035 殺戮の奏鳴曲
「ヴヴヴヴ……」
気配から察するに、敵は猿だった。
聞こえてくる声は言語化されておらず、ただ唸っているだけに相違無い。
気配を感じられるということは生物に違いないのだろうが、人間には伝わらない独自のものだったとしても、その言語を全く介さない生物は、最早生物ではないのだ。
ただ動いている、動かされている、自動人形に過ぎないのだというのが、他種族の言語を可能とした俺の自論だ。
故に、敵は恐らく生物ではないのだと考える。
普通の猿には自我があり、言語がある。相手は猿の形を模した物なのだと、考える。
『その布には装備すると経験値UPを促進させる効果があるわ。頑張って』
「目隠しした意味は! 目隠ししないと効果が無いのか!?」
というかそれ以前に、この目隠しが取れる気しないのは何故だ?
ほどこうとしたり引っ張って見たりしても、微動だにせず俺の視界を暗黒にしているのだが。
『…………あ、言い忘れてましたが会話は一方通行なので其方の声は聞こえてません』
「嘘つけぇ! 絶対聞こえておるだろ!」
『聞こえませーん』
コロス……エレアノールエミリー……ココ出たら覚えておけよ。
殺意を湧き上がらせながらに、俺は向かい来る猿を紙一重で回避し、空いた片手でその頭を背後にあった扉へ勢いよく押し付ける。
鈍い音と、血が噴き出した音が耳障りに届く。
俺は噴き出した血から逃れるようにして扉から距離を取り、気配の無い壁にぶつかってしまわぬよう気を付けながらに移動する。
生無きモノを見極めるのは、肌に感じる風の流れから察しなくてはならない為、とても神経を張る作業。
故に眼隠した状態での移動は遠慮被りたいのだが、折角の制服を血濡れにするのは気が引ける。
『あー。制服は幾ら汚しでも問題無いですよー。新しいのあげますからー』
超能力者かこいつ。
いや、そこまで技術発展は見込めないのだからそれがないことは分かる。
ただ今の俺の行動でそこまで察することが出来るというのは中々に凄いことだ。
しかし、汚した場合に新しい物が貰えるというのなら、返り血を気にする必要は無さそうだ。
掴んだ時に分かったのだが、敵はかなり大きいサイズの猿だ。
身長だけなら成人男性のそれと相違ない。
頭の感触だと、結構毛深い種類のものだと分かるが、自我さえあれば人間と遜色ない暮らしが出来るのではないだろうか。
二足歩行を平然と行えるようでもあるし、無いのは知能だけ、か。
俺は向かって来る猿を捕捉する度に気を応用しての拳で対応して行く。
もう片方の手にある偽剣アロンダイト……コレは使ってしまうと大変なことが起こってしまう気がするのだ。
『勇者、何してるの? 偽剣を使いなさい』
「断る。使ったら取り返しのつかないことになる気がする」
『ならないから。単なる科学の結晶よ』
「返事出来てんじゃねぇか」
『え? 何言ってるのか聞こえませんって』
この野郎……。
しかし、気による攻撃で未だ減る気配の無いこいつ等を捌ききる自信は俺にも無かった。
気は体力を激しく消費する。
気とは体内エネルギーであり、それを人より多く放出して戦うというのだから、当然といえば当然の話だが、気が付きると気配による敵探索が出来なくなる。
今の俺の身体で、気功無しの視界無し、気配のみによる戦闘が行えるとは思えない。
『使わなきゃ死ぬわ。だって、それ位の敵を送り込んでるもの』
「……そうかい」
気の無駄遣いは、止めた方がよさそうである。
俺は、偽剣アロンダイトを両手で持ち、上段の構えを取る。
恐らくだが、これは偽剣アロンダイトを使って敵を殲滅しないことにはここから脱出することは叶わない。
エレアノールエミリーの発言の中に感じる冷たさが、ソレを察しさせる。
コレを使って、どんなことになるかは分からない。だが、何もせずに力尽きるのは俺の性に合わないのだ。
故に、パンドラの箱に相違無いこの剣を、振るおうではないか。
「ヴヴァ゛ァァ゛ァァ゛ァァ!」
奇声と共に襲い掛かる猿を、俺は真っ二つにした。
下駄を履いていれば出来るこの場で最も適した対多戦の必殺剣を使えぬのは残念である。が、勘を取り戻す相手には持って来いの状況だ。
俺は偽剣の間合いを理解すると、間合いに入ってくる全ての物を機械的に切り裂くことを主とした戦闘を開始した。
