029 恐怖のお姫様抱っこ
「俺は千壌土 久遠だと思うのだが、実際の所、俺がそうであるかは定かじゃない。故に、アンノーンたる俺であっても受け入れられるという者だけ仲良くして欲しい」
教室に入り、開口一番に発した言葉はそれだった。
職員室への道のりは、思いの外すんなりと知ることが出来たのだが、俺の在学することとなるクラスの担任が怠慢ながらに朝のHR前に職員室で睡眠を摂取するという教育者に相応しからぬ態度だった為に、俺の中の学校評価は著しく低下、その教師は美人だったが、美人の皮を被った怠慢の塊だと思った。
その証拠に、今日転校生が来る事を担任であるそやつが知り得ていないというのだから笑えない。
他の教師が全員知っていただけにこいつだけが普通では無いのだと理解した。
……というか、こんな若造に教わる事なぞ本当にあるのか?
俺に対するクラスメイト達の反応は自己紹介があれであったにも関わらず、中々に好印象なものだった。
歳が違うはずの弔や十に加え、恐らく二人と同い年であろう優人と結城の姿もあり、どうやらクラス分けの基準は年齢によるものでは無いらしい。
「あーそんな訳でアンノーン君と仲よくするように」
「センセー。アンノーンは名前じゃないと思いまーす」
「黙れ。撃ち抜くぞ」
確かに、俺の名前はアンノーンではない。
教師に指摘した生徒が急に押し黙り、発言が無かったかのように振舞っている。
……何でだ?
さて置き、俺は窓際一番後ろ。
つまりは一番端の席へと追いやられ、廊下側の一番後ろに居る優人とは席が遠くなり、周りに友が居ない状況からのスタートとなった。
そして、座学という存在が俺の敵であったことを思い出すのに、そう時間を要さなかった。
一限目の歴史で、早々に訳が分からずに行き詰る。
「あー……であるから、聖剣『アロンダイト』は魔族に対し有効とされ、現在では市場に劣化版アロンダイトが出回るという事態が起きており、これは神への冒涜であるとされ協会で弾圧を行っているが、結果は芳しく無く……」
朝のHRが終わっての短い休み時間の合間に、俺へ声を掛けて来た生徒は多く、質問攻めに会ったが、始まって間もない授業で早くもノックアウト気味になるとは情けない。
そもそも歴史の根源を知らぬ為に何を言われても理解出来ない。
なんでも、歴史は暗記する為のものらしいが、暗記して何が得られる訳でも無いのだから、自然と頭に入ってこないのなら付け焼き刃でしかない。
そんな知識はそもそも求めていない。
「……聖剣アロンダイトは、その持ち主を天使へするという説があり、元々勇者とは神の使いであり、聖剣を持つことによってその力を取り戻すという説もある。ここ数百年、聖剣の所持者が現れなかったこともあり、書物による情報であり、そもそもその説は偽りであると説いた学者もいる……」
……ね、眠いだと? 学を得ることは俺の欲すべきことで有る筈なのに、この眠気は何んなのだろう。
寝ては駄目だ。授業を聞かねば……。
「聖剣とは、最強を求める剣でもある。故に、神より与えられしレベル。その最大値である10Lvでなければいかに勇者であろうとも使うことは叶わず、振るう事は出来てもその真の力を知ることは……」
もう……無理だ。
俺の目蓋は重く閉じ、俺の身体は魂を失ったかのように机へ突っ伏した。
これ程までの睡魔は、48時間耐久訓練の際にも味わったことは無く、俺は抵抗することも出来ずに夢の世界へと入って行った。
そして、次に目を覚ました時、目の前に居たのは優人だった。
「やっと起きた。久遠さん、次は体育だから急がないと!」
「…………体育……?」
「身体を動かす授業!」
俺は跳ね起きた。
全細胞が一斉に目覚め、椅子を後に倒しながらに起床した俺に、数名の男子生徒が視線を向けるが、すぐに逸らした。
