヤシの木を見ていると、象が笑って言った。


「飲み物かい?ミルクの出る木があるよ」


象の鼻の指す方向を見ると、ツタのようなものが生えている木があった。近寄ってみると確かにミルクの匂いがする。


「そのツタを口に含んで軽く引いてごらん」


言われた通りにすると、ツタからミルクがあふれ出してきた。


こんなにおいしいミルクを飲んだのは初めてだった。


目の前に牧草地が広がり、緑色に輝く草を一頭の牛が食んでいる。


牛の桃色の温かく柔らかい乳房からこぼれる一滴一滴が見える。


体が喜んでいるのが分かる。新しい力が湧いてくるようだ。


もうこれ以上飲めない、というまでミルクを飲んで大きく息をつく。


「他にもお肉や野菜、お酒のなる木があるよ」


「もうお腹いっぱい。それにお酒って私、未成年だって」というえりかに象は笑った。


「じゃあ島へ登ろうか」


「ねぇ、象さん。この島いいところだね。食べ物がなる木があるなんて。食べるために働く必要ないじゃない。王国の鍵は見つからなくても、この木を持って帰れば一攫千金だ」


「えりかの世界では育たないよ」


「ふーん。ま、期待してなかったけど」




島への入り口は少し急な階段が続いていた。丸太で組まれた階段で歩きやすい。


少し息が切れたくらいの頃に、階段を上りきった。


息を整えながら周りを見渡すと、大きな黒いかたまりが見えた。


何かの像だ。よく見ようと近づくと像がすっくと立ち上がった。


「ひっ」体が固まって動けなくなる。


それの高さは二階建ての家くらいの大きさがある。


隆々とした筋肉、額から生えた二本の角は荒々しく尖り、黒い石で作られたナイフのようだ。


顔立ちは人間にも似ているが、黒い毛に覆われていて眼は黄色く光り口には鋭い牙が見える。


「鬼・・」恐怖で足が震える。


何かを探すようにじっとえりかがやってきた砂道の方向を見ている。


逃げろと心では叫ぶものの腰が抜けて動けない。


ポン、と肩に何かが触った。


「ひゃぁぁぁぁあ」空気が抜けるようなかすれた悲鳴が出た。


「えりか、大丈夫だよ。ほら僕だよ」


肩を見ると、象の鼻が肩のすぐそばにあってふぅーふぅーという象の息が聞こえる。


「なんで驚かすようなことするのよ。気付かれたかもしれないじゃない」


「いや、見た目は怖いけれど、本当は陽気で気のいいやつらだよ」


「うそでしょう」


落ち着いてもう一度見てみると周囲には他にも鬼が六頭ほどいた。


緊張しながら観察していると、鬼が気持ちよさげに海を眺めたり、ごろごろ寝そべっているのだと分かった。


なんか、牛みたいだ。安心して力が抜けていく。


見た目が怖いのにのどかな性格だなんて紛らわしいと少し腹も立つ。


白いふわふわしたものをもぐもぐと食べている鬼がいる。


鬼の口からこぼれたふわふわしたものは小さくちぎれて海へとふわふわ流れていく。


「あれは何」


「人間のみる夢だよ。ああやって流れ着いた夢を食べているんだ。


残りのかすはああやって海に落ちてくらげになるんだ」


「夢がくらげに?鬼が夢を食べる?」信じられない顔をしているえりかを置いて象は歩きだす。


「ちょっと待って」えりかも歩き出した。


島の上には踏み固められた道が中心部に向かって続いていて道の両側には奥深い森が続いている。


他に気付くことは静かだということ。波の音も、人が立てるあらゆる音、普段耳にする音がまったく聞こえない。聞こえるのは、風が木々を揺らす音と、鳥の声だけ。


「ねぇ。王国の鍵を探すったって手がかりか何かないの」歩きながらえりかは隣を悠々《ゆうゆう》と歩く象にたずねた。


「言ってなかったね。この島にはいくつかの王国があるんだ。そのどこかにあるらしい」象は鼻をぶらぶらと振りながら答える。


「そんな大雑把な手がかり。どこの誰が持っているとか教えてくれないの」途方に暮れてえりかはいう。


「いくら見えない者でもそこまでは分からない」象は動じずに鼻をぶらぶらさせたまま答える。


「役に立たないのね」えりかはじろりと象を見ていった。


「すみませんね。ぼくだって王国の鍵を探すのは初めてなんだ」象は鼻を上げて見せていった。


「じゃあ本当にあるかどうか分からないじゃない」


「あるよ本当に」


「どうして分かるのよ」


「ぼくがここにいるからさ。それが何よりの証拠だ」


「はぁ。意味不明。それにここは無人島みたいじゃない」周りに鬱蒼うっそうと茂る木々を見ながらえりかはいった。


だがしばらく歩くと無人島ではないことが分かった、門のようなものがあって人が二人立っている。国境ということだろうか。


近づくにつれ、ひとの姿がはっきりと見えてきた。


