062 水勇者は毒勇者
相原 結城は対峙する。
一見人間の女と見間違う程に人間的な容姿をした、イナンナという魔族と。
女神と評すことも可能であろう美貌を持ち、優雅な立ち振る舞いを見せるそいつに結城は、戦いを挑むのだ。
「だからさ、俺は元々幼馴染のバカの巻き添い食っただけで勇者ってガラじゃないんだよ」
「わらわだって同じ事。昔は女神をやってたというのに今や魔王の手下。……全く嘆かわしい」
十がアバドンと対峙した部屋とは違い、決して広く無く城の中の一室といった感じのそこで結城はテーブルを挟みイナンナとティーカップに収まった紅茶へ口を付けながらに言葉を交わす。
「女神? アンタ昔女神だったの? じゃあなんでこんな所にいんの?」
「聞いてくれるかえ? 実はすこーし前にある男から見つめるだけで殺せる力を貰ったのだ。そうしたら何故か悪魔へ身を落とされてしもうての。まったく……」
「ふ、ふーん」
「別に見た瞬間即死という訳ではないのだから別に良いではないか。のう?」
「ソ、ソウデスネ」
結城は思いの外恐ろしすぎる相手に対峙していたことに冷や汗でイナンナに見えない背を濡らす。
即時戦闘が始まると思いきや茶会が始まったためにもしや戦闘要員ではないのかと思っていた結城だが、バリバリの戦闘要員だったイナンナを前に、生きた心地がしない。
見ただけで、ということは目を逸らしてもだめだろうことが結城の中で更に絶望を生む。
目を合わせた相手を石にするという髪が蛇の妖怪にゴーゴンというのが存在するが、イナンナの場合は石にされることも無く即ゲームオーバーな訳で、しかも回避する方法が思い浮かばない。
やっぱセーブしときゃよかった。
なんて、今も尚イナンナの視線に晒される結城は心の底からそう思った。
「そもそも、わらわはここでお飾りの武将をやっていればよいと聞いていたから滞在しておったというのに、いざこういうことが起こってみれば『怠慢だ。働け』ときた。全く、人も魔族も変わらず嘘吐きだの」
「あぁ、それについては同意だ。何故嘘を吐くのか、知能を持った生き物がそう言う行動に出る意味は、誰にも分らないんだよな」
「全く……たかが400年位食っちゃ寝を続けていただけだというに。王ともあろう者が恥ずかしいとは思わんのか」
「は、ハハ」
魔王様……器デカッ!? 400年間ずっと無能な部下を養い続けたのか!? しかもその口調から察するに下の世話とかそういうのも無かったんだろ!? マジな意味で無能すぎるこいつをよく置いといたな!
しかも常時殺される可能性があるという不安感満載な状態が続く訳だろ?
スゲェ……いくら美人でも俺にゃ真似できんわ。
等と、結城の頭の中では魔王へ対する利スペクトから下世話なことまで色々なことが頭の中を廻ったが、返答に乾いた笑いで返したことがイナンナに疑問を与えた様である。
「……? どうかしたかえ?」
「い、いいえ!? ただこの城って400年も前からあったんだなって思っただけザマスよ!?」
「ザマス!?」
「なんでもないでござ……なんでもない。ちょっと言動に難が出ただけ」
「その歳でかえ? ……まあ良い。この城はわらわが来るもっと前からあったらしいぞ?」
「マジか」
外から見た魔王城は、年代などまるで感じさせない完璧な完成系であった故に驚きである。
もしかしてとちょくちょく補修でもやっているのだろうか。
けど内装はさらに綺麗だぞ。
「この城はとても美しゅうてわらわも気に入っておる。部屋全体がクリスタルの部屋もあるのだ」
「スゲェ、一度見てみたいな」
「ただ部屋に入ろうとした時に魔王が怒ってな。……良く考えると最初で最後だったわ。魔王がわらわを折檻したのは」
「…………」
ま、魔王様ぁぁぁぁぁぁ! 400年何もしなかった元女神。他にも言われるべきことが沢山有ったであろうに恐らく本気で拙いことしか起こる事もしなかったんですねぇぇ! その器の広さに痺れる憧れるぅ!
