026 報われる初恋
指切りを知っているか。
「指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます」という言葉と共に約束を交わす、日本独自の風習だ。
元々は、遊女が客に対する心中立てとして小指の第一関節から指を切って渡したことに由来している。
それ程までに重い誓いを建てる風習であったが為に、小指を斬る事は無くなれど、違えし時は針を飲まねばならなくなるのである。
俺は約束の際、必ずと言って良い程に指切りをしてきて、それを破ったことなぞ一度たりともない。
100年以上一度たりとも約束を違えた事が無いのは、ある意味自慢である。
……死者との約束は、無かったことにしてる、けどな。
「イテテテテテテ!? おいクオ! 逃げねぇ。逃げねぇから離してくれ!」
現在俺は、ベルンハルドの耳を引っ張って移動している。
身長差がある為にベルンハルドの姿勢はなんとも奇妙な物となっているが、この際どうでも良い。
優人と結城は、俺に剣を返してすぐ城へと帰ってしまい、1人きりの散歩となってしまっていたところで発見したベルンハルドだが、再会を喜び雑談を交わす内に、こいつが約束を違えていることを知ったのだ。
「フン、自身で誘っておいて待ち合わせの時間すら決めていない貴様の言う事なぞ、聞く価値も無い」
「いや、別に今日って約束した訳じゃ……耳がぁぁぁ! 耳がぁぁぁ!」
そう、ベルンハルドはアニェッラと『2人っきりで』酒を交わす約束をしていたというのに、これから何時もの酒場へ繰り出すところだぜとか宣言されちゃったり、気軽にも俺はそれに誘われちまったり。
何ていうか、この扱いは自業自得以外の何ものでも無い。
まだ時間が夕飯前であったから間に合いそうであるものの、このタイミングで再会できていなかったら折角のデートかおじゃんだぞ。
あの後、アニェッラは女将の好意で自宅へ帰されたらしいから、俺達はそっちへ向かって歩いている。
「全く、お前はどういう神経をしている」
ちなみに、現在俺は相も変わらず上半身に何も纏っていない。
奴らの服は既に処分済みであるが、この格好もそろそろどうにかしなければならないだろう。
「……監獄内で、クオの助けが後1分遅かったら掘られてたんだぞ?」
「女との約束をほっぽりだすなぞ、男として失格だ」
なんて、そんな言葉を口にして、クズ男にデートをすっぽかされた女児の事を思い出す。
楽しいクリスマスを送れただろうか、それだけが気になって仕方が無い。
誕生日には、出来るだけ多くの人に笑って欲しいからな。
「いや、だからららららら!?」
「言い訳なぞ尚の事男らしく無い。例え馬車にひかれようとも、這って行け」
「……クオってプレイボーイっぽいのにものっそい堅実に一人の女を愛し続けそうだよな」
「良いことだろう」
浮気なぞする奴が居れば、男女問わず鉄拳制裁だ。
あぁ……イカサマ師にして女垂らし野郎のジェイを思い出す。
あいつに関しては何度鉄拳制裁を加えても怪我が完治し次第女のケツ追いかけていたから、最終的に諦めざるをえなんだ。
あまり知りたくなかったが、イカサマに関してはかなり教わった。
「着いたぞ。ここがアニェッラのすみゅららら! いい加減手ぇ離せ!」
「集合住宅か。アニェッラの部屋は何処だ?」
俺が強引に俺の手を振り払おうとしたベルンハルドを解放しつつ尋ねると、ベルンハルドは掴まれていた耳を摩りつつ、あっちだと指差しながら先を行く。
ここまでの道のりは方角と場所さえ聞ければ分かったから良かったが、これから先は流石に分からない。
「よし、入ろ……」
「待て」
ベルンハルドが無造作に扉を開けようとするのを、俺はチョップで静止する。
