055 主義主張の溝
奇妙! 狂乱! 俺が今視界に入れている光景は正にそのようなモノだった!
俺が特に意味も無く城内から城門を見下ろしたく感じて正面ベランダのある大広間へ足を踏み入れたその瞬間、俺の目に入ったのはなんと、十が優人をアイアンクローで持ち上げている場面だったのだ!
本来、優人と十が二人っきりで居る事自体が奇妙だというのにも関わらず、その光景は飛び抜けて異彩を放っていた!
「もう一遍言ってみやがれ!」
「イタタタタ!? ど、どんなに言われてもこれだけは譲れないんだ!」
十は言わずもかな、あの食い気旺盛でありながらも物静かな十では無く今日発覚したもう片方の粗暴で乱暴な人格へ変わっており、優人は何時になく食って掛かる。
珍しい組み合わせで何をしているんだとかそれ以前に、年長者が止めに入らねばならぬほど熱が入っているようだった。
「ポンデリングが一番だと!? そんなのは認めねぇ!」
「オールドファッションが一番だなんて、そんな訳ないじゃん!」
「そんなことぉぉぉぉ!?」
俺は優人と十、二人の頭を叩き落とし、余りのアホらしさからか柄にもなく絶叫する。
というか、十は兎も角優人までそこで熱くなる奴だったのか!?
「く、久遠さん……!?」
「て、テメェなにしやが……」
「舌……引き抜かれたいか?」
「「すみませんでした」」
俺は物凄く笑顔だったらしい。
その代わり後ろになんか見えたらしいけど。
「味覚なんて人それぞれだろ。どっちがなんて決められなかろうが」
「いや! あのサクサク生地のドーナツこそ最強なんだ!」
「違うよ! モチモチ触感のドーナツだよ!」
「目玉焼くぞ」
「「どっちも美味しいです!」」
俺は物凄く笑顔だったらしい。
その代わり後ろに大量の目玉を炒める鬼の料理人が見えたらしいけど。
なんて、あまりに馬鹿らしい内容で喧嘩を始めた二人を否めた俺はハァっと溜息を洩らし、事の経緯を聞いて見たところ二人は『戦争が終わって地球に帰ったら一番最初に食べたい物』という話題の元話していて、双方共にドーナツであったところまでは良かったのだがそのドーナツの中でどれを食べたいかという突っ込んだ話題が出たのが失敗だった。
ポンデリング派とオールドファッション派の競争が始まったのである。
そもそも二人はそれ程親しいという訳では無く、付き合いはこの世界に来た二年余りであるが十は弔の腰巾着であり、優人は弔をお嬢と呼び若干苦手としていた為にその関係は薄い。
そんな中二人の主義主張がぶつかり合えば争いが起こるのは必須だった。
「アホだろ」
「だってポンデ……! いや、僕にだって譲れないことがあったんだ」
「だがオールド……! けど私が譲ることは出来ねぇんだよ」
「だから、他人に主義主張を押し付けて何になる? 味覚を矯正させる意味は?」
この話題において本当の意味で相手に自分の考えを押し付けるには味覚を矯正させるとかそう言ったことが必要になって来るのは必然で、そこまでして相手に考えを押し付ける意味が本気で分らない俺が居る。
まあこういうのは重要視する奴もいるからな。俺には分からないジャンルというだけで。
「無いけどさ……」
「それなら止めい。不毛だ」
「ぐう……何も言えん」
結構簡単に折れるということは自分達も不毛だと薄々感じていたんだろうに、何故仲裁者がいなければ言い争いを止めれなんだ。
十に関しては優人にアイアンクローまでかましていたぞ。
「そういえば」
「?」
「優人、戦争が終わって帰る場合、アンジェリーヌキャロンはどうするのだ?」
「どうするって?」
「更生させるんじゃなかったのか?」
