037 愚痴洩らす騎士
こういう酒場の席で、女が一人酒を飲み耽っているというのは中々に珍しいことである。
特にそれが美しい女性であったなら尚更だが軍服を着ている場合それは例外らしかった。
むさ苦しい男ばかりのこの場で『話し掛けんじゃねぇよ』オーラを出しながらに酒を煽る女というのは珍しくないが、『聞いて、私の話を聞いて』オーラを出しているのに話し掛けられない女は珍しいな……。
酒場で発見した軍曹殿は何やら張りが無く弱々しい雰囲気を纏っていた。
「ん? 知り合いだったのか」
「まあ、な。そう言えなくも無いが」
だが正直に言えば一緒に酒を交わそうとは全く思わない訳なのだが……あの哀愁漂う背中はなんなのだろうと本気で気になる。
何というか『職場で辛いことがあったのに友達の少ない自分には相談できる相手が少なく、唯一相談できる相手を飲みに誘ったら断られた』みたいなオーラが全身から満ち溢れている。
「じゃあアレ何とかしてくれよ。見ろ、女騎士様から半径2m以内に誰も近づかないんだぜ」
ホントだ、スゲェ。
賑やかな酒場の中で一点、誰一人として近寄らない半径2mの円形が軍曹殿を中心に出来上がっている。
広くも無い酒場でそこまで避けるか……何か哀れだ。哀愁漂ってるだけある。
「んー……」
「頼むよ。今度また『しーどる』奢ってやるからよ」
「あー分かった分かった。久遠爺ちゃんに任せなさい」
今日の俺には女難の相でも出てるのか……? そういや昼飯も食べ損ねているし……。
もしそうだとしたら即刻厄払いしたいところなのだが、今日ももうすぐ終わるというのに今更厄払いに時間を使うのもなというのが実際のところだな。
俺は何気ない風に装いながらテーブルに伏せている軍曹殿の横へ座る。
「こんばんは」
「誰でありますかー……? 自分はー…………クオン・センジョウド!?」
それだと軍曹殿が俺になってしまうだろう。
「よう、軍曹殿」
……というか、あります?
俺の存在を認識すると同時に跳ね起きた軍曹殿に片手あげて挨拶を交わすと軍曹殿は警戒した素振りのままに言う。
「何でありま……何の用だ?」
「おいおいここは校外。気張る必要なぞないんだ」
「…………それもそうでありますねー」
しかし酒の力かそんな警戒は一瞬の内に解けて無くなり座り直す。
どうやらあの喋り方は教師になるに伴い威厳ある喋り方をしようとした結果にああなったらしかった。
軍隊……じゃない、騎士団とやらにおける上官の真似でもしたのだろうか。
「で、どうしたんだ?」
「大佐殿のせいでありますよー……私は……」
「大佐と呼ぶな。久遠で良い」
俺を大佐と呼んで良い人間はもうこの世に存在しない。
反射的とはいえども軽々しく昔の肩書を名乗っていたが以後は名乗らぬことにしよう。
もう二度と呼ばれてはいけない呼び名だったことを今の今迄、大佐と呼ばれたこの瞬間まで気付かなかったせいでもあるのだろうが。
「じゃあ自分のこともスヴェトラーナって呼ぶであります。軍曹は……嫌であります」
軍曹は生徒達が勝手に呼び始めた名前なのであります……、なんて洩らしている辺り実は軍曹という呼び名を気に入ってはいないのだろう。
恐らくという予想でしかないが、学校で振舞うキャラだと呼び名でウジウジ言えなかったのではなかろうか。
しかし教師を呼び捨てって良いのだろうか?