「何すんだよ!」
「ベルを鳴らせ、デリカシー無し男」
年頃の女児が住む家に相手の了解も得ずに入ろうとするとはどういう了見だ。
俺は横にあるベルを指差して言い、ベルンハルドは面倒臭げにしつつも、ベルを鳴らし、応答を待つ。しかし、待てども待てども応答は無かった。
……? 中に人の気配はある。
「んー? おいアニェッラ! 居んだろ? 出てこいよ!」
そう言って、ベルンハルドの次にとった行動は、扉を叩くというものだった。
荒っぽく叩かれた扉が軋み、嫌な音をさせていることに、ベルンハルドは気付いていないのだろうか。
俺が再びベルンハルドへチョップを食らわせようとしたところで、扉が勢いよく開き、ベルンハルドにクリティカルヒット。
悶絶するベルンハルドに抱き着く女児の姿があった。アニェッラだ。
「ベルンハルド……無事……だったのね」
「お、おう……!? どうしたアニェッラ。……泣いているのか? おい誰に何をやられた」
痛みに耐えつつ顔を上げたベルンハルドの耳に届いたのは、アニェッラのすすり泣く声。
「馬鹿……心配したから……」
「え、まさか俺が兵士に捕まったからか? お前そんな玉じゃたたっ!? ……クオ?」
空気読め馬鹿。
今はおちゃらけて返す場面じゃないだろう。
「……あー、心配かけてすまん」
「……馬鹿……馬鹿」
「すまん」
この場でどんな発言を正解か、なんてのは元よりない。
だが、不正解な発現は存在するというのだから、何とも理不尽な問題だろう。
俺はベルンハルドが間違えないように、アニェッラの視界に入らないように、二人の関係に少しだけ手助けする。
「……さっき、飲みにいこうって約束したろ? これからどうだ?」
「え……今から?」
「お、う……いや、別に今すぐじゃなくても良いんだ。心配かけた詫びに今日は奢ってやろうと思ったんだが……」
今からってお前、馬鹿か。
アニェッラは涙で化粧が大変なことになってる。
そうでなくても女という生き物は準備が長いのだぞ? 男じゃないんだから即時行動を求めるな。
「じゃ、じゃあ33時から……」
「分かった。じゃあ33時に……広場の噴水前で待ち合わすか?」
「え? ……うん、分かった。…………あのベルンハルドが、待ち合わせ」
「ん?」
「な、何でも無いわ」
ほう、待ち合わせという選択は間違いじゃないぞ、言い難いがここはムードがあるとは言い難い。
広場と言うと、思い当たるのは一か所しかないが、あそこは中々に綺麗な場所だった。
待ち合わせにはピッタリの場所だろう。
「二人共、ここで指切りというものをしてみないか」
「クオ?」
「く、クオ君!?」
今ようやく俺の存在を認識したアニェッラは、焦りを隠せずに居るが、俺相手にそれは不要。
俺はフッと笑いながら言う。
「俺の国では、約束をする際、互いの小指と小指を絡めて約束をする。そうして契った約束は、絶対に守らなきゃならない」
「…………約束」
「…………約束」
ベルンハルドとアニェッラの二人は、俺の言葉のままに小指と小指を絡め、意識してか無意識か、そう呟いて互いを見つめ合う。
俺は無言のままにその光景を見ながらに待って、どちらからといった風も無く二人は小指を離した。
「じゃ、後でな」
「えぇ……後で」
その後、数秒の余韻を残した後に、扉が二人を遮った。
所々、言動への修正はあった。
だが、最後の方に二人の仲を取り巻いていた空気は、とても良い感じだったのがひしひしと伝わって来た。
予想外に、この国で用事が出来てしまったせいで長い目で見て行こうと思っていた二人の関係だが、そんなことをしている暇は無くなってしまう可能性がある。
だから、今日行ける所まで行って貰う。