女児の姿が一つも無く、殆どの男子生徒の服装がラフな物へと変わっているところをみると、体育は着替えてやるらしい。
「久遠さん、体操着は?」
「体操着?」
「ほら、僕達が着てるみたいな」
「いや、俺は持ってないぞ? 部屋にはこの制服しか無かったしな」
強いてあげるなら、俺の着替えを覗き見る家政婦もあったが。
「え……? お嬢から受け取ってないの?」
「受け取ってないぞ」
「マジかぁ……なら今日の所は誰かに借りるしかないね」
「誰にだ?」
言って置くが、この学校における俺の知人はお前ら勇者しか……あ。
「エウフラージアって何処のクラスだ?」
「エウフラージアに借りるの? でも彼女のクラス今日体育あったっけ?」
「知る訳が無いだろう……だが他に知り合いが居ない」
この時、俺と優人の会話を聞いていた男子生徒全員が思っていたことがある。
何故、見学という選択肢が無いのだろう、と。
俺からしてみれば、体を動かす授業さえも何もしなかったらここには寝に来たのと大差ない訳で、絶対に参加したいと考えているし、そもそも見学という選択肢があるということさえも知らなんだ。
つまりは、誰かがその意見を俺に伝えていない時点で俺の中では借りる以外の選択肢が無い訳で、結果女児に借りることになろうとも、俺は体育へ参加する事となるだろう。
俺と優人は、授業が始まる前に借りなければいけない状況下、急がんとして走り、優人を先頭にしてエウフラージアの教室へと向かった。
何でもこの学校には、クラスによって仕分けがされているらしい。
A組からE組までの5クラスは、平民によって構成され、F組は貴族によって構成されている。
そして、俺が在学することとなったのは、才能がある人間のみの集まるG組なんだそうだ。
正直、物凄く余計なことをされた。勉強に全くついていけない。
「エウフラージア!」
エウフラージアの在学するというE組の扉を開けると共に、俺はそう叫び、教室内へ入るとその後に優人も続く。
エウフラージアは、数名の女子生徒と話しているところを簡単に見つける事が出来た。
周囲の唖然とした視線が此方に向けられているが、今はそれどころじゃない。
「く、久遠さん!? それにゆ、優人さんも。どうしたんですか?」
む? 今、恋の香りが……って今そんなことを言っている暇は無い。
「エウフラージア、体操着貸してくれ!」
「えぇ!? というか久遠さん、ここの生徒さんだったんですか!?」
「今日からな。それより、持ってるなら貸してくれ! 体育に間に合わなくなる!」
残り時間が刻一刻と減って行く中、エウフラージアは未だ状況を理解出来ていないようである。
俺が両肩を掴んで前後に振ると元に戻ったようだが、尚更あたふたしてしまった。
「あ、あの私一応女なので……」
「だから何なのだ!? 俺のこの学校での友は優人とエウフラージアだけだ。この状況下、お前以外に誰を頼れと!?」
「あ、久遠さんもGクラス……なんですね」
「ぶっちゃけ座学についてけない。誰か助けて。って、ンなことより、体操着!」
「そうだよエウフラージア! 僕ら遅刻するよ! そしたら軍曹に殺られちゃうよ!」
軍曹? 俺はその者の存在が気になりはしたが、今は質問してる余裕はないと飲み込む。
どちらにせよ、体育の授業になれば分かりそうな口ぶりだったことだし、何より今は体操着だ。
「あ、あの……分かり、ました。一時間目に使っちゃったので……その、汗臭いかもしれませんが……」
エウフラージアはそう言って、巾着袋を差し出し、俺はそれを受け取ると「ありがとう」と述べると共に此方へ来て初めてのあくどくなく、何も企まない満面の笑みで感謝を表すと、優人と共に急いで教室へ戻る。
しかし。
「待ちなぁぁぁ!」
「エウフラージアちゃんの体操着を借りるたぁ覚悟で来てんだろうなぁぁ!」
「ハァハァ……ハッ! ……歯ぁ食い縛れやコラァァァぁあああああああああああああああ!?」