……いや真面目に魔王様の器の広さどうなってんの。
水族館の水槽並みですか。
「ムカついたから魔王の食事に下剤混ぜてやったわ。無反応で面白くも無かったがな」
「…………」
訂正、アース並みでした。
「ただその日はお手洗いに行く事が多くてな。これは効いた! と思ったわ」
「…………」
ま、魔王様ぁぁぁぁ!? 怒って良いんですよ? 怒って良かったんですよ!? その寛大さは何処から来るの? 本当に魔王なの!?
倒すべき相手の筈の魔王が予想外にイイ人過ぎた事に結城の思考は激しく取り乱し、その感情のあら振りを声に出さないだけでも十分過ぎる程のポーカーフェイスを必要としていた。
「は、ハハ。よく怒りませんでしたね」
「確かにな。その後、玉座に不細工な造りの魔王(笑)人形を置いたり、寝室から出ると水が被るようにしたり、バナナの皮を仕掛けたりと他にも色々したが、全て無反応だった」
ま、魔王さまぁぁぁぁぁぁぁぁ!
というかバナナの皮ってアレですね? 引っかかったんですね!? 魔王に片膝をつかせた相手=バナナになっちゃったんですね!?
魔王様マジ心広すぎ。既に器じゃなくて世界そのものと言っても過言じゃない心の広さを持っているんですね。
「む」
「どうした?」
「いや、目にゴミが……」
「あ、目薬使います?」
「む、すまんな」
俺はたまたま持ち合わせていた目薬をイナンナに手渡し、イナンナは左目に点すと、片方だけだと変な風だと言い、右目にも点して、目薬を結城に返す。
結城は受け取った目薬をポケットに戻し、染みるのか目を瞑ったままのイナンナが声を発するのを待つ。
「やはり目薬は染みる……」
「苦手か?」
「いや、たまらん。一時期暇過ぎてずっと目薬を点していたことがあった」
「えぇ?」
「1000ダース分位使ったか……懐かしいな」
「ええ!?」
目薬を点すまでの動作があまりに自然だった為に少しの違和感を感じていた結城だったが、それだけ使っていたのなら納得もできようというものである。
というか、1000ダースとは一体全体どの位の量をいうのだろうかと、結城は思った。
そしてそれだけの量を一人に使わせることを良しとした魔王の心の広さにまた驚いた。
「しかし……騒音が堪えんな今日は」
「あぁ……確かに」
恐らくは優人達が他の魔族と戦っているのだろうと結城は思ったが、本心を口には出さない。
「全く……下々の元共もわらわのような優雅な振る舞いができぬのだろうか」
こいつ本当に元女神? 慈愛精神とか皆無っぽいんだが。
「はは、まあそれは個性だろ」
「個性、のう」
まあお前みたいな濃いキャラが勢ぞろいだとは思わないが……。
というか、そうであって欲しいという願望が強い結城の思考は全員がイナンナの様であったら魔王があまりに不憫という思考から来ているのだが、これから倒すべき相手をここまで思ってしまうのは問題であると自分を戒める。
感情移入して倒せなくなりましたじゃ笑い話にもならない。
そんなことを考えながら、イナンナとの雑談を続ける。
「全員が同じ性格であったなら、それはとてもつまらない世界だ。そもそも社会として成り立たないしな」
「そうでもない。全員がわらわであるのなら、世界はそのままに有り続けるからの」
「飯は?」
「元女神といったであろう。その位どうとでもなるわ」
恐らくそれをどうにかする能力をイナンナは持ち合わせているのだろうと結城は思った。
そして、見ただけで殺せる力を持つのなら獣を狩るのにも困らないであろうとも。
「ふむ、ならこの世に存在するのは自分だけで良いと?」
「その通り」
「話し相手も居ない世界が良いのか?」
「話さずともわらわは死なん」
「悪戯を仕掛ける相手もいないぞ?」
「他のわらわに仕掛ければ良かろう」
「少なくとも今のような生活は送れなくなるぞ?」
