036 女勇者達の恐怖
異性の風呂へ乱入、というのはフィクションに有り勝ちな展開らしいが、その実俺も幾度かそう言う場面に直面してしまったこともある。
そんな経験からどういう行動を取れば良いのか分かるのかと問われれば、全くそんな事は無い。
人の感性というものは本当に様々で、状況にもよるのだろうがその反応には一貫性が無く、とてもじゃないがデータとして集計できるものではない。
……そもそもそんなに沢山遭遇している訳でも無し、人間は成長する生き物なのである。
「…………」
「…………」
浴場が普通の家より広いせいか、双方の位置取りが遠く、心の距離を表すかのように手が届かないこの位置取りだと、互いにどう反応して良いか分からず、黙してしまうらしいことを今知った。
正直知る必要が無いどころか知りたくも無かった情報だが、取り敢えず今はこれからどうすべきか、考えるべきである。
とはいっても、俺に退路は無い。
出口はタオルで隠しているとは言えども全裸の女児。
例えそこを突破出来たとしても、今の俺には身に纏うべき衣類が存在しない。
折角サッパリしたというのに、あんな血濡れどころか浸してすらある血が浸透しちまった服を身に纏うのはご免被りたい。
というか、風呂上りにあの堅苦しい制服を身に纏うのも、勘弁して貰いたいものである。
そもそも、弔がこの状況をどう思ってるかがまず分からない。
老害なぞ捨て置いてくれるかあるいは、極刑か。
こういう場合は無条件に男が悪いというだけは学んだ。それが例え、先に入っていたのが男だったとしてもだ。
「…………」トプン、と湯船の中に消える。
「…………」カララ、と何事も無かった様に扉を閉める。
俺の最大潜水時間は一時間だった。ただしそれは、肺を鍛えていた時の話だが。
さて置き、今の俺は大きく息を吸うことなく湯の中に沈んでしまった訳で、今の軟弱な肺でそんなに長く潜水していられる訳も無く。
「カッハーッ!? ゲホ」ザバン、と湯中から飛び出す。
「どうして居るのよ!?」ガラッ、と扉を勢いよく開ける。
酸欠になり掛けた俺は一気に空気を取り込み、酸素の有り難さを噛み締めながらに息切れする。
魔王と殺り合う前に王宮の湯船に殺されるところとか笑えないわ……。
取り敢えず、状況は何も好転してない。むしろ、悪化したともいえる。
何故なら弔の顔が赤くなっていっているからだ。その理由は勿論……飛び出した勢いで直立し、俺がタオルを持ち合わせていないからだ。
「きゃー。とむ太さんのえっちー」
「誤魔化せると思うなよ! この変態!」
「馬鹿! そこはこのベルンハルド! だろ!」
「貴方その人の友人なんじゃないの!?」
どうやら弔は拘束した相手の名を覚えていたらしく、的確なツッコミが入る。
友だからこそだこの野郎。
しかし、ボケのつもりで言った言葉は敢え無くスルーされてしまったが、そもそも場違いであったことは認める。
俺は体を湯船に沈め、弔と向き合う。
「籠の中の服を見なかったのか。男用制服が入っていただろう」
「何の事?」
「いや、入ってただろ? 入ってなかったら俺ここまで全裸で来たことになるぞ」
「それはそれは、お疲れ様」
「来てねぇよ。全裸で来てねぇよ」
ちゃんと服着て来たわ。
しかし、これはなんてサービスカットだ? 弔の裸体描写より俺の全裸描写の方が際立ってるぞ、気持ち悪い。
まあ、そんなどうでも良いことは置いておいて、どうにも弔は裸を見られて騒ぐキャラでは無いらしく、その様子は普通そのものである。
男児の全裸を見て何も感じない女児は少ない。欲情するか嫌悪するかには分かれるが、全く反応しないのは無感情な者だけである。
……もっとも、それは男児にも言えるのだが。
ちなみに俺は遠の昔に男児を卒業してしまった老害の為に女児の裸を見ても孫と風呂位にしか感じられない。
……孫でもここまで育った異性と共に風呂は入らぬか。
