025 狂科学者の炎学
優人は俺に返し忘れた剣を返すべく、宿屋への道のりを結城と共に歩いていた。
その手に持たれた片刃の剣は、貸した際より綺麗に手入れされている。
「……つーか。何で今から返しに行くんだよ。明日で良いだろ」
つき合わされた結城は物臭気に、優人を見る。
「駄目だよ。貸し借りはちゃんとしないと。それに、もしかしたら宿屋へ帰ってすぐに面倒事に巻き込まれてて、剣が必要になるかもしれないじゃん」
「ねぇよ。何だその波乱万丈な人生は」
「久遠さんの危惧していた事が予想より早く起こり、大変な目に会ってるかもしれない」
「ねぇって。……てか何で俺がついて来なきゃならねぇんだ?」
「そりゃ……お嬢が『お前も行け、目障り』って結城に言ったからじゃない?」
「…………」
付き添いを強制労働にさせられた結城の顔が渋くなる。
結城としては、未だ得体の知れない千壌土 久遠という男に警戒を怠れない。
なるべくなら近寄るべきでは無いと考えている訳で、弔による指令は最悪なものだった。
ただ、そんな相手の所へ優人一人を行かせられないという弔の考えも良く分ったが為に、何も言わず付いて来た訳だ。
優人のハーレムメンバー共が今日は挙って居やがらないせいで……結城の頭の中には、そんな不満の言葉しかない。
結城はこんなことをさっさと済ませ、自室へ戻って作戦を練ろう、なんて考えながら、優人の言葉を聞き流しつつ足を進めるのであった。
そして辿り着いた先が、火の海だった。
外へと燃え移りはしていない。
だが、目的地であった筈の宿屋内が、依然として赤い炎が燃え盛っていたのである。
「な、何じゃこりゃぁぁぁぁぁぁ!」
「火事だよ結城! 水か結城を突っ込まないと!」
「後者俺死ぬから」
叫んでみせた結城は、優人の言葉を軽く流して言う。
そんなことをさて置いて、目の前が燃え盛っているという現実に、二人は唖然とさせられる。
つい数時間前まで、普通に存在していた場所が燃えている。
その事実は、二人の中で芽生えた事の無いような負の感情を呼び覚ます。
……久遠さん! エウフラージア! 優人が叫び、宿屋の中へ突っ走ろうとするのを、結城が止めた。
「待て! 突っ込んで行ってどうする!」
「でも!」
「焦っても自体は好転しない! まずは落ち着け!」
結城はそう言って、魔力を練り始める。
優人も同様だ。二人は、水魔法による火の沈静化を目論もうとしているのである。
周囲には、それなりの人数の野次馬が集まりつつある。
その中には、優人や結城がしる人物も、野次馬としてでは無く当事者として紛れている。
水魔法を放とうとした矢先、沈静化の対象が、次の瞬間には消えた。
何事か理解出来ず、唖然とする2人の前に宿屋から出て来たのは、身体は子供、頭脳は老害。
サウザンド・ターミネーター7世だった。
事の始まりは、俺が全殺を終えてすぐの事だった。
家族間での感動の~といった場面に、俺は幾度も立ち会ってきたが、正直居る必要性を感じないというのが俺の結論だった。
そもそも下心でも無ければ、家族水入らずを邪魔しようなどとは決して思わず、例え当事者であっても席を外すのが普通だと俺は思うのだ。
そんな中、俺は1人路地裏へ残って黒剣を使ったとある実験をしていた。
この黒剣、謁見の間で使った時に思ったのだが、生み出す炎を決めることが可能ではないか、と。
例えるなら、『目標のみを焼く炎』といった、理想の炎である。
温度調節が可能なら、未知の燃料を消費して使う以上そんなことも可能ではないか、という暴論の元である。
まず手始めに、実験として『何も焼けない炎』を想像しながらに、黒剣を発動させる。
火の大きさは、ライターによるものと同じ位。
出現場所は剣先1㎝先。
形振り構わず焼き尽くす炎を創り出した時と何等変わらない方法で、黒剣に燃料を送る。
まず、炎のサイズ、出現場所の決定には成功。
後は、この炎が何も焼かないか試すだけだが、俺はその辺に転がっていた死体の服に、剣先に灯る炎を当ててみる。
結果、服は30秒ほど火に当てられても燃えなんだ。
つまりは、燃えない炎の完成である。
俺は面白半分に、その火を握ってみた。