「分かった。……で、何故俺のせいなのだ?」
軍曹もといスヴェトラーナは言う勢いを失ってしまったのか少しの間沈黙した後で爆発でもするかのように此方へ詰め寄りながら言った。
「クオンがあんなでかいくて長いのを向けるからであります!」
でかくて長い……あ、『バリスタ』か。
魔法で言う『アロー』だったか? 確かにそれの数倍以上の体積を誇る炎の矢であったことは確かだが……。
「あー……怖かったのか?」
「当然であります! あんなモノ……自分だって女の子なのでありますよ……?」
「すまない……」
「しかも物凄く熱かったのであります」
そりゃあ水気を一瞬で無くす程の業火だしな。
「いや、あの時は俺もどうかしていた。しかし、スヴェトラーナも悪いのだぞ? 人の両親を……」
「ちょ、ちょちょクオー! ちょっと良いか?」
「む? どうしたトラウゴッ……いや、ちょ、本気でどうした?」
漸く会話が盛り上がってきそうな雰囲気になったところでのトラウゴットの割り込みに合ったと思ったら、俺はさっきまで酒盛していた男共の輪に呑み込まれた。
スヴェトラーナが困惑した様子で此方を見ているが、それよりも困惑しているのは間違いなく俺だろうと思う。
「お前、女騎士様とヤったのか?」
「は?」
「恍けんなって。一体何時女騎士様と知り合ったんだよ」
「何時って……今日の昼前?」
「お前……手ぇ早過ぎだろ」
殺った、といったのか……いや確かに殺り合いはしたが別に殺してはいないだろ。
それに手が早いって……まあ確かにアレは沸点が低すぎだとは思ったが、あの時の俺は正常じゃなかったのだからむしろ殺ってしまう前に静止出来たことを褒めて欲しい位だ。
だが……。
「やはりそうか?」
「ったりめぇだろ!?」
やはり殺そうとするのはやり過ぎか。
言葉に対し死で返しては言葉の通じぬ獣と大差ない。
「だがスヴェトラーナが俺の両親を……」
「良心? まさか女騎士様に誘惑されたとかいう気か?」
「誘惑っつーか……挑発?」
「誘われたってか! これだからイケメンは!」
「……………………顔関係あるか?」
顔が気に入らねぇからお前には何言っても良いやってか? スヴェトラーナはそんな奴では無いと信じたいのだが……。
「そりゃあるだろ」
「あるのか!?」
「良い方が有利になる。当然だろ」
なんと、顔が良いと争う際に有利になるのか。
どちらかというと強面の方が相手を萎縮させることが出来て良いと思うのだが……。
しかし俺を取り囲む男共も共感しているようでトラウゴットの言葉に頷いているのを見ると大多数の意見がそうであると証明されたようである。
……今更だが、何故俺はこいつ等に捕まっているのだろう。
女を傷付けようとしたからか? しかし、そんな情報を何処かから……。
傭兵稼業は情報が必須である故に耳が早いとか、多分そんな感じか。
「……成程な。しかし、もう良いか? 俺はまだスヴェトラーナと話すことがある」
「…………畜生! クオーの女誑しがっ!」
言って、トラウゴットを含めた俺を取り囲んでいた男共が店の外へ走り去って行き、店主の「酒代払え!」という言葉が店内を支配すると店の外から賽銭よろしくな感じに大量の硬貨が放り込まれて来たのだった。
…………。……今の話しで女関係有ったか!?