「……実際、制服なんて見てないわ。私は今浴場が未使用だと結城に聞いて入りに来ただけよ」
「……俺、結城と鉢合わせてるぞ」
「…………」
「…………」
つまりこの気まずい状況は結城によって演出されたもので、俺は意味無く巻き込まれ、弔はそれに踊らされたというわけか。
俺と弔を謀るとは、流石勇者だな。
「殺すわ。あいつ」
「埋葬は任せろ。山に埋めてくる」
俺と弔を黒いオーラが覆っていくのは、誰のせいだろうか。
「……あぁ、それとは別に」
「?」
「本当に、覚えは無いか? 俺の顔にでは無い。千壌土久遠という名にだ」
LvUPによる強制的な体の活性化のせいか、何時もより気功の流れが速く、今の俺には全神経が研ぎ澄まされている為に、何時もの何倍も気配を感じる事が出来ている。
何時もと感覚が違うせいなのかもしれないが、弔があの時の童子と同じ気配であるようにみえて仕方が無いのである。
「……そこに居る貴方がそんな名前がそうであることは知ってるわ」
しかし弔は知らぬの一言。
俺が考え込む様に湯の中へ沈むと、水中からでも聞こえるような乱暴な扉が閉め方をされたのはそれからものの数秒後の事だった。
どうにも他人と間違われることが途轍もなく不快らしく、湯の中に沈んでいなければ桶の一つでもぶつけられていただろう。
その後、俺はハプニングなど無かったかのように湯へ浸かり、全身温まった後に脱衣所へ戻り、エレアノールエミリーの宣告通りに置いてあった服を一緒に置いてあったタオルで体を拭いてから身に纏う。
制服とは別に用意された服は、この国特有の衣類であることが分かる風の物であり、着るのは問題ないにせよ、若干派手に感じられる服の為小恥ずかしさがある。
だが、立派な服だけにみすぼらしくは全くない。何処かの貴族様みたいな格好だ。
その代償として、風呂上りなのに堅苦しいことこの上ない恰好へ早変わりしてしまったが。
さて置き、靴までも新調されたというのに、俺用に誂えたが如くピッタリなのは何故だろう。
朝着た制服もそうだったから今更ではあるが、プライバシーも何も有ったものではない。
脱衣所を出て王宮を歩く最中、そういえば弔は結局風呂に入らず出ることになってしまったな、なんて考えながら歩いていると、横を通り過ぎる家政婦等が必ずお辞儀をしてくるのだが……服のせいで貴族と勘違いされているのではなかろうか。
皆さん勘違いしないで貰いたいのだが、顔を見て分かる通り俺は何処にでも居る平民だからお辞儀なぞする必要はないんだ、なんて口外しながら歩きたいところだが、それは迷惑だし面倒くさいし無意味であるという三拍子が揃ってしまっているから実行には移さない。
しかし、服装一つで態度がここまで変わるのは面白いな。
今度面白い恰好で王宮内を徘徊してみようか。
「……ん? 十か」
「へ!? ……あ、千壌土、さん。……こ、こんにちは」
「はいこんにちは。何やら慌てているようだがどうした?」
下らない事を考えながらに歩いていると、何やら慌てた様子の十を発見した。
何だか知らないが、今日は綺麗な女児に縁のある日である。
「えっと……さっき弔ちゃんが、結城君を処刑しに行くって言って……」
「ほう」
「それで、今弔ちゃん見かけて……その手にはミンチになった結城君が……」
「ハンバーグになってしまうと」
「違います! そんな美味しそうなことになるなら止めな……コホン。……結城君を助けなきゃなんです。……多分」
こいつは例え友達がハンバーグになっても食べるのか。
俺の食欲も流石に十に勝てる気がしないぞ……友達を食い物にするとかどんな外道だよ。
「ミンチになっている理由が、風呂で俺と弔を鉢合わせさせたからでもか?」
「…………前言撤回です。ハンバーグになればいと思います! 千壌土さん、一緒に頂いちゃいましょう」
「…………」
食べる事しか頭にないのな……人肉ハンバーグでも良いのか? 本当に?