「別に戦争が終わった瞬間帰る訳じゃないんだよ? 僕の勇者としての役目は姫様を立派なレディにするまでがそうなのです!」
立派なレディ、な。
女とは嘘を吐く生き物だとドミニカは言っていたし、ドミニカの歌った唄の詩にもそれを題材にしたモノがあった筈……ま、日本人が聞いても余程英語力が無ければ理解も出来ないだろうけど。
俺自身の人生でも嘘吐きな女とは山ほど会って来たし、アンジェリーヌキャロンのような奴もまあいなくはなかったぞ。
それでも出会った奴らは普通に立派なレディをやっていた気がするな。
まあ水を差すようなことは言わないがな。
「ケッ、くだらねぇ。更生だと? 自己満足も甚だしいぜ」
「やる前から!?」
「更生だとかンなモンは他人にどうこう出来るモンじゃねーだろ」
十の言葉に優人は苛立ちを覚えたのか、大きい動作でそれを否定する様に腕を振るいながらに言う。
「そんなこと無い! 人は一人じゃ生きられない。誰かから手を差し伸べられれば救われることだってあるんだ!」
「ねーな。更生云々の話しに関してゼッテーねぇよ」
今はまだ、俺は口出ししない。
口を出すのは二人の会話がどういう地点に行き付くか見極めてからであり、そんな中で特に注目すべきなのは恐らく、十の発言。
優人の性格は今迄の言動から少なからず理解出来ている。
故に十の口から出てくる主張がこの場では俺の判断材料になり得るのだと思う。
「どうしてそんなことが言えるんだ!」
「更生ってのはするにしてもさせられるにしても出来る人間ってのは決まってんだよ。純悪な人間はそもそも更生する為の純善が存在してねーっつー問題があんだよ」
「生まれた時から悪い奴なんていないんだ。皆ゼロから生まれて、最初から悪に染まった人は居ない。純悪なんて存在しないんだ!」
「人間はゼロからなんて生まれねーよ。才能云々の前に遺伝なんていうクソ忌々しい親から強制的に受け取らされる±があるんだからよ」
「そんなの、努力すればどうとでもなる!」
「ならねーんだよ! 環境によっては努力することすら叶わねー。そんな状況下から生まれた奴を何の苦労もしてねー奴が更生だなんて烏滸がましいことこの上ねぇ!」
……まあ、分かった。
どうにもこいつ等は火に花火。クソ汚ぇ花火を打ち上げるようなクソくだらねー話ししか出来ないような関係性しか生み出せない。
十は優人の思想がお気に召さないらしく随分と否定的な言葉を並べ、訳知り顔で自論を語る。
現代の日本人に有り勝ちな、『自分が可哀想理論』が俺の頭の中で浮上する。
取り敢えず、食いしん坊な方ではないこの十は、虫唾が走る。
「頭ごなしに否定するな。貴様は何様だ?」
無機質な声を、生ゴミでも見るような眼で見詰めながら出していたと思う。
その証拠に自分の思想が過ちでないと信じる優人と、それを全否定する様に自論を語っていた二人の声が一瞬にしてピタリと止まる。
二人とも此方に振り向く事へ絶対の恐怖を感じているようであり、俺の言葉が自分に向いていると気付いた十は尚の事焦った様子である。
「な……」
「優人の思想は理想だ。更生とは、許されることは叶わずとも自身を戒めることを可能にする手段。確かに救いようのない人間は居るが、更生させることによってそいつに芽生える罪悪感はそいつを苦しめ、償わせることも可能だ」
人間ってのは思考能力を得てしまったその代償として、物理的苦痛は死へ直面しない限り心理的苦痛に劣る生物に成り下がった。
創作による悲劇が人を悲しませるのが良い証拠だ。
人間以外にあんなもので感情を揺さぶられる生物なぞ存在しない。
現実で、それ以上の悲劇を見て来た俺はどうしても演技臭くて見る気にはなれないが。
……というかそもそも、ドラマ全般を俺は好かないのだが。
