030 軍曹殿と大佐殿
着地に伴って舞う砂埃という名の目隠しが晴れて行き、クラスメイト達の目に入ったのは、十台後半に差し掛かり、身長もそれなりにある男を、軍服という女性らしからぬ服装でありながらもれっきとした女性であるそいつが、お姫様抱っこしているという光景だった。
しかも、今この瞬間までブリッチで着地しようとしていた姿勢だ。
その腕にすっぽりと収まった俺の身体は、この恥辱的な姿勢からの脱却を心の底から求めており、それは女装の何倍もの羞恥心に駆られた。
目の前にあるのは、若干癖っ気のある綺麗な長い金髪に鋭い顔付きをした女性。
上空より舞い落ちた男の身体を易々とキャッチすることを可能としているその腕は、細いながらに無駄の無い筋肉が付いており、ここまで鍛え上げるにはかなりの努力が必要だと感服させられる。
俺も早く筋肉を戻したいと考えている為、随分と羨んだ。
さて置き、その女性が体操着ではないところを見ると、教師だな。
随分と美人の多い学校だが、採用基準に容姿でもあるのだろうか。
「おい、何時まで私の腕に収まっているつもりだこのクソ虫が。新兵の分際で上官に手を煩わせるとは貴様何様だ」
「は? 誰が新兵だ。そんなモノ何十年も前に卒業している。自分は大日本帝国陸軍……」
「す、すみません軍曹! この人転入生なのでぇぇ!」
名乗りの途中で、優人による女の腕からの脱出に会い、自己紹介を途中のままに砂の地面へと下された。
当然、名乗りの妨害に合った俺としては不満な訳だが。
「おい貴様、上官に向かって……」
「上官じゃないから! 戻って着て久遠さん! 軍曹の口調が写ってる!」
「…………む、すまん。つい昔のことを思い出してしまった」
軍に居た時のことを思い出し、些か興奮してしまった。
どうやら女性、軍曹だったか? 軍曹殿に新兵扱いを受けたことがスイッチとなったらしいが、新兵扱い受けることがここまで腹立たしいことだとは思わなんだ。
肩書きから『元』が抜けているところを見ると、完全に反射的な反応か。
何十年立っても未だ軍人であった頃の癖が抜けぬとは、俺の中でどれ程深い位置まで根を張っているのかということが嫌と言う程に伝わってくる。
よもや若返っても尚思い出すとは……。
しかし、あだ名が軍曹ということは、こっちの軍階級もあっちと変わらないのだろうか。
最近、名乗りをあげる際に元々の肩書を使うことが多い気がする。
紛争地域に行くった際そういった名乗りをあげ、自身の戦慣れを証明したこともあったが、ここは平和だというのに、何故こうも戦争のことを思い出すことが多いのか。
……何らかの精神干渉が加えられている可能性を頭に入れておくか。
「ハッ! 元大日本帝国が何だって? 女に抱き止められる程度のクソ虫が私に口答えするな!」
「ふざけるな。自分は大日本帝国陸軍千壌土久遠大佐だ。軍曹如きにクソ虫呼ばわりされる筋合いは無い!」
「ほう、私がアーシラト王国騎士団第4部隊スヴェトラーナ副団長だと知っても同じ口が聞けるのか?」
「ハッ! 貴様風情が副団長を名乗るとは。この国の騎士団も高が知れる」
「何だと!」
「何だ!」
「軍曹も久遠さんも何やってんの!?」
む、またか。
どうやら俺は、愛国精神は無きにしても、祖国を侮辱されて怒ることの出来る愛着位はあったらしい。
さて置き、その後俺と軍曹殿は優人と、関わりたくなさげな結城、弔の手によって引き離されることによって事態は終結、不穏な空気のままに授業が始まった。
最初、軍曹殿の「さっさと走れこのクソ虫が!」とか「この●●●●!」とか「アメーバでももう少しマシな動きもしよう!」等と言った罵倒と共に行われるグランドの外周から始まり、先程仲裁に入った3人は何の問題も無さそうに完走したが、俺と十、この二人の勇者は外周の終わる事にはバテバテで、二人して力尽きる。
他の生徒達のほとんどが似たような状態であるところを見ると、どうやら3人の勇者が異常なだけで一般人には普通に疲れるものらしかった。
「準備運動で力尽きるとは情けないクソ虫共め! 貴様らそれでもアーシラト国民か!」
「……違ぇよ」
俺は、軍曹殿の言葉に対して発言するも、疲労のせいで小声になり、その声は誰にも届かない。
しかし、体力の無さが余りに出てき過ぎである。
もしかすると俺だけは今日一日中ずっとグランドの外周を続けていた方が良いかもしれない。
ただ、この体が壊れてしまっては元も子もない為に休憩も挟むだろうが。
「全員! 整列しろ! 次は魔法訓練に入る!」
…………は、まほう?