「熱っ」
何も焼かないのに、しっかりと炎としての熱さを保っている。
原理がまるで理解出来ない。
手には確かな熱さがあったというのに、熱による火傷は全くないなんて、火への感覚がおかしくなってしまいそうである。
ただ、実験は成功したといって良い。
次は、もっと条件を限定する。
『死した人体のみを塵も残さず焼き尽くす業火』
コレに関しては、『目標のみを焼く炎』と違って期待薄に考えている。
何故なら目標の識別を炎へ求めることなど出来る訳がないからだ。
それは最早、神業の領域。
神を身近に感じられる世界ではあれども、人と神の間にはしっかりとした壁がある世界でもある。
正直に言えばそれが目的であり、それが出来れば宿屋の掃除をしないで済む。
そもそも、感動的場面に生々しい死体がある時点で、シチュエーションとしては最悪なのだ。
その辺の配慮を忘れていた俺のミスだが、今の俺では奴らを別の場所へ誘導して殺すのは至難だ。
ならばせめて、何も無かったかのように宿屋内を綺麗にしようと思い浮かんだのである。
物の試に、一度やってみようではないか。
死体は幾つかにブツ切りされているし、まずは頭部で実験を始め、大きい身体の方は慣れてきたらだ。
ちゃんと出来るようになるで宿内では出来ない。
宿を焼いてしまっては大変だからな。
まず、一番見るに堪えないこの頭から。
火の大きさは、この頭部を一瞬にして焼き尽くせる程度。
出現場所は、黒剣の指す先にある人間の頭部。
周囲の物を全く焼かぬ火になりて、醜き頭を焼き尽くせ!
目の前にあった頭部が、あっと言う間に人体から炭へ、炭から塵へ、塵から無へ。
火の当たった位置は、頭部の他に、石の地面。
「……失敗だ」
石の地面に、焦げ等は一切無い。
だが、頭部より漏れ出していた赤い血がまるで燃えていない。
これでは、例え死体が無くなろうとも、返り血が店内を彩る『宿屋~殺人現場風味~』になってしまう。
客こねぇよ。落ち着かなすぎるだろ。
常時殺人鬼に怯えて泊まる宿とかそんなスリリングな寝床求める奴何処にいる。
……あっ、俺か。
奇襲上等。ただし、強者に限る。
さて置き、今度こそはと別の所に転がっていた頭部を持って来て、同じ場所に置く。
火の大きさ、出現場所は先の手順。
周囲を焼かずに人体に属する全ての血肉を無えと返せ。
「っ!? 危なっ!?」
ギリギリの所で黒剣を離して回避したが、あと少しの所で頭部事俺までも焼けれ、無に帰すところだった。
その炎は、熱いなんで次元ではない。
一瞬にして床へ作り出していた血溜まりを頭部諸共消滅へ追い込んでいた。
蒸発なんて生易しいものではない。
気化なぞさせる気も無い、鉄分ごとの、本当の意味での消滅である。
速さは別に求めてない。焼き終えるまで数十秒位の時間が掛かっても問題は無い。
……気を付けなければ、俺も焼かれるな、この実験。
今度こそと、俺は最後の1個である頭を目の前に置く。
一応、今のは血も抹消出来ていた。
店内だと多分、木製のテーブルや椅子、床などが血を吸ってしまっているだろうから、それすらも焼けるようにしなければならない。
一応、どの位の範囲実験がてら、大きい方は出来る限り残しておきたいが、失敗しない為なら、そっちも使って普通に実験しよう。
また、火の大きさ、出現場所は変わらない。
種族『人間』の血肉以外を焼く事の無い、躯のみを好む業火。
「やっぱり危なっ!?」
別に好みじゃないだけで、生きていようが焼くこと自体は普通に出来る炎が完成してしまった。
今度は炎が襲い掛かってくることはないものの、それなりの危険がある。
今の場合は、石の間を通った血を辿り、俺の靴元へと辿り着き、爪先を少し焼かれたところで遠退いた。
ただ、靴をすり抜けて人体を焼くということは、目的自体の達成は叶いそうである。
ミスると焼かれるけど。
これなら、首無しの身体3つを同時に焼く実験をしながらに、生き物を焼かぬ様にする実験も叶いそうだ。
もし無理だった場合には、3度目の実験によって生み出された炎を使って何とかしよう。
別に宿内全体に血の雨が降った訳では無いのだから、俺の居場所位はあるだろう。