ベルンハルドが一度捕まったことによってアニェッラが素直な一面を見せたことは大きい。
ベルンハルドには、しおらしくも自分を心配するアニェッラが愛おしく思えていた筈だ。
その証拠が、今の甘ったるい空気である。
酒の勢いでって訳じゃないが、酒じゃなくとも勢いは大切だ。
このまま明日まで何も行動しなかった場合、元の関係へ逆戻りしてしまう可能性も十分に有り得る。
となれば、だ。
「ベルンハルド」
「お、おう!? な、何だよ……」
「行くぞ」
「行くってどごいたたたたた、またかよ! おい、待て、クオ!」
ズンズンと進みながらに、掴んだベルンハルドの耳を、俺は離すことは無い。
耳を掴んだのは何と無くの為、アニェッラの住む部屋からある程度離れると、耳を離す。
「……ハァ。で、何処行くんだよ」
「服屋だ」
「ハァ!? ……あ、今上着てないもんな」
「俺のじゃない。お前のだ」
確かに着てないが、どこをどう考えれば今の流れで俺の服を買いに行く流れになるのだろう。
「は? 何でだ」
「……お前どうせ、その服しか持ってないだろ」
「お、おう?」
「その革ジャンもどき着て行く気か馬鹿。ちゃんとした服買いに行くぞ」
というか、武器持ち歩くな置いて来い。
服屋の場所も、探索中にそれらしいものを見付けて知っている。
品ぞろえはまずまずだが、それなりに良い服の揃っていた場所。
……時間さえあれば、布を買い、俺がベルンハルドに合う服を買っても良かったのだが、残念ながら今は時間が無い。
ベルンハルドの体付きから、着る服は選ばなければならないが、まあ何とかなるだろう。
「いや、ンなのに金使う位なら酒に……」
「あぁん?」
「すんません、何でも無いだです」
あぁんて……なんてベルンハルドが呟いているのを俺は無視し、ズンズンと進んでいく。
上半身裸なせいか、視線を集めているが正直どうでも良い。
暗くなってきているからそこまで正確に顔を覚えられはしないだろうし、今はそんなことを気にしている暇も無い。
服屋へ辿り着くと、ベルンハルドは始めて来るであろうこの場所に場違い感を覚えているようで、後さずっているが、俺はそんなベルンハルドを問答無用で店の中へ放り込む。
「いらっしゃいませ」
「コイツに合う服を探している。デート用だ」
店に入ってすぐ、俺達を出迎えて来た店員に、俺は言う。
どうやらこの店は、この辺でそれなりに知名度のある店らしく、綺麗に清掃された明るい店内にはちらほらと他の客が見れた。
ただ、ベルンハルドとは家柄の違いそうな奴らである。
後ろでベルンハルドがデートと言う言葉に異議を唱えんとしているが、俺が睨むと黙った。
「かしこまりました。……あの、お客様ご自身は……?」
「ん……そうだな。適当に見繕ってくれ」
「かしこまりました。……では、あちらで少々お待ちください」
俺の恰好はおかしいが、堂々としていれば案外どうという事は無い。
客層から、ベルンハルドと上半身裸の俺はかなり浮いている。
店員の言った通り、俺達は場所を移動した。
「クオ、何でわざわざ新品を買う? 古着屋でも……」
「お前のサイズに合う服がそうあるか? それに、洗濯している時間は無いのに他人の匂いが付いた服を買うとかお前は何を考えている?」
「いや、俺ら平民は普通古着で済ませるが……」
「黙れ。金が足りないのなら俺も工面してやる。だからもう黙れ」
その後、店員の持って来た服は、筋肉質なベルンハルドのサイズに合った黒いワイシャツと、それに合わせるズボン。後はその他小道具だった。
というか、会社とか無さそうだというのにワイシャツとか何処で使うのだろう。
「アクセサリーも売っていたんだな」