軍曹殿の言葉に従って、重たい体を俊敏に動かしながらに整列を始めるクラスメート達から察するに、軍曹殿の訓練は二等兵へ向けてするものと近いらしい。
逆らえば痛みが待っているのだとその動きを見れば良く分る。
「今日、貴様らがすべきことは一度でもこの私に『アロー系魔法』を当てることだ! 一度も掠る事が叶わなかったクソ虫にはそれなりの教育が待っている! 覚悟しておけ!」
は? いや『まほう』ってなんだ?
俺の疑問を余所に、軍曹殿は一瞬で全員から距離を取り、周囲のクラスメート達から、異質なオーラが発せられ始める。
困惑する俺の周りを、炎、氷、電、土といったものの矢の形状を取ったものが飛んでいき、その全てが軍曹殿へと飛んでいく。
それらの塊が全て、周囲のクラスメート達によるものだと知るのにはそう時間を要さなかった。
異質なオーラ。そう、黒剣を使う際に消費を感じていたそれに近い感じのそれが手に集結され、どういう原理なのかは全く分からないが炎や氷といった物質へ変換され、射出されている。
成程、これが……魔法。
多分、お伽話に出てくるようなそれで合ってる。
まほうとは、魔法だ。
つまりマグとは、魔法の道具、魔具だ。
まりょくとは、魔力か。
繋がった。
理解した。
成程、成程? 結城はこれを使って水を出していた訳か。
111年生きてきて、魔法にだけは出会えなかったが、まさかこんなところで……。
降り注ぐ矢を、軍曹殿は全て紙一重で回避し、グランドが穴ぼこになって行くが、軍曹殿には傷一つつかない。
クラスメート達は散開した。
全員、軍曹殿と一定距離を置きながらに手に魔力を終結させて魔法を放つを繰り返している。
そのつど、それぞれに口から詠唱が聞こえてくる。
魔法なのだから、当然か。
「『アロー:光』!!」
優人の叫び声が聞こえる。
そして優人から放たれるのは、太陽の恵みに肖った晴天の日にすらハッキリと見える光の矢。
その速度は高速であり、他の矢とはまるで次元の違う速度を出して、軍曹殿を襲う。
軍曹殿は他の攻撃と同様に紙一重で避けるも、袖に切り目が入る。
「沖田二等兵合格だ! 残り時間貴様はクソ虫らしく女のケツでも追いかけていろ!」
「久遠さーん! やりました!」
「女って言ってるのに男の千壌土さんに話し掛けるなんて、ホモなのかしら」
「どうしてそう捉えるの!?」
不穏過ぎる言葉が、勇者間で行き来している。
正直聞き流せない内容だが、今はそんなことをしている暇は無い。
構造を知ったからと言って、魔法だと気付いたからと言って、別にそれが使えるようになる訳では無い。
つまり、俺が魔法を使えないのは今も変わらない。
しかも、着替えてしまった為に現在の俺は黒剣を持っていない為に魔具を頼ることも出来ない。
そんなことを考えている合間に、どうやったのかは分からないが結城が水の矢を使用した上からの奇襲で、軍曹殿に矢を当てる。
元が水であったのと、水圧を強めていなかったらしいのとで、軍曹殿に怪我は無いが、結果軍曹殿はずぶ濡れになった。
「……チッ、透けない」
「貴様はグランド外周していろ!」
何をしているんだあいつは。
しかし、もう二人も合格者が出た。
一般生徒達は依然として攻撃を当てることは叶っていないが、この調子だと弔や十も平然とクリアしてしまいそうな勢いだ。