無かったら俺も焼かれるけど。
3つの身体を、それなりに離して置く。
一個体を焼くために生むのではなく、その範囲を焼く炎を作る。
成功すれば、ついでにこの裏路地も綺麗になる。……ただ、宿屋へ火が燃え移る可能性もある為、慎重に慎重を重ねるべきだろう。
出現場所は、剣先より10m。石の床が存在する場所に限定。
火の大きさは、その範囲に見合った火柱。
焼き尽くすは死した人間の血肉。それ以外のものを決して焼く事の無い炎の生み出す火柱。
「…………火柱」
発動した瞬間、視界全てを覆った炎に、俺は圧倒させられる。
出現した火柱は、黒色に染まり始めた空を裂き、数秒の間周辺をその赤い体で照らした後に、まるで花火の様に儚く消えた。
その後に残るのは、男たちの着ていたであろう衣類のみ。
……あ、衣類は人体じゃないから残るのか。
だが、完全に成功していた。
目の前に居る俺という人間が火傷一つしていないのが良い証拠だ。
俺は嘆息を洩らした後すぐに、宿内へと戻り、カウンターの前で抱き合う女将とエウフラージアと、それを微笑ましげに眺める店主を見つけた。
「感動の再会のところ悪いが」
「そんなに長い間離れてた訳では無いけどね」
「少し宿の外へ出ていてくれ」
「……何故だ」
店主が俺を威圧する。
いや、恩を着せる気はサラサラないが、晩飯を普通の客と同様に振舞う位はして欲しいのだが……。
それはさて置き、店主の疑問はもっともだ。
「後片付けだ。まだ食堂の方を見てはいないな? 見ないままに退場しろ。直ぐ済む」
「後片付けだと? そんなのは俺に任せておけば……」
「お前の様に覚悟も無い人間があれを見たら、汚物吐き出して更に汚すだけだ」
聞き分けが無かったために俺は睨みつけ、一蹴する。
俺の言葉を理解したのは、エウフラージアだった。
俺が何をしたのか、薄々でありながらに予想したのだろう。
「お父さん、久遠さんは恩人だよ?」
「……分かった」
店主は渋々といった感じに宿屋を出ていき、女将とエウフラージアも俺を一瞥した後に宿屋を出て行く。
2階を確認する暇はない為、店内には誰も居なくなったことを祈りつつ、丁度血が飛び散っている位置の前で、黒剣を前へ向ける。
範囲は剣先より先、建造物内全体。
火の大きさは、床より天井へ埋め尽くす程。
焼き尽くすは死した人間の血肉。それ以外のものを決して焼く事の無い炎の生み出す業火。
「……やっぱり、熱いには熱い」
火が焼いて行くのは、大罪人。
火が焼いて行くのは、その大罪人の今後の人生。
火が焼いて行くのは、その大罪人の痕跡。
火は焼いて行く。
俺が願った通りに焼いて行く。
ユラユラ揺れる陽炎が、目の前を焼いている。
ぶちまけた脳を。
事切れた体を。
胴体から離れた腕を。
平等に全て焼いて行く。
全てを焼き終えると、火は火らしからぬ幻影でも晴れるかのように消えて行った。
食堂に残っているのは、幾つかの洋服だけ。
外が騒がしい。
何事かと思い、俺は食堂に転がっていた洋服を拾い、横に抱えて外へ出てみると、そこは結構な数の野次馬が、宿屋内で起こったことを見ているらしかった。
その中に、エウフラージア達は紛れており、俺は其方に寄って行き、唖然とした三人に静かな口調で言う。
「この宿屋の晩飯は何時から、だった?」
「……30時だよ。待ってな、旦那が腕を揮うから」
「楽しみにしている」
女将の言葉に、俺は笑う。
服の処分をどうするか、なんて考えながらに夜道の散歩でもしようかと考えていた矢先、見知った顔が視界に入る。
「優人、結城。お前達はここで何をしているんだ?」
「…………」
「久遠さん、宿屋の中で一体何を?」
「何……火を使った後片付け?」
「壮大過ぎるだろ」
まあ、俺も始めてやった。
まだ服の処分を終えていないから、中途半端だがな。
「お前達は何故ここに?」
「あ、剣を返しに来ました」
「む? 明日で良かったのだが……って、コレがあればもう少しスマートに片付いたんだがな」
主に、流血を減らせた。
その後、雑談を交わしている内に何故か結城が優人に謝罪したが、俺は訳も分らぬままに雑談を続けたのだった。