門は土と木を組んで作られたものでとても丈夫そうだ。


二人は緑色の髪の毛と薄茶色の瞳をしていた。肌の色はオレンジ色で着ている服はピンク色でぴったりとしたシャツとズボンに足は裸足だ。何とも個性的というか不思議なファッションというか。自分のえんじ色の制服が地味に見える。これだって入学するときには派手だと思えたのに。


門前の人は見た目も派手だけれど、動きもそれに輪をかけて賑やかだった。


体が途切れることなく揺れ動いている。手首には金色の鈴がついていて動くたびに音がする。


「そこで止まりなさい。おおっ人間の女の子じゃないか。人間が来るなんてずいぶん久しぶりだ。俺のばぁちゃんが生きているときに人間が来たらしいけれど、それからはずっと人間がくるなんてことはなかったものな。きっと鬼に喰われちまったんだ。お嬢さんはよく無事に島の入り口を通ってこれたなぁ。魔法が使えるのかい」


「えっ。いや、私、魔法なんて」えりかは胸の前で手を振りながら答える。


「魔法を使わないできたってことは、それじゃあ踊ってきたんだね」間違いないだろうとでも言うようにオレンジ色の男はえりかの目をのぞき込んだ。


「踊りって」ちがうと答えると「そうかい。それじゃあよっぽど運が良かったんだなぁ」と言った。それでも目はそのことを信じていないと言っていた。やはり魔法を使えるのか?とでも言っているようだった。自分のことを魔法使いというやつはいないからな。疑いの目を向ける男を前にしてえりかは居心地が悪くなった。


「それで、かわいいお嬢さんはひとりで来たのかい」


「えっ」えりかは後ろを振り返る。


象はそこにすました顔して立っている。


「僕の姿はえりかにしか見えないんだよ」


こんなにはっきりと見えている象が他の人に見えないなんて。これは魔法みたいなものかもしれないと不思議な感じを覚えつつ、顔を前に向ける。


「お嬢さんは何しにここに来たんだい」もうひとりの門番がたずねる。えみこがすぐに答えられずにいると「ここは踊りの国だよ。この国になにか用があるのかな」と重ねて聞いてきた。


「わたしは王国の鍵、を探しに来たの」


二人とも顔を見合わせたあとに「ひょっとしたら、女王ならご存知かもしれない。女王陛下にたずねに行くといい」と言った。


「どこに住んでいるのですか」


「一番高く美しい塔のある城だ。行けばすぐに分かるさ」


「ありがとう。行ってみる」えりかは礼をいうと、門の中へと入って行った。門番は始めから終わりまで体を揺らし動き続けていた。


中は青や緑、黄色、赤、紫などの建物であふれていた。木で組まれた家や、コンクリートで作られた家など材質は様々だが、そのどれもが鮮やかな色をしていた。


そして街の人々は門番同様の姿をしていて、どの人も体を揺らし、動き続けていた。


踊っているのとは違う。どの顔も喜びとは無縁の退屈そうな表情を浮かべていた。


「あ。異人だ」大きな声がして男の子が走ってきた。


「あんたどっから来たの」小学生高学年くらいの年だろうか。薄汚れた青のシャツとズボンを身に着けている。


「あっちよ」とえりかは来た方向を指す。


「どうやって来たの」興味津々といった目で男の子はたずねる。


「歩いて」来た方向を振り返りながらえりかはいった。


「うっそだーい。海は歩けないんだよ。それに鬼に食べられてしまうんだ」


「歩けたし、鬼も怖くなかったよ」


「うそだ。このうそつき異人」怒ったように男の子はいった。


頭にくるガキだ。無視しよう。放っておこうとえりかは歩き出した。


「ねぇ。ちょっと待ってよお姉ちゃん」男の子が追ってくる。


無視、無視。今さらお姉ちゃんと呼んでも無駄よ、とずんずん歩く。


「妹を助けてよ。あいつらに殺されちゃうんだよ」


さすがに聞き捨てならずえりかは足を止めた。振り返ると男の子がさっきとは違う神妙な顔で立っていた。


「お姉ちゃん、魔法が使えるんだろ。妹を助けてよ」


そんなもの使えないというえりかをなかば強引に男の子は崩れかけた煉瓦作りの家に手を引っ張って連れて行った。


ドアはなく黄色の布が家への入口には垂れ下がっていて中は仕切りのない一部屋だけだった。奥の壁際に粗末なベッドがあり、足首を汚れた包帯で巻いた女の子が寝ていた。


「俺の妹、セアラだ。木から飛び降りたときに両足首をひねっちまったんだ」


えりかはベッドに近づいて女の子を見る。寝ているようだけれどうなされているようだ。苦しげに手足を動かしている。そして足を見ると、ひどい、怪我や治療のことをよく知らないえりかでも分かった。足首はいびつな方向を向いており恐ろしく腫れている。きちんとした病院に連れて行かないといけない。