勇者の中で俺だけが、クリアできないなんて、笑えないことが起こりそうである。
俺は焦る。
何と無く、こいつ等の前で無様な姿を晒したくない。これは多分プライドの問題だ。
だが今の俺にはそのプライドを守る力すら無いというのだから笑えない。
魔法を使うのに必要であろう詠唱を俺は知らず、黒剣が無ければ手に魔力を集めることも叶わない状況だ。
今まで学んできた技術が全く役に立たないことなんて、久し振り事だ。
無かったわけでは決してないにも関わらず、今回に関してはどうしようもないとやる前から結果が見えてしまっている。
何故ならこれが、実戦では無くその要因を学ぶための授業であるからだ。
もしこれが実戦であったなら、他のものを代用しての対応を許されるだろうが、コレは完全に魔法を使う為の授業だ。魔法以外を使っても決して合格出来はしない。
軍曹殿にこの矢の雨の中どんな手を使っても一撃当てろ。そんな条件であったなら、俺は一番最初にそれを完遂することも叶っただろう。
しかし、残念ながらそれは無い。
だから、もしものことを考えても全く意味が無い。
「どうしたんだ大佐殿? 大口を叩いていた割に、何もしてこないな」
「…………」
クラスメート達による矢のグランドを荒らす音が静まる。
その理由は、軍曹殿が俺の背後へと回り、距離を詰めて来たせいで俺に矢が当たる可能性をクラスメート達に感じさせてしまった為である。
背後へは回られたのではなく回らせた。
軍曹殿から、俺を驚かせたいという欲望が見えていた為に、それを叶えてやった訳だ。
俺はゆっくりと向き直り、軍曹殿を見る。
結城に濡らされてビショビショの軍曹殿は、何もしない俺を嘲笑うかのように口端を上げている。
ただ、嘲笑う風なのは演技で、何の行動も起こさない俺に不信感を抱いていることが、その眼から伝わってくる。
……教師、か。
「その様子では、貴様の祖国とやらも高が知れている」
そもそも、その祖国に魔法という概念が無いのである。
どうしようもなくて当然であり、どうにかしようにもどうしようも出来ないのである。
「貴様を生んだ親はさぞ無能だったことだろう。貴様の親なんだから、当然か」
「……は?」
「口先だけの顔だけ男。それが貴様だクソ虫。……あぁ、貴様の親は詐欺師でもやっていたのか?」
「おい、貴様は何言っている」
「口を開くな! 貴様に発言権は無い!」
………………沸点が低い、っていうのは、俺の若い頃にあった欠点だった。
年老いても尚直らなかった何でも暴力によって解決しようとする癖は、その沸点の低さの名残であったが、それでも歳を重ねることによって温厚になったのは事実だった。
しかし、しかしだ。
家族の、両親のことを侮辱され、キレずにいられる程の忍耐力は、今の俺に存在しない。
何せ、何も知らぬ若者だからな。
「クク」
「?」
「クハハハッ! そうか、そうかい。……軍曹ォ! 貴様の服を乾かしてやろう。俺の力でな!」
俺は魔法を使えない。
ただ、思い出して欲しいのは、俺が最初から炎を操る黒剣を使いこなせていたことであり、何の努力も無くそれが叶う程世界は優しく出来ていない事である。
つまりは、摩訶不思議な力を使っての火を扱う努力ってのを、俺がやっていたのである。
そしてもう一度言うが、俺は魔法は使えない。
ただ、別の力は少しだけ使える。
気功じゃないぞ?
超能力だ。
「『発火能力』」