上から来る敵を串刺しにし、左右同時に来る敵を回転斬によって薙ぎ払い、前方より来る敵を本来細身の剣で使うべき突きの連撃で捻じ伏せる。
ついさっきまで無かった筈の筋力が俺の中にあることが分かる。
片手で振れる気がしなかった偽剣を何時の間にか片手で振るっている。
途切れる事の無い攻撃の雨に対応しながら俺は思う。
これがLvUP……他の生物の命を奪うだけでこれだけの力を短い時間で得られるなんて、有って良いのだろうか。
これだけ、というと命を軽く見ているようであるが、それは俺の人生の中で今更だと思うと空笑いが漏れる。
そして、いくら斬っても偽剣には何が起こる様子も無いところを見ると、俺の思い過ごしだったのだろうか。
その刀身を血で怪我した偽りの聖剣は、無言を保ったまま。
嫌な気配だけを垂れ流しにして、俺に振るわれるがまま猿共を切り裂いて行った。
暗闇の中で、俺により繰り出さる剣戟は、その精密さを増して行く。
これはレベルが上がったことによるものでは決してない。ただ、思い出しているのだと思う。
戦いの記憶を、師匠達より教わったその技術の全てを。
剣の師匠は、他のモノの師匠より遥かな数の師匠が存在する。
父親、アルルヌフ、ボニファーツ、アルミロ、陽二、チェーザレ……他にも色々な国に色々な剣術に関わった剣士が、俺の剣術を磨いてくれた。
色々な芸術家がたった一つの芸術品を完成に向かわせるかのように。
体が覚えていても、その全てを忘れず記憶しておくのは、老いた脳には困難だった。
若返った故に、その全てを再び学び直そうと全細胞が活性化しているようだった。
正面を斬る、横を斬る、後ろを斬る、幾ら切り裂こうとも、敵の気配が途切れる事は無い。
気を使わなくとも疲労を感じ始めたのは、この部屋に入って四時間が経過した時のことだった。
「ハァ! ハァ……!!」
『凄いわ。休憩無しにここまで戦闘を続けるだなんて』
「…………」
喋る事すら、今の俺には体力を削ぐ行為に繋がる。
四時間の戦闘で出る疲労。これは今の俺が全盛期の十分の一にも満たない力しかないことを意味している。
レベルを上げても、体力すら戻って着ていないというのは笑えない。
過去の自分を超えるどころか、足元に及ぶことすら叶わないとは、俺の辿り着いたゴールの遠さが知らされる。
とてもじゃないが若い内に辿り着ける次元では無い。
……積み重なる死体で、足の踏み場も無い。
この部屋は結構狭いものであるらしく、四時間斬り続けたことによって生まれた死骸は部屋全体を埋め尽くし、歩くにはその死骸を踏むことを余儀なくされた。
亡骸を踏むという行為は、死への冒涜だ。故に控えたく思うのに、ここから出る事が出来なければどうしようもない。
偽剣による扉破壊をしなければ、俺の望みは叶わないだろう。
そんなことを考えながらに、五時間が経過した時の事だった。
俺の身体が軽くなり、LvUPかと考えていたら、それと同時に猿の気配が途絶えたのは。
『御疲れ様、今日のLvUPはこれにて終了。扉を開けたから出てきて』
忌々しく感じていたエレアノールエミリーの声が終了を告げると共に、扉が開く音が聞こえ、俺は出来るだけ亡骸を踏まぬようにしながら部屋を出た。
そして、俺が部屋を出た瞬間に再び扉が閉められた音がする。
無言のままに後ろへ回られ、目隠しが解かれると未だ薄暗くもしっかりと視界に映る石造りの地下室があり、後ろを向くと思いの外近くに居たエレアノールエミリーを見付け、血濡れの手でその顔を掴む。
「何か言う事あるよな?」
「ふふひゃいはさるあか」
「そうかそうか、体罰がお望みか」
「やふぁひゃらさう!」
「はっはっは、遠慮するなよ」
「ぬし適当なこと言っておるよな」
何を言う。
まあ、幾ら俺でも出会って間もない人間の言語化されていない言葉までは分かりかねるけどな。
俺はエウフラージアから手を放し、掴んだ両頬に着いた血に目を向けて初めて、自分が全身血濡れの真っ赤であることに気付く。
「……血に、濡れている」
「言って置くけど、勇者の浴びた血は本来レベルを上げる際に浴びるであろう血の10分の1にも満たない」
「酷じゃの。甘ったれんなと言いたい訳か」