「どうしてこんなところに寝かしておくの。病院は」思わず責めるような口調になる。


「ここに隠れていないとあいつらに連れて行かれちゃうんだ。父さんも母さんもだめだ。二人ともあきらめててセアラをあいつらに渡せって。それにビョウインって何」


この国に病院はないようだ。ため息をつきながらたずねる。「さっきから言うあいつらって誰のこと」


「この国を鬼から守るやつら。女王の言うことを聞くやつらだよ」


そんなことも知らないのかといった口調で男の子は言う。


「なんでセアラを連れて行くのよ」


「見りゃ分かるだろっ。踊れないからだよ。俺あいつらがこの家に近づかないように見張っていたんだ。もし来たら石を投げるか、鬼が来たって叫んでやろうと思ってさ。そしたらあんたが来たんだ」


「あんた、じゃない。私の名前はえりかよ。あなたの名前は」手を腰にあててえりかはいう。


「俺はキュウ。セアラを助けてくれんのか」男の子の瞳は真剣だった。


「助けてるってあたし医者でもないのに」腰にあてた手をすとんと落としてえりかはいった。


「あんた、えと、えりかは魔法が使えるじゃないか」男の子はえりかのそばに詰め寄っていう。


「使えないよ」えりかは後ろに下がりたいのをこらえながらいった。


「嘘だっ。魔法が使えないのに海の向こうから、鬼にも喰われずにここに来られるわけがないもの。なんで駄目なんだよ。俺なんでもするから。お願いします」キュウが興奮してえりかの腕につかまりぶら下がる格好になる。


「頼むよ。俺が悪いんだ。俺があいつをからかって、木に登れたら一緒に遊んでやるなんていったから。そしたらあいつ俺が見ていないところでいつの間にか。お、俺見つけたときにはあいつが倒れてて。俺がからかったから。お願い、お願いだよ。俺何でもするからっ」


あぁ。もう興奮してるのにオレンジ色の顔は青くなってるよ。どうしたらいいんだ。


えりかは自分が冷静になっていくのが分かった。あまりにもこの状況がいつもの日常とかけ離れているからかもしれない。だいたい私に頼み事をすること自体が間違ってる。私はくるみえりかよ。私に何を期待するというの?助けを求めて象を探すがどこにもいない。こんな時に限っていないなんて本当に使えない。


キュウは腕を掴んだまま下を向いて固まっている。えりかという糸にすがって、てこでも動かないと決めたようだ。それがどれだけ頼りない糸か知らないんだよ、きみは。


「私が女王様に話してみるわ」話してどうなるか分からないがこの場ではこういう他なさそうだ。


「本当かっ」キュウが顔をがばりと上げていっそう強く腕を引っ張る。


「痛いっ。ちょっと離してよ。女の人には優しくするように教わらなかったの」


「ごめん。本当にセアラを助けてくれるのか」


話してみる、と言ったんだけどと思いながらも、今のキュウには他の言葉は耳に入らないのだと気付く。助けて、助けて、か。


セアラのおでこにあてた濡れタオルを交換してから二人で家を出る。キュウと出会った場所で別れた。キュウは再び「あいつら」が来ないように見張るのだそうだ。




なんで踊れないと連れて行かれるのかしら、それも女王と話せば分かるか、などと考えながら歩いていると道の先に高い塔が見えてきた。


「あれだね」声がした方向を見ると斜め後ろに象がいた。


「さっきはどこにいたの。お陰で大変な目に遭った」


「ずっと一緒にいたよ。えりかに見えなくなっただけだろ」


「あたしが自分で見えなくしたっていうの?意味不明。でも今は言い争っている場合じゃないのよ。どうしよう。セアラを助けてあげられるのかな」


「ここではよくあることだよ。踊れなくなった者は処分されるんだ」


「どうしてそんなことが」


「この国に人が住み始めた頃、二人の民が鬼に襲われた。一人は必死に体を動かしていたために命が助かり、もう一人は動かずにいたために鬼に魂を喰われたと信じられているからさ」


「本当なの?」



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