「はい。アチラのお客様に合うお洋服は、店内でも数が少ないですが、デートということでしたので、こちらでキメて見ては如何でしょう」
「サイズは大丈夫か? 見ての通りこいつは汚れている。正直試着はさせる気が起きない」
「ご安心ください。私が服のサイズを間違えることは、絶対に有り得ません」
「……成程、分かった。幾らだ?」
絶対に有り得ないとは、ずいぶん大きく出る。
だが、その言葉に偽りがあるとは思えない程の自信のありようだった。
この内容で、嘘の色が全く見えないというのも凄いな。
「金貨3枚になります」
「ふむ」
「高ぇ!? な、クオ。やっぱ場違いだろ?」
「……喧しいな。田舎者丸出しだぞ。それで、俺の服も用意すると言ってなかったか?」
「此方になります」
それは見た目、黒い男用のインナーだった。
先程から、この町の間の服飾からは想像出来ない服ばかりが顔を出す。
受け取り、触ってみると布の質感からこれはインナーではなくこういう服なのだということは分かる。
黒い袴に黒いインナー。完全に黒づくめだな。
ファッションセンスはまずまずだな、と俺は思う。
だが正直、自分の服はどうでも良い。
「合わせて幾らだ」
「金貨4枚になります」
俺は手早く袋から金貨四枚を取り出し、店員に手渡す。
服は、そのまま着て行く俺の服以外は袋に入れて手渡される。
何の躊躇も無く支払いを済ませた俺に、ベルンハルドは驚いているようだったが、それに構っている暇は無い。
今度はベルンハルドの身体を綺麗にしなければならない訳だが、聞いて見たところ、ベルンハルドの泊まっている宿屋には温泉が付いているらしかった。
……同時期にここへ来たアニェッラはしっかり家に住んでいるのにベルンハルドは未だ宿なのかと思わなくも無いが、今はそれを置いておき、急いでベルンハルドの泊まる宿屋へ行くと、ベルンハルドを風呂の中へと突っ込んだ。
無論、湯船にでは無い。
さっさと風呂で体洗って来いと急かしたことの比喩表現だ。
ベルンハルドが風呂から出てきてすぐ、部屋で買ったばかりの服をベルンハルドに着せる。
まさか着方が分からない等とほざきやがるとは思わなんだが、時間が無いために俺が着せる。
無造作に伸ばしてある髪を、オールバックに纏める。
小道具を付けて、ごろつきベルンハルドから紳士ベルンハルドへジョブチェンジさせたところで、まだ随分と時間もあるが、待ち合わせ場所へベルンハルドを連れて行く。
噴水の前、まだ30時前であり、当然のことながらアニェッラの姿は無い。
「服の金は今度稼いで返す」
「別に構わん」
どうせ元は俺の金じゃない。
「それこそ男じゃねぇよ」
「……分かった。それより、店は選べよ? 俺はもう行く。お前はここで、アニェッラを待て」
一応、街中を周って雰囲気のよさそうな店をピックアップしておいた紙をベルンハルドへ渡すが、ベルンハルドは酒場に関しては俺以上に詳しいだろうし、選ぶべき店の雰囲気が伝わってくれれば、程度のものだが。
「おう、正直早く聞過ぎたが、遅れるよりゃいいんだろ?」
「あぁ。……ところで、先程させた指切り」
「ん?」
「本来は『指切拳万、嘘ついたら針千本呑ます』という歌と共に行う。約束破る嘘吐きは、針千本の刑に処す、という意味だ」
「マジか」
「マジだ。だからベルンハルド、約束だ」
「ん?」
「頑張れ。気付けたのならな。思い立ったが吉日だぞ」
「…………了解」
男同士の指切りは、何と無く絵にならない。
そんなことを考えながらにベルンハルドと別れ、帰路を歩く際中に、広場の方へ小走りで向かう綺麗な女児を見つつ、宿の晩飯の時間、30時に間に合えるように俺は宿屋への足を進めた。
アニェッラ。俺の勝ち、だぞ。