いやいや別に、血に濡れた自分に嫌悪した訳ではないのだ。決してな。
ただ、この状態の俺が懐かしいと感じてしまった俺に嫌悪感を覚えているだけなのだ。
戦ってレベルを上げることを決めた人間は業に深い人生を送ることになるな、と俺は思う。
これ以上の血を浴びても尚、最高値まで辿り着くのも叶わないらしいからな。
言い訳染みたことを俺は好まない。故に二人の言葉に反論なぞしないが、何故神は人に血を流すことを求めたのだろうと、聞きそうになった。
「何レベルになった?」
「ん? んー……Lv7?」
千壌土 久遠 15歳
職業:勇者 Lv7
これだけの時間、殺戮のみを繰り返して漸く4つレベルが上がる。
レベルが上がると、身体能力の向上が感じられ、感覚的にであはあるものの、レベルが上がったことが分かるのだが、Lv5になるまでは楽だったと思う。
ただ、Lv5からLv6までと、Lv6からLv7までの間が異様に長く感じられた。
恐らく、Lv5以降は異様なまでにLvUPの速度が激減するのだろう。
その分伸びも良くなってくれると嬉しいのだが、その辺は良く分らない。
ただ、体力は順調に向上されている。
「まあ、そんなものかの」
「……明日もやる。ホントなら、休みなく続けても良い位」
「鬼畜だ」
「鬼畜がおるぞ」
俺とエゼリアが茶化しながらに言うと、エレアノールエミリーの眼光が俺達を貫く。
急にどうしたというのだろう。
何故かは分からないが酷く焦った様子だ。まるで、もう時間が無いかのようである。
「……浴場まで案内する。着替えと新しい制服は家政婦に用意させる。歩いて」
エレアノールエミリーはそう言うと、ついて行く者のことなど微塵も考えない速度で歩き始め、この格好で王宮を歩いて大丈夫なのだろうか、等と言う真っ当かつ常識的な疑問はぶつける事すら許されず黙殺された感じである。
「ワシはまだここでやる事があるでな。さっさとついて行ってやるが良い」
「ふむ、分かった。じゃあコレを頼む」
俺はエゼリアに偽剣アロンダイトを手渡すと、エレアノールエミリーを追う様に上へ続く階段を小走りで進み始めた。
「……やれやれ、まだガキじゃのう、エミリーよ」
そんな言葉が空気に溶けて消える頃に、俺は先を行くエレアノールエミリーに追いつき、隣を歩き始めたが、幸いにも浴場までの道のりでは結城と鉢合わせし驚かせてしまったこと以外は何の問題も無く辿り着き、問題点があるとすれば血による足跡が出来てしまった位である。
案内を終えたエレアノールエミリーは「家政婦に言っとく」とだけ言うとすぐに去って行き、急変したキャラに俺は疑問符を浮かべずにはいられないが、今は兎も角風呂である。
血濡れた服は脱衣所で発見した籠に放り込み、たった一日で御臨終した服へ合唱すると、浴場へ走った。
浴場の内装は、豪華な上に広く、税金を何に使ってるんだとツッコミを入れたくなったが、今はその恩恵に肖る身の上な訳で、何も言えないのである。
浴場には、シャワーがあった。
科学水準が低いのに、シャワーはあるというちぐはぐ感が満載なこの場所に疑問を感じつつも、逸早く血を流したい俺はシャワーを使って全身を洗い流す。
真っ赤にペイントされた顔や赤染めされた髪や赤い手袋が、水と一緒に流れ落ちていく。
自我も知能も無いというのに、血だけは赤いというのだから、魔物という生き物には疑問しか湧いてこないな。
と、思いに耽っていても始まらぬと、石鹸を拝借して体を洗っていく。
地味に風呂は久しぶりな訳で、体質的に臭わないことに感謝しつつ、石鹸の香りの恩恵に肖った。
シャンプーまであることに驚きはしたものの、良く考えたら化粧品もあったのだから、石鹸があっても何の不思議も無いか。
しかし、湯船は常に入れっぱなしなのだろうか。
もしそうなら、随分水を無駄にしている気がするが、温度調節に使われているのはやはり魔法だろうか。
俺は久方振りにお湯へ浸かり、体の疲れが取れて行くのが分かる。
五臓六腑に沁みわたるとはこう言う事をいうのであろうなー……いい湯だ。
ガラッ、とそこに、招かれざる来客が訪れる。
「え?」
「……む?」
綺麗な黒い長髪に、鋭い目つき。
整った容姿に長身に見合ったボディラインが、タオルの隙間より見え隠れしている。
どう見ても弔だな。