「除け障害物共がぁぁぁ!!」
教室を出る目前で数名の男子生徒達によって妨害を受け、普通なら静止を余儀なくされる状態へと追い込まれる。
しかし、最後の奴の言葉を途中で遮って、数名の男子生徒を薙ぎ払い、気功を使ってまでそいつらを教室の後ろまで吹き飛ばし、G組教室へと走った。
……あいつらが何だったのだろう、なんていう疑問が浮かんでくるのは、もう少し後の事。
教室へ戻って着た俺はもうほとんど誰も居ない教室の中で素早く制服を脱ぎ、体操着へと着替える。
その間、先に行ってて良いと言ったのに待つと言って聞かない優人が時計を確認し、残り一分を切っていることを知る。
「……タイムオーバー、だね」
そして着替え終わった時、時間は50秒を切り、ここから結構な距離があるというグランドへは間に合いそうにないそうだ。
「まだだ!」
集合場所がグランドであるのなら、まだ手はある。
幸いにもこの教室の窓はグランド側にある。
この状況下、もし壁があるとすればこの教室が三階だということだけ。
俺は教室の窓を開き、優人の腕を掴むと生徒達が列を作っているグランドの方へと飛び立った。
俺の空を飛ぶ師匠は、とある場所で出会った鳳凰の夢幻である。
彼は俺と出会った時、世界旅行の最中だと話していたが、仲良くなった俺に火の扱い方ともし翼があった場合の飛び方を教えてくれた。
そしてそれは、飛行まではいかないまでも跳躍には飛躍的変化を齎した。
着地という難点を除けば俺は、例え今の脚力でも10メートル位は軽々と飛ぶ事が出来る。
しかも今回は、高い所からということで、いくら優人が居るとは言えど、20メートルは行けるのではなかろうか。
つまり、余裕で行ける。
ただ、さっきも言ったのだが……。
「飛んでる! 僕達飛んでるよ!」
「ただ、着地方法は無い訳だが」
「えっ」
「フッ」
滞空時間というのは、思いの外長い。
だが、丁度グランドの間上へ来た辺りで前へ進む力は失われ、今度は下へ下へと降下を始め、優人の顔は俺の言葉を聞いた辺りから青褪めている。
気功によって衝撃を和らげれば、多分打撲程度で済むだろう。
「ああああああああああああああああ!! 結城ぃぃぃぃ! ヘルプミィィィィィィ!」
優人は叫ぶ。
当然、優人は気功なんて使えない訳で、となれば頼れる友人に頼る他ないだろう。
俺は優人が助けを求めた結城の方へ向けて、優人を射出した。
「南無三!」
「あああああああああああああああああああああ! グフッ!」
「うぉぉぉぉぉぉぉ!? ゲフッ!?」
優人は、結城をクッションにして無事着地を終えた。
後は俺だけだが……ふむ、着地点になるであろう座標に一人、誰かいるな。
というか、優人を投げた反動で姿勢が仰向けになってしまい、現状、羽でも生えない限り足での着地は不可能となってしまった。
……こんなことなら、夢幻の申し出を受けて翼貰って置くんだった!
しかし、俺は諦めない。
まだ方法はあるのだ。
足だけを付くのがつらいのなら、手も使えば良いのである。
そう、ブリッジ姿勢の着地である。
俺は四肢に気を込める。
力は基本、水鉄砲の原理と同様に一点集中した方が協力になる。
全身に気を纏えば全身打撲にはなるが絶対的安全を得られるものの、体育には参加できないために本末転倒だ。
ただ、四肢に込めてそれによる着地を成功させれば、比較的無傷でいられるのである。
俺は気功を使うのに関してはプロフェッショナルだ。
失敗する筈も無……ハッ!
着地点に、誰かが居ることを。
そしてその誰かが、一向に逃げる素振りを見せていなかったことを、俺は忘れていた。
俺は即時予定変更を余儀なくされ、前進に気を纏う。
出来る事なら下に居る誰かに怪我が出来ぬよう祈りながら。
気が付くと俺は、迷彩の軍服を着た女にお姫様抱っこで抱き止められていた。