現実に俳優顔負けの演技力を発揮した奴が居たせいか酷くワザとらしいように感じるのだ。
ただ完全創作であるアニメーションは現実に存在しない架空の人物とはいえどもその登場人物唯一の人生を語る訳であり、嫌いでは無い。
要するに演技が嫌いだが書物や動く絵は嫌いじゃない、というところか。
……まあ声優という職業の者が居て、声を吹き込んでいることを知ったのはつい最近。
ギリッギリでセーフだろって感じだが。
「罪悪感で苦しめる? 償わせることも可能? ハッ、何言ってんだ。ンなモン出来る訳ねぇだろ」
「お前、本当に何様だ? 何を基準に言っている?」
俺は一度、とある国で極悪非道とされた殺人鬼を捕縛したことがある。
その際、警察に引き渡す前に俺は催眠術によってその殺人鬼にとある感情を埋め込んだ。
1%の善意。
更生させるには1%でもそれが無ければ始まらなく、俺はその最低限を与えてみたのだ。
その後、その善意を揺さぶるように殺人鬼の所業を殺人鬼の耳に言い聞かせ、罪悪感を煽った。
警察に連れて行かれる際、殺人鬼は一様に「俺は何をしていたんだ」と呟いていた。
刑務所に入った殺人鬼は十日後自殺した。
食事の際に使われた恐ろしく切れ味の悪いナイフで全身を滅多切りににし、血文字で遺書を綴って。
殺人鬼の体には百を超えるナイフが付きたてられ、その様は他殺を疑われる程だったが壁に綴られた『人殺しの罪悪感に耐え切れないので死にます。自分の生み出した苦痛と共に』という言葉kらその線は消された。
ちなみにその殺人鬼は1%の善意を埋め込む前、殺人に対して何の後ろめたさも感じていなかった。
だが得てしまった1%の善意によって更生した殺人鬼は、己の罪に耐え切れず罪を償う意味を込め物理的な苦痛の伴う死に方を選んだのだ。
公正とは、罪悪感を持たせることだ。
本当の罪悪感とは、自分のしたことの重圧を確かに感じるものなのである。
「……私は私が不幸のどん底に、それこそ努力することも出来ない立場に居たからそれが分かんだよ」
「ダウト。日本に住んでいて本当の意味で努力することが出来ない環境なんてのは存在しない」
それは今の日本に生まれた人間が言って良い台詞じゃない。
本当に努力することも出来ない環境ってのは日本みたいな平和な国に存在しない。
最低な環境に居る奴なら日本にもいるだろうが、最低な環境を保つ事すら精一杯な童子がこの世には居るのだ。
「お前に私の何が……!」
「あー分かった分かった。もう良い。お前の主張は容易に想像出来る。不幸に酔った人間の言葉なぞ、聞きたくも無いわ」
俺は十の言葉を遮り否定する。
これは十のやった頭ごなしの否定と何等わかりない。
やられた方は笑えず、やった方は何とも思わないそんな対応の仕方だ。
「……チッ、不愉快だ」
十はそう言うと、ズカズカと大広間を去って行き、俺と十のやり取りを見ていた優人はどうすれば良いのか分からないのかあたふたとしている。
取り敢えず、十を追うのが正解じゃないか? まあ一応は女児だしな。
ただあの状態のあやつに何を言うのかは知らぬがな。
「えっと、ちょっと心配だから見て来るね!」
優人は追う事に決めたらしく、小走りで十の後を追う。
「優人」
そんな優人を俺は引き止め、振り向き「何?」と尋ねる優人に一言言う。
「明日は勝とう」
「……そうだね! 絶対勝とう!」
優人はそれだけ言うと大広間から出て行き、俺一人だけが残される。
俺はまた場内を放浪しようか、と思って止めた。
今日はもう宿屋へ戻り明日の供えようと、そんなことを考えながらに二人から置いてけぼりをくらいながらも同じ出入り口から大広間を出たのだった。