と、正直何と答えていいか分からなくなった俺は朝自分が十に言ったことを思い出した。
「ま、助けるでも食らうでもどっちでも良いが、後で食堂に来れば甘いお菓子をあげるぞ」
「え? はい! 絶対行きます!」
「良い返事だ」
両手で絶対を意思表示しながらに近付いてきた十の頭にポンポンと手を乗せてから十と別れた俺は、頭の中に入っている地図検索でキッチンへと向かう。
キッチンと浴場は、結構遠い位置にあったが、それでも一つの建造物の中である為移動の苦労はそれ程でも無い。だが、キッチンに到着した後に交渉した職人肌の料理長からキッチンを借りるまでに結構な時間を要してしまった。
ここでは貴族の恰好が仇となり、貴族の道楽で戦場は使わせないだのなんだのと言う理屈を捏ねられ、自分が貴族でないということを証明してからの交渉となったのが時間のかかった要因だろう。
さて置き、これから始まるのは、俺の師匠の中でも珍しい名前の分からない相手から教わった久遠さんクッキング。
口に入れる物の師匠なのに名前も知らない相手から教わるだなんて、当時の俺も無理したものだなぁ。
さて置き、エプロンをして食材を見てみたところ、何故だか凄く食文化が発達しててバニラエッセンスとか普通にある環境下でのお菓子作りということで、若干テンションが上がって参りました。
とはいっても今日作るのは十ちゃんの大好物だというオールドファッションなのですが、ここまで材料が揃っていて何故作られていないのだろうと疑問が芽生える場面だな。
さて置き、細かい造り方は省かせて頂くが、卵やバター、砂糖等の生地作りに必要な材料を入れての生地作りから始まり、ドーナツ型の型が無い故に曲芸剣を披露してのドーナツ型を広げた生地の中で作り出していくというアクロバティックなドーナツ作りであるが、最終的には170度の油で両面キツネ色に揚げて一応完成。
冷ました方がドーナツのサクサク感が増すということなのだが……キッチンペーパーの上に君臨するアツアツオールドファッションを狙うハイエナの目が光る中、冷蔵庫の無い環境ではいこれから冷ましまーすなんて言って通るだろうか。
徐々にJOJOに距離を縮めてくるハイエナの影に脅えながら、完璧な完成の為にドーナツを死守するか。なんて聞かれたら、選択肢は『NO』しかない気がする。
というか、作るのに時間が掛かったのは認めるが、このお預けが効かなそうなハイエナさんは少しでも美味しいものをと探究する気はないのだろうか。
と、そんなことを考えていたら十の手がドーナツの前まで。
「待て!」
ピタッと、十の進撃が止まる。
「十、オールドファッションは冷ますことでさらにサクサクになる! 美味しくなるんだ!」
「ヤキタテ、タベタイ」
「しかし、冷ませばチョコのトッピングも可能になるのだぞ!」
「ヤキタテ、タベタイノ」
「後少し、後少し待てばもっと美味しくなるのだ!」
「……ダメ?」
「……もう好きにしなさいな」
説得は失敗に終わり、項垂れる俺を外に、十はドーナツを一つ手に取るとリスの様に小さくなりながら食べ始め、テーブルに着いて食べろよ、とかそんな言葉はまるで届かなそうな感じである。
「私も一つ、貰うわね」
何て言って、何時の間に居たのやら、冷静な感じの弔までもドーナツをアツアツのままに食べてしまい、俺の言葉なんて聞きやしない。
ただ二人とも、美味しそうに食べてくれているので作ったかいはあったのだと思う。
……俺自信が食べる間もなく無くなってしまった為、味がどうであったか分からなかったのが難点だが。
さて置き、ドーナツを食べ終えた二人は紅茶なんて飲み始めていたが、俺としては茶菓子の無い茶会に参加する気なぞサラサラない訳で、俺はさっさと退散して酒場へと繰り出した。
酒場に入ると一瞬、テメーなんてお呼びじゃねんだよ的な視線が入ったが、俺であることが分かると即時そんな雰囲気は消え失せる。
貴族嫌われてんな……。
「お、クオー」
「トラウゴットか。ベルンハルドは?」
「さぁ。仕事じゃね? 俺も明日から仕事再開だぜ! なんたって条例が撤回されて仕事を取り合う必要が無くなるんだからな!」
ふむ、条例も恙無く撤回されているか。
「だがそんなすぐに仕事まで戻ってはこないんじゃないか?」
2年もの間鎖国していたのなら、開国したことが周囲に伝わるまで仕事量は変わらないと思うが……。
「え、マジで?」
「あぁ」
「マジか……あ、今日女騎士様来てるぜ」
「誰だそれは」
「ホラ、アレだよ」
トラウゴットの指差した先、そこに居たのは、癖っ気のある綺麗な金髪に、迷彩の軍服を身に纏う、酒が入って頬に赤みを帯びている女。
「……軍曹殿じゃないか」