「楽ではあるが、好きという訳では無い」
「心の底からそう思うか?」
「思う」
「そうか」
「そうだ」
と、ここで結城は質問を止める。
話の方向が急におかしな方向へ進み、その場の雰囲気も先程までとは違う険悪なものへ姿を変えていく。
恐らくイナンナは本当の意味で自分だけしかいない世界の意味を理解していない。
何も生物は人間や魔族だけでは無い。
その他動物にも同じことがいえるのであれば、肉を食う際イナンナは、自分と同一である存在を捕食するいわば、『共食い』を常時強いられることになる。
いや、肉だけでは無いか。当然の様に植物も生きているのだから、それもイナンナになるのだとすればそれは最早酸素も存在しない世界と成り果てる。
得られる職量は共食いによって初めて食すことの叶う自分だけ。
そんな世界がまるで夢の世界でもあるかのように言うイナンナに、結城は考えていて気持ち悪くなる。
無論、そんな極論的世界をイナンナが望んでいるかと問われれば否だが、他の奴も全員自分というのは正しくそういうことなのだ。
「お前はさ」
「む?」
「世界のすべて物のが自分より下のものであると考えているだろう」
「無論だ」
「魔王でさえも」
「あのような者がわらわより上の訳が無かろう」
「それは力があるからか?」
「美しいからだ。わらわを見て醜いと思う者なぞいなかろう? この世には美しきモノだけが存在しておればよい」
それはこの世の醜い部分全てをイナンナは否定している、そういう解釈で良いのだろうか。
まったく、やれやれだな。
「ならお前が真っ先に死ねよ、美女の皮を被った不細工」
結城は手に持った既に空であった筈のティーカップに入った液体をイナンナの顔にかける。
急すぎる攻撃にイナンナは回避する術も無くティーカップの中身をもろに喰らって神からは水滴が垂れる。
「……不細工……不細工といったか?」
「お前は化粧の厚い不細工だ。悪魔に堕ちた時点で気付けなかったのか? 自分が醜いことに」
「み、醜い……だと? このわらわがか?」
「自分で気付けないのかよ。心の鏡でも覗いて見ろよ」
結城はそれだけ言うと、踵を返して部屋の出口の方へ歩き出す。
「待て!! わらわを醜いと評して置きながら生きて帰れると思うておるのか!」
「言わなきゃ死ななかったのか? 口は災いの角ってマジだな」
「この……! …………!?」
「なんてな。災いとなる前に災いの種を回収しといた」
そう言って、チラリと後を見た結城の目に写るのは、瞑った目から大量の血を噴き出すイナンナの姿。
「さっき渡した目薬、あれ実は俺の魔法で生み出した物なんだよ」
「ぬ、ぬしは水属性だったであろう……」
「あ、知ってんだ。何処情報だ? まあ何処でも良いけど」
「こ、たえよ!」
「俺、水属性じゃねーよ? それも使えるけど」
「な、に?」
結城はそう言いながら、指先に液状の何かを生成する。
それは酷く黒々とした紫の液体。
「毒属性。アンタは自分で毒を点したんだよ」
「バカな……わらわに毒なぞ……」
「『現実主義』。そういう体の造りとか無関係に作用が働かないとか非現実的な現象を無効化する、俺のスキル。パッシブだぜ?」
つまりは、正確な手段での毒対策が無ければ結城の毒から逃れることは叶わない。
イナンナは唖然とし、結城は扉に手を掛ける。
「あ、そうそう。当然の様にさっきかけた液体も毒だから。作用的には聖水と同じ浄化だけど……例え神でも問答無用で浄化するよ」
「っ!? 嫌だ、死にとうない。助けろ、助けるのだ!」
「ハハッ、ムリムリ。触ったら俺も一緒に浄化だよ」
結城は部屋を出る直前にこう言葉を残し、扉を閉める。
「取り敢えず、死後苦労かけた魔王に会ったら謝罪しろよ」
扉の向こうから聞こえる女の断末魔を気にもとめず、結城は廊下を歩き始めた。