これは全然関係ないどころか俺も知り得ない話なのだが、今日は異様に風俗が繁盛したとかしないとか。
ついでに、その客はすべて「クオーの馬鹿野郎」とかなんとか騒いでいたとか。
さて置き、スヴェトラーナの横へと戻るとスヴェトラーナは当然の様に訳が分からないといった風な顔をしていたが、客が激減したことにより静かになった酒場でならゆっくり飲めそうだと喜んだ。
周りがどうでも気にせず飲んでいただろうという辛辣なツッコミはしないでおいた。
「それで、さっきは何を言い掛けたでありますか?」
「あぁ、だからスヴェトラーナが俺の両親を馬鹿にする言葉を口にしたから、俺はあんな行動に出たのだ」
「そ、そうでありましたか……それは謝罪の言葉を述べるしかないのであります」
しかしアレはキャラ作りの上で仕方が無かったのであります、なんて慌てた様に言い訳を洩らすスヴェトラーナに俺は小さく笑う。
「まあにしてもアレはやり過ぎだった。あの時俺は情緒不安定だったものでな」
「ハハ。しかし、あそこまで怒れるのだ。きっと良いご両親なのでありましょう」
「うむ、父母は俺の帰る場所であった」
あの家と共に俺の帰りを待っていてくれた彼らはとても暖かかった……。
「そうで、ありますか」
スヴェトラーナはグランドで見せた顔からは全く想像も出来ない優しげな微笑みをこちらへ向けてくる。
素で接した方が教え子達に好かれそうなものだが、何故あのような態度を取っているのだろう。
「まあ、今日は詫びとして愚痴にでも付き合ってやる。飲み明かそうぞ」
「ホントでありますか? 実は自分、友達の少ない自分には相談できる相手が少ないのでありますが、唯一相談できる友人飲みに誘ったら断られたのでありますよ」
「お、おう……」
よもや予想通りとは……。
その後、五時間程スヴェトラーナの愚痴に付き合った俺は自分の言葉を前言撤回したい気持ちで心を埋め尽くす結果となっていた。
「だからー……。自分は街を守る為に騎士になったのでありますぅ……」
「あぁ、そうだな……」
「なのに副団長になってすぐ『人に教える立場であることに慣れておけ』とか団長に言われてぇ……あの学校の教師をやらされた自分は一体何のために騎士になったのでありますかぁ?」
「全くだな……」
「クオンー……自分は何時になったら騎士団に戻れるのでありましょうか……」
「もうすぐ戻れる。だから安心しろ」
「クオンー……!」
俺は、向かいでは無く隣に座ってしまったことを物凄く後悔していた。
どうにもスヴェトラーナは酒に強く無いらしくあっと言う間に酔っぱらってしまい、同じ様な愚痴を何度も何度もぶつけてくるのである。
しかも無意識的に逃がさんとしてか常時密着して抱き着く様な姿勢になる事まである。
恐らくだが今迄愚痴を溢した相手は女であり、そいつを逃がさんとして似たようなことをしてきたのだろう。
……酒のせいで性別まで見誤ったのか……!?
助けを求める視線で店主や他の客を見ると、頑張れと言わんばかりに酒を差し入れてくれるばかりで根本的な解決をしてくれる気配は全くない。
剣士たる者酒は飲んでも呑まれるべからずであろうに、あれ程の身体能力を有しながらスヴェトラーナは剣士として騎士として未熟である。
「しかも、友達が言うには教師って婚期を逃すそうなんでありますよぉ……」
「大丈夫だ。スヴェトラーナは大丈夫。美人だし寄ってくる男は沢山居よう」
「でも……キャラ作り間違えてあんなキツイ感じにしてしまったのであります……」
「大丈夫……大丈夫だから……」
そこまで酒臭く無く、女の良い匂いがするのは幸いなのだが俺じゃなかったら襲われているじゃないかという父性的心配が込み上げてきて今後もスヴェトラーナの友達が無理の時は俺が付き合わねばならないのではないか、なんて考えが出てきてる訳だから笑えない。
ここまで苦労して酒を飲むのは初め…………109回目だ!
その後も酒に呑まれた騎士様に付き合って酒を飲み続け、最終的には日が変わる寸前まで続き、勘定の出来ないスヴェトラーナの代わりに支払いを終え酔い潰れたスヴェトラーナを背負い愚痴の中で念のため聞いておいた聞いたスヴェトラーナの住まう女騎士用の寄宿舎まで送り届けたのだった。
背に大差無い女を背負うとその姿は随分と格好悪かっただろうが、寄宿舎で通りすがった完全無防備状態の女騎士に格好で貴族と勘違いし驚いたその顔が面白くそれでチャラと自分の中で決めた。
寄宿舎に男が居る事を折檻されるとかそんな事も無くスヴェトラーナを部屋のベットの上まで送り届けることに成功した俺は宿屋への帰路を歩み出したのだった。
ちなみに次の日女将とエウフラージアに条例撤回されたことで騒がれたりもするのだが、折角久し振りの風呂へ入ったというのに手からはドーナツ体からは女の匂いがするという残念な今の俺には知るすべも無いことである